05:帝都の青年、北へ


 面倒なことになってしまったと、ユーリは下町へ続く坂を駆け下りながら、爽やかな朝陽にそぐわぬ溜息をついた。投獄されるのはいつものことだ。気にすることはない。だが問題は彼女だと、ユーリは隣で揺れる桃色を見た。城の中で騎士に追われ、助けたら敵と間違えられて花瓶で殴りかかられ。誤解をといて、ユーリがフレンの友人だと知ると、今度は外に連れ出して欲しいと頼んできた。
 何か訳有のようだが、詳しいことを話してくれる気配はない。とはいえ害はなさそうだ。暫く様子を見ようと下町に辿り着いた所で、住民たちが声を上げた。

「ユーリが帰ってきた!」

「おー、無事だったか」

辺りを見渡すと、噴水は水漏れを通り越して完全に止まっていた。この様子ではしばらくここの水は飲めないだろう。
 ハンクスの話では、騎士は水浸しになっていた下町の惨状には目もくれず、ユーリを捜していたらしい。やはり騎士はあてにならない。
 この状況で良い知らせがないのは残念だが、現状報告はしなければならない。ユーリは息を零してハンクスに口を開いた。

「悪い知らせだじいさん。修理した貴族ってのはやっぱり魔核泥棒だったぜ」

「ライの言う通りだな……やはり騙されたということか」

「あいつから何か聞いていたのか?」

「モルディオは貴族じゃなく、ただの魔核泥棒らしいな」

 辺りを見てもライの姿はない。無事に逃げたとは思ったが、どうしたのだろう。ハンクスの話では、ライは先ほどまで近くにいたらしい。いつもなら部屋で寝ているだろうが、今日ばかりは何か事情があるのだろう。

「魔核泥棒?」

「わしらの下町をこんなにしたヤツじゃよ」

 エステルが首を傾げれば、ハンクスは枯れた噴水を睨んだ。枯れた噴水にぽっかりあいた窪みで察したのだろう。エステルは痛ましそうに俯いた。

「……それじゃ、水道魔導器の魔核を……」

貴族や騎士がエステリーゼのようだったら、どんなに楽だっただろう。この心配性を奴らにも分けて欲しいものだと坂の上を睨めば、それで、とハンクスが口を開いた。

「ユーリ、お前さんはこれからどうするつもりじゃ?」

「ああ、夜も明けちまうし、牢屋にも戻れねえし……」

騒ぎを大きくしない為に、下町を確認したら牢屋に戻ろうとも思ったが、この時間ではユーリが脱獄したことも知られてしまっただろう。
 もう後には引けない。前に進むしかないとユーリは外に目を向けた。

「ひとつ結界の外へ魔核泥棒のヤローをぶん殴りにいくか」

「外か……」

結界で守られた町の外は危険しかない。無力な市民が街の外に出れば命の保証はないが、ユーリはただの無力な市民ではない。ため息をつくハンクスにユーリは軽く笑った。

「心配すんなよ。ちょっくら行ってすぐ戻ってくっから」

「はん。誰が心配なんぞするもんか。ちょうどいい、機会じゃ。しばらく帰ってこんでいい」

「はあ?なんだよ、それ」

が、厄介払いをするように手を跳ねるハンクスに、眉をひそめて見せる。横暴な騎士は無力な人間に権力を振りかざそうとする。それを防ぐためにユーリはここにいたのだ。心配されると思っていたのに少々意外だ。そんなユーリの心情を察しているのか、ハンクスはユーリをまっすぐ見つめた。

「お前さんがいなくても、わしらはちゃんとやっていける。前にフレンも言っておったぞ。ユーリはいつまで今の生活を続けるつもりなのかともな」

「余計なお世話だっつーの」

自分はもう心配されるような歳ではない。フレンの方も最近顔を合わせればいつも説教ばかり。君はいつまでくすぶってるんだと。街の外に出て魔核泥棒を捕まれば、フレンも少しは大人しくなるだろうか。

「ユーリ・ローウェル!神妙にお縄につけ〜!!」

 考えていると聞きなれたルブランの声が聞こえて、ユーリは小さく笑った。どうやらもう話をしている時間もないらしい。ルブランならすぐにここまで来るだろう。恐らく、部下であるデコとボコを引きつれて。

