▼ イルーゾォ
彼女はうぶで、無知な女だ。
セックスというものの存在は、一応知ってはいたが詳しいことはよくわからなかった。
だから今、この行為に自慰という名がついていることも、当然彼女は知らない。
はじめは、着替えの最中に胸をさすってみたのだ。ブラジャーの締め付けがきつく、肌が痛くなってしまったから。シャワーを浴びる時以外は特に意識したことも触れたこともなかった場所に、昼間の明るい、彼と普段話したり食事をしたりする部屋で胸に触るのは、何だか不思議な心地で、少し恥ずかしくて、気持ちいい、と思った。それ以来、時々一人になると胸に触るようになった。胸の先端を摘まむと背筋がぞくぞくした。
やがて、そうしていると脚の間、色気のない下着で覆われた、普段は排泄にしか使わない部分の辺りが疼くのを感じたので、下着越しにそこに触れてみると胸とは比べ物にならない甘い刺激を感じて声が漏れた。一度快楽を知ると歯止めが効かなくなり、それからは毎日のように胸と、そこに触れた。排泄以外のそこの使い方など知らないから、ただ割れ目をなぞるだけしかしない、自慰と言うにはあまりにも可愛らしいものだったが、それでも今まで男性経験のなかった彼女には立てないほどの刺激だった。やがて、目を閉じて彼のことを考えながら触れることに夢中になった。
この日、夜に部屋で一人、セミダブルベッドのシーツを整えていると、ふと体が熱くなるのを感じた。
枕に、彼のつける香水の香りが微かにした。二人で眠るベッドで、いけないとは思っていたのだ。けれど少しだけ……と、整えたばかりのベッドに上がり横になると、彼の枕に顔を埋め、シャツをたくし上げ、ブラジャーをずらして胸に触れた。そうするともう止まらなかった。スカートを捲り上げ、ショーツを足首までずり下げた。胸や秘部からの刺激に加え、彼の香りが脳を焦がす。脚に力が入る。熱い吐息が漏れる。今までした中で一番“いい”と思った。
ふわふわの毛布に顔を埋めながら、夢中で指を体に這わせていた。気付けば声が漏れていたが、止め方がわからなくなっていた。
あと少し、あと少し触ったら止める……ぼんやりとしてきた思考の片隅でそう思った時、寝室の扉が開く音がした。
彼が――イルーゾォが息を飲む声が、やけに鮮明に聞こえた。
体の動きが止まる。全身に鳥肌がたち、冷や汗が背を流れるのを感じた。
自慰と言うものの存在を、彼女は知らない。けれどいつもこの行為をし終わった後は、少しの背徳感が襲ってきたから、きっとあまりよろしくないことなのだということは、理解している。
彼女は体を起こすと、彼の方を見ぬまま、慌てて乱れた服を元に戻そうとした。けれど、指が震えてうまく出来ない。仕方がないので毛布を体に巻き付けた。彼がベッドの側まで寄って来る。心音が煩い。頬が熱い。彼が口を開く気配がした。その前に、彼女は「ごめんなさい!」と声をあげた。
「こんな、こんなはしたないことして、わたし……」
彼女は毛布に顔を埋めた。頬は燃えるように熱いのに、体はどんどん冷えていく。震えが止まらない。
「は、はじめは、ちょっと触るだけで、でも、段々、癖になって……ああ、もう、いやだ……」
消えてしまいたい、呟いて、彼女は涙を零した。
「ごめんなさい。イルーゾォ。ごめんなさい。嫌いに、ならないで」
「……」呼吸の音だけで、彼が酷く戸惑っていることが良く伝わった。彼はおどおどとベッドの端に腰掛け、彼女の顔を覗きこんで、「よく、してたのか、こういうこと」と訊いた。
彼女は頷いて、またぼろぼろ泣いた。
「自分でも怖いくらいに夢中になったの。終わった後はいつもちょっとさみしくなるんだけど、でも、翌日になるとまたしたくなって……」
「わ、悪かった」
思いもよらぬ言葉に、彼女は顔を上げた。彼は困り顔で、彼女を見つめている。耳が少し赤い。
「……どうしてあなたが謝るの」
「た、大切にしたかったんだ。俺が軽々しく触ったら、お前が汚れるような気がして、やりたくても、中々踏ん切りがつかなくて……」
話が見えない。
「イルーゾォ?」
「だ、だからきっと、お前はその行為に夢中になっちまったんだろ……。俺が、触ってやらなかったから、自分で慰めて……」
彼は再び「悪かった」と言い、彼女の髪にそっと触れた。
「ひ、一人でするより、二人の方が、きっとよくなれる……。終わった後、寂しくもならない。きっと」二、三度髪を梳くと、指先は今度は毛布へと移動する。
「触って、いいか? お前の体……」
「触って、くれるの?」
「ああ」
「わ、わたし……。凄く、嬉しい」彼女は濡れた頬を押さえて、泣き笑いのようなへにゃへにゃの情けない顔をした。
「でも、自分で触っただけでとっても気持ちよかったんだから、イルーゾォに触られたら、私、どうなっちゃうかわからない」
「どうなってもいい。どんなお前でも、俺は……」それ以上の言葉を紡ぐ前に、照れくさくなってしまったらしく彼は口をつぐむと、彼女の肌を包む毛布をそっと剥がした。彼の首筋からは微かに香水の香りがして、彼女は触られる前から、体の奥まった部分がどうしようもなく疼くのを感じていた。
[きっともっと夢中になる]
2015/12/13