女の買い物は時間がかかる
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 たまたま重なった平日の休暇をどのように過ごそうかと話すと、初々しい新妻ははにかみながら、
「新しく出来たショッピングモールに行きたい」
と言った。休日には人がごった返していてゆっくりと買い物できないらしい。まだまだおしゃれがしたい年頃の妻だ。仕事の時のお仕着せ姿だって、自分には眩しいくらいなのだが、かわいらしく着飾った妻を見たくないと言ったら嘘になる。この年になってそんなことを口に出せば、口の悪い僚友たちになんと言われるかわかったものではないので言わない。ここは大人の余裕で男の欲望を覆い隠して頷いた。
「まあ、うれしい。ありがとう!」
 首っ玉に飛びつき頬にキスをしてきたマリーカを、ケスラーはそっと抱きしめた。結婚して半年ほど経つが、未だにこのような行為に慣れなかった。

 憲兵総監という地位にありながら、ささやかに生活を営んでいる彼らは、しようと思えばいくらでも贅沢な暮らしが出来た。しかし、すり込まれた庶民感覚が彼らの財布のひもを一定以上には決して緩めなかった。それがために、マリーカの買い物にも時間がかかっていた。ケスラーにしてみれば、マリーカにだったらいくらでも散財しても構わなかったのだが・・・。
「お疲れなのではない? ずっと私にばかりつき合わせてしまって・・・」
 申し訳なさそうな顔で見上げる幼妻に、ケスラーはニコリと笑って返した。
「大丈夫だよ。このくらいでくたびれるような年ではまだまだないさ」
 ここまで言って、ハタとケスラーは気づいた。もしかしたら自分が傍にいると買い物しにくいのかも知れない、と。そんな素振りは全くなかったが、妻に気を遣わせているのかも知れない。ケスラーはマリーカの頭に手を置いて言葉を続けた。
「でも、そうだな。私もちょっと余所を見てこようかな」
 買い物が終わったら連絡するように約束して、ケスラーは一人では絶対に入れないだろう店内から立ち去った。

