副官の心得(7)



レッケンドルフは、着の身着のまま官舎のベッドに転がっていた。自力で帰りついたのか、はたまた誰かが連れ帰ってくれたのか、記憶が戻らないのが不安だった。しかし、そんなことをくよくよ考えている時間はない。今朝は一度元帥府へ行き、地乗車を用意して閣下をお迎えにあがらなければならない。時計を見ると5時を回った頃。以前仕えていた閣下がお年のせいか目覚めが早く、そのためレッケンドルフにも早起きの癖がついていた。それが時差をものともせずレッケンドルフを目覚めさせたようだ。彼はシャワーを浴び、出勤の用意を整えた。さあ、出掛けるかという段になって、何かが部屋の中で鳴っていることに気づいた。
ーープルルルル、プルルルル、・・・・・・
冷蔵庫が開いているのか、火のつけっぱなしかと、部屋中を一通り確認したところで、漸くそれが官舎に備え付けの電話が鳴っているのだと気づいた。慌てて駆け寄り電話に出た。画像が出ないのは故障なのだろうか? 見慣れぬ番号にレッケンドルフは首をかしげて通話ボタンを押した。
「レッケンドルフです」
『ああ、まだ出ていなかったか。ロイエンタールだ』
レッケンドルフは驚き、暗いままのモニターに向かって敬礼した。
「おはようございます、閣下。今からお迎えにあがろうと思っていたところです」
『そのことだが、今日は迎えはよい。それだけだ』
「はっ」
用件だけ言うと電話はすぐに切れてしまった。


出勤するには早い時間であるが、レッケンドルフは出勤することにした。
スタッフルームにはまだ誰も来ていない。レッケンドルフは持ってきた荷物を片付けると、コンピュータを立ち上げた。まず、ロイエンタールの今日の予定を確認した。午前中に艦隊のミーティングが入っている。先日の試験航海の総括のようだ。会議室の予約は昨日ロイエンタールによって入れられている。
ーー昨日?!
レッケンドルフは頭を抱えたくなった。上官を働かせて自分は休暇をとるなど、あってはならない失態だ。
ふう、と大きく息をついた。してしまったことはどうしようもない。嫌味のひとつふたつは仕方がない、と覚悟を決め、会議室の下見にいくことにした。

レッケンドルフがスタッフルームに戻ってみると、昨晩一緒に飲んでいた面々が揃っていた。昨晩はどうもと、誰にともなく声をかけると、バルトハウザーが、いやいや構わんさと手を振った。おそらく酔い潰れた自分を官舎まで送り届けてくれたのは彼なのだろう。
「二日酔いの薬はいらんか?」
声のする方を見ると、スタッフルームに備え付けのソファーに、トリスタンの艦長とノール軍医がいた。
「大丈夫です」
「そうか、そうか。たいしたものだ」
含みのありそうなノールの言葉に、昨日迷惑をかけたのではと尋ねようとしたとき、スタッフルームの扉が開いた。
姿を現したロイエンタールに、全員立ち上がった。
「おはようございます、閣下」
「ああ、おはよう」
それだけ言うと、ロイエンタールは自らの執務室に入っていった。そのあとに続こうとするレッケンドルフをノールが呼び止めた。
「大尉、閣下の顔色だが、いつもより蒼白いように思ったのだがな」
「えっ。どこかお悪いのでしょうか?」
「さあ、酒臭くはなかったから二日酔いのではなさそうだ。お風邪か何かかな? どうせ昨夜は一汗かいた後、何も着ずにお休みになったのだろうしな」
艦長が顰めっ面でノールを睨み付けた。シュラーとバルトハウザーは、困ったふうに顔を見合わせている。
「裸でお休みに……」
「無垢な若者を困らせてやるな」
艦長がノールをたしなめるが、ノールにはノールの意見があるようだ。
「いやいや、艦長。副官殿には閣下の人となりというものを正しく知っておいてもらわねばならないと、俺は思う。どうせ遅かれ早かれバレるんだ」
「だからと言って……」
ロイエンタールにはレッケンドルフだけが知らない秘密があるようだが、それを今聞き出している場合ではない。ノールが気づいた閣下の不調を確かめなければならなかった。
「ノール少佐。必要ならば薬を頂けますか?」
レッケンドルフの言葉にノールは破顔した。
「ああ、いくらでもあげるよ。だが、飲んでくださるかな?」
レッケンドルフは気持ちを引き締めて、執務室の扉をノックした。

「閣下、昨日は申し訳ございませんでした」
「構わん。上官の気紛れにいつも付き合うこともない」
「はぁ」
叱責を覚悟いていたが、肩透かしを食ったようだった。ロイエンタールはレッケンドルフが今まで仕えてきた閣下とは、本質的に異なるものがあることを、再確認したような気がした。しかし、今はそんな感慨に浸っている場合ではない。ないが、直接尋ねて素直に返してくれる方とも思えない。レッケンドルフは少し様子をみることにした。
執務室内の副官用のデスクには、未整理の書類が山積みされていた。そこから、優先順位の高そうなものを選り抜いて、ロイエンタールに差し出した。書類を受け取りパラパラと確認したのち、小さく頷くのを見て、レッケンドルフは自分のデスクに戻り、残りの書類を分類し始めた。
しばらくして、レッケンドルフは小さな呻き声を聞いたような気がした。顔をあげてこの部屋の主を見ると、秀麗な眉をひそめて、長身を屈めている。ハッとしてレッケンドルフはロイエンタールに駆け寄った。
「閣下、いかがなさいました? 腹痛でいらっしゃいますか?」
ロイエンタールは蒼白い顔でレッケンドルフを見上げた。
「何ともない」
「!!」
以前の上官は殊更大袈裟な訴えをする人だった。それをいなすことには熟練していたが、明らかに異常を来しているにも関わらず、何もないと言い張る上官は初めてだった。レッケンドルフは考えた。ああそうですかと放っておけるほど、彼は無慈悲でもないし、ロイエンタールはどうでもいい上官でもない。とにかく何とかして差し上げなければ。レッケンドルフはこの上官の意地っ張りで見栄っ張りな性格を、逆手にとることにした。
「閣下、まもなくミーティングがございます。その時に今のようなことがございましたら、皆が心配するでしょう。まして本日は軍医のノール少佐もおられます。そうなっては隠しようもございませんし、況してや、ミーティングの最中に席を立たれるようなことがあっては…」
レッケンドルフはロイエンタールの様子を観察した。稀有な瞳が微かに揺れるのを確かに見たような気がした。
「体の不調を抱えたままでは、よい判断もお出来になりますまい」
再び痛みが来たのか、ロイエンタールはぎゅっと目を瞑った。もう一押しだ。
「今は小官しかおりません。………お腹が痛まれるのですね?」

〈続く〉


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