別に辞世の句は何文字だっていいだろ。
「今日ザラ一佐に来てもらったのは他でもない、我が国における、特に重要な発表に関する事前協議のためだ」 沈みゆく太陽を背負った逆光の中、オーブ連合首長国代表カガリ・ユラ・アスハが重々しく告げた。顔の前で祈るように手を組み、両肘をデスクに付けて金眼を煌めかせる。彼女自身が苛烈な陽光のように、燦然とそこに在った。 それ故、アスラン・ザラもまたその地位に恥じぬ堅苦しい敬礼をし、余計な口を叩かぬように背筋を正したのである。 「それは。明日十時より受注生産を行う、我が国の叡智と情熱の全てを凝縮した――」 それは国の命運を担うものに違いなく、たとえば国防の要か、あるいは情報戦を制するための端末か。どちらにせよ国の機密に関わるような、 「――猫耳にゃんこカチューシャだ」 「――は?」 そう、猫耳にゃんこカチューシャだった。 は? いや、何だって? 代表は相変わらず夕暮れの執務室で光を背負い、真剣な眼差しで前を見据えている。そして一佐は、はくりはくりと口を開いては閉じている。は、いや、だから何だって? 「猫耳にゃんこカチューシャの完成は、猫に癒しを求める我が国の国民にとって長年の悲願だった。そしてついにそれは完成、販売にこぎつけたという訳だ」 「いや、カガリ、待ってくれ」 「そこでザラ一佐」 「お願いだから待ってくれないか??」 二度頼み込んだところで、カガリが深くため息をついた。代表の顔をぽいとゴミ箱に放り捨て、組んでいた手をぷらぷら揺らす。 「なんだよアスラン、話はちゃんと聞けって」 「いや聞く、聞くが。なんだって?」 「だーかーら、猫耳にゃんこカチューシャだ、ね、こ、み、み」 そう言ってカガリが両手を頭上へ持っていき、ぱたぱたと倒してみせた――は? いや、何なんだ。可愛すぎるだろ。天上から舞い降りた女神か? 真顔でなんて事をするんだ。 目を擦りまた開いたところ、彼女は元通りに手を組んで肘をついていた。幻を見たのかもしれない。 「これがな、すごいんだ。ふわふわの触り心地、脳波を測定し感情にあわせて揺れる耳、更には思考へ介入し、な行を強制的に猫語に変換する」 「それはすごいが、あらゆる意味でまずくないか?」 「なんでだ、夢とロマンの結晶だって開発陣は言っていたぞ? モルゲンレーテの誇る技術者達の協力のもと、ついにプレミアム・パンタイから発売する訳だが」 「いやそれもまずい、カガリ、それはかなりスレスレだ」 もう一度カガリがなんでだと言った。いやそれはその、深くは考えてはならないのだが、色々とまずい。特にこう、社名とかもう少し何とかならないものだろうか。 しかし残念ながら、アスランの願いは届かない。 「で、アスランには感想を聞いておこうと思った訳だ。被験者を呼ぶぞ。おーい、キーラー!」 「にゃ〜にぃ〜!」 「ぐあ……ッ」 届かない代わりに、鳩尾を抑えて一つ呻いた。なんだこれは。なんなんだこれは。 奥の扉からひょいと現れたのはキラ・ヤマト。幼馴染で、今をときめくコンパスの准将である。しかしその頭には茶色の猫耳が生えていた。しかもぴょこぴょこと動いているではないか。 「あっ、アスラン。どうしたの、こんにゃ所で」 「キラ、私が呼んだんだ。折角だから感想をもらおうと思ってな」 「そうだったんだ。ねえアスラン、どうかにゃ。似合うかにゃ」 こてんと首を傾げるキラ。あざとすぎやしないか。お前成人男性だろ。いいのかこんなに似合っていて。お前はそれでいいのか? 怒涛の疑問は音になり、そのまま洪水を引き起こす。 「キラ、本当にお前はその立場でいいのか? 某白猫のように仕事を選ばなすぎる。何を強いられているんだ、お前は!」 「えー、別に、何も? ただこれ引き受けたら、新しくスパコン買ってくれるってカガリが」 「ちゃっかり買収されているじゃないか!」 しかしまあ、昔からこうなるとどうにもならない訳で。 痛む頭を抱えた。けろりとした様子の幼馴染にはもう思い詰めた色はなく、ああ、それはいいとしても、これは弾けすぎだ。 「別にいいじゃにゃい、猫耳くらい。減るもんじゃにゃいんだし」 「お前の尊厳は確実に減るだろう……」 「元からにゃいけど、そんなの。それよりねぇ、猫っていいよね。まさか僕も自分がにゃるとは思ってにゃかったんだけど。カガリがね、どうしてもって言うから」 くるりとその場で一回転して見せる。ふわりと翻るコンパスの制服の裾からは、なんと尻尾まで生えていた。 「かわい〜っ! キラ、似合ってるぞ。さすが私の弟だ」 「兄じゃにゃくて?」 