 余所を見るといっても、何の目的もなく歩き回るのはただただ疲れるだけだった。平日でも子供連れで賑わうフリースペースの脇に、ケスラーは静かな休憩所を見つけた。コーヒーでも飲んで時間をつぶそうと、その一角に足を踏み入れて、そこに先客がいるのを発見した。そして、すぐに回れ右をして立ち去りたかった。それができなかったのはケスラーの職責からというよりも、元来の責任感の強さのためだった。
寝た子を胸にもたれかけさせてベンチに深く腰掛けた彼は、コーヒーを片手に居眠りをしているようで、手と頭がゆらゆらと定まらない。危なっかしいその姿を見るともなく見ていると、案の定カップが手から落ちそうになる。咄嗟にカップを受け取り、なおも船を漕ぐ秀麗な横顔にケスラーは控えめに声を掛けた。周囲の目を気にしたこともあるが、彼が胸に抱く子供の眠りを妨げないためにである。
「閣下、ロイエンタール元帥。こんなところでお休みなさっては危のうございますぞ」
 そうだ。この男は新帝国の建国の功臣の中の功臣だ。こんなショッピングモールの片隅で子供を抱いて居眠りしていてよいような身分ではない。見たところ警備兵を連れてもいないようだった。ケスラーは自分より年若い高位の男の肩を揺すった。
「起きなさい、ロイエンタール元帥。無防備にもほどがありますぞ」
 ようやく目を覚ました男の、左右色違いの目を認め、ケスラーははあっと深く溜息をついた。
「こんなところで何をしておいでですか?」
 まだ眠たそうに目をしばたかせたロイエンタールは、目の前に立つ憲兵総監を見上げておもしろくなさそうに、
「休憩しているに決まっている」
と吐き捨てた。
「小官は、なぜこのようなところで休憩なさっているかを伺っているのです」
 「何だ、職務質問なのか」と口の中だけでいってから、
「買い物の途中だ。俺は子守と荷物持ちだがな」
 ケスラーは絶句した。ロイエンタール家の家庭の事情は酒の肴によく上るが、目撃したのはこれが初めてだった。
「奥方も一緒なのか?」
「当たり前だ。こんなところに俺が好きこのんでくると思うか?」
「で、卿に荷物番と子守をさせて、奥方は買い物の途中なのか?」
 驚きのあまり、敬語がすっかり抜け落ちてしまっていたのにケスラーは全く気づかなかった。
「そうだ」
 見れば、ロイエンタールの足下には夥しい数の紙袋が並んでいる。
「女の買い物は時間がかかるからな」
 女が十人いれば十人ともが美しいという美貌の持ち主、いや、男だって迷ってしまうくらいの魅惑的な彼の顔に、うっすらと浮かんだ人の悪い笑みを見て、ケスラーは我知らず身構えた。
「そういう卿は、なぜここにいる?」
「えっ、あ、私は・・・」
 ロイエンタールは恰好の退屈しのぎを見出し、内心ほくそ笑んだ。このケスラーという男は憲兵総監などという地位にありながら、男女間の事柄については結構ウブなのだ。一度酔った勢いでえげつない下ネタを口にし、どん引きされたこともある。
「卿もフラウの買い物につき合ってきたのだろう?」
 フラウという言葉に赤くなりながら、ケスラーはああ、と頷いた。この程度で赤くなるようで、夫婦としてやっていけているのか、他人事ながらロイエンタールは心配になった。
「で、フラウはどうした? 卿も邪魔にされたクチか?」
「いや、そうではないが、卿は邪魔にされたのか?」
 ふんっと自嘲気味に笑い、ロイエンタールは先ほどの光景を思い出していた。ミッターマイヤーなどに話せば頭ごなしにいなされるに違いない事柄だが、目の前の男ならわかってくれるかも知れない。なにせ、彼は20も年下の少女を妻にした中年男だったから。
「俺は自分が趣味がそんなに悪いとは思わないんだが、あの女め、二言目には悪趣味だとか、時代遅れだとか、ファッションがわからぬとか言うのだ」
「いや、自分も卿が趣味が悪いなどとは思わんよ。しかし、どちらかというと卿はきっちりとした、そのフォーマルな装いが多いだろう? 最近の若い女の子のファッションというのは、そうではないというか、何でもありというか………」
「ほほう、憲兵総監閣下は最近の若い女の子のファッションにも、お詳しいとお見うけする」
「いや、詳しいなんてことはない。マリーカが読んでいるファッション雑誌を見ただけだ」
「マリーカ嬢と、そのファッション雑誌とやらを一緒に読んでいるのか?」
「ああ。………、卿は見ないのか?」
ケスラーはその時のことを思い出したのか、赤くなりながら、年下ながらもこの道にかけては大先輩に尋ねた。
「見ない」
ロイエンタールは年上の初な僚友が、幼妻を膝にのせて雑誌を開いている光景を想像してしまった。それは、なかなかに背徳的なものだったので、ブンブンと頭を振った。
「ならば、卿はさぞかし的を射たアドバイスが言えたのだろうな」
ケスラーはロイエンタールの言葉に納得した。
「そんなものはせんさ。わかった。卿はさぞかし口出ししたのだろうな」
「………………、卿」
見上げてくるヘテロクロミアにドキリとしつつ、ケスラーは次の言葉を待った。すると、ロイエンタールは珍しく躊躇いがちに、
「卿、父親みたいだな、マリーカ嬢の」
と言った。ケスラーは嘆息した。
「よく言われるよ。先程の店員にも何度『お父様』と言われたことか。しかし、仕方あるまい。父親と娘ほどに年が離れているのは事実なのだから」
「そうか………。だが、親子ならば表面上は健全だからな。そこを突かれても痛くも痒くもないか」
「んん、まあそうだな」
「俺などは、いけないものを見るかのような目で見られる」
確か、一回り程の年齢差のある目の前の男の妻をケスラーは思い出した。パーティーなどで見る彼女は年よりも大人びて見えて、これも年よりは随分若く見えるロイエンタールとは、似合いのカップルであった。だが着るもの一つで女は変わる。マリーカと同い年のエルフリーデも、普段は少女なのだろう。
「いかがわしさは卿らの方が上だというのに、不条理だ」

暫くすると、ロイエンタールの腕の中の子供が目を覚ました。王宮でよく見かけるフェリックスも、父親といると幼く見えるのが微笑ましい。荷物を車に積みたいと言うロイエンタールに、手伝いを申し出てケスラーはあることに気づいた。
「これは、ほとんど子供服だな?」
ロイエンタールは片手にフェリックス、片手に紙袋を持ちケスラーの前を歩いている。
「ああ。結局何時も買うのは子供服ばかりなのだ。自分の物も買えばいいと何時も言っているんだがな」
ケスラーは前を行く一組の親子の背中を見た。結構いい家族をしてるんだな、と元漁色家の元帥を見直した。
その後、三人は人気の少ない喫茶店に入った。ロイエンタールはフェリックスにプリンを注文し、覚束無い手つきで食べさせている。ケスラーはコーヒーを啜り、そのほのぼのした光景を眺めていたが、ふと、この男に聞いてみたいことがあったのを思い出した。
「なあ、ロイエンタール元帥。もしも、妻に自分よりも年齢も近く相応しい男が現れたらどうする?」
ロイエンタールはちらりとケスラーを見て、すぐにフェリックスに視線を戻し、
「どうもしない」
と言った。
「どうもしない、か」
「そうだ。卿、結婚が恋愛感情の延長線上にあるとでも思っているのか? 結婚は覚悟だ。こいつと家庭を築いていくという決意だ。俺はあの女を妻にすることに決めたんだ。あの女だってそうだろう。間にどんな奴が入ろうとしても、無理なことだ」
「そうか、覚悟か」
覚悟ならある。ケスラーは晴れ晴れとした気持ちになった。彼女を幸せにするという決意も。
ーートゥルルル、トゥルルル……
ロイエンタールが顎をしゃくって、ケスラーの胸元を指した。
「フラウがお呼びだぞ」
荷物をもってもらったんだ、コーヒーくらいは奢らせろと言うロイエンタールに別れの挨拶をし、ケスラーは愛しい妻の元に急いだ。




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