仕事と、


(ルーイさん、リクエストありがとうございました!)




俺にも限界ってものがあるんだ。あの子はそれを知らないのかもしれない。むしろ、俺が腹の中に抱えているものがあると言う事にすら気づいていないのかも……うん、それが有力だな。俺自身がそうし向けているわけだし。

そりゃもちろん、年下の彼女を大人の余裕をもって優しくリードしてやりたいという気持ちだって確かなものだ。お洒落ないい店でガチな銘柄のシャンパンを楽しむ。彼女――ナンシーは、店の不慣れな雰囲気にそわそわしつつも可愛らしく、照れくさそうに笑って、俺はそれに微笑み返す。そういうのが いい。

見栄っ張りな彼女の愚痴を唯一聞ける存在が俺だといい。ナンシーが俺に頼ってきて、俺は彼女に応える。そういうことを繰り返して、彼女が俺だけを頼るようになるといい。もし彼女が俺以外の男に頼ったとしても、知っていながら気にしていないふうを装おう。
嫉妬させようとして頑張る彼女が動じない俺にやきもきして、直接「嫉妬してほしいです」って言いにくるなんてのもアリかもしれないな。

そんなふうに思っていて、実際途中まで余裕のある先輩彼氏ってやつを上手くやっていけていた、のだが……。
最近その姿はどんどん崩れつつある。
ただ俺の敵は男じゃない。俺の敵は――「仕事」だ。

そんなに仕事が好き?

俺と仕事のどっちが大事?

今まで繕ってきたイメージを粉々に破壊して、子供みたいに尋ねたくなる。すんでのところで踏みとどまってはいるが、我慢がきかなくなるのも時間の問題だ。
この間デートに誘ったときだって、仕事を理由に断られてしまった。仕事に負けたんだ。その場では先輩死神としての物わかりの良さをアピールしたものの……内心では複雑だった。

俺と仕事、どっちが大切?

そんな事を思う日が来るなんて予想だにしなかった。意外にも女々しい一面を持っている自分にイライラとして、今俺は不機嫌。そりゃ周りに当たる程お子様ではない。でも、不機嫌。分かる奴には分かるらしく、仲良くしている同僚やサトクリフ先輩にはからかわれた。不本意だ。

それでも斜めに曲がった俺の機嫌がナンシーのたった一枚の便せんによってまっすぐに矯正されてしまったとき。
……本当に重傷だな、と思った。


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ロナルド先輩へ

先日は、お誘いありがとうございました。とても嬉しかったです。それなのに都合があわず、申し訳ありませんでした。
それで、もし良かったら次の週末に舞台でも見に行きませんか。
チケットは手に入れてありますので、是非。
その舞台は……
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ここまで読んだ時点でさっきまで拗ねていたことなんてどこ吹く風。大人の余裕はどこにいってしまったのか。やれやれ。




仕事は要領よくこなさなくちゃね。残業とかマジあり得ないし。いつもそうは言ってはいるが今回ばかりは撤回しよう。仕事が終わってしまうと残りの空き時間が辛い。週末まであとどの位か……一日が十八時間だったらいいのに。なんて馬鹿なことを思ってしまう。夏休みは始まる前までが一番楽しいとはよく聞くけれど、俺の今の状況についてそれはないと断言しよう。何せ久々に先輩後輩の衣を脱いで二人で会えるんだ。


「あらロナルド、随分とご機嫌じゃない? いいことでもあった?」


自分に割り当てられたデスクでファイルの整理をしていると、いつも以上にニヤニヤしているサトクリフ先輩に声をかけられた。


「そう見えます?」

「見えない死神がいたらお目にかかりたい位だわ」

「……具体的にどの辺が?」


ちょっと怖くなりながらもそう聞くと、先輩はビシッと俺を指さし、


「顔!」


と言い放った。


「緩んでるわよ。特に口元」

「……先輩に言われるなんて……」

「ちょ、どういう意味!?」


親切に教えてやったのに、と「プンプン」なんて音が似合いそうな雰囲気で怒る先輩も、今は可愛らしく見える位だ。先輩の言うとおり俺は「ご機嫌」らしいから。


「……確かにいいことはありましたよ」

「へえ。この前不機嫌だったことと関係があると見たわ」

「うっ」


大正解だ。やはりサトクリフ先輩は鋭い。
先輩は隣のデスクからイスを引っ張りだしてそれに座る。それからずずいっと身を乗り出して、言った。


「詳しく話しなさい」


仕事中っスよ、とか、俺より自分のことを気にした方がいいんじゃないスか、とか言えることは沢山あったのだが……結局洗いざらい話してしまったのは俺も誰かに話したかったからなのだろう。

かいつまんだ事情を聞き終えると、先輩は何か悟ったようにうなずいた。


「ロナルド、あんた愛されてるわよ」

「へ?」

「その舞台はね、女の子の雑誌で彼氏とみたい劇No.1 ! に輝いてるんだから」

「そ……そうなんスか」

「アタシもウィルと見に行きたいわ〜」


新たに得た情報の効果で、俺はより週末が楽しみになった。




そして当日。
ナンシーより先に待ち合わせ場所についていた俺を見つけて彼女は慌てて駆け寄ってきた。


「先輩、おはようございます!」

「おはよ」


会社の制服とは違った服装をした彼女はいつもと雰囲気が違って、そのギャップにぐっとくる。これは俗に言うギャップ萌えというやつだろうか。


「あの、前回は本当に済みませんでした」

「気にしなくていいよ。誰にだって都合ってものがあるしね」


俺も全然気にしていない、なんて空気を醸し出して起きながら、心の中で自分の嘘に苦笑していた。ナンシーはそんな俺の心に気づく様子もなく安堵の表情になる。


「それより、今日の服かわいいね。似合ってる」

「あ、ありがとうございます……先輩こそ、かっこいいです。とっても」


そういえば、呼び方が「先輩」に戻ってしまっているな。前々々回くらいのデートでやっとその呼称を取り払ったのに。これは昼頃にでももう一度直さないと。

こうして、久方ぶりのデートは始まった。


今日見た劇は今人間の世界で流行っている「悲劇」とは違い、絶体絶命から一転してハッピーエンド、というものだった。よくあるものだが、気の利いた台詞やトリックなどが駆使されていてなかなかに楽しめた。なによりナンシーが楽しんでいたから、いい劇だった。

主役がどうの、あのシーンがどうの、なんて言いつつ劇場から出たところで俺は「ところで」と話題を変えるサインを出してから一つ指摘する。


「その眼鏡、度が合ってないんじゃない?」


するとナンシーは驚いてレンズの向こうの目を丸くした。


「そうなんです。どうして分かったんですか?」

「上演中たまに難しい顔をしてたからね」


しかもあの顔は明らかに焦点を合わせよう、頑張って細かいところを見よう、というときにする顔だった。ナンシーは恥ずかしそうにする。


「恥ずかしいです。……というか、先輩」

「ん?」

「私のこと見てたんですか」

「まあね」


それも一つの楽しみだったし……とまでは言わない。
次のナンシーの言葉は予想外だった。


「私も見てました、先輩を」

「え、ほんと?」


気づかなかった。
ナンシーははにかんで続ける。


「後半の大きな音がしたとき、先輩ちょっと驚いてましたね」

「そ、そうだったっけ?」


待て、落ち着け。余裕余裕俺は余裕……と自己暗示。けどそんな所を見られていたなんて思わなかった。俺も俺で劇に集中していたからだ。


「やっぱり先輩は、かっこいいけど……かわいいですね」


くすくすと笑う彼女の声は決して不快ではない。むしろこの耳障りのいい声が好きだ。でも「かわいいですね」と笑われるのは悔しいものがある。

ナンシーはたまにサトクリフ先輩並の鋭さを発揮することがある。俺の様子を見て、「ごめんなさい、拗ねないでください」と言いつつまだ笑っている。今度は恥ずかしくなってしまった。そんな俺にできることは、今後のことに話を移すことだけだ。情けないことに。


「この後どうしようか」


ナンシーは笑うのをやめて考える素振りをする。俺は俺でわざとらしく聞いておきながら、実はこの近くに人気のカフェがある事を知っている。デート先のことはばっちり調査済みだ。仕事もそうだけど、こういうのも要領よくこなさないとね。


「もしよかったら、近くにカフェがあるから、そこにいかない?」


そう提案した俺に、ナンシーは表情を和らげ、なにか言葉を発そうとした――その時。



「あ」


彼女の元に白い鳩が舞い降りてきた。これは、彼女の上司の鳩だ。以前に何回か見たことがある。鳩の足には何かがくくりつけられていて……それが何を意味するのか、だいたいは察することができた。

ナンシー上司はいつも彼女を頼る。それは彼の部下の中で一番腕が立ち、かつ一番真面目なのがナンシーだから。でもそれだけじゃないと思うのは俺の勝手な妄想なんだろうか。俺とナンシーの邪魔をしようとしている気すらしてくるのは、俺の馬鹿な考えだろうか……?

ナンシーは俺の様子をうかがってくる。いいよ、と笑みを浮かべようとしたがなかなか上手くいかない。するとナンシーは先ほどのようにくすりと笑った。

彼女はポケットから何かをだすと、それを鳩のもう一本の足にくくりつける。上司からの伝言は見ずに、そのまま鳩を飛ばした。そうして呆然としている俺を振り返り、晴れ晴れとした笑顔を向ける。


「彼とデート中なので無理です、って送りました」

「……え」


そんなこと、真面目で仕事好きな彼女には考えられないような行為。俺は短く声を出すしかできず、まだ戸惑っている。


「拗ねないでください、"ロナルドさん"」


彼女はたまにサトクリフ先輩並に鋭くなる。

彼女はたまに、俺以上に大人の顔をする。


「私は、仕事よりも貴方が大切です」


不覚にも、顔が熱くなるのを感じた。



END


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