副官の心得(9) |
「ロイエンタール、新しい副官はどうだ?」 昼食を取りながら、ミッターマイヤーは妙に顔色のいいロイエンタールに尋ねた。親友の前の副官が心身症のために、任官直後に異動になった経緯を知っているだけに、気にかかっていたのだ。また、それがためにこの親友を悪く言う者もいて、ミッターマイヤーは密かに心を痛めていた。まあ、そんなことに頓着する奴ではないことは重々承知だが、彼にとって大切な友の悪口は、ミッターマイヤーは自分のことを言われる以上に腹立たしいことだった。 「悪くない」 「ほほう、なかなかの高評価じゃないか」 ロイエンタールはスプーンを口にを運ぶ手を止めて、フッと片頬だけで笑った。 「それに、なかなかの策士だ。俺を手玉に取ろうとする」 「卿を相手に、なかなか肝のすわった奴だな。だが、それほどの者でなければ、卿の副官は務まらんということか」 「そんなことはないさ」 「いやいや、きっとそうだ。得難い副官だ。大事にしろよ」 「俺はいつも部下を大事にしているつもりだ」 確かにそうだ。とりつく島もないような顔をしながら、一度懐に入れた者はとことん大事にする。それに応えようと部下たちの団結力も強いのが、ロイエンタール艦隊の特色だ。しかし、司令官の高過ぎる要求に、自分の能力を超えていることを何とかしようとし過ぎて、駄目になる者が多いという側面もある。 「だとは思うが、逃げられたくなければ、我が儘は程々にしろよ」 「我が儘、ね」 冷笑を浮かべる金銀妖瞳に、ミッターマイヤーは今朝彼の部下たちがしていた噂話を思い出した。 『カリスマ的サディストに群がる、マゾヒスト集団』 真実はそうではないとミッターマイヤーは知っている。しかし、当の本人が誤解を受けるような言動を慎まない限り、ロイエンタールに対する偏見は止まないだろう。 「卿はともかく、卿の部下たちの名誉を損なうぞ」 「ん、そうか? ならば努力しよう」 他の意見もこう素直に聞いてくれればよいのに、と肩を竦めたミッターマイヤーは、そう言えば、と話題を変えた。 「卿は副官の経験があったな。ロイエンタール副官はさぞかし優秀だったんだろうな」 自分のことは余り語りたがらない親友だが、常々ミッターマイヤーは自分と出会う以前の話を聞いてみたいと思っていた。直截的に聞けばかわされるだろうが、今は絶好の機会ではなかろうか。 「外れだ。俺はいい副官ではなかった。だから今、こうしてここにいる」 「どう言うことだ?」 「俺が初めて副官を拝命したとき、俺の上官は俺に言ったのさ。『お前はなにもしなくてよい。ただ、自分の傍にあれ』とな」 「………」 傍にいろという命令が、この親友の場合は、言葉通りのものとは考えにくい。 「で、卿はその命に従ったのか?」 「まさか。そんなことをすれば、一生そいつの元で飼い殺しだ」 当時のことを思い出しているのか、ロイエンタールは薄ら笑いを浮かべた。ミッターマイヤーが余り見たくない親友の表情だ。 「で、その後は?」 「その後もう一度あったな。その時の上官は俺のすることなすことに一言挟んできて、煩わしかった」 「それは、卿の能力を妬んでいたからだろう」 「ふん。だろうが、そのお陰ですぐに厄介払いしてもらえた」 ミッターマイヤーはロイエンタールの口振りから感じた疑問を口にした。 「卿は副官をするのが嫌だったのか?」 「当然だ。あんな上官次第で、正当に評価もされない役職など、するもんじゃない。副官などをしていては、武勲も立てられないしな」 ミッターマイヤーは腕組みをした。 「しかし、俺はこの立場になってよくわかったが、副官というのは重要だぞ。司令官への情報は大抵副官経由で来るわけだし、その分析やら判断やらが必要だろうからな。