彼女と一緒にいるために、僕は仕事を辞めた。元々僕に合っていない職業だったし、彼女と1秒でも長く居られるならそれでよかった。彼女を眠らせない為に、僕はずっと話しかける。彼女も眠らずに相槌を打ち、僕と喋り続ける。毎晩違う話題を考えた。昼間には毎日のように外に出た。晴れの日も雨の日も雪の日も。 * 彼は私から一時も離れない。お手洗いに行くときも、ずっと扉の向こうから話しかけてくる。出掛けるのは勿論、お風呂も食事もずっと一緒。私のことはいいから自分を大事にしてと言っても、僕が君といたいから、僕がしたいからしているんだと毎回同じ答えが返ってくる。そんな優しい彼は目の下がくすんできていた。 「八重、すごくいい場所を教えてもらったんだ。今から行こう」 「うん」 「ピーターが教えてくれたんだけどね。僕も写真を見ただけだけど、すごく素敵な所だよ」 「楽しみだな」 彼女を連れて海にくるのは何度目だろうか。海が好きだと言った彼女の為に、綺麗な海を探しては足を運ぶ。コバルトブルーかエメラルドグリーンか、はたまたどちらも混ざっているか。どちらにしても美しいことに変わりはないけれど。真っ白な砂浜を歩いて冷たい水に手を浸ければ、その冷たさが全身に伝わり生きていると感じさせる。海水を手で掬った後に遠くの山を眺める彼女は何を思っているのだろう。きっと僕には想像も出来ないことを彼女は考えていんだろう。 * どこまでも続く海が羨ましくて。終わりのないこの大きな海が羨ましくて。好きだったはずの海は一度嫌いになり、また好きになった。向こうへ行ってもまた戻ってくる海になりたいと何度思ったことか。彼に海に連れて来てもらったのは何度目だろう。コバルトブルーかエメラルドグリーンか、それともどちらも持ち合わせているか。答えは全てハズレで、正しい答えはただの透明。青く見えるのに掬って見ると透明なのが不思議でたまらなくて。科学的に証明されていたとしても私には不思議で、あの遠くに見えている緑色の山々も、近くで見れば透明なんじゃないか。私も彼も、近くで見れば透明になって見えなくなってしまうんじゃないんだろうか。 「ねぇリーマス」 「どうしたんだい」 「眠くないの?」 「全く眠くないよ。八重と居られるのなら僕は眠らなくても平気なんだ」 「今にも瞼が閉じそう」 「そんなことないさ」 「リーマス、私もう」 「その続きを言ったら君のその口を縫い付けてしまうよ」 僕は彼女にこんな悲しい顔をしてほしいわけじゃない。ジェームズやシリウスに会うたびに心配そうな顔をされたいわけでもない。ただ、ただ僕は彼女と一緒にいたいだけなんだ。ジェームズとリリーのようにいたいだけ。普通のカップルのように手を繋いでデートして、ベッドの上でセックスをして、彼女の髪の毛を撫でながらその寝顔を見たいだけ。ただ僕の場合、彼女が寝ないように寝ずの番を繰り返す。彼女が隣に居てくれるなら、そんなの苦痛でもなんでもない。ただ、眠らずにいてくれればそれでいい。君はその悲しい顔の下で何を考えているのだろう。君は僕の目の下の隈を撫でながら何を考えているのだろう。 * もうこれ以上彼を苦しめたくなかった。ジェームズやシリウスにリーマスを解放してやってくれと何度頼まれただろうか。ただ彼にその話は禁句で、またその優しさに私はずっと甘えてきた。だけれどそろそろ限界だ。私も、それ以上に彼が。元々青白く、傷が多くて健康的には見えなかったけれど、今では生気がなくやつれ、この目の下の隈がより一層彼を疲れさせる。もう、彼を解放しなければ。そして、私も 「海ってロマンチックよね」 「そうだね」 「リーマスと初めて会ったのも海だったね」 「そうだね。シリウスが八重をナンパして、でも僕と八重がお互いに一目惚れで」 「初めてキスしたのも海」 「はしゃぐジェームズ達に隠れてね。あの時はドキドキしたな」 「私は今もドキドキしてるよ」 「どうして?」 「リーマスに、キスしようとしてるから」 珍しく彼女からキスをされて舞い上がったのかもしれない。触れるだけの軽いキスから段々と長く深く甘いキスに変わる。彼女の体に手を回し何度も角度を変えて音をたてながら。そっと片目を開けてみれば、彼女は目尻を下げて笑っているかのように見えた。何を思っているのか。目を閉じる直前に、彼女の頬がキラリと光った気がした。 * 彼の腰に手を回してキスをすれば、すぐにそれに答えてくれる。触れるだけのキスから長いキスに変わる。薄く目を開けてみれば、彼はこのキスを楽しむように目を閉じている。きっと私と彼は近付きすぎてしまった。近付きすぎて、大切なものが見えなくなってしまった。だから私は遠くの空から色のついた彼を見守っていく。ねぇリーマス。貴方のことが大好きです。ずっとずっと愛してます。だから、貴方には幸せになって欲しいのです。でもどうかお願いです。私が眠ってしまっても、私を忘れないでいてください。 * 僕の腰にあった彼女の手がだらんと重力に従い下がったのを感じても唇を離すことはしない。僕の目から流れる滴が彼女の頬を濡らしても、その体をしっかりと抱き締める。近くにいるはずなのに、目を開ければ彼女が見えるのに、僕の大好きな八重はいなくて、きっと透明人間になってしまったんだと、声にならない声を空に吐き出した。 ねむりひめ (僕の彼女は眠ると死んでしまう) (彼女を眠らせない為に、僕もずっと眠らない) (彼女が永遠の眠りについたとき、僕も瞼を閉じるだろう) (そのまま彼女の元へ行けたらと思う) Top |