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幸せを求め過ぎた僕はシアワセになった-1


エースは、実戦演習から帰投してより休む事なく書き続けた報告書を手に、自らの隊長の自室の前に立っていた。イスカ地方のレコンキスタを終え朱雀が更なる進軍を続ける中、その功績の中心に常にあるのが0組であり、殊にエースであった。エースは日付が被らない限りほぼ全ての演習で最前線に立ち、またその報告書を纏めている。そしてそれを必ず、日付を跨ぐ事なく提出しているのである。
今日もまた例に漏れず、エースはクラサメの部屋の扉を軽く叩いた。
「どうぞ」
中から返ってくる声は柔らかい。クラサメはそこにいるのがエースだと確信しているのだろう。それはそうだ、こんな夜更けにCOMMも鳴らさず訪れる客はそういないのだから。
エースは丁寧に書き上げた報告書を落とさないよう、空いている手でそっと扉を開けた。そして瞳に映った姿に苦笑を零しかける。なんだ、それは。
しかし対するクラサメはまるで気にした様子もなく片付けられた机の方を指差した。さもそれが当然と言わんばかりの態度である。
「書類はそこに置いてくれないか」
「ここか? あんたに手渡すとかじゃなくて?」
「今日すべき事は全部終えた。それは明日でいいと指示した書類なのだから、持ち越しても特に問題はない」
「それで、そんな所に座って僕を待っていたってわけ」
そう、きちっと机に向かっているかと思われたクラサメはカジュアルな格好でベッドに腰掛けていたのだった。その顔にはマスクすらない。
ある意味で期待通りであったもののまさかここまで周到に読まれているのは予想外であり、また同時に気持ちを同じくするこそばゆさが先の苦笑を誘い長引かせていた。その様子でどれ程こちらを待っていたのだか。想像すると喜びと共に気恥ずかしさがこみ上げてくる。それなのにクラサメは更に追い打ちをかけるような事を言うのだ。
「その通りだな。お前もそれを期待していたんだろう?」
ほら、そうやって。
だからエースはふいと顔を背け、捻くれた言の葉を返してやる。自惚れすぎじゃないのか、偶々ちょっと眠れなかっただけだ……と。
クラサメは毎回無茶に思える程エースが演習に出る理由を知っている。他の誰に任せる事なく自分で報告書を書き上げる理由を知っている。それを月が落ちる前に持ってくる理由もまた。
全ては朱雀の為に、ひいてはクラサメの為に、そしてこの時間の為に。
エースは知られている事を知っていて、それでも尚知らない顔をして扉を叩くのである。
「それで私の元まで書類を言い訳に眠りにきた、と」
「……文句、ないんだろ。責任持って寝かせてくれ、隊長」
そしてこの時間は何の為に。お互いはっきり言わなくとも、じっとこの日を待ちわびていた事を知っている。
ここ最近の演習は遅くまで長引くものが多く、二人の間には纏まった時間というものがなかった。しかし今晩の演習は違う。エースの身体の負担、明日の予定、全てがお膳立てされたような月夜だった。だからこそクラサメもエースをこうして待っていたのだし、エースだって少しの休憩も挟まずここへやって来たのだ。
それを全て踏まえ、クラサメは笑う。
「それは、お前次第だな」


     

気怠い繭に包まれながら、エースは硝子越しに滑りかけの月を見上げた。夜明けが近いのだ。頭だけは何故かいやにはっきり覚醒しており、欲しくもない答えを意識の制御下を離れて弾きだす。この夢から現実に立ち帰るべき時が刻一刻と迫って来ていた。
薄っすらと明るい、優しく残酷な暗闇。そんな暁闇の中で、自分は部屋にも帰らずただ愛しい人の腕の中に収まっている。肌に直接伝わる熱は温かさと冷たさを併せ持つもの。これがクラサメの温度。
そんな、何も心配する事のないある種のシェルターの中。
あぁ、それはなんて。
「……幸せ、だ」
「そうだな」
「バカみたいに幸せだ」
ぽろりと零れた一言に、クラサメが態とらしく眉を上げる。
「このタイミングでバカみたいにと言われるのは、何とも名状し難い気持ちになるんだがな」
それにただエースは何度目かの苦笑を返した。その後ふと声のトーンを落とす。それは一つの予兆。
「でも、バカみたいだ。それで、幸せだ。――なぁ、クラサメ。今日の演習、僕だけで一体幾つのファントマを抜いたと思う」
張り詰めているのか弛緩しているのか分からない、妙な空気が二人の間に流れた。しかしそれは不思議と穏やかでこの場面からさほど浮き出てはいない。
エースの瞳に映ったクラサメが遠くなった。蒼い瞳はふり返るべき場所を探し、彷徨い、しかしそれが叶わずまたクラサメに戻る。
「数えてなんか、なかった。そんなもの気にもしないで、機械的に無感情に引き抜いた。エリア制圧戦だったから、無関係な朱雀の街の人間だって何人も死んだかもしれない。それを僕は覚えてすらいないんだ。その僕が今、こうやって幸せを享受している。罪悪感もない」
ばかみたいじゃないか、と嗤う。
     



