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雛鳥は聖櫃に眠る―後



★前編リンク

***





こっぽりこぽこぽ
カップに溢れる懐古の香り
こっぽりこぽこぽ
キップを失くした迷子さん
こっぽりこぽこぽ
思い出話をお茶受けに さあ
お友達が待つその席に さあ
こっぽりこぽこぽ
ほうら貴方もいらっしゃい
お茶会をさあ始めましょう








「こんにちは、朱色の候補生さん」
「こんにちは、お前も同じだろう」
「確かに最後はおんなじだったな」
「終わり良ければ全て良しだって」
「らしくない言葉だなあ、誰の?」
「クラサメが補講を終える時のだ」
「うわ、補講組入った事あんのか」
「あるわけないだろ馬鹿にするな」



「こんな所でなにやってんの?」
「なにをしている様に見える?」
「独り迷っているように見える」
「じゃあ迷ってるんじゃないか」
「じゃあ俺が案内してやろっか」



「いらないよ」
「いらないか」



「僕はもう、自分で歩けるのだから」



「当たり前を疑ってこなかった」
「誰もがそうさ、あの世界では」
「でも今は何もかも違うんだな」
「お前達がちゃんと勝ったから」
「あんただって頑張ってただろ」
「さぁて、俺が何かしたかなぁ」



「誰だ、お前」
「覚えない?」
「知らないな」
「わあ冷てぇ」


「俺を知らないとはとんだ素人、だな」
「皆のアイドルとかまだやってるのか」
「なんだ、ちゃんと分かってんじゃん」
「デコ出しバンダナなんてそういない」
「そんなに褒めたって何も出ないぜ?」



「やっぱりお前はお気楽バカだな」
「未だ迷子のお前に言われてもな」
「起こされてしまったら迷うだろ」
「導ならそこにあるっていうのに」
「でも僕の足音はもう途絶えたよ」
「それなら俺の足音も途絶えたさ」
「ここに留まるお前は迷子なのか」
「お迎えがきた俺は迷子じゃない」