「本当に可愛い弟だ」 なんなんだこの茶番は。ついていけずに困惑しているところに、カガリがキラに可愛いポーズをせがみ始める。そして残念なことに、基本キラは姉の要求を断りなんかしないのだ。 そして彼は招き猫の姿を真似て手を握り、 「ぱっぴー!」 と謎の掛け声と共にその手を開いた。いや、だから、なんなんだ。 「キラ、いいぞー!」 だから、本当になんなんだ。 「うん、いい。実にいい出来だ。推し活ってこういう事を言うのか? 今なら辞世の句すら読めるかもしれない。アスラン、聞いてくれないか」 「まあ、聞くが……」 「私の弟が可愛すぎてつらい。カガリ・ユラ・アスハ」 「せめて五七五にくらいはしないか?」 「別にいいだろ、辞世の句が何文字だって」 それは最早句ですらないんだが。どちらかというとダイイングメッセージの類である。 「という訳でこれを明日から発売する。どうだ? 大ヒット間違いなしだろう。これを主力輸出製品として平和的にオーブは外貨を獲得する予定だ」 「どうしてこんなふざけた物が真面目な貿易の話に着地するんだ……」 「私は最初にちゃんと言ったぞ、我が国の行き先を左右すると」 それはまあ、言ったが。まかさそれがこんな内容だとは思いもしないだろう、普通は。 「CMも作ったんだ。これも明日から流す予定なんだが――いいよな?」 「好きに、すればいいんじゃないか……」 どうせ、二人とも言ってもききやしないのだから。 アスランは眉間をもみほぐした。しかし残念なことに頭痛は微塵も消えて無くならない。それどころか抵抗力が消えて無くなり始めた。もうどうにでもなればいいような気がしてきた。ここで屈してもいいだろうか。考えることを放棄したい。 しかし現実はいつだって無情なものだ。 「そんにゃ事言っていられるのも今のうちだよ、アスラン?」 そう胸を張ったキラの、その手に握り込まれたのは、黄色い耳の。 「にゃにゃ〜ん! カガリ用猫耳にゃんこカチューシャ!」 「ッ、キラ! やめろその攻撃は俺に効く!」 すぽり。制止の声も虚しく、その耳はあるべき場所へ収まった。目の前には得意げな顔の双子。だから、だから嫌だったんだ。この二人が悪ふざけをしたらどうなるかなんて、それそこ篝火を見るまでもなく明らかであったのに。 「アスラン。どうだ、私も似合うかにゃ」 「この世で一番似合っている、カガリ。写真撮って印刷して額に入れて飾っていいか?」 「うわっ、君急に顔つき変わったね」 気持ち悪いよその顔、とキラが己の耳を外しながら言い放った。うるさい。真顔のどこが気持ち悪いというんだ。言ってみろ。 「真顔なところが気持ち悪いよ」 とりつく島もなかった。 でも仕方がないだろう。こんな絶景を前にどうしろというんだ。 夕焼けの橙が窓から差し込み、彼女の金髪を美しく照らしていた。艶やかに煌めく髪の間から、同じ色の耳がのぞいている。それはぴくりと恥ずかしげに揺れて、みればやはり目尻がほんのりと桜色に染まっていた。 「あぁ、素晴らしいな。実にいい出来だ。認識を改めた、これは世紀の大発明だ。今なら辞世の句すら読めるな。キラ、聞いてくれないか」 「まあ、聞くけど?」 「俺のカガリが可愛すぎてつらい。アスラン・ザラ」 「せめて五七五にくらいはしなよ」 「別にいいだろう、辞世の句は何文字でも」 オーブ連合首長国代表の執務室、黄昏時のその場所で、ついにザラ一佐もまた陥落した。それはまさしく魔性の道具であった。 翌朝十時から流れたCMでは、代表とコンパス准将が猫耳を付けて仲良し双子ダンスを披露した。キャッチコピーとして採用されたザラ一佐の辞世の句はネットミームと化して世間を賑わせた。 そしてプレミアム・パンタイHPにはアクセスが殺到し、鯖落ちを迎える事になる。一次受注どころか二次受注すら開始一分と保たなかった。それこそデスティニーspecUの予約の如くだ。 需要はオーブ国内に留まらず宇宙からも大反響を呼び、オーブは外貨をがっぽりと稼いだ。ぽんと個人にスパコンを与えられる程度には稼いだ。これには准将もにっこりである。 最後にこれも追記しておこう。本件に於ける最も重大な被害者は、実は最も儲けたものであった。販売元のプレミアム・パンタイは類を見ぬ程の売り上げを叩き出し、そしてあまりの入手困難さに最早がっつりと燃えていた。その炎上はまるで暁の炎の如く鮮やかであったという。 そんな夕暮れの、とある猫たちの起こした騒動のお話であった。
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