ばかみたいだと、愛しの子が何度も繰り返した。己を嗤いながら他者を嘲笑し慈しむエースの光は、それでも無垢なものだ。クラサメはそれを、かつて何処かで見たような気がした。何処とも何時とも分からぬ彼方で確かに同じ光を見た。
その感覚からか、クラサメの口からも言葉が零れていく。
「私も昔似たような事を考えたな。涙も出ないのに一人墓地に佇んで、自分の為に散ったかもしれない命を前にただ空虚な義務感のみで目を閉じる。記憶はない、悲しみもない、誰にそうしろと言われた訳でもなければ監視の目もない。なのに墓地にいるのだから不思議だろう。しかも遊びの呼び出しでもあれば、これ幸いとそこを抜け出すのだから」
けれど、とクラサメは一度呼吸をおく。殺伐とした景色をそよ風に乗せて届けるように言う。
「人の幸せを踏み付けて、私たちは生きている。軍人なんてまさにそうだろう? 平和になればあっと言う間に路頭に迷う。戦しかしてこなかった者は戦しか知らない、戦を厭いながら戦の中にシアワセなるものを見出している」
その言葉に何かが軋んだように、シアワセとエースが呟いた。彼は改まった様子でこちらを見上げる。シアワセ、シアワセ。呟くその調子。それはひどく不思議な響きだった。
「……クラサメは、軍人だ」
「あぁ、そうだな」
噛みしめるように言ったエースにクラサメはなんて事も無い相槌を返す。
――クラサメは軍人でありながらも幸せを手にする事が出来たのだろうか。それならば自分はどうであるのだろうか。
そう問うたエースの中で歯車がカチリと音を立てた。その音を、クラサメは確かに聞いた。すう、と透明な呼吸がエースから漏れる。
ならば僕は、僕というものは。
「だとすれば、0組は――だ。所詮僕らも幾億と朱く塗り替えられてきた歴史の中でしか生きては来なかった」
平坦な調子でありながらそれは部屋の中で刺さるように響いた。クラサメは思わずエースの瞳を覗き込み、小さく息を飲む。そこには「色」が無いのだ。エースをエースたらしめている彩りがそこからは欠如していた。そこに在るのはエースでありながら、同時にエースでない何かだった。
「――エース?」
「――ん? なんだよ、隊長」
しかし呼び掛けてみるとそこに居るのは何時ものエースでしかなく。クラサメは目を細めた。エースに自分の発した言葉を意識している様子はない。クラサメは自身の中で浮かび上がりかけたものを沈める事にした。エースには何でもないとだけ返す。
ただ、これだけは。
「そんな日々の中で、お前は幸せか」
そうすると、エースは今度こそ朗らかに笑って。
「だから言っただろ、バカみたいに幸せだって。そういうクラサメはどうなんだよ」
そう、クラサメの腕を抱き寄せた。それにクラサメが戯れの真を返す。
「どうして、お前が幸せなのに、私がそうでないという事がある?」
「馬鹿じゃないのか、あんた」
「なんだっていいさ、何だって変わらないんだろう」
その言葉にエースが小さく目を見開いた。クラサメとしては何ら特別な事はない台詞だったのでそれに少し驚く。
エースは何度も自分で確認するように頷き。
「そうだな……。変わらないな、僕がこうしていて、あんたがそこに居てくれるのなら」
一言。エースは笑顔であったが、吐き出した言葉は愛おしくも残酷なものだった。戦に明け暮れ抜け落ちてゆく死者の記憶を踏みつける無常の世界、そこに絶対を刻むなど如何して出来ようか。
クラサメはそこで自分の言葉の軽々しさに気付いてしまった。幸せの中で鈍った氷の刃を一度はここで自覚した。
しかしエースはそれでも真剣だった。エースもまた戯れの真でクラサメに向かったのだ。しかしその戯れはエースを護る酷く薄いベールで、真はそれに仇を成すものでしかなかった。エースはその切っ先をクラサメにではなく自らの喉元に据えたのである。エース自身は何も知らぬままに、確かにその瞬間は歴史に一筋の朱を差した。
「クラサメ。僕はこの先、一度も死なずに生き延びる」
その意志は何処までも純粋でどこまでも脆く。
「だから、あんたも死ぬな。死が二人を分かつまでなんて、僕はそんなの嫌だから」
そしてどこまでも儚く、貴く。それは約束であり、また呪いのようでもあった。それがどちらに転ぶかも分からぬままに、しかし二人にはそれでも良かったのだ。
相手の中に自分がいるこの事実は、まだこの時は幸せの形をとって二人を祝福していたのだから。
だからクラサメもその氷を溶かしてしまった。この時、他にどうすればよかったというのだろう。
クラサメはエースを更に抱き寄せて囁いた。
「よくばり、だな」
「あぁ、僕は欲張りなんだ。幸せになったら今度はもっと幸せが欲しくて堪らなくなる」
エースが擽ったそうに身を捩り、強く朗々とした声音が部屋を包む。
一緒に居たい、出来る事なら何時までも。それはごく当たり前の願いで、エースもクラサメも変わらず持つものだった。想いは言わなくとも伝わる。知っていてクラサメは襲ってきた睡魔を感じつつ返すのだ。
「全くもって違いない……」
それが一つの真理である事を。
今が続く事を願ってやまない人間は、確かに欲張りで、卑しく、どこまでも自然なのだろう。
そうであったから、白濁していく意識に呟いて、その時をやり過ごしてしまうしかなかったのである。
「エース、愛している」
「うん、知ってる」

