副官の心得(10)


時を同じくして、レッケンドルフも一般士官食堂で、艦隊の面々と昼食をとっていた。先程までのミーティングについて一頻り話した後、話題は彼等の上官に移っていった。
隣に座ったノールがツンツンと脇腹をつついた。
「ミーティングの折り、閣下の顔色が良くなっていて安心したのだが、卿、どんな魔法を使ったのだ? 後学のために教えてほしいな」
レッケンドルフは、軍服の上着のポケットから残りのカイロを取り出した。
「これですよ。お体が冷えていらっしゃったので、これで暖めていただいたのです」
ノールはカイロを受け取り、しげしげと眺めた後、堪えきれないように笑いだした。
「大したものだな、大尉。よくこれをあの人に付けさせたものだ! それにしても、あの人はこんな色消しなものを今貼り付けているのか」
「色消し・・・・・・?」
ノールは周囲の関心がこちらに向いていないことを確認すると、「誰かが言わねばならんことだと思うから」と前置きして、小声で話し始めた。
「閣下は昨晩女性と過ごしていらっしゃった。これはおそらく間違いない。行為の最中は暑かっただろうが、今朝はずいぶん冷え込んだからな。そのままお休みになって体を冷やされたのだろう」
レッケンドルフは今朝のことを思い出していた。心当たりのない番号の画面を消した通信は、あれはホテルか女性の部屋からのものだったのだ。あの黒い画面の向こう側での出来事を思い浮かべ、レッケンドルフは我知らず赤くなった。あの冷やかな美貌が、女性の前では優しく微笑んだりするのだろうか。何だかむず痒くなるような空想は、ノールの言葉に遮られた。
「大尉、大事なのはここからだ」
「はい・・・」
勢いに飲まれて頷くと、ノールはニマリと笑った。
「今の女性とは、遠からずお別れになるだろう」
「えっ? 何かあったのですか? その、不仲の噂などが……?」
「そんなものはない」
ノールはどう言うべきか暫く考えた後に、極めて単刀直入な表現をした。
「一言で言うと、女癖が悪いのだ、うちの閣下は。噂では次々に女を食っちゃ捨てしているとな」
「く、食っちゃ捨て?!」
「あくまでも噂だ。ま、当たらずとも遠からずだがな」
「………」
「しかしな。女の方も食われに寄ってくるんだ。閣下ばかりが悪い訳じゃない」
ノールの言葉は多分に閣下贔屓ではあるだろう。しかし、ロイエンタールのあの容姿ならば、十分にあり得ることだと思うのは、レッケンドルフも毒されてきたということだろうか。
「大尉は閣下の副官だ。一番近くでいるわけだし、私生活にも立ち入ることが出てくるだろう。今のことも、俺は知っておいた方がよいと思うのだ」
確かに、今朝のようなこともある。それに、ロイエンタールは若いながらも軍の高官だ。女性がらみのスキャンダルで足元を掬われるようなことがあってはならない。
「ありがとうございます。知ると知らないとでは対応がちがって参りましょう。教えていただけてよかったです」
畏まったレッケンドルフの返答に、ノールはいやいやと頭をかいた。
「過保護に過ぎるかも知れんが、俺たちにとって大切な人だ。頼んだぞ」
そう言い終えると、食事を済ませた艦長と共に、宙港に戻っていった。


