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治療してくれた女性、リフィル・セイジの話によると、アレクセイはこの家の近くで倒れていたらしい。
家の近く、と言っても周囲は森。
近くで剣の鍛錬をしていたこの家の姉弟が見つけて手当てしてくれたらしい。
姉の名は
リンネ・アーヴィング。
弟の名はロイド・アーヴィング。
彼女達と会話していくと、一つの結論に辿りついた。
アレクセイがいるここはテルカ・リュミレースではなく、シルヴァラントという世界だということ。
こんなことがあり得るのだろうか。
何故こんなことになったのだろう。
そう考えて、思考をやめた。
考えても仕方のないことだ。
もう何もかも、どうなってもいい。
喋ることさえ億劫になり、彼女達の話を聞き流していると、彼女達もアレクセイが疲れていると判断したらしい。
安静を言い渡されてアレクセイは再び横になると、一人きりになったのを確認して目を閉じた。
ゆっくりと意識を浮上させるのは、何かがぶつかりあう……いや、この音には聞き覚えがある。
木刀と木刀がぶつかり合う音だ。
それに、何やら聞き覚えのある声も聞こえてくる。
「くっそー!もう一回だ!」
「何回でもいいよ」
ゆっくりと身体を起こせば、眠る前よりも身体が軽くなっていた。
リフィルの治療が効いているのだろう。
そのままゆっくりと床に足をつけて、ゆっくりと立ち上がる。
ただそれだけのことでも身体が重く感じたが、外からの音がアレクセイを導くように身体に響いてやまない。
窓の枠に手を添え、外を見る。
結界のない夕暮れの空の下、二人の子供が熱心に木刀を振っていた。
攻撃はロイドの方が一方的に繰り出しているが、詰めの甘い攻撃はどれも決定打に欠ける。
対する
リンネの方は冷静にロイドの剣を受け止め、ロイドが大きく木刀を振り切ったその隙に、喉元に木刀を突きつけた。
「またあたしの勝ち、だね」
「良い所まで行ったのになー」
息を乱さない
リンネの前で、肩で息をするロイドがうなだれた。
あれのどこが良い所、なのだろう。
大きすぎる剣の振り、力任せの攻撃、防御された時の剣の返し。
どれもが甘い。
けれど、何故だろう。
彼の愚直なまでの真っすぐな剣さばきはどこか心地よくも感じる。
リンネの方もまだ未熟な点があるが、筋が良い。
鍛錬すればきっと……
そう考えてアレクセイは首を横に振った。
何を考えているのだろう。
ここにいるのはもう、騎士団長でもなければ騎士ですらもない。
世界を滅亡に導いた、ただの道化だというのに。
「アレクセイ!もう起きれるのか?」
考え込んでいると、こちらに気付いたロイドが手を振っていた。
そこで彼女も気付いたのだろう。
リンネもこちらを見上げた。
「お腹すいてるでしょ?すぐ用意するから待っててね」
行って彼女はロイドと共に家の中に入って行った。
特に腹がすいたわけではないが、否定するために声を上げるのも億劫だ。
布団に入り、大人しく寝ていれば何も食べずにすむだろうと思い、踵を返した所で何故か腹の虫が鳴いた。
先ほどまで全く空腹を感じていなかったはずだが、たったこれだけ動いただけで腹が減ったのだろうか。
だが、食べた所でどうなるというのだろう。
一度は捨てた命。
繋いだところでどうなると言うのだろう。
そう考えて、脳裏をよぎったのは一人の男。
この手で甦らせた部下。
持てる知識と技術を駆使し、救った男は目を覚ましてすぐに自分を殺してくれと言った。
あの時は望んで命を捨てるという思考が信じられなかったが、今なら少し分る気がする。
生きて欲しいと思うのは、それは所詮生きている人間のエゴなのだろう。
死んだ人間にとっては、命が繋がっても何の意味もない。
生きることに、何の意味があるのだろう。