「導を見つけたから?」
「導がそこにあるから」
「夢から醒めないんだ」
「夢は一瞬でしかない」
「随分と長い刹那だな」
「それは久遠だからね」



「なら仕方ないな」
「ならば仕方ない」





かちゃり、と僕はカップを皿に戻した。正面の席に座ったナギは、ミルクさえ入っていないブラックコーヒーを味わっている。僕のカップの中身は紅茶で、ガムシロップの蓋は三つ開いていた。
僕は自分が誰かと向き合い、食事が出来ているという状況にさしたる疑問は持っていなかった。ここは明らかに今までと空気が違った。目覚めた先の穏やかさを残しながらも、確実に死の香りを漂わせている場所だった。
「それで? 結局どうだった?」
「どうもこうもない。あっちに飛んでこっちに飛んで、ツギハギの物語を中途半端に見せつけられているような気分だ。何がしたいのか全く分からない」
「じゃあもう諦めるのか?」
「僕はもう疲れたんだ、いいだろう、もう」
「だからこうやって休憩が挟まれてるんじゃないか」
「結構な休憩だな。確かに、話が通じる他人と言い切れる人間に会ったのは、これが初めてだ」
僕は瞬きで、今度はカフェテリアのように改装されたテラスに飛んでいた。少し前にいたそことは違い、自分とナギ以外の人間はいなかった。現れて早々呆けた顔をした僕に茶を勧めてきた彼は、幾つかの問答を繰り返しながら、当然のようにそこにいた。そして当然のように僕の疑問に、答えと更なる疑問を突き付けるのだ。
「同じ軸の上にないと、本当の意味では出会えないからな」
「つまりこうやって会話をしているあんたは、僕の知ってるナギ・ミナツチなんだな。あんたも死んだのか?」
「フィニスなら生き延びたさ。ここにいるのは、それから何十年か後の寿命を迎えたナギ・ミナツチが、かつての姿をとっているだけの存在でしかない」
「それは同じ軸の上って言えるのか?」
「多少時間は違えど、同じ輪廻の中だろ?」
「そんなものか。案外適当なんだな」
「適当な方が息がしやすくていいじゃん」
笑ってナギは僕のカップに紅茶のお代りを注ぐ。僕は手近な山からガムシロップとミルクを調達してその中にぶち込んだ。白く濁った液体が渦をまいて、一つの色に変ってゆく。
伸ばした僕の指は血液を拭われ、多少は白さを取り戻していた。まだ全身鉄くさいけれど、指先はお茶請けに触れられるようにと、ナギが差し出した布巾で清めたのだ。代わりに白い布切れが赤茶色に染まった。僕はその指でお菓子をつまみ、問答を続けている。
正面の皿に盛られているのは見慣れた包装を纏ったままのお菓子で、ミルクピッチャーさえ用意されていないその即物的な適当さが、たまらなく僕ららしく思えた。
空が、高く高く、蒼く澄んで、遠い。
「平和だな、ここは。穏やかで、優しくて、でも僕には冷たい」
「今はまだな。冷たいだなんて、もう一人のエースはそんなに不幸そうだった?」
「いや。最初こそ地味にオドオドしていたけど、なんだかんだ友達作ってそれなりに楽しそうにしてたな。僕よりずっと素直だ」
「そりゃあ良かったな、根っからの性悪じゃなくて」
「僕は性悪じゃない。でも、そうだな。僕が皆を血塗られた輪廻に引き込んでしまったのだとしたらどうしようかと、普通の学生をしているきょうだいを見る度に、そればかりを考えていた。でも、一巡目の僕もまだまだ陽の光の下にいるみたいだ。ちょっと安心した。僕のせいじゃない……そう思っても許されるのではないかと、そう、思ってしまった」
さくり、口の中に甘さが広がる。やはりチョコボサブレは美味しい。クラサメはトンベリサブレの方が好きだったけれど、僕はこっちの、ほんのりと砂糖漬けレモンの味がするサブレがいい。トンベリのピスタチオの香り豊かな味も好きなのだけれど。
そんな事を考えながら、次はと優しい緑色のそれを手に取る。その様子を眺めているナギは、どこかもう一人の僕を前にした時の僕のような、焦ったそうな表情をしていた。
どうしようもないなぁ、なんて、年長者が手のかかる子供を前にして浮かべる苦笑のような。
「エースはさ、この世界、嫌いか?」
「この穏やかさは嫌いじゃない。昼寝がしやすそうだし」
「そうじゃなくてさ」
「なんだ?」
その様には既視感があった。繰り出された質問に首を傾げる僕と、相変わらずのナギ。つい先ほどの僕らの立場をそっくり入れ替えたかのようだ、と頭の片隅で思う。
ナギのカップが空になった。彼はコーヒーメーカーに手を伸ばす前に、僕の瞳をじいと見つめた。
「エースは、自分の生きた世界が嫌いか、って。こういうことを全然出来ないまま終わってしまった生を、お前は憎むか?」
「僕の世界と、僕の、生」
そうそう、と頷くナギのカップが黒くなる。彼は少し自嘲気味の笑みを浮かべた。そしてその時はじめて、彼のコーヒーには白が混ざった。そういう気分は身に覚えがあってよく分かったから、僕は何も言わずにただそれを眺めていた。
「俺は諜報なんてやってて、誰にも素顔を見せられなくて、バカのフリをしながら生きていかなくてはいけないというのが、まあ少しは嫌だった時期があるし、なんでこんな、と僅かも思わなかったといえば嘘になる。でも俺はその俺を消してしまいたいとは思わない。そういう意味で、エースはどうなんだ、ってきいてるのさ」