士官食堂からロイエンタール艦隊に振り分けられた一角に戻る途中、レッケンドルフは信じられないものを見た。我が目を信用できなくて、目を擦っている姿を彼方が見つけたらしく、親しげに手をあげてレッケンドルフを指し招いた。
「レッケンドルフや、久しいな。艦隊など、慣れぬ所ではあろうが励んでおるか?」
「は、励んでおります」
ミュンヒハウゼンは、尊大に頷いた。彼が身に付けている将官軍服の威力は絶大だ。中身のない人間をもそれなりの人物に見せてしまう。
「ところで閣下、このようなところでいかかされたのですか?」
昼休みもじき終わる。ミュンヒハウゼンに本来の目的を早く思い出してもらい、解放されたかった。
「ほほう、卿には言っていなかったかな? 儂の愛しの君がここにおるでな。会いに来たのじゃ」
「愛しの君……」
レッケンドルフは頭から冷水を浴びせられたようなショックを受けた。愛しの君が会いに来ないから、自ら行動してこちらに来るなど、レッケンドルフが知っているミュンヒハウゼンにはあり得ないことだった。怠惰で無気力なこの人を突き動かす、ミュンヒハウゼンの思いの強さを見せつけられたような気がした。その、前向きな変化は、本来ならば喜ばしいことなのだが………。
「レッケンドルフ、卿の今の上官のところへ案内しておくれ」
レッケンドルフは瞬時に覚悟を決めた。
「ロイエンタール中将に何かご用ですか?」
「おや、卿には言っておらなんだかな? 儂の愛しの君はそのロイエンタール中将なのじゃ。あの瞳を見たであろう? わからなんだか?」
わからなかった自分の鈍感さを思い出すと、消え入りたくなる。しかし今それを気取られるわけにはいかない。自分はそれを知ったうえで、ミュンヒハウゼンの幻想を叩き潰さなければならない。
「いえ、お聞きしていた通りのご容姿でしたので、初めはそうかと思っていたのですが、近くお仕えしていると、どうも閣下の仰っていた愛しの君とは思えないのです」
「なに?清楚で可憐で儚げで、まるで白い百合のような………」
長い年月をかけて造り上げられた虚構のロイエンタールは、まるでお伽噺のお姫様だ。今のレッケンドルフには、あの人のどこをどう見れば、そんな夢が見られるのか不思議でたまらない。
「いえいえ、閣下。ロイエンタール中将はそれとは対極にいらっしゃる方です。傲岸不遜で我が儘で、どうしようもなく女性にだらしない方です。ミンネベルクには届いていませんでしたが、ここオーディンでは小さな子供までが知っている有名な話でございます」
「なんじゃと?!」
ミュンヒハウゼンは端から見て哀れなほどに動揺していた。
「そんな……。ではあの約束は、なんなのじゃ」
「さあ。小官はその場に居合わせておりませんので何とも申せませんが……」
ロイエンタールの拒絶を、あの美貌に血迷ったミュンヒハウゼンが、ねじ曲げに曲げて解釈したのだろうとまでは、さすがに言えなかった。
「しかも閣下。如何に美しいとはいえロイエンタール中将は立派な男性でいらっしゃいます。結婚をなどと訪ねていかれては、畏れながら笑い者にされること、必定でありましょう」
「ムウウ」
一声唸ったまま、動かなくなってしまった前の上官に、レッケンドルフはこれ以上ないほどの優しい微笑みを浮かべて言った。
「思いますに、閣下の御もとに、ロイエンタール中将の姿を借りた神の御使いがいらっしゃったのではないでしょうか? その時の閣下のご生活は、乱れに乱れていらしたのでしょう?」
近年ずいぶん信心深くなった、少々呆けも入り始めた老人を騙すことに、良心が咎めないといえば嘘になる。それでも今と前の上官のために、レッケンドルフは至極真面目な顔をして、人が聞けば噴飯ものの作り話を語った。
二人の側を通りかかった者たちは、突然の老人の叫び声に皆驚き、振り返った。
「なんという有難い神の御深慮よ! 救われたこの命、これからは貴方の御為に尽くさせていただこう!」
熱い涙を流す、狂信的な老人の背を抱き、レッケンドルフは車寄せまで見送った。ありがとうを繰り返すミュンヒハウゼンに、多少の罪悪感を感じながら、車内の人になった前の上官を見送った。
「ま、あの方にとっても、これが幸せさ」
レッケンドルフは時計を確認すると、今の上官のもとに急いだ。
〈続く〉


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