エースはそんな恋人に柔らかな笑みを返して相槌を打つ。羞恥に負けて同じ言葉は返せないが、この気持ちが両者の間で違えるなどあり得ない。少なくともエースからの気持ちに嘘はない。絶対を信じている。だから。
「お前を、愛している」
「うん」
「愛している、エース」
「うん……」

あぁ、僕は幸せだ。



     

ピッピー、と繰り返し響く警告音が鼓膜を震わす。エースは少し先に展開する大量の赤い敵を見やり溜息をついた。やっと奥まで辿り着いたと思ったらこれだなんて、全く運がない。
「厄介なシステムだな……」
「でも〜中身見られちゃったんだよねぇ? なら仕方がないかなぁ」
答えるシンクの表情もまた台詞に反して芳しくはなかった。何を言えども気持ちは同じという事だ。もう一人の同行者であるナインもまた予想外の事態に苛立ちを持て余しているようだった。
「だぁあにしても何だってんだこれは、あぁん!? 幾らなんでも呼び過ぎだコラ!」
「たしかにな。開けられる前に辿り着けなかったのは僕らの落ち度だ。でもそれにしたってこの仕打ちはないな……」
そう、きっかけはこちらの落ち度なのだ。
前の演習から二日後、現在エースとシンクとナインは実戦演習を三人という少数精鋭状態で引き受け、取り戻したばかりのイスカ地方ロコル鍾乳洞にやって来ていた。演習内容自体は、機密文書を取り戻しリーダーのルイス少佐と周辺皇国兵を殲滅するだけの、簡単なものだった。
しかし。目前の所でやけを起こしたのか、皇国兵が文書の入ったケースを開けてしまったのである。
そして「セキュリティー」が発動した。今現在の問題はこれにある。モンスターを長期間呼び寄せるものなのだが、それは敵の殲滅を目的とした、惨たらしいものであったのだ。
そしてその只中にエース達は居る。
レコンキスタを成功され怒りに燃える皇国兵はいつもより格段に手強かったが、それでもこのプリン程ではないだろう。呼び寄せられたにも関わらず獲物が殆どいなかったせいか、プリンまでもが怒りに燃えていたのだ。そしてそのプリンは、僅かに残っていた皇国兵をあっという間に無惨な骸に変えてしまった。
そのうちの幾つかがエースの元へ集まってくる。
「――っふ!」
エースはそれらを一瞬にして凍りつかせた。素早くファントマを抜き出して取り敢えず息をつく。このフロアはいいが、次からはかなりキツそうだ。
その隣でシンクが楽しそうに笑い声をたてた。
「おぉ〜でましたー! エースっちの必殺冷気魔法。すんごいねぇ! でも前はこんなじゃなかったよねぇ?」
「まぁな……身の回りに敵が迫ってきた時には瞬時にその動きを止められた方がいい。そういう時はブリザドBOMだろ」
シンクが言っているのはそういう事ではないが、敢えてエースはそう返答した。元よりエースは取り立てて言う程魔法が得意な方ではない。そのエースが急に強い魔力を持つようになったのは自分に合う師を見つけたからであり、またエース自身がそれに見合うだけの努力をしたという事でもあった。中でも伸びたのが冷気魔法であった所以は最早言うまでもないだろう。
そんな二人に若干取り残されたナインが噛み付く。
「あぁ!? 全部片っ端から片付けりゃいいじゃねえか」
「生憎僕はナインみたいには出来ていないんだ」
「さっすが氷剣の死神二世だ〜! ナインとは違うねぇ、頭も」
それはシンクに言われたくないと思うのだが。シンクもナインも魔法は得意ではない。
だから僕がなんとかしないと――。
そこまで考えてエースはぴたりと動きを止める。今シンクは何と言った?
ナインもまた同じタイミングでシンクの方を向く。
「オイコラそりゃどういう意味だ!」
「に、二世って何だ!?」
「あっはは〜」
珍しく焦るエースを誤魔化して笑うシンクと、いつも通りがなるナインと。
あぁ、この時は露程も思ってはいなかったのだ。
まさか、あんな結末が待っているだなどとは。