いっそこのまま空腹で息絶えればいい。
そう思うのに、今死んでもいいと思うのに。
身体は生きることを求めるように空腹を訴え続けていた。
結局は何もすることもなく、ただベッドに横になって静かに目を閉じて息を吐き出す。
だが目を瞑っても腹の虫は鳴り続けて止まない。
意志とは反する身体に溜息をついていると、程なくして控えめなノックが聞えた。
このまま目を瞑って寝たふりをしようか。
どう返事をしようかとあまり動かない頭で考えていると、豪快にドアが開いた。
「飯だぞ飯ー!」
「急にたくさん食べるとお腹がびっくりするらしいから、今日はお粥だよ」
入ってきたのはやはりというか、ロイドと
リンネだった。
ロイドの手には彼の上着と同じ真っ赤なリンゴ、
リンネの手の中では白い皿に盛りつけられたお粥が湯気を立てている。
近くの椅子に腰かけた
リンネが、持っていたスプーンでお粥を掬って自分の息をかける。
まさか、と考えていると
リンネは笑顔でお粥の乗ったスプーンをアレクセイの口元に運んだ。
「はい、あーんして」
その屈託のない笑顔がとても眩しく感じて、アレクセイは眉間に皺を寄せた。
こんな間近で、打算も欲望もない笑顔を見たのは何年振りだろう。
何となく直視できなくて視線をそらせば、
リンネが首を傾げたのが気配で分った。
「もしかして、お粥嫌い?」
違う、と心の中で返した所でまた腹の虫が鳴いた。
生きたいと思う訳ではないが、このまま空腹を無視するのは難しいだろう。
溜息をつきながらも視線を戻し、アレクセイは
リンネの手からスプーンを奪った。
「……一人で食べられる」
「でも一人じゃ寂しいだろ?」
そう言ってロイドが手に持っていたリンゴをかじる。
そういう意味ではないと反論が浮かんだが、姉と同じように屈託のない笑顔で言われれば反論は泡のように消えていった。
この姉弟はどこかずれていないだろうか。
弟に同意を求められた姉は、大きく頷いた。
「そうだね。アレクセイさんの体調が良くなったらみんなで食べようね」
にこにこと笑うこの姉弟は何を考えているのだろう。
呑気な奴らだと内心ため息をついてアレクセイはお粥を口に運んだ。
消化にいいものを作ってくれたのだろう。
柔らかく煮た米は塩の味しかしなかったが、あたたかくておいしい。
かなり腹がすいているからだろう。
お粥がどんどん消えていくのをどこか他人事のように見ていると、視界の端で
リンネがリンゴを手に取った。
さらさらと剥かれていくところを見ると、慣れているのだろう。
だがそれより気になったのは彼女の手だ。
先ほどちらりと見えたが、小指と薬指の付け根にあるタコは剣を振い続ける者に出来るもの。
それもここ最近できた物ではなく、長年の修練によって出来たものに見える。
彼女の手は年頃の少女とは思えない。
姿とは不釣り合いなその手に、自然と口が動いた。
「剣は、いつから習っている?」
アレクセイの問いに、丁度リンゴを剥き終えた
リンネの手が止まる。
そして瞬きをした後に、皿の上でリンゴを切り分けながら何気なく彼女は口を開いた。
「習うっていうか、物心ついた頃から自然と自己流で……かな」
「だな。この辺りは魔物が多いし」
リンネの言葉にロイドも何気なく頷いた。
彼の手にも剣ダコはある。
そういえば、この世界には人々を守る結界が存在しないと言っていた。
結界がなければ魔物がいつ村を襲撃するか分からない。
だがそれにしても、彼女達のような子供があんな手になるまで剣を振う必要はないはずだ。
「何故だ?」
単純な問いに
リンネは少しだけ目を見開き、けれどすぐに微笑みを浮かべると真っすぐアレクセイを見つめた。
「守りたい人達がいるからだよ」
「俺達、村じゃ結構強いんだぜ」
さらりと答える
リンネと、どこか誇らしげなロイド。
二人の答えは実に単純明快だ。
