Das Spielen mit Schnee(5)



「ファーレンハイト」
「はい、閣下」
目の前を先程のカップルの乗った橇が滑っていった。ファーレンハイトはロイエンタールの口から出てくるであろう叱責の言葉に身構えた。
「追え」
「……はい?」
「あやつらを追えと言っているのだ。あのような若造に舐められて、卿は平気でいられるのか?!」
「御意!」
恐らく最初に感じたのは、こんな敵愾心などではなかっただろう。しかし、この人はその感情を圧し殺したのだ、この子供じみた首謀者のために。
「閣下、要領は簡単です。私にあわせて体重移動してください」
ファーレンハイトは雪を蹴り、橇を走らせた。視線が低いので、スキー等よりもかなりスピードが出ているように感じる。慣れればそれが楽しくもあるのだが、こんな遊びが初めてであるロイエンタールは、橇にしがみつくように身体中に力が入っている。その背後から片手で腰を抱き寄せた。体が密着すれば、体重移動のタイミングも掴みやすくなるだろう。
ファーレンハイトはこの腕の中にロイエンタールがいる幸せを噛み締めていた。子供じみた馬鹿げた遊びに違いないが、これが己のためにファーレンハイトが心を砕いたものであるということを、ロイエンタールは口にも素振りにも出さないが理解している。そのファーレンハイトの思いを水泡に帰させぬために、暗い憤りを子供っぽい闘争心に置換してくださったのだ。優しさや甘さは人に突け込まれる隙を作る。類い稀な美貌と魅惑的なヘテロクロミアを持つロイエンタールにとっては、それは即ち弱味になる。
「もっと後ろに倒れるようにしてください」
素直に預けられた重みを受け止めながら、自分の前では無防備でいてほしいと思わずにはいられない。
「お上手です。見てください、若造めらが見えてきましたよ」
さらにスピードを上げると、みるみる前方の人影は大きくなってきた。わざと横をかするように追い越すと、後ろから悔し紛れの罵声がする。
「ククク・・・、何か言っていますね」
自らの大人げない振る舞いに、ファーレンハイトは無性に楽しくなった。ロイエンタールも同じだといい。
「フン、負け犬の遠吠えだ。言わせておけ」
随分橇に慣れたようで、滑りながら言葉を交わすことができるようになった。
「おい、二手に分かれているぞ」
「左側の林間コースに行きましょう」
ファーレンハイトは、事前に確認してきた地図を頭に思い浮かべた。
「このまま麓まで降りてしまいましょう」
二人を乗せた橇は、真新しい雪の上を滑りながら左手に入っていった。

「本当にこっちであっているのか?」
新雪が降り積もる小道を滑りつつ、ロイエンタールが先程から頭に浮かんでいた疑問を口にした。ファーレンハイトも轍一つ付いていないことにうっすらと不安を感じていたが、朝早いこともあり、こんなこともあるのかもしれないと自分を納得させていた。
「あっていると思うのですが・・・」
「不確かなのか? ならば止まれ」
「・・・・・・止まりません。大丈夫ですよ、このまま行きましょう」
珍しく焦ったロイエンタールの様子に、妙に気をよくしたファーレンハイトは、さらに勢いをつけた。

