副官の心得(2)



ロイエンタールは肩を落とした新しい副官の後ろ姿を見送ったあと、引き出しから一冊のファイルを取り出した。ペラペラと捲り目的のページを開くと、形のよい指先でトントンと叩いた。

『ミンネベルク補給基地 司令部副官』

ミンネベルク補給基地の司令官ミュンヒハウゼン中将は、爵位の高さだけで中将にまで上り詰めた、いわば、能無しの司令官だ。最近は60歳を前にして早くも耄碌してきたとの噂もある。しかし、ミンネベルク自体が機能不全に陥ったという話は聞かない。また、取り立てて有能な高級士官が輔弼しているという事実も見当たらない。ならば、司令官に成り代わり基地を切り盛りしてきたのは………。
「これだと思ったんだがな」
ロイエンタールは書類に貼付された、生真面目そうな男の顔を爪先で軽く弾いた。


レッケンドルフは昨日降り立ったばかりの軍港に、荷ほどきせぬままのスーツケースを下げて舞い戻ってきた。昨日と違うのは、ターミナルを経ずにドックに向かったことだ。建造中や点検中の艦船が多く係留されており、否や応にも心を躍らされる。
「あれが、我らが旗艦、『トリスタン』だ」
レッケンドルフを官舎経由でここまで連れてきてくれたバルトハウザー中佐が、彼らの前方に姿を現した一際大きな艦を指して言った。艦首部分に青の斜帯が施されたその艦は、流れるようなラインが印象的な優美な艦だった。
「何となく閣下に似ているとは思わないか?」
「え?」
レッケンドルフは改めてトリスタンを見、振り返ってバルトハウザーを見た。バルトハウザーは頬を紅潮させてトリスタンを見詰めている。その顔は誇らしげに輝いていて、ロイエンタール艦隊の提督や幕僚たちがロイエンタールに寄せる敬意と信頼と忠誠心の強さを垣間見た気がした。自らの才幹を生かして尊敬できる上官に仕えることのできる彼ら。
ーーそれに比べて私は……。
忍耐強さだけで務まるとは到底思えないロイエンタールの副官という職。なぜ自分なのだろう。艦隊勤務経験の豊富な副官なんて、探せば幾らでもいるだろうに。
単にくじ運が悪がったのだろうか。
レッケンドルフは不安でいっぱいいっぱいで、自分を完全に見失っていた。


トリスタンの艦橋に足を踏み入れたとたん、レッケンドルフをこの上ない緊張感と孤独感が襲った。それだけではなく、自らの存在意義を感じることができずに疎外感すら感じていた。そんな自分の立ち位置すらわからない彼に助け船を出したのは、他ならぬこの艦の主、ロイエンタールだった。
「早かったな、レッケンドルフ」
慌てて声のしたほうに駆け寄ると、ロイエンタールは指揮シートに座りパネルに向かって何やら作業をしていた。その手を止め、レッケンドルフをトリスタンの艦長に引き合わせた。
「卿がレッケンドルフ大尉か。閣下のこと、艦隊のこと、宜しく頼むぞ」
顔合わせが済んでしまうと、ロイエンタールは自分の仕事に掛かりっきりになり、レッケンドルフは所在無げにその姿を後ろから眺めていた。 軽やかにキーボードを叩き入力をしていく手際のよさに思わず見惚れていた。そしてふと我に返ったとき、レッケンドルフは気づいた。周囲を見回せば皆自分に割り振られた仕事を黙々とこなしている。自分だけだ、するべきことをしていないのは。レッケンドルフは小さく溜め息をついた。その溜め息を聞き咎めたわけではないだろうが、ロイエンタールが振り向きちらりとレッケンドルフを見た。しかし彼にはなんの言葉もなく、すぐに艦長に向き直り作業の進捗状況を確認した。艦長は短く返事をすると、艦内放送のスイッチを入れた。
「間もなく離陸する。各部署はデータを逐次艦橋に報告せよ」


トリスタンはまるでふわりと浮かぶように、オーディンの大気圏を突破した。宇宙空間に出ると、トリスタンは静かに息づき始め、艦橋のスクリーンは瞬くことのない星たちを映し出していた。
息つく暇もなく、オペレーター達が一斉に動き始めた。次々に読み上げられていく数値は、レッケンドルフにはまるで意味を成さないが、艦長と司令官たるロイエンタールは満足げに頷いている。

「おい」
艦橋の雰囲気に圧倒されていたレッケンドルフは、ロイエンタールの次の言葉にどん底に突き落とされた。
「いつまでそこでそうしているつもりだ。『鞄持ち』など俺は必要ではない」
「は、申し訳ございません」
弾かれるように立ち上がったレッケンドルフは、冷水を頭から浴びせられたような気持ちだった。「鞄持ち」とは役に立たない飾り物の副官を揶揄する言葉だ。レッケンドルフはふらつく足を叱咤して艦橋を後にした。

〈続く〉


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