人々を守るために組織された部隊をアレクセイは知っている。
だがそれは彼らのようにまだ幼さを残した少年少女ではない。
彼らは誰かに似ている気がするが、一体誰に似ているのだろう。
ぼんやりと考えていると彼らの言葉にひっかかりを覚えて、気が付けば自然と口が開いていた。
「人々を守るのは騎士だろう。彼らは何をしている?」
疑問を口にすれば、
リンネとロイドは顔を見合わせた。
帝国では騎士を知らぬものはいない。
だからこそ、問えば殆どの民が騎士に対するイメージを口にするがこの二人は違う。
ロイドは思考を巡らせるように首を傾げた。
「そんなのいないよ。騎士って、おとぎばなしに出てくるやつだろ?王さまとか、お姫さまを守るやつ」
な、と
リンネに同意を求めるロイドにアレクセイは思わず息をのんだが彼女の方は平然としている。
当然のことだと言わんばかりに頷いて、彼女の視線がこちらに向いた。
「あとは神子を守り通して、世界再生に貢献した護衛のことを聖騎士って言うけど……今はいないから」
「いない……?」
零れた疑問に
リンネはロイドと共に頷いたが、にわかには信じられない。
騎士がいないのなら、この国の政治は、経済はどうなっているのだろう。
一つの疑問をきっかけに、幾多の疑問が脳裏を駆け巡っていく。
先日リフィル達から簡単な説明を聞いたが、要所しか覚えていない。
もう少し詳しく聞いておくべきだっただろうかと思考を巡らせていると、
リンネが苦笑した。
「昔はそういう組織があったらしいけど、今は国が滅んじゃったから村や町単位で自警団を形成して自分たちの土地を守ってるんだよ」
この世界は一体どうなっているのだろう。
国が滅び、騎士がいない世界で、結界もない世界で、人間が生きていけるのだろうか。
「
リンネはその一員なんだぜ!俺も入りたいんだけどな」
「君が……自警団?」
大きくしっかりと頷く少女はまだ幼い。
本来なら、守られるべき年齢である彼女が人々を守ると言っている。
帝国ではありえないことだ。
いくら腐敗しつつある騎士団とはいえ、こんな幼い少女を戦場に送り込むほど帝国は腐っていない。
しかも彼女はその不遇を呪うどころか、誇らしげに語っている。
弟のロイドもそうだ。
返す言葉を失うアレクセイとは対照的に、
リンネ達はまるで他愛のない世間話をするように二人で笑っている。
「ロイドはまだ駄目だよ。あたしから一本も取れないようじゃ駄目」
「見てろよ、いつか
リンネより強くなってやるからな!」
指をさす弟の宣戦布告に
リンネは穏やかに微笑んでいる。
あの実力差では彼が
リンネを越える日は遠いだろう。
アレクセイからしてみれば不安定で無秩序にも思える世界で、彼女たちは逞しく生きているらしい。
「こら、おめえら怪我人に無理させてんじゃねぇだろうな」
二人を見ていると、扉から男が入ってきた。
筋骨隆々の肩に何か重そうな麻袋を担いでいるが、身体はとても小さい。
恐らくはアレクセイの腰程度の身長だろう。
幼い頃お伽噺で読んだドワーフのようだ。
見慣れない男の登場に身構えてしまうが、太い眉毛から除くその眼は優しげで毒気を抜かれそうになる。
「具合はどうだ?」
かけられた声は優しく、
リンネ達の様子を見る限り彼は敵ではないらしい。
この家の住人だろうか。
アレクセイは平然を装いつつ頷いた。
「問題ない」
「お前さんの荷物、服と鎧は修復できたんだが、剣の方がちょっと時間がかかりそうでな」
言って床に置いた麻袋から男が取り出したのはアレクセイの装備品。
滲んでいた血も綺麗に消えており、破れたはずの団服は綺麗に繕ってあった。
青年たちとの戦いでついたはずの鎧の傷も全て直されており、磨き直してくれたのか支給したての装備品のように輝いている。
「親父、そういうの得意なんだぜ」
「細工とか、結構細かいのも得意なんだよ」
