副官の心得(5)



朝食を終えて艦橋に上がってきたロイエンタールは、副官室のモニターが点きっぱなしなことに気づいた。よく見るまでもなく、そこには昨晩にはなかったものが出来ている。
ロイエンタールは当直の士官を呼んだ。
「副官室のモニターは、昨晩点いていたか?」
「はい、一晩中点いておりました」
画面は忙しなく切り替えられている。暫くそれを見ていると、ロイエンタールは画面の向こうにいるレッケンドルフに、立ち塞がる壁を見た。
「奴は食事を摂っているのか?」
摂っていないと思いますと言う当直士官に命じて、レッケンドルフの食事を用意させた。
「出来た食事は、そのまま副官室に持って行かせますか?」
ロイエンタールはパネルをちらりと見た。
「いや、いい。俺が持っていく」

コンコンコン。
軽やかな扉を叩く音に、レッケンドルフは思案の淵に沈んでいた意識を浮上させた。しかし、前ほどまで数字で埋め尽くされていた頭はすぐには現実に対応出来なかった。扉を開けて現れた人の姿をどこかぼんやりとして見た。そして、そこにトレーを下げたロイエンタールを認めて慌てふためいた。取り乱すレッケンドルフをよそに、トレーを机に置いた司令官は、彼に食事を取るように言った。レッケンドルフは弾かれたように立ち上がり、トレーが置かれた席に移った。湯気をたてるスープや艶やかなソーセージ。食事時には随分外れた時間だった。わざわざ自分のために作らせてくださったのかと思うと、嬉しさと申し訳ない気持ちで胸が一杯になった。
「食えよ。ここで倒れられたらかなわんからな。それとも給仕が不満か」
今まで彼が座っていた椅子に腰掛け、ロイエンタールはからかうように特徴的な金銀妖瞳を向けてくる。その鮮やかなコントラストに目を奪われ、そう言えば、こうして閣下にまともに向き合ったのは、これが初めてだと思った。ロイエンタールが作業中のモニターに目を向けたのをいいことに、レッケンドルフはその姿を凝視した。この方が自分の上官なのだという実感が、この上ない喜びを伴って湧き出てくる。
「冷めるぞ、早く食え」
呆れたような上官に急かされ、レッケンドルフは漸くフォークを手にした。


「大分変わったな」
レッケンドルフが食事を終えるのを待って、ロイエンタールは言った。レッケンドルフは席を立ちロイエンタールの背後に回ると、後ろから手を伸ばしコンピュータを操作した。至近距離にあるロイエンタールから香る良い匂いに鼻をくすぐられながら、大まかな変更点を示した。
補給基地に勤務していると、寄港する艦隊に対する不満がレッケンドルフに募っていた。腹を空かせた艦隊を基地にいれさえすれば、お腹一杯にしてくれるなどという、都合のいいことを考えている司令官のなんと多かったことか。補給をするにはそれなりの手続きが必要だし、物資が無尽蔵にあるわけでもない。その事務処理やら分配やらを、一手に背負わされてきた彼は、今まで艦隊に希望してきたことを今自分の手で構築しつつあった。
一通り説明を聞き終えたロイエンタールは、ううむと腕組みをした。モニターを見詰め何やら考え込んだ上官の口からどのような「評価」が下されるのかと、レッケンドルフは身構えた。しかし、ロイエンタールの口から出たのは、
「コーヒーを淹れてもらうか」
という言葉だった。レッケンドルフは初めて上官に捧げるコーヒーを淹れるために、給湯室に駆け込んだ。以前のミュンヒハウゼン閣下はお年のせいからか、コーヒーで胃を荒らしてしまうので、できるだけ薄くを心がけて淹れていた。しかし、ロイエンタール閣下は多忙なスケジュールをこなす最前線の司令官だ。そんな方がコーヒーに求めることは、喉の乾きを癒すためや、時間潰しのためではないだろう。
「どうぞ」
ミルクと砂糖を添えたが、ロイエンタールは何も入れずにカップを口に運んだ。以前の上官には、砂糖の摂りすぎを毎度注意しなければならなかったが、お若くてスマートなロイエンタール閣下にそんな心配は必要なさそうだ。久しぶりに淹れた普通のコーヒーだった。不安な面持ちで見守るレッケンドルフに、ロイエンタールは「卿も飲むといい」とだけ言った。

ロイエンタールは会心の笑みを浮かべていた。もちろん表面的には然程変わらない表情だったが。レッケンドルフの仕事は満足のいくものだった。こちらの意向を副官室のコンピュータに残されたデータから読み取り、さらに補給基地での経験を生かし、改良されている。艦長にはご老人を騙すようなことをしてと散々小言を言われたが、やはりこれは辺境の補給基地くんだりにはもったいない人材だったのだ。
ロイエンタールは新しいシートを立ち上げ、艦隊の編成図を呼び出した。着任したばかりのレッケンドルフには、この艦隊の編成がわかっていない。それがわかれば今取りかかっている作業も捗るはずだ。さらに、ポケットから取り出した手帳のページを一枚破り、スラスラと何か書き付けた。
「これをこの航海中に仕上げておけ」
「はい」
手渡されたメモを見ると、そこには手のかかりそうな案件が5つばかり並んでいた。この航海中ということは、あと3日、やって出来ないことはないだろうが…。
「そうだ、忘れていた」
副官室の出口で思い出したように振り向き、ニッと笑った。人の悪そうな、そのくせ蕩かされるような笑顔だ。
「今回の航海では、ワープ航行実験を行う。その間電気系統は使えんからそのつもりで」
言うだけのことを言うと、さっさと出ていった姿勢のいい後ろ姿が見えなくなって、レッケンドルフは我に返った。
ワープ航行? 何時から、何時間?
人使いの悪さだけではないものを感じた。肝心なことをを何も言わずに去っていった上官に、レッケンドルフは俄然闘志を掻き立てられた。

〈続く〉


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