副官の心得(8)



「薬は、飲みたくない」
ノールはこのことを言っていたのだと知った。軍医にも説得出来なかったのだ。他の者が飲ませることが出来るとは、思えない。レッケンドルフは先程のノールの様子を思い出した。もし、重大な病の可能性があるならば、あのように平然とはしていられないだろう。口ではロイエンタールを扱き下ろすようなことを言うが、その口ぶりには司令官への愛情が溢れているのだ。
「原因にお心当たりはございますか? 何か悪いものを食べられたとか、お召し物を着ずにお休みになられたとか」
スタッフルームでの会話を思い出して尋ねてみると、顔をしかめたままじっと見つめられた。何か気に障ったのかと様子を伺っていると、ロイエンタールが口を開いた。
「そんなことは今まで幾度もあったのだ。なぜ今日だけ」
「今朝は冷え込みがきつうございましたからね」
ということは、原因は冷えか。ならば温めるのが一番なのだが…。
レッケンドルフは鞄の中身を思い出した。前任地で使っていたままの鞄の中には、ミュンヒハウゼンの 要望に応えるための、様々なアイテムが入っている。腹を冷やされることはなかったが、腰痛を和らげるために用いた『あれ』は、まだ残っていただろう。
レッケンドルフは妙案を思い付いた。

「上着を脱いで下さい。さあさあ早く」
ついいつもの習い性で脱衣を手伝おうと、ロイエンタールの詰襟のホックに手を掛けた。
「何を!」
と、ロイエンタールは咎めるが、これが当たり前だと心得ているレッケンドルフは、次はベルトに手を伸ばした。
「早くお脱ぎ下さい。ミーティングまで時間がございませんよ」
「わかったから止めろ。服ぐらい自分で脱げる」
ロイエンタールはどうされるのかわからない不安を抱きながら、上着を脱いだ。それを受け取ってハンガーに掛け、レッケンドルフは鞄から出したものを手に、ロイエンタールに歩み寄った。窓から差し込む朝の日差しに、細身のシルエットが白いブラウスから艶かしく透けて見える。
「閣下……」
自然と痛む腹部に手を当てながら、迫り寄るレッケンドルフを見ていたロイエンタールは、まだ何があるのかと物問いたげな様子だ。
「閣下、アンダーシャツは着ていらっしゃらないのですか?」
「いかんか?」
レッケンドルフは溜め息をひとつついた。
「いけません。夏でも必要ですのに、このように寒くなってきた時分には、お召しになっていなければなりません。奥のお部屋に予備はございますか?」
わからないと言う上官に許可をとり、奥の仮眠室に探しに入った。続いて仮眠室に入ってきたロイエンタールに、クローゼットの場所を聞き出し、レッケンドルフは目的の物を見つけ出した。
「では、ブラウスも脱いで下さい」
もはや抵抗することの無益さを悟ったロイエンタールは、素直にブラウスを脱ぎ、手渡された卸したてのシャツを身につけた。
「あっ! ブラウスの前にこれをお付けください」
ブラウスを片手に持ったまま、レッケンドルフの手にあるものを受け取ると、ロイエンタールは眉をひそめた。
「これは何だ?」
「腹巻きです」
「………、これを俺に身につけろと卿は言うのか」
「はい」
ロイエンタールの秀麗な眉が、腹の痛みではない理由でしかめられた。暫く駱駝色の輪になった保温性の高そうな生地を睨み付けていたが、それをレッケンドルフに投げて返した。
「こんなもの、付けられるか! それに、それは誰かの着古しではないか!?」
「ミュンヒハウゼン閣下が一度お付けになりましたが、その後洗濯してあります」
とは言うものの、これは拒絶されるであろうことは折り込み済みだ。第一サイズが合わない。チラリと見えたロイエンタールのウエストは思いの外細く、肥満体型のミュンヒハウゼンの腹巻きなど二重にしても余るだろう。
「では閣下、せめてこれだけでもお貼り願えましょうか?」
次に差し出されたものを、渋々の体でロイエンタールは受け取った。
「カイロか」
「はい。貼るタイプでございますので、ブラウスの上から痛む辺りに……」
ハアァ、と深い溜め息の後、ロイエンタールはレッケンドルフに背中を向け、言われた通りにカイロを貼った。レッケンドルフはその背後にそっと忍び寄りもう一つのカイロをロイエンタールの背中に貼り付けた。意外に冷える背中を温めれば、身体中が温もるだろう。それに、あの位置ではご自分では剥がせない。
「お体が温まれば痛みも失せましょう」
ロイエンタールが何か言う前に、一礼するとさっさと仮眠室を出て行くことにした。

ミーティングは滞りなく進み、途中ロイエンタールが顔をしかめることも、席を立つこともなかった。血色の戻った白い顔を隣に見て、レッケンドルフもほっと一安心した。

〈続く〉


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