どうやらこの男はロイド達の父親らしい。
技術は高く評価したいが、近くに置かれた己の装備品に胸が締め付けられた気がした。
鎧などの装備品が綺麗になったとしても、己の罪までが綺麗に消えるわけではない。
騎士としての装備を身に纏っても、アレクセイにはもう守るべき存在も掲げる理想も何もないのだから。
「必要ない」
こんなことは、無意味なのだ。
己の意志と反して動く周囲に心がついていかない。
ふいに脳裏を過ったのは、この手で甦らせた男。
彼もあの時こんな気持ちだったのだろうか。
「私にはどれも必要のないものだ。捨てて貰って構わない」
「お前、親父がせっかく」
「やめろロイド。こいつにはこいつの事情があるんだろ」
距離を詰めたロイドに、父親が首を横に振る。
好意を踏みにじったアレクセイが許せないのだろう。
人として当然の反応だとぼんやり思う。
感情のこもった熱い鳶色の目から視線をそらし、アレクセイはそっと息を吐き出した。
もう何も考えたくない。
「余計なことして悪かったな。今はゆっくり休め。それから身の振り方を考えりゃいい」
ロイドはまだ何か言いたげだったが、父親に言われれば何も反論出来ないらしく装備品を麻袋につめて父親と共に部屋を出ていった。
身の振り方、と言われても何もわからない。
全てを失った今、未来など見れるわけがない。
何故自分は生きているのだろう。
あの時青年に斬られ、そして落下してきた巨大な瓦礫にもう全てが終わったのだと思っていたのに。
そう考えて、アレクセイは思考を中断させた。
考えた所で答えなどでない。
考えるのも、段々と億劫になってきた。
「はい、リンゴ。すりおろした方が食べやすいかな?」
かけられた優しい声に視線を向ければ、
リンネが食べやすい大きさに切ったリンゴをアレクセイの口元に寄せていた。
口を開けば、あのリンゴは彼女の手によってアレクセイの口に放り込まれるだろう。
だが、とアレクセイは顔を背けて窓の外に視線を向けた。
「食べる気になれない」
「でも食べないとよくならないよ」
ほら、と横で
リンネがリンゴを差し出している気配がする。
こんな面倒な人間など置いておけばいいのに、彼女は先ほどから何も変わらず優しい笑みを浮かべている。
純粋で真っ直ぐで、穢れを知らない瞳。
それから逃げるように視線をそらしていても、彼女は怒ることも急かすこともなくただじっと待っている。
どうして彼女は何も言わないのだろう。
アレクセイは何もない青い空を眺めながら口を開いた。
「君は、怒らないのか」
「誰だって触れられたくないものはあるでしょ?」
彼女の口から出てきた言葉は、年齢よりも大人びた言葉のような気がした。
何気なしに視線を
リンネに戻せば、そこにいたのはいつもと変わらない少女らしい微笑み。
そこには何の打算もなく、どこまでも続くような真っ直ぐな視線があった。
「……何も聞かないのか」
「だって、聞かれたくないんでしょ?だったら聞かないよ」
そう言って
リンネは苦笑した。
このごく普通に見える少女は一体どんな人生を歩んできたのだろう。
純粋で真っ直ぐで、それでも彼女は少女らしくないどこか大人びた一面がある。
何も言えずに口を閉ざすアレクセイに、
リンネはただ静かに微笑んだ。
「あたしはただ、アレクセイさんに生きててほしいだけだよ」
そのどこか悲しげな笑みから視線をそらしたいのに、うまく逸らせない。
目を逸らせそうで逸らせず、ただただ視線が周囲を彷徨う。
何か言った方が良いのだろうかと乾いた口を動かせば、不意に唇に甘いものが押し付けられた。
それがリンゴだと気づいた時には
リンネはにこにこと笑っており。
無言で口を大きく開けばリンゴの甘みが口に広がった。
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