     


「ちょーっと、これはキツイかなぁ……」
メイスを振り終えたシンクが小さく呟いた。それを近くにいたエースが耳にして問い返す。
「魔力はどれくらい残ってる?」
「うーん、もうギリギリアウトくらい……エーテルも無くなっちゃった」
「ナインは?」
「聞くんじゃねぇよコラァ! だぁあっ食らえぇッ!」
返答と共にナインが投げた槍がプリンの急所を貫いた。しかしファントマを抜く間さえ惜しい程すぐに次がくる。ただでさえ進むのに困る程であるにも関わらず、倒してはまた次が現れるものだから、その数は減るどころか増え続けていた。
おまけに三人とも其処彼処に傷を負い、正直な所尽きているのはポーションも同じ事だった。
最初はキレのあったエースの魔法も疲労が溜まるに連れて精度を欠きつつある。出血と先の見えぬ状態に注意力は散漫になり、始めの様に一撃で屠る事は難しくなっていた。
「さすがにこれは……無理があるな」
エースは呟き、意を決してCOMMを呼び出した。最近は何故か魔導院の支援が得難くなっていたため頼るのは奥の手にと考えていたのだが、ここで出し惜しみしていてはそれこそ生死に関わりそうだ。
例え再生出来るにしても、エースはここで死ぬ訳にはいかない。約束が、あるのだから。
「――こちらエース。隊長か、魔道院の支援を要請したい。今からでも大丈夫か?」
『セキュリティーが発動したのだったな。こちらも少々厳しい。駆け抜ける事は無理そうか』
「試みたが、だめだった。後から後から湧いてくるプリンが道を遮っている。――っふ! こっちの魔力は、もう尽きそうだ。これでは僕らは入口まで辿り着けない。――シンク、後ろだ!」
『厳しそうだな。プリンの種類は』
「フレイムプリンだ」
ふむ、とクラサメが僅かに考えるような間があった。その間にもエースは魔法を放ち敵を倒すと共に、自らの魔力を消費してゆく。
エースはファントマを幾つか纏めて抜き取りながら自分の要請がクラサメを困らせてはいないかと心配したが、クラサメからの返答は案外早くしっかりしたものだった。
『了解。それでは冷気魔法に特化した者を支援に向かわせよう。それまで何としても耐えしのげ。クリスタルの加護あれ!』
その台詞を最後にCOMMからの通信が途絶えた。エースは中心で背中合わせになっている仲間を鼓舞する。
「という事だ、みんな! 少ない魔力で何とか遣り繰りするぞ」
「どーすんだよ、オイ!」
「今この中で魔力が残っているのは僕だけだ。プリンに打撃は通用しにくい。だから僕が一斉に始末する。なるベく広範囲にブリガザBOMを展開するから、二人は僕から離れつつプリンを中心に集めてくれ」
「でもぉ……それじゃ」
このまま戦っていては無闇に傷を増やすだけだ。エースがそう考えて出した指示にシンクが不安げな声を上げた。
しかし、できる。クラサメが増援を約束したから、それよりも前に結んだあの約束があるから。
「僕は大丈夫だ、絶対生き残る」
違える訳にはいかないのだ。
エースの決心が固い事を悟ったナインが、ポリポリと頭をかいた。一つため息のように荒く息を吐き。
「わぁったよ! ――いくぜ」
そして三人は新たに陣をはった。
陣を、張ったのだが。
それにはすぐに限界がきた。エースは体力がない代わりに回避には長けていたが、それでも一人に向けて襲いくる怒れる敵を捌ききれはしなかったのである。今ではエースは誰よりも多く傷を負い血を流していた。始め魔法に不自由し苦戦を強いられていたシンクとナインの比ではない。