僕に向かってチョコレートを放り投げながら言うナギの、その表情はもういつものそれに戻っている。食べ物をなげるな、なんて僕も普段と同じ応対をしながら、頭では質問の意図するところを探るのだ。
質問の内容はやはり、自分が繰り出したそれとよく似ていた。生と死と世界と、それに臨む己自身。そしてその答えはもう用意できている。確かな形はまだ分からなくても、こうだと思う何かは確実に僕の中にあった。始まりの僕も持っているけれど、それよりずっと重たく黒々として、それでも煌めいている何か。それは終わりがくれた贈り物だった。
「……僕にとっては、好きも嫌いもなく、あの世界が当然で、あの世界が普通だったんだ。それしか知らないから、羨ましいとか、嫌だとか、そんな事は思いたくても思えなかった。他の可能性なんてはじめから用意されていなくて、用意されていないものは存在しないものと同じだった。ナギの質問のような、そういう視点を得たのはまさに、死んでから、今こうやって他の可能性を客観視してからだから、本当の所はどうなのか僕にはまだよく分かららない。まだよく分からないが、そうだな、うん、嫌いではないと思う」
だって嫌っていたら、守りたいとは思わなかった。守りたいと思っていなかったら、前に進もうとも思えなかった。前に進もうと思っていなかったら、僕は僕足り得なかっただろうから。
僕の目の前の皿の上には、何枚かのキープしたサブレと幾つかのチョコレート、それから食べかすが少し。
「僕はずっと決められたレールの上を歩いてきた。僕自身はそのつもりだったけれど、実際はそうですらなくて、与えられた鳥籠の中、与えられた翼で悠々と飛んでいただけだった。それにさえ、フィニスが来るまで気付けなかった。フィニスは僕にも終わりを齎したんだ。それは命とか魂とか、そんなものばかりではなくて、僕の在り方の中に確かに刻まれたものだった。この世界の僕は、まあそれなりに楽しそうだけれど、泥濘に足を取られてなお進む強さも、その自由さも、どちらも知らない。彼には彼だけの持ち物があるように、僕には僕だけの特別がある。それはきっと、一概にどちらが良いと言ってしまえるものじゃないんだ。だから僕は羨まない。僕は自分を卑下したりしないし、世界に絶望したりもしない」
それは僕自身の選択だ。僕自身が選んでそうしたものだ。たとえ誰かに用意されたという側面が少なからずあったとしても、最後にどうするかを決めるのは自分自身なのだ。
それを知ることができたこの生を、それを実感させてくれた死を、僕が絶望で塗りつぶす事はないだろう。
「そう、その意味で、僕は僕の生も死も肯定しているし、世界も僕なりに愛している。たとえ世界が僕らを呑み込んで終わっても、たとえ世界が僕らを置き去りにして始まっても、そう、たとえ世界が僕らを愛してくれなくても」
語り終えて、僕は長く長く息を吐いた。本来ならもうできない呼吸を存分に味わった。その頃にはまたカップが空になっていたけれど、お代りはもう注がれない。また、僕がそれを急かす事もなかった。
「これで満足か?」
「まあ、八割くらいは」
残りのお菓子を口に運びながら僕は尋ね、肩を軽く竦めて笑ってやる。そうしたら、ナギは軽く僕の頭を小突いた。そして悪戯に成功した悪ガキみたいな顔で言うのだ。
「そうか、俺分かっちゃったなぁ、エースが迷子である理由」
「僕にも分からないのに?」
「こういうのは案外他人の方が気付けるものなんだ。だから友達は大事にしろよ」
「何もしてくれてないのに、いやに恩着せがましいな」
「いやぁ、それ程でも」
「褒めてない」
くすくすと何方からでもなく笑いあって、僕は最後のチョコレートに手をつけた。それは甘く同時にほろ苦く、僕の口の中で蕩けて消えていった。
ナギもまた己のコーヒーの残りを一気に全部飲み干した。お茶会がお開きに近付いていた。
そうしてナギは僕に一枚の封筒を差し出す。それはさながら、夕べの催しへの招待状の如く。
「仕方ないから、もう一人紹介してやるよ。本当はここで最後、幕引きまであとは一直線って感じだったのに、世話が焼けるな」
「この趣味の悪い夢はあんたの脚本なのか?」
「いいや、愛を持て余した世界がうたた寝しているだけさ」
「訳が分からないな」
「分かっていたらお前はここには居ないって」
席を立ったナギが、優雅な動作で僕の椅子を軽く引いた。僕はまるで夢に迷い込んだお伽噺の少女のように手をとられ、礼を返す。
「さあ、もう行った方が良い。待ち人が眉間に皺寄せてるぜ」
「待ち人?」
「そう。エースがあんまりにも寄り道して来ないから、眉間に皺寄せてぶすくれてる。怒らせる前に行ってこい」
「えっ、あっ、ちょ、ナギ!」
更にそのままナギに横抱きにされてしまった僕は、その後突然解放されて空中に身を躍らせた。青い色が、遠くに広がっていた蒼が、僕の頬を切って舞い落ちてゆく。風がマントをはためかせて、ぼろぼろだったそれは終に千切れて僕の背中から離れてしまった。誇りを下した背中は味わった事がないくらい軽く、物足りず、寂しい。
さて次はどこに落ちるのか。誇りは世界に引き継がれた。
こっぽりこぽこぽ
こっぽりこぽこぽ
紅茶の香りはもうしない。
「達者でな、よい永眠を!」
見上げた先、柵の上に立って手を振るナギは、この空みたいに澄んで晴れわたる瞳でわらっていた。