蛇行する小道の幾つ目かのカーブを曲がった時だった。巨大な倒木が進路を塞いでいるのが目に入った。
あっと言う間もないとは、まさしくこのことで、辛うじて正面衝突は避けたものの、倒木に乗り上げた衝撃に、ファーレンハイトは橇から振り落とされていた。文字どおり真っ白になった目の前の景色に、どちらが天か地かも分からぬほどだった。すぐに自分が雪の中に埋もれていることに気づき、ファーレンハイトは体の上に乗った雪を掻き分け地上に頭を出した。
「閣下! ロイエンタール提督!」
愛しい黒い影を探して周りを見るが、倒木に寄りかかるように転がっている橇があるだけだった。
「閣下……」
ファーレンハイトは全身が一瞬にして氷になった。今までどんな危機的な状況に陥っても、働き続けていた頭脳が動きを止めてしまっていた。
だから、的確にファーレンハイトを狙って飛んでくる雪玉に暫くの間気づけなかった。
「……………!?、!!」
子供の雪合戦でなら反則と言われること間違いないほどに硬く固められた雪の塊は、ひっくり返った橇から飛んでくる。ファーレンハイトは縺れる足を叱咤しつつ駆け寄ると、橇の下にロイエンタールの姿を認めた。
「遅い」
半分雪に埋まった橇を掘り返し、現れた愛しい人にすがりついた。
「よかった……ご無事で」
「無事でなどあるものか」
まだ何か文句を続けようとする口を口で塞いだ。唇の冷たさに反して絡めとった舌は熱い。雪の上に押し倒し覆い被さり、強く抱き締めた。愛しいこの
人がここにいることを感じるために。
いつまでも続きそうな抱擁に、ロイエンタールは辟易していた。ファーレンハイトから与えられる愛撫は何時だって気持ちはよいが、かといってこんなふうに雪の上で、感じやすい上顎を擽って何をしようというのだ。悴んだ手でファーレンハイトの肩を押すが、体重を乗せて力一杯抱き締めている男はピクリとも動かない。ロイエンタールは口腔内で好き勝手に動き回る舌先を、愛撫と間違われない程度に強く噛んだ。

倒木を乗り越えて先に進むことは諦めて、もと来た道を戻ることにした。足を痛めたと言うロイエンタールを橇に乗せ、ファーレンハイトがそれを曳いてなだらかな勾配を登っていった。その間、「あのような状況で盛るなど信じられぬ」とか、
「おかしいと感じた時点で止まれ。卿には慎重という言葉はないのか」や、
「俺は止まれと言ったときに、止まっていればこんなことにはならなかった」
「必要なときに引くことができぬようではダメだ」
「猪突猛進はビッテンフェルトだけで十分だ」、などなど。
ファーレンハイトは橇を引きながら、延々と続きそうなお小言に耳を傾けていた。所々でかなり耳の痛い内容が含まれるが、流麗に紡がれる美しい声は心地よい。そこに自分に対する甘えが感じられるから、なおさら気分はいい。普段からネチネチと嫌みを言われている、あの髭の男や小生意気な副官も、神妙な顔の下でこんな気持ちでいるのだろうと思うと、自分も彼等も、相当この人にいかれているな、と苦笑する。
ファーレンハイトが上の空でいることに気づいたのだろう、
「聞いているのか?!」
と言うロイエンタールは、二人乗りの橇にゆったりと寝そべるように乗っている。まるで、女王様とその馬車馬だな、などと下らないことを思い、返答に間が空くと、ファーレンハイトの後頭部に冷たい衝撃が走った。振り返ると、第二射を構えたロイエンタールがいた。
「雪合戦ですか?」
「卿が返事をしないからだ」
過たず顔面めがけて投げられた雪玉を、ファーレンハイトは身をよじってかわした。

戻りきってみると、二人が入り込んだ道端には「この先危険」の標示が雪を被っていた。
「おい、替われ」
元のコースに出てると、ロイエンタールが橇から降りてスッくと立ち上がった。
「足は?」
「ん? ああ、もう治った」
「……………。それで、何を交替するのですか?」
ロイエンタールはファーレンハイトを橇の前方に押しやった。
「今度は俺が後ろに乗る」
されるがままにしていると、背後からロイエンタールの足に挟み込まれた。
「行くぞ」
ゆっくり橇は滑り出した。
ファーレンハイトは背中に感じる温もりに、痺れるような擽ったさを感じていた。二人の関係で、仕掛けるのは大抵がファーレンハイトである。だからこんな風にロイエンタールに背後から抱き締められたことはない。しかし、この満たされた気持ちはなんだろう? 全てを委ねるような包まれるような、穏やかな心地よさは。
橇に任せて身体を後ろに倒すと、しっかりと抱き止められた。この安心感が二人の関係を特別なものに思わせてくれた。


〈続く〉


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