「ま、こういう事情もあるから、しばらく留守にするわ」

「やれやれ、騒がしい奴だな」

 歩きはじめれば、ハンクスが何故か肩を回し始めた。彼だけではない。小さな子供も、恰幅の好いおばさんも、血の気の多そうな青年も、誰もが準備運動を始めている。まさかと口を開きかけたそのとき、ハンクスは笑みを浮かべた。

「これで金の件に関しては貸し借りなしじゃぞ」

ルブランたちを足止めしてくれるのだろう。騎士相手に反抗すれば暴力や投獄は免れない。だが、ルブラン達なら守るべき市民に手荒な真似はしないだろう。危険なことはさせたくないが、足止めをしてもらえばありがたいのは確か。
 何故か楽しそうなハンクス達に、ユーリは思わず笑みを零した。

「年甲斐もなくはしゃいで、ぽっくりいくなよ?」

「はん、おまえさんこそ野垂れ死ぬんじゃないぞ」

笑って言えば、ハンクスも笑って返した。この調子なら大丈夫だろう。エステリーゼは心配げにハンクス達を見ていたが、ユーリは行くぞと声をかけて駆け出した。
 すれ違う住民達はこの状況を楽しんでいるらしく、皆笑顔だ。気を付けろよ、彼女を泣かせるなよ、と。何か勘違いされていらしいが、それを声に出した所で言った本人は既に遥か彼方。聞こえているのか怪しい。
 そしてすれ違う下町の住民たちは皆ユーリ達に何かを手渡していく。地図やお菓子、パンや水。決して裕福とは言えない下町の住民にとって、それらがどれほど重要なものかユーリはよく知っている。
 だが返そうとしても渡した住民は近くにいない。住民はユーリ達と逆走するよう走り、もう前に進むことしか出来ないのだ。
 モルディオという名の貴族を捜して魔核を取り戻せば水道魔導器は直ると思っていたのに、投獄されるは、お姫様を城から連れ出すはめになるわ、何故かフレンと間違えられて襲われるわ、帝都を出るはめになるわ。何かに憑かれているのではないかと疑ってしまうほどだ。この様子では暫く帝都には戻れないだろうと、ユーリは住民の波を抜けた所で息をついた。

「ユーリさんは皆さんに、とても愛されてるんですね」

「冗談言うなよ。厄介払いができて、嬉しいだけだろ?」

 息を切らせながらも、くすくすと笑うエステリーゼに溜息をつく。だがそれさえも彼女にとっては面白いらしい。楽しそうな笑みを絶やさないエステリーゼから視線を逸らし、ふと違和感に気付く。いつもより懐が重い。まさか、と懐に手を入れれば白い袋の中でガルドが揺れる音がした。

「ちょ、おい……!誰だよ、金まで入れたの!こんなの受け取れるか!」

いくらなんでも金銭まで受け取れない。誰が入れたのかは分らないが、早く返さなければと踵を返した所で、聞きたくない声が聞えた。

「ええ〜い!待て〜!どけ〜い!!」

 住民をかきわけ、ふらつきながらも姿を現したのはオレンジ色のシュヴァーン隊服に身を包んだルブランだった。

「げっ……しょうがねぇ、一旦もらっとくか」

思わず顔を引きつらせながらもユーリは袋を仕舞い、エステリーゼの手を引いて再び走り出した。驚いたようにエステリーゼが小さく声を上げたが、ここで立ち止まればルブラン達に捕まってしまう。背後からはルブランが鎧を鳴らしながら走る音が聞こえてくる。一人なら逃げ切れる自信があるが、今のユーリは一人ではない。どうするべきか、と思考を巡らせていると背後から大きな音が聞えた。

「な、なにごとだ!」

振り返れば、いつものようにキセルを咥えたラピードがこちらに向かってきていた。犬扱いされるのを嫌うラピードだが、彼は生物学的には犬。ルブランの目にもそう見えているのだろう。自分を転倒させた相手に、ルブランは目を丸くしていた。