 ***




「ナギの言う通り世話が焼けるな、エースは。物申したい感じはするれけど、オレもエースに会いたかったから、まあ、いいよ」
落下して落下して、ぎゅっと目を瞑って再び開いても、僕が覚悟したような激しい衝撃は訪れなかった。ふわっと陽だまりの香りが鼻孔を擽る。このご都合主義の旅行は随分と親切なようで、地面に激突する代わりに、僕はまたしても干し草の上に座っていたのだった。
そして今度はもう一人の僕も他の飼育係もそこには居らず、代わりに僕にかけられた声は、仲違いしてからは最期の時まで聞く事のできなかった、嘗ての友の穏やかなそれだった。僕にとってはたまらなく切ない、それだった。
「マキナ?」
「そうだよ、エース。久しぶり」
見上げた先でマキナが笑う。僕はそれに笑みを返そうとして、少し失敗して眉根を下げた。そんな僕の頭を、もう怒ってないし気にしないで、とマキナが軽く撫でる。
その仕草はマキナのくせに大人びて、どこかクラサメに似ていた。
それで僕はふと思い当たる。
「マキナも、ナギみたいな感じのマキナ?」
「ナギみたいなって、まあ、そうなんだけどさ。久しぶり、エース。今のオレから見ると、本当に小さくて可愛いな、キミは」
「頭わいたか? 僕からすれば全然久しぶりじゃないし、マキナの見た目だって僕が知ってるのと変わりないんだからな。ナギみたいなパターンでも、マキナはバカマキナのまんまなんだからな!」
「はは、そう怒らないでくれよ。さっき言ったように、オレはまさに、ナギみたいなパターンなんだから。オレ、長生きしたんだ。おじいちゃんになるくらい生きた。だから、エースが孫みたいに見えるよ」
「ま、孫……」
思い当りはしたけれど、まさかそこまでだとは。僕は思わず絶句してマキナを見つめた。どんなに見つめても、マキナは表面上は僕の知る彼そのままだったのだけれど。
そんな僕の何が面白かったのか、マキナは突然笑い出した。笑って笑って涙まで浮かべる彼を僕はポカポカと殴る。まるであの頃みたいだった。全てが下り坂になる前、まだぎりぎり穏やかと言えたあの頃。
「孫、よりによって孫。マキナおじいちゃん。ああ、冗談は程々にしろよ! たとえマキナには孫でも僕にとっては同年代の友達で、それだけなんだからな! ど、どういう風に見えてるかなんて知らないけど!」
「だから言ったじゃないか、小さくて可愛いって」
「小さくない! 可愛くない! ぅ、く、クラサメに言いつけてやるー!」
「えええっ、それは勘弁して欲しいな!」
そんなやり取りのあと、とうとう二人揃って吹き出した。僕も人のことを言えないくらいに笑って、元から笑っていたマキナは、笑いすぎておなかが痛いよ、なんて宣っていた。
それから僕らは並んで干し草の上に身を投げ出した。マキナは背中に朱のマントを挟んで、僕はそれがない状態で。それは当然で自然な行為だった。僕はもう知っていた。夢が終わりに近付くほど、僕の属する世界は死に偏るという事を。死に偏った世界では、僕は実体を持つ主体であるという事を。
広がる景色も終わりを予告している。小屋の外だから天井はなくて、時間を超えたのか、見える空はうっすらと赤みを帯び始めていた。
「それで、マキナが紹介人なんだ。僕に何が足りないって言うんだ?」
「愛だよ」
「えあ?」
「愛だってば」
尋ねた僕に、マキナは真顔で即答した。僕はそんなにすぐキッパリと返答があるとは思わなかったし、勿論それが愛だよ、なんていう一言だとも思わなかった。
まるで事情が呑み込めません、というのが僕の表情にありありと現れていたのだろう。マキナはごめんごめんなんて言いながら、また僕の頭を撫でた。まったくいつの間にそんな癖を身に着けたのか。マキナ爺さんだか何だか知らないが、僕のそこはクラサメのものなんだからな。
「正確には、その受け皿。それがまだ充分でなかったから、エースはここに飛ばされた。刹那の永遠の中で、エースがそれを自覚できるように」
「ここが刹那の永遠なのは分かったよ。さっき会ったこの世界の僕も楽しそうだった。それだけじゃないのか?」
僕のその言葉は、マキナにあの顔をさせた。僕がして、ナギにされた、あの表情だった。確かにこれは補講がいるわけだよ、なんて、マキナは笑顔のままで僕にあの問を投げかける。
「この世界のエースは、幸せそうだったか?」
幸せか、そうでないか。羨むか、羨まないか。呪うか、呪わないか。どうやらそれが僕がここにる理由で、眠りの扉の鍵であるようだった。そしてその問なら先ほど答えたばかりだ。僕はちっとも淀むことなくそれを繰り返す。
「ああ。まだまだ雛みたいな不安定さがあったけど、それなりに学園生活を楽しんでいるみたいだった。世界の理は彼に相変わらず残酷な運命を突き付けるのだろうけど、世界そのものは、彼を愛していた。笑顔に囲まれて、笑顔を浮かべていた。僕は、僕があんな顔を出来るんて知らなかった」
だからその意味では、ちょっと羨むとかそういう事の前に、気恥ずかしさがあるけれど。
付け加えて、視線を逸らす。他人であり自分である人物に対してこんなことを言うという恥ずかしさが二重になって、なんとなく前を見ていられない。もう一人の僕が人付き合いの方法が分からないと言ったように、僕だってそんな事は本来得意ではないのだ。マキナみたいに皆と上手くやっていく技能なんてもっていない。
そしてそんな事は、もう中身は老成している彼にはお見通しなのだろう。それがまたなんとも悔しい。
「恥ずかしいなんて事はないよ。エースの笑顔は可愛いよな」
「だから可愛くないって言ってるじゃないか」
「綺麗で穏やかな気持ちになるってことだよ、エースの笑顔ならちゃんとオレだって知ってるから」
「しつこいなマキナは。マキナもこの世界を見てたのか?」
「違うよ、エース。そうじゃないんだ」
何がそうじゃないんだ、と僕が尋ねると、マキナは首をふって、もうさっきも今も散々答えたじゃないか、と言いたくなる質問を投げかけてきた。
「なあエース、エースは、エースの世界が嫌いか? 生まれてこなければ良かったとか、ここでない世界に生まれていればとか、思ったりするか?」
何度も聞いたそれは何度答えても訊き返されるので、きっと僕に足りない何かがあるのだろうとは思うのだが、それが何か分かればこんなに苦労はしていない。
僕はなんとなく面白くなくて、ふん、と腰に手をあてる。
「なんだ、マキナとナギは二人して何回も同じ事を訊くんだな」
「重要なことなんだよ、エース」
しかし冗談で流そうとした僕を、マキナが制した。僕は急に変わった空気に呑まれてしまう。今度のマキナは笑顔ではなく、真摯で真剣な顔をしていた。
そうなってしまっては仕方がなくて、僕はもう一度自分をほじくり返しながら言葉を探した。紡がれた言葉は意味を後から後から伴って僕の中に染み渡り、次の言葉を呼び覚ます。