また、平時であれば事務処理をしなくてはならんわけだ……」 くくっとロイエンタールが笑った。 「卿はデスクワークが苦手だからな。だが、卿の副官はある意味幸せだ。副官の重要性をわかっている上官に仕えているのだからな」 ミッターマイヤーは親友の言葉の、小さな引っ掛かりに気づいた。 「ある意味幸せというと、別の意味もあるというのか?」 「そうだ」 納得できないと童顔に描いた親友のために、食後のコーヒーを持ってこさせた。「卿の副官、アムスドルフとか言ったな。彼は自分の軍人としての将来性を卿に差し出して卿に仕えている。わからないか? 彼は彼の功績に見あっただけの階級を得ているか?」 「確かに、大尉と言うのは……」 「そして、これからも彼等は副官でいる限り目覚ましい武勲をたてることはない。彼等は司令官の補佐しかしないのだからな」 「補佐しかしない、ではないだろう。副官の補佐が無くては、司令官はその力を十分には発揮できない。いわば、司令官と副官は一体だ」 「そう、そこだ」 ミッターマイヤーは先を促すようにロイエンタールを見た。親友の色違いの瞳は珍しく柔和な色を湛えていた。 「共闘して武勲をたてたとしても、それはすべて司令官に帰すものさ」 ああ、わかったとミッターマイヤーは大きく頷いた。 「別の意味がわかった。なるほど、彼等は自身の軍人としての将来性を犠牲にして、補佐職に徹しているというわけか」 眉を寄せ何やら考え込もうとするミッターマイヤーを、ロイエンタールは好ましく思った。 「犠牲にしにてなどといっては、悲愴感がありすぎるな。だが、どちらにしても、副官は己を託した上官を通してしか己を発揮できない」 ミッターマイヤーはカップを置き、再び腕を組んだ。 「ならば、俺達は彼等の分も励まねばならんというわけだな。いや、副官だけではないな。俺達は多くの将兵の将来を委ねられている」 ああ、そうだなと相槌を打ちつつ、昼食時には似つかわしくない深刻な表情を浮かべるミッターマイヤーを見て、ロイエンタールは少しからかってやりたくなった。 「誰しも、副官などをやりたくて士官学校の門を潜ったのではない。だが、優秀な補佐官というのが必要なのもまた事実。そして、卿や俺はそれに恵まれているようだ」 飛躍した話題に、どのような意図があるのかとロイエンタールを見詰めるが、色違いの瞳はそれをはぐらかし、整いすぎた美貌は薄ら笑いを浮かべている。 「ならば、俺達は彼等が俺達を通して見ている夢が、自身のものであるかのような幻想を見させておいてやらねばなるまい。あるいは」 「あるいは?」 「余計なことをうだうだと考える暇を与えぬように、忙しくこき使うかだ」 ミッターマイヤーは呆れたように、両手をあげて見せた。 「では、卿の我が儘は、優秀な副官を忙殺し手元に留めておくための方便だと言いたいのか?!」 「逃げられないためには、多少の我が儘は仕方ないのだよ、ミッターマイヤー」 ミッターマイヤーは瞳を大きく見開いた。ロイエンタールの我が儘を諌めていたはずが、この天の邪鬼はそれを肯定する論法にすり替えてしまった。腹立たしさと多少の悔しさで、ミッターマイヤーは席を立った。 「程々にしておかなければ、共に見る夢も醒めてしまうぞと俺は言いたいんだ!」 ミッターマイヤーが口煩いのは、真にロイエンタールを案じてのことだ。それをわかっていてからかうような言動をこの親友はとるのだ。 「わかっているさ、程々にすればよいのだろう?」 慌てて取りなすように付け加えてきたが、本当にわかっているのかという、疑念は拭い得ない。 「俺とて奴を手放すつもりは毛頭ないのだ」 不敵な笑みを浮かべる金銀妖瞳を見て、あの噂は当分消えそうにないなと、ミッターマイヤーは心の中で溜め息をついた。 〈続く〉 |