「ピコハン!」

「ぐあっ!」

 そんなルブランの頭上に、軽やかな音を立てて赤い槌が落ちる。可愛らしい音だが、あれでも敵を倒せることをユーリはよく知っている。それに、これをよく使う人間も。

「いやぁ〜。危機一髪だったわね、ユーリ!」

「ライ……」

にやにやと気持ち悪い笑みを浮かべるのは幼馴染だった。この顔は何か悪だくみを考えている顔だ。あとで助けてやったんだからとお菓子でも要求されるかもしれない。思わず口元を引きつらせれば、隣にいたエステリーゼが息をのんだ。

「ライ……もしかして、彼女もフレンのお友達ですか?」

「友達っていうか、ただの腐れ縁よ」

目を丸くするエステリーゼにライが笑って首を横に振る。お友達、なんて可愛らしい言葉で纏められては困る。フレンから何か話を聞いているのだろうか。ライは心底愉快そうに、にやにやとエステリーゼとユーリを見比べた。

「てかなーに?ユーリってば捕まったと思ったらこんな可愛い女の子とデート?モテる男は辛いわね〜」

「んなわけねえだろ」

「やっぱり!お話はよく聞いています!」

溜息をつくユーリの隣で、エステリーゼが素早くライの両手を両手で握りしめた。突然どうしたのだろう。何故こんなに目を輝かせているのだろう。戸惑うユーリに気付かないのか、エステリーゼはきらきらとした目でライを見つめた。

「ハロウィンでユーリさんとお菓子を奪い合ったり、バレンタインにフレンのチョコを食べに来たり、ケーキをワンホール食べたりするライさんですよね!?」

こんなハチャメチャなことをするのはライしかいない。ユーリは鼻で笑うと口の端を上げた。

「間違いなくお前だな」

「はっはっはー。お嬢さん、その話はどこで聞いたのかな?」

「フレンです!私、フレンからいつも貴女のことを聞いてたんです」

「うん、よく言われるわ!でもたまには怒りたい!」

大きく頷くライは満面の笑みを浮かべている。ライはユーリと同じ21歳だが、初対面の人間にそう思われない程小さい。勿論エステリーゼより10センチほど小さなライは、自然とエステリーゼに見下ろされる形になる。
 何故かライを見て感動しているようだが、二人は今の状況を忘れていないだろうか。

「じゃ、とりあえずデイドン砦に行くぞ。話はそれからだ。ここにいたらルブラン達に捕まるぞ」

「ユーリってば今度は何したの?拉致?誘拐?それとも……駆け落」

「んなわけねえだろ。連れ出せって頼まれたんだよ」

軽くライの頭に拳を落せば、人聞きの悪い言葉は最後まで聞かずにすんだ。が、これはこれでライにとっては楽しい展開なのだろう。頭を押さえつつも、ライは楽しそうにエステリーゼを見た。

「わぉ!お嬢さん清楚に見えて大胆ね〜。えっと……」

「エステリーゼです」

 名前を呼ぼうとして呼べない事に気付いたのだろう。名乗るエステリーゼにライが頷く。貴族というのは皆こんな長い名前なのだろうか。名前は大事だとは思うが、このままでは呼び辛い。エステリーゼ、と心の中で呼んで、その名を呼びやすいように変換させてからユーリは口を開いた。

「とりあえず、どこまで一緒かわかんねえけど、ま、よろしくなエステル」

「よろしくエステルー」

渾名をつければライも楽しそうに笑った。ライもこちらの方が呼びやすいのだろう。二人で呼べばエステルははい、とお行儀よく頷き、一拍の後に小首を傾げた。

「え?あれ?……エス……テル?」

渾名で呼ばれたことがないのだろうか。エステルは何か考え込むように俯き、エステル、エステル……と自分の渾名を呟いている。このままでは本当にルブラン達に捕まってしまう。ユーリが先を促そうと口を開きかけた所で、エステルが満面の笑みを浮かべて顔を上げた。

「これからもよろしくお願いします。ユーリ、ライ!」

思いつきで付けた名だが、気に言ってくれたらしい。あどけない笑みにユーリもつられて笑い、暫く見ることは出来ない町に向き直った。

「しばらく留守にするぜ」

「いってきまーす!」

「いってきます」

ライとエステルが二人で下町に向かって手を振る。出会ってまだ間もないというのに、何故か二人の息はぴったりだ。まるで姉妹のように仲良く手を振る二人に、ユーリは小さく笑うと町の外へと歩き出した。




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