「あーもう。ええとだから、僕はどんなに冷たくて血濡れの歴史を重ねていても、あの世界が好きだよ。生まれてきた事を呪うことはしない。生まれてきたからこその出会いがたくさんあった。誰より近しいきょうだい、まあ色々あったけどマキナやレム、それからナギやクオンとか、それからやっぱり、クラサメ。僕はみんなが好きだし、会えて嬉しいし、今繋いでいた筈の手を離されて一人だけど、もう早く皆の所に還りたい。それってつまり、あの世界の、閉じゆく闇の中で眠りたいって事だ。僕はそれでいいし、それがいい。僕は死んでしまった。それは一つの終わりの形だ。死ぬことができた僕はやっと生まれてきた事に意味を持たせることが出来る。生まれて来て良かった。僕の生は、自分で言うのもなんだけど、意味のある美しいものになったに違いない。それくらいには僕には生まれてきた後悔や他の自分に対する羨望や妬みがない。僕はあの世界に生まれていなければ僕としてここに存在はしていなかったし、解放される事もなかっただろう。解放は安らぎだ、あの僕はそれを得ることはない。僕は幸せだよ。ナギにも言ったけどな」
そっか、とマキナは言った。一つ頷いて、優しく僕に確認をとる。それが僕の中から決定打を引きずり出す台詞となった事に、僕は答えてから気付くのだ。
「エースは、楽しく生きられた、ってことかな」
覗き込んでくるマキナの瞳には慈しみが浮かんでいて、それは僕までをも鮮やかに染めてゆく。そのまま素直に僕の心の奥の真実まで到達し、僕は知らず知らずそれを口にした。
「そうなるな。端から見れば辛いこともあった。けど、そればかりじゃなかった。戦いの隙間できょうだいとバカやったり、ベンチで日向ぼっこしたり、チョコボに埋れて眠ったり。眠るといえば、お前はいつも私の授業で寝ているな、とクラサメに不貞腐れられた事もあった。ごく普通の、学生らしい日々を、僕も実は生きてきたんだな。そうだ、僕も、あの僕とあんまり変わらないんだ」
ああ、そうか、と。僕は漸くそれに気付く。世界が微笑み、扉の鍵は僕の掌に落ちてきた。
「僕は幸せだよ。そしてきっと、世界も僕を愛してくれていた」
それが、僕の真実。
そう思った瞬間、僕の全身から光の粒子が噴出した。煌めくそれはどこかクリスタルに似ている。クリスタルもまた、真に僕らを想っていてくれたのではないかと、女神もまた、その目的の裏側で僕たち人間の事を気に懸けてくれていたのではないかと、今ならそう思えるのだ。
光は僕の全身を覆い、温もりを残して空へ昇っていった。光に包まれた後の僕は、真っ白な指先で再び得られた温度を握りしめていた。もう鉄臭さはどこにもなくて、制服もまた、新品同様のそれに戻っていた。
「正解だよ、エース」
そんな僕を見たマキナの笑みが、本当に安心したようなものになる。僕はこそばゆい気持ちで祝福を受け入れた。今まで何が起きていて、そして今何が起きたのか、やっと分かった気がした。
「エースは世界に愛されていた。世界はエースを愛しているし、解放されてからは、お礼に更なる愛を贈ろうとした。でもエースが頑なにその愛を受け取ってくれない。死んでしまったエースに、世界はなるべく暖かな居場所と眠りをあげたかったのに、肝心の相手が世界が愛してくれないと思っているものだから、どうしても上手く届かない。困ってしまった世界は、少し微睡む事にした。微睡みの中で、エースが愛を受け取ってくれる事を信じて」
世界は寂しかったのだ。そして僕もそれ故に寂しかったのだ。しかし同時に、僕は寂しくなんてなかった。たくさんの人が、僕を愛してくれたからだ。そしてそのたくさんの人に向けた愛を、皆が受け止めてくれたからだ。世界ももう寂しくない。世界が向けてくれた愛を、僕が受け止める事ができたから。
「そっか。だから僕はここにいるんだな。他の皆は、世界が自分の事を愛してくれているって、ちゃんと知ってたから、手を離して僕を送り出してくれたんだな」
「うーん、それは少し違うけどね。他にも何人か自覚の足りない子がいて、彼らもそれぞれ世界の微睡みに夢を見たよ。でもエースが一番びりっけつ」
「びりっけつで悪かったな」
全てが終わりに向かっていた。殿の僕がそうなのだから、世界はじきに微睡みから目を覚ますだろう。
そこまできて、僕はふと生前の後悔を思い出した。それが最初笑みを作るのに失敗した理由だった。この際だからもう言ってしまえと思うのだが、記憶が全て戻った身としては言いにくく、つい言いよどむ。
「……あの、マキナ、あの」
あの、から続かない言葉を引き継いだのは、ほかでもないマキナ自身だった。彼は突然、オレもごめんな、周りが見えていなかったよな、と頭を下げたのだ。それによって僕は余計に慌てた。マキナが頭を上げて苦笑するまで、それは中々収まってはくれなかった。
「大丈夫だよ、エース。わかってる。あれは誰が悪いわけでもなかった。これはオレの逃げじゃない。魂の成熟のために仕組まれた事だったし、それによりオレは大事なものに気付いて、世界も解放された。エースたちは死んでしまったけど、やっと眠ることができるという意味でもある。確かにオレたちの間には色々あったけど、オレはエースが好きだったし、いまだってそうだ。だから、どうか謝らないで」
自分で最初に謝っておきながら、マキナはそんな事を言うのだ。そういい返すと、マキナは、だってあれは大幅にオレが悪かったから、と眉根を下げた。
喧嘩両成敗です、なんていうクイーンの台詞が聞こえたような気がして。
「マキナ……。じゃあ、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう、エース」
だから僕は微笑んだ。今度は心から笑顔になれる。マキナが綺麗で穏やかな気持ちになると言ってくれた、自然な笑顔だ。僕が自覚なしに、あの戦乱の日々の中で咲かせていたものだった。
握手を交わしながら、マキナがへたくそなウインクと一緒に別れをきりだす。僕ももう終わりだという事はわかっていたけれど、それは少々予想外の情報を含んでいた。
「さあ、もう行かないとな。オレも、君も。君の待ち人、そろそろ体育座りでも始めそうだ」
「ナギは眉間に皺っていってたぞ」
「あの人は怒るより拗ねるって、一番知ってるのはエースだろう?」
「あ、あー……色々と察した、色々と察したぞ、僕は……」
どうやら最後の扉は彼が守ってくれていたようで。
深々と溜息をついた僕の背中を、マキナが労わるように叩いてくれた。やれやれという体を取り繕ったけれど、その本心なんて、きっと誰がみてもすぐに分かってしまっただろう。
そうして僕らは最期の別れをする。
「なら、いってらっしゃいだ、エース。よく眠れるように祈ってるよ」
「そうだな。マキナも、よい永眠を」


