Das Spielen mit Schnee(2)



予定通り仕事納めを済ませたファーレンハイトは、昨晩のうちに用意しておいた荷物を持ち、ロイエンタールの本邸へと向かった。相変わらず豪奢な邸宅の門前で、呼び鈴をならす自分の姿が、全くこの景観に不似合いなことに苦笑した。路銀を使い果たし、篤志家の貴族に施しを受けようとするバックパッカーにすら見えるかもしれない。そんな馬鹿げたことを考えながら、インターフォン越しに誰何する声に来訪を告げると、すぐに門が開き迎え入れられた。
「お待ちしておりました、ファーレンハイト様」
広い玄関で彼を迎えたのは、顔見知りのいつもの老執事ではなかった。
「はじめまして。アーダベルト・フォン・ファーレンハイトです。ご主人にはいつもお世話になっています」
礼にのっとった挨拶をすると、自分と同じ頃合いの、老執事にどこか似通った人物が柔らかな笑顔で答えた。
「こちらこそ、主人がお世話になっていると父から聞いております。ご挨拶が遅れました。私、ハンス・マリウス・ワグナーと申します」
ワグナーは老執事の子だと言うことだ。所用で出掛けた父親に代わって屋敷を預かっているということだった。
「どちらに行かれるのか、お尋ねしても宜しいですか?」
物腰柔らかく聞かれて、ファーレンハイトは自分のいたらなさにはっとした。どこに連れて行かれるかわからないまま、主人を送り出すことなど、主家を預かるものとしてできないだろう。自分とロイエンタールの立場の違いを失念していた。
「これは、申し訳ない……」
ファーレンハイトは頭を下げ、これからの予定についてワグナーに説明した。聞き終えて、ワグナーはじっとファーレンハイトの顔を見詰めた。これは、二人の公にはできない関係に気付かれたかと、ファーレンハイトの心臓はドキリと跳ね上がった。そんなファーレンハイトの気持ちを知ってか知らずか、ワグナーは柔和に笑った。
「左様でございますか。それは楽しそうなご計画でございますね。オスカー様はそのような遊びとは縁遠く過ごされて来ましたので、きっとお喜びになるでしょう」
「そう思われますか?」
実は、ファーレンハイトは自分の思い付きが、自分の独りよがりなものではないかと内心危惧していたので、今のワグナーの言葉にホッと胸を撫で下ろした。
「ええ、ええ、それはもう。私もご一緒したいくらいですよ」
ファーレンハイトは、このワグナーという青年が、もしかしたら自分と同じような思いを抱いているのではと思った。それは、愛とか恋とか言うものではなく、名付けるならば、慈愛と言ったものだろうか。ともかく、ファーレンハイトは名前以外はこの青年にいたく好感を持った。それで、軽い気持ちでこう尋ねてみた。
「ご主人のご機嫌はいかがですか?」
ワグナーはクスリと笑った。
「ご機嫌は斜めでございます。どこに行くかもわからないのに、何を準備しろと言うのだと仰って……」
しまった、機嫌を損ねたかと、ファーレンハイトは自分でも顔色が青ざめたのがわかった。
「いえいえ、ご心配には及びません。本当にお嫌なら、最初からご用意などしようともなさいませんから」
ちょっと臍を曲げているだけだと言うワグナーに背中を押されて、ロイエンタールの待つ居間に向かった。

ロイエンタールは白いワイシャツの上に、襟つきのセーターを着ていた。暖かくしてという自分の言葉を覚えていてくれたのだ、と嬉しくなった。しかし、寛いだ格好とは異なり、随分不穏な空気を纏っている。さて、どう声を掛けたものかと思案していると、荷物を下げたワグナーが現れた。まるで、蛇とそれに睨まれた蛙のように向かい合う二人に、失笑しながら、ロイエンタールに用意を促した。
「さあ、早くお出掛けにならないと。汽車の時間もあるのでしょう?」
ロイエンタールの背後から、ダークグレーのダウンジャケットを着せかけながら、ファーレンハイトに向かってワグナーは言った。言われて気づき時計を確認すると、あまり余裕のない時間になっている。その様子を見たロイエンタールは、ワグナーからマフラーと荷物を受け取ると、さっさと玄関の方に出ていってしまった。ファーレンハイトも慌ててその後を追おうとしたが、ワグナーに呼び止められた。
「ファーレンハイト様、少し宜しいですか?」


人影疎らな一等車に二人は向き合って座っていた。目的地が行楽地なだけに、夜遅くに到着するこの汽車には空席が目立つ。それでも、二等や三等車両に行けば、若者のグループや家族連れもいるのだが、さすがにそのような場所に悪目立ちするロイエンタールを連れては行けないので、奮発してこのシートを予約しておいたのである。
ーー奮発して、か。
ファーレンハイトはそっとポケットを押さえた。そこには出掛ける間際にワグナーから手渡された物がある。確認せずとも中身はある程度の現金だと分かる。ワグナーは言わないが、おそらく出所はロイエンタールであろう。ファーレンハイトの体面を傷つけることなく、恩着せがましくもなく、ただ、世間離した主人を思う使用人の心遣いとしてそれは差し出された。今、珍しく好奇心を露に車内を見回すロイエンタールが、自分の懐具合を思いやってくれたことが嬉しくもあり情けなくもあったが、同時に二人の息の合った連携を思うと、奇妙な焼き餅が胸の中で膨らむのだった。
「ワグナー氏とはどのような方なのですか?」
唐突な問い掛けに、ロイエンタールは驚いたような顔をしたが、二人が対面したのか初めてだったことに気づき、ハンスのことかと話し出した。
「ハンスの母親が、幼い頃、俺の面倒を見てくれたのだ。言うなれば乳兄弟だ」
大貴族の子供が乳母に育てられることはよくあることなので、そこにロイエンタール家が抱える闇を見出だすことはできなかった。しかし、乳兄弟という言葉に、先程彼に嫉妬心を持った自分をファーレンハイトは恥ずかしく思った。
「良い人ですね」
名前以外は、とファーレンハイトは本心からそう思った。

汽車は次第に速度を落として走っていく。外はおそらく銀世界だろうが、生憎月もない夜である。車窓は鏡のように車内の二人を映し出している。ファーレンハイトはうたた寝しているロイエンタールの膝に、ダウンジャケットを掛けてやった。つい先程まで、軽食を摂りつつ今年一年を振り返り、軍事や政治についてあれこれと語り合っていたのだが、さすがに疲れが出たのだろう、口数が少なくなったと見ていると、うとうととし始めたのだった。
ファーレンハイトは眠るロイエンタールの顔をまじまじと見た。セーターと無造作に掻き上げられた髪が、ロイエンタールを歳よりも若く見せている。普段は幼さやあどけなさという言葉とは無縁な人だが、ファーレンハイトは敢えてそういう面を見たかった。今、目を閉じたロイエンタールには微かなあどけなさが、言い様のない色気と共に垣間見られる。ファーレンハイトは目を細め、手を伸ばし白い額にかかる案褐色の髪を、指先で横に流した。
ーー次に目を開けたとき、別世界に貴方はいるのです。現世のことなど暫し忘れてしまいましょう。満たされぬものがあるのなら、私がそれを満たして差し上げましょう。
髪に触れた指先で、そっと頬から顎のラインをなぞった。
ーー楽しみになさっていてください。
汽車は二人を載せて、闇の中雪山をゆっくりと登っていった。

〈続く〉


back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -