副官の心得(1)



ーー487年
この年、帝国の歴史上最年少の元帥が誕生した。それにともない新しくローエングラム元帥府が開かれ、大規模な人事異動が行われた。 エミール・フォン・レッケンドルフもその煽りを受けた一人だった。
ーーロイエンタール中将の副官に任ず。
ロイエンタール中将と言えば、帝国軍において知らない者がない少壮気鋭の司令官だ。そんな優秀な前線指揮官の副官になぜ自分が、と異動を言い渡されてからずっと頭を悩ませていた。だが、我が儘な老い耄れ貴族のお守りをするよりは、何倍もやりがいのあることに違いない。レッケンドルフは士官学校を卒業したての候補生のような、新鮮な意欲を感じていた。
しかし、新設されたばかりの元帥府内を挨拶回りしているうちに、なぜ自分がという謎が解けたような気がした。
「ほう、君がレッケンドルフ大尉かね」
「あのミュンヒハウゼン中将に2年も仕えていたんだって?」
「忍耐強いと評判だぞ」
「卿にならあのロイエンタール中将の副官も務まるさ」
「ま、せいぜい頑張るんだな」
「副官はとっかえひっかえ出来ないことを、伝えてもらえるとありがたいんだが」
どうやら、ロイエンタール中将は優秀ではあるが、大変な性格破綻者なのだろう、あのミュンヒハウゼン中将と張る程度には。それも自分はすでに後任であるらしい。ローエングラム元帥府が開設されて僅か2カ月足らず。その間に前任者は愛想尽かしたのか尽かされたのか。いずれにせよ、忍耐強い、その一点で自分にこの役職が回ってきたことに違いない。あの無限地獄から抜け出せたと思ったら、また次の地獄か…。
最初の意気込みもどこへやら、挨拶回りさえ億劫になったレッケンドルフの足は、エレベーターの前で自然と歩みを止めてしまった。この先に彼を待ち構えて暗闇が口を開いているように思えてならなかった。
「乗るのか、乗らないのか?」
放心していたレッケンドルフは、突然の背後からの声に我に返った。振り返り視界にはいった将官の軍服に自然と体が動く。敬礼して声の主を見ると、そこにはまるでお伽噺から抜け出してきたような美丈夫が立っていた。レッケンドルフが初めて見る、本物の貴公子だ。
「申し訳ございません」
身を避けて入り口を空けた。貴公子はちらりとレッケンドルフを見て言った。
「卿は乗らないのか?」
「はっ」
直立不動の姿勢で答えた彼を、今度はジロリと見た貴公子は「ふん」と居丈高に小さく笑った。その時初めてレッケンドルフは貴公子の目が左右で色が違っていることに気づいた。
目の前で閉まったエレベーターの扉を見詰めたまま、レッケンドルフは暫く動けなかった。
「ヘテロクロミアのロイエンタール!?」
これから自分が仕える上官の渾名を思い出し、レッケンドルフは自分がひどい失態を犯したような、そんな気がした。


「エミール・フォン・レッケンドルフ大尉です。閣下の副官を拝命致しました」
背中に冷や汗をかきながらの型通りの挨拶を、先程の貴公子はニヤリと笑って受けた。
「オスカー・フォン・ロイエンタール中将だ。初めましてかな?」
「あ、いえ、先程は失礼致しました」
背中はもう汗でグッショリだ。
「俺の顔を見て俺と気付かぬような奴が副官とはな。介護ボケした士官を副官に送りつけてくるとは、俺は軍務省にそんなに嫌われているのかな?」
如何なる場合でも、上官の問い掛けに答えないなんてことがあってはならない。しかし、この時レッケンドルフは何も答えられなかった。情けないのか腹立たしいのか、それとも別の感情からかわからないものに両の拳を震わせながら、立ち尽くすしかなかった。
「まあよい。せいぜい励むことだな」
その言葉に弾かれたように姿勢を正したレッケンドルフは 、彼を見据えるヘテロクロミアの冷ややかさに背筋が凍る思いがした。


「そう気にせんことだ」
「そうだそうだ。閣下なりの歓迎の言葉だと思えばいい」
「はあ………」
スタッフルームの雰囲気は良かった。先任の幕僚の方々がレッケンドルフを励ましてくれた。しかし、あの言葉のどこをどうとれば歓迎の言葉と解釈できるのか、あの方に長くお仕えしていると、こちらの性格まで歪んでしまうのだろうか?
「ああ、そうだ大尉。午後から旗艦の試験航海に出発するんだが、卿も来るよな」
聞いていない、なんてことが許されるはずもない。
ーー試されている。
レッケンドルフの脳裏に先程の冷たい視線が甦った。
〈続く〉


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