頭も足も重たいのに何故か軽い、そんな矛盾する感覚を抱えたエースに、物事を冷静に捉えられる余裕なんて言うものはなかった。あったのならば、生き残る為に最善なのはどのやり方かなどという基本は、考えるまでもなく分かった事だろう。
しかしこの時のエースは選択を誤った。
「――っ、はぁっ、よし、次っ!」
向きを変えると共に傷口からじわりと血が滲む。シンクがその様を確認しておずおずと切り出した。ナインも珍しく真剣な顔をしてこちらを見てくる。
「え、エース、後は只管回避して隊長待とうよぉ……だってそろそろ」
「その通りだ! キルサイト狙うとかよ、何も一人でやるこたねぇだろ、あぁ?」
そう言ってまた、一突き。言葉通りキルサイトを狙われたプリンがその命を終えた。崩れゆく姿に、何故か自身が重なる。そこに、あの人が重なる。
エースか被りを振り強い口調で返す。
「でも……僕は生き残らないといけないんだ、絶対に!」
「そんなのいつもみたいにマザーが何とかしてくれるじゃねぇか」
「だめなんだ、それじゃ!」
「エース……?」
叫ぶように言ったエースに、流石のきょうだい達も驚いた表情を隠さなかった。彼らには、そこまでエースを必死にさせるものは思い付けなかったのである。当たり前のことだ。エースとクラサメの関係も知らなければ交わしたばかりの約束の事も知らなかった。そんな彼らはただ呆然とエースを見ているしかなかったのだ。
それを見て、エースははっとした。こんな時に大声で言うような事ではないはずだ。これは、自分の中にだけしまっておけばいい事だ。
エースは、謝罪しようとして。
「――っ、ごめん。何でもな――」
仲間の表情が、凍り付くのを見た。
「エース、後ろぉ!」
「ぇ――?」
シンクの叫びが鼓膜を割く。ナインが槍を投げようと構える。エースは振り返り、今にも襲い掛からんととする影を認めた。すぐ近くに見知った色が翻ったような気がして、しかしエースは本能的に、それを確認する前にきつく目を瞑った。
そして、鈍い音。そこにまたシンクの悲鳴が重なった。
ほんの一瞬の静寂。しかしその瞬間は永遠となる。
エースは顔に何かがかかるような感覚を感じ取った。生温かいそれは嗅ぎ慣れた鉄の臭い。肉体の零す悲鳴の色。しかしここで襲い来るであろう刺激を痛覚は一向に訴えず、エースは訝しんで目を開ける。
目を、開けて。
自分を庇って血を流す愛しい人と、誰の手による魔法でかプリンが凍り付く景色を、その蒼色に焼き付けた。
「あ……ぁ……あ……」
意味を持たぬ音が知らぬ間に唇から零れ出る。それに振り向いた人は紛れもなく、クラサメで。
「大丈夫だった、か……エース」
痛くない訳なんてないだろうに、あんなに出血しているのに、そう笑ってこちらを気遣うのだ。背後で何かが凍て付く音が絶えず響くのがやけにリアルで、それでいて遠い。エースは膝をついたクラサメに慌てて寄り添った。
「た、たい、ちょ……? なん、で」
「そんな顔を、するな。言っただろう、冷気魔法に特化した者を、送ると」
「で、でも……こんな、こ、こんな……!」
こんな事を、望んではいなかったのに。
クラサメは分かっているからと繰り返してエースの頭を撫でた。手袋越しのその手は温かさと冷たさを併せ持つクラサメの温度。しかしそれはきっと、何時もより冷たい。手袋と服の僅かな隙間がエースにその事実を伝えてくる。そしてその事実はますますエースから冷静さを奪ってゆくのだ。しかも、その手は。
「大丈夫だ、エース。大丈夫。私は……死な、な……」
ぽとりと。はっきりと彼がその生を言い切る前に、地に落ちたのである。
エースはわなわなと肩を震わせた。みっともないなど思ってはいられなかった。
だれか、お願いだから誰か嘘だと言ってくれ。