すべては、これからもう一度出会うために。



 ***




静けさが支配するそこは冷たい風に包まれて泣いていた。渦巻くそよ風はそれでいて重さを纏い、無数の嘆きを巻き上げて朱い天に呑み込まれていく。
薄暗い共同墓地の真ん中に、その人はいた。
僕は懐かしくて切ないその背中に向けて歩を進める。滲みそうになる視界を気力で矯正して、いつも通りの僕を作りだす。
あんたの前では、僕は弱虫でいられた。でも再会はやっぱり、笑顔の方がいいよな。
愛おしい彼の人へのありったけの愛と、少なくないは謝罪の気持ちを、風に溶かした。
「なあ、あんた恥ずかしくないのか? 流石に体育座りはないとは言っても、そんだけ拗ねたオーラ出してればあんまり変わらないぞ」
そんなしょうもない一言で、僕らの再開は果たされた。こちらを向いたクラサメは予想通りの顔をしていて、思わず笑いそうになる。彼は表面上むっつりしかめ面を作りながら、瞳にはいっぱいの歓喜を湛えていた。ぼくも同じような顔をしていることだろう。生意気な教え子兼恋人の顔をしながら、その心は満たされて震えていたのだから。
「誰の所為だと思っている」
「僕の所為だっていうのか?」
「他に誰がいる? エースが愛を受け取ってくれないと世界が嘆いたという事は、エースが愛を心の底からは信じていなかったという事だ。あれだけ私が愛を伝えたというのに」
「それで拗ねていたのか」
「拗ねてはいない、エースは私の愛を信じてくれていなかったのだな、と思っただけだ。しかも来るのが非常に遅い」
「それを拗ねてるって言うんだろ! ああーもう、本当に面倒な大人だな、あんたは!」
「面倒で結構だ」
「しかも意外とねちっこい」
「エースは見た目通り嫉妬深くて独占欲が強い」
「それはあんたもだろ!」
「その通りだが?」
「くそ、開き直ったな……」
くだらない、しかし二度とかなわないはずだった遣り取りを僕らは交わした。ざあと木々が揺れ、桃色の花びらが宙をまった。夕暮れに染まった空とのコントラストが美しい。そしてそれを映す翡翠の瞳が優しく細まって、僕の世界はきらきらと輝いた。
「だが、エースは世界の愛に気付くことが出来たようだな。私はやっと安心して眠ることができる」
そういって頭を撫でてくれる手の、なんて大きくて暖かい事か。僕はそれに甘えて、体を彼の胸に預けた。クラサメがしっかりと僕を受け止めて、抱きしめてくれる。僕はその腕の中から翡翠を見上げるのだ。僕だけの、特等席の中から。
「クラサメ、ずっと、見守ってくれてたのか?」
「この私が、可愛い教え子たちと愛しいエースをそのままにしておくと思うか?」
「でも、僕、忘れちゃってた。大好きなあんたのこと、忘れちゃってた。皆も散々に言った。それでも、クラサメは、まだ僕の事を好きでいてくれる?」
「何をそんな当たり前のことを」
しょうがない子だ、とクラサメは言った。しょうがないだろ、と僕も言った。僕は記憶があると気付いてからそれが心配で仕方なくて、しかしそれが世界の摂理であったし、当人にしてみれば些細な事だと分かってもいた。だから、音を同じくする二つの言は、どちらも等しく正しかった。
「エース、よく聞きなさい。あれは世界が囚われた摂理の仕業で、エース、お前は悪くない。大丈夫だ、ちゃんと皆分かっているから」
「うん……忘れちゃってたけど、きっと僕は無意識にもクラサメが好きだったし、クラサメのこと、愛してた。今だって愛してる。知らないかもしれないけど、クラサメがずっと愛してくれてたみたいに、僕だってずっとあんたが大好きなんだ」
「知っているぞ」
「えっ?」
思わぬ台詞にぎゅっとクラサメの服を握ると、彼は目元だけでにやりと笑って、
「”――そうだな、僕は死人だ、あんたには見えなくて当然だよな! バーカ! クラサメのバカ! でも大好きだからな! 見えない聞こえないの薄情なクラサメだから、何にも言い返せないだろ! ふーんだ! 僕はあんたがだーいすきだ! すきすき! だぁーいすき! あんたが死んで記憶を失くしてた自分を殺してしまいたいくらいには大好きだ! まあ僕死んでるからあんたには見えない訳だけど? どおおせ僕は死人ですよー、べーっ! ああもういい、それならそれで僕は僕の好きなようにするから! あとで聞きたかったって地団駄踏んでも知らないぞ、よーく聞いとけよ! 僕はあんたの真っ直ぐな視線が大好きだ。あんたがあんたの辛い過去を負って、それで手に入れた、その凛とした強さと優しさが大好きだ。ふふ、聞こえないだろ? ざまあみろだ! ふ――んだ!”」
抑揚もなく淡々と、一字一句違わず、そんな事を。
「な、な、な……っ!」
僕は慌てた。それはそれは慌てた。マキナには悪いけれど、先ほど以上に目に見えて慌てた。二の句が継げなくなって、馬鹿みたいに同じ音を繰り返す。
そんな、あれはほら、聞かれていないと思っていたから大声で言えたわけで、そんな事は今まで一度としてはっきり口にした事はなくて、だって恥ずかしいし、ああもう、なんでこんな事に!
そんな僕を見ながら、クラサメは先程とはうって変って余裕の笑みを浮かべている。それがまた恰好いいものだから、悔しいったらありゃしない。
「随分と可愛らしい告白だな、エース」
「なんで、なんであんたがそれ知ってるんだ!」
「私はずっとここにいて、そしてエース、お前の声はとても大きかった。それが全てだと思うが?」
「まさか、ナギやマキナにも聞こえて……」
「いただろうな、私だけの特別なら良かったのだが」
「そういう問題じゃない! そういう問題じゃない!」
「しかしエース」
「え?」
恥ずかしくて恥ずかしくて、それでもクラサメの胸に顔を埋めていた僕は、急に出された低い声に驚き、再度翡翠を見上げた。深い瞳が色を含んですっと降りてきて、僕はそのまま呑み込まれてしまった。あれから逃げることなんて僕には出来ようはずもない。そしてまた、逃げようと思うはずもないのだから。
「あれだけ好き勝手言ったということは、覚悟は出来ているのだろうな?」
「なにい――っ、むぁっ!」
クラサメは好き勝手に僕の口内を貪った。それでいて、その動きはどこまでも僕に優しかった。その具合が、彼もまた僕に会いたがっていてくれたという事、そして何より僕を大切にしてくれているという事、それを如実に物語っているような気がした。
そう思うと僕は益々調子に乗ってしまう。クラサメだってそれを分かっている。甘やかされている、その実感が愛おしい。
僕は挑戦的な表情で、更に擦り寄る。息がまだ少し乱れて格好はつかないのだけれど、そんな事は構うものか。
時間かないのは知っていた。息を整える時間があるのなら、その分言葉を交わしていたかった。
「僕が、覚悟もしないで戦場へ赴くと、あんたは本気でそう思っているのか?」
「まさか。私の教え子はそんなに愚かではなかったからな」
というより戦場なのか、ここは。
そう言ってクラサメが笑った。マスクのない顔は穏やかで優しく、僕だけが見慣れた特別だった。僕はそれに手を伸ばそうとして、大きくバランスを崩す。突然がくりと膝が折れて倒れかけた僕を、クラサメが横抱きに受け止めてくれた。
急に頭の中に靄がかかったかのようだった。この感覚は二度目で、もう僕はそれが何を意味するのかまで知っていた。
「ねえ、僕は、目が覚めてしまってから、ずっとずっとクラサメに会いたかったよ。ここまで来るのに時間がかかってしまったけれど、沢山の大切な事に気付く事が出来た。それで、やっとあんたに会えたのに、なんだか眠くなってきちゃって」
「今更だろう、エースはどこでもすぐに寝る。大丈夫、安心して眠りなさい。もう温もりはすぐ傍にあるのだから」
「うん。……それでね、あのね、僕、生まれてきてよかったよって、それだけ、寝る前に伝えたくて」
僕らはそのまま座り込んだ。墓地中央のオブジェに背を預けたクラサメと、その彼に抱かれる僕。それはさながら、英雄の静かな最期を描いた、一枚の名もない絵画のようだった。
まもなく、この微睡の世界は終わる。僕は僕の愛した世界に、その閉じゆく暗闇に還る。クラサメと一緒に、仲間たちの待つそこへ。
それが悪いことだとは思わない。なぜなら、それが僕の生であったからだ。
「人生の殆どを戦火に包まれて終えたとしても、それが僕の生だった。僕はパチパチ弾けて、でもキラキラ光る、朱雀の炎の中で生きていた。その炎が燃え尽きたら、次に僕らを飲み込んだのは真っ黒な焔だったけれど、それだって僕の宝物になった事に変わりはない。
全ての選択を他人に預けてきた僕らは、 フィニスで全てがひっくり返った途端、背中の翼を失った。ぼとりと落ちた先の地面で、みっともなく醜態を晒して這いずり回った。そうするうちに泥塗れになって、疲れ果てて俯いた所で、やっと僕らには足があることに気が付いた。
全身痛みを訴えない場所なんて無くて、口の中に広がる鉄の味を噛み締めて、それでも僕らはそこに立っていた。僕はさ、翼を取り上げられてみて、それで初めて、自分の足で歩くことを知ったんだ。全てを自分たちで決めなければならないというのは、重たくて押し潰されそうになるけれど、それでいて自由だったんだ。
僕はこの短い生の中で、沢山の大切な人に出会って、愛して、愛されてきた。そしてこの世界を愛し、この世界に愛されていた。僕は戦場を駆けるだけの人形ではなかったんだ。僕は僕自身、エースというただ一人として、確かにこの世界に生きていた。兵器という意味ではなく、個人として必要とされ、愛されていた。それってなんて素敵な事だろうって、僕はこの微睡の中でやっと思うことが出来た。それでまたクラサメに会えて、今度はその腕の中で眠れるのだから、これ以上何か望んだら罰が当たる。
それくらいに僕は幸せだ。生まれてきてよかった。最高の形で死に逝けることが嬉しい。僕の物語は幕を閉じ、世界の歴史は節目を迎える。その瞬間、真に全てのものが意味をもち、全ての忌みがあけるだろう。僕はそれを、この愛に満ち満ちた揺籠の中より見守るんだ。深い深い永久の眠りに溶けながら、陽だまりに揺蕩うこの場所で」