プライドも何もかなぐり捨て、砕け散りそうな理性を押しのけてそっとその体に手を伸ばす。それが決定打になるのが怖くて、揺する事もできないままに。
「た、隊長? たい……く、くら……クラサメっ! クラサメぇっ!」
返答は、ない。
「やだ、クラサメっ、約束……約束、しただろっ! 生きるって、なぁ……ッ!」
「エース、落ち着いてください! まだ隊長には息があります、一時的なものであって、そこまで命に関わるものではありません! だから今は!」
そこでクイーンが後ろからエースを抱きしめる。クイーンは魔法が得意な者として、院内に残っていた数人のきょうだいと共にここまで来ていたのだ。
大粒の涙を溢すエースと目の前に広がる光景に流石の0組も硬直していたが、クイーンの声にはっと我を取り戻した。周囲を警戒しながら普段とは明らかに異なる状態のエースを気遣う。
一方でクイーンの声が繰り返す。大丈夫ですというその声音は、この身を案じる響きで身に降りかかる。それでやっと、エースの目はクイーンを映した。だが、まだ滲んで揺れを手放さない。
「で、でも……クラサメは、」
「エース」
尚も言い募れば、クイーンが前に回ってこの肩を掴む。
「聞いてください。本当に喪いたくないのなら」
喪うという言葉に、びくりと肩が跳ね上がるのを自覚した。仲の良いきょうだいは知っている。これがある意味で一番効果的であることを。
駄目押しとばかりに、ずいと怯える瞳に彼女の強い瞳が合わせられる。ああ、いつもの景色だ。きょうだいたちが、来てくれたのだ。いつだって彼らと一緒であれば、大丈夫。
「……ね、だから大丈夫、大丈夫です。そうでしょう?」
クイーンが、優しくしっかりした口調で諭すように告げる。
「いいですか、今の彼はそこまででなくとも、このまま放っておけば命に関わります。幸いここまではなんとか来れたんですし、今なら抜ける事もできるでしょう。隊長を運びながら撤収します。できますね」
クラサメは大丈夫、と呟く身を抱きしめてクイーンが頷いた。ずっと強張っていた肩から力が抜ける。彼女は頷いて立ち上がった。
ふわりと魔法の光が灯る。レムとクイーンが、二人掛かりでクラサメとエースにケアルをかけた。他の仲間の魔力はいざという時の為に温存しておかなければならない。
「え、エース。あの、元気、だそぉ?」
未だ小さな震えを飲み込んでいるエースに、同じく震えるシンクの手が差し出された。シンクは、知り合いの無惨な姿と、初めて見せるエースの泣き叫ぶ姿に、すっかり当てられてしまっていたのだ。そのシンクが立ち上がった。そうすれば、もうエースも嘆いてばかりはいられない。
エースは、仲間がクラサメを丁寧に抱える様子から決して目を背けずに立ち上がった。塞がり切っていない傷が痛んだが、それよりももっと別の所が悼かった。
どうしてこうなってしまったのだろう。生きると誓った、しかし血が流れたのは、それは、それは――。
それは、僕が弱かったからだ。
「さあ、行きましょう」
クイーンの声を合図に歩き出す。出口の方に見える明かりは優しいはずであるのに、視界を白く染めるように眩しく、抉るように身を引き裂いた。静かなる決別の予感。


幸せはこの時、初めて僕らに牙を剥いた。


***


continue*


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[mokuji]











 


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