ここは死に支配された場所。死こそがこの空間に於ける全て。しかしだからこそ、終わりを迎えて生が輝く。
花びらを巻き上げる嘆きは歓喜を歌い始めた。朱い天が闇の中に溶けてゆく。天に昇る光と、天からの呼び声。
遅いよ、早くおいでよ。皆待ってるよ。さあ、一緒に眠ろうよ。
そうして扉は開く。それは眠りへの扉。女神が望んだそれでなくとも、僕らにとっては自ら勝ち取ったもの。扉が開く。さあ、一緒に眠ろう。


世界は、こんなにも優しい。




 ***



世界の愛に包まれて、雛鳥は陽だまりの中に帰還した。
やっと止まることができるのだ。終わりがあって初めて形を成す生の脈動。
僕らはここまで歩いてきた。この世界が、繋がる温もりが、僕らがここにいた証。僕らはここにいた。そして僕らは、ここにいる。
もう立ち上がる事も出来ないけれど、瞳に光を映す事も出来なくなってしまったけれど、それでも、これからもずっと一緒にいられたら、それが幸せ。たとえ世界が僕らを呑み込んで終わっても、たとえ世界が僕らを置き去りにして始まっても。ずっと。
そう思っていた。けれど、そうではなかった。世界が僕らを愛してくれたから、僕は僕であれたのだ。
それに気付けなかったから、刹那の永遠である微睡に溶け出した。始点と終点の交差するその場所で、僕は漸くそれを知る。
僕の生と、世界の愛を。
歌声の止んだ世界はそれでも優しく、捥がれた翼の代わりに、この足で歩くための大地を与えてくれた。足の折れた僕らには、休むための揺籠を与えてくれた。
世界は優しい。僕らはその世界を愛していたし、世界も僕らを愛してくれる。
だから僕らは、やっと眠る事ができるのだ。
螺旋を描く永い永い道程の、ほんの刹那。久遠に眠った僕らは、最期の刹那に生きていた。そして久遠の眠りに還ってく。
皆で手を繋いで眠ろう。僕らが繋いだ世界に、最初で最後の別れを告げて。


おやすみなさい、良い永眠を。


ふわりふわり、包む温もり、揺籠の中。




陽だまりに揺蕩う、聖櫃の中。





⋆End⋆  





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[mokuji]











 


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