ハイラート・ラプソディー 番外編(2)



ブラックジャック

ベルゲングリューンが風呂から上がると、待ちかねていたようにロイエンタールが声をかけていた。
「どうだ?」
どうだ?とはどういうことかと、ベルゲングリューンは髪から伝い落ちてくる滴を拭きながら、愛しい人の様子を観察した。
ロイエンタールはお気に入りの一人掛けのソファーに座り、着心地はやたらといいが、極めて趣味の悪い総柄の寝間着を着ている。レッケンドルフからの夫婦揃いでもらった結婚祝いだ。まだ閣下ならどんなものでも着こなしてしまうからよいが、俺はあんな派手な物は着られない。そして、センターテーブルにはよく冷やされたシャンパンとグラスが2脚、チーズとハム。
「御相伴にあずかります」
バスローブのまま、隣のソファーに腰を下ろした。クスクスと笑いながらロイエンタールがグラスに酒を注ぎ、手渡してくれる。
「これじゃないんだな」
ロイエンタールの言葉と調子を合わせるようにニャーとレーベンが鳴く。二組の金銀妖瞳に見つめられ、ドギマギしていると、レーベンがプイッと顔を背け、ロイエンタールの膝から飛び降り、部屋から出ていった。
「おまえ…、レーベンに嫌われるようなことをしたのか?」
「いえ…」
実は思い当たるとこのあるベルゲングリューンは、わざと話題を変えるようのロイエンタールに尋ねた。
「これでないなら、何なのです?」
「これだ」
ロイエンタールは左手に持っていたカードをテーブルに広げた。
そういえば、以前海鷲でポーカーに興じる閣下の姿をよく目にしたことを思い出した。
「ポーカーですか?」
ああ、と頷いたロイエンタールに、ベルゲングリューンは申し訳なさそうに言った。
「恥ずかしながら、ポーカーの役がよくわからないのです」
面白味のない奴だとは、士官学校時代から同級生や同僚から言われ続けていたことだ。面白味のない奴だ、もう少し遊べよと何度言われたことか。その度に、くだらない遊びに興じて貴重な時間と財産を無駄遣いしている彼らを、ベルゲングリューンは冷めた目で見てきた。そして、自分のすべてを仕事に打ち込んできた。端から見ればつまらない人生だと思われらか知れないが、このお陰で目の前の、この素晴らしい人を手に入れることができたのだ。彼としては自分のこの生き方に満足していた。
しかし、今大切な人の要求に応えられず、失望させてしまうのならば、少しは遊んでおくべきだったのか。
「またつまらんことを考えているな」
思考の海に沈んでいたベルゲングリューンは、ロイエンタールの言葉にふと我に返った。
「おおかたポーカーひとつも知らない自分を責めたりしているんだろう」
全てを見透かしたようにフフフと笑うロイエンタールに、ベルゲングリューンは生真面目に頷いた。
「申し訳ありません」
「何を謝る。そうだな、知らない方がおまえらしいか…」
馴れた手つきでカードをきりながら、ロイエンタールは小首を傾げた。どうやら、どうしても今晩はカードで遊びたいようだ。
「ババ抜きや7並べなら子供の頃よくやりましたが…」
「……………二人でやってもおもしろくなかろう。そうだ、ブラックジャックなら分かるだろう?」
要は数字を21にすればいいんだ、と、手ほどきを受けながら何度かゲームを繰り返した。何となくルールがわかり始めた頃合いを見計らったようにロイエンタールが言った。
「さて、何を賭ける?」
「賭け……るのですか?」
「賭けねば面白くないだろう?」
ベルゲングリューンは海鷲で見た真剣勝負そのものの光景を思い出していた。
「何を賭けていらっしゃったのですか?」
「んん? ああ、その日の飲み代が多かったかな」
ロイエンタールの懐具合を考えれば、飲み代程度など痛くも痒くもないだろうが、賭けるということ自体に意味があったのだろう。しかし、二人の間で賭けるものなどあるだろうか? そのことをロイエンタールに言うと、確かにと、はたと困った顔をした。共に暮らし、仕事も二人三脚のような二人である。何を賭けても結局は二人のものであるはずなのだ。
ベルゲングリューンはいつもの癖で顎髭に手をやって考えていた。それを見たロイエンタールがにんまりと笑ったのを見て、またなにかよくないことを思い付きなさったなと、心に黄色信号が点滅するのを感じた。
「そうだ。俺が勝ったらその髭を剃れ」
それは賭けでなくて罰ゲームでは、と思いつつも、続けられたロイエンタールの言葉に知らず知らず顔が弛んだ。
「髭のないベルゲングリューンを、一度見てみたい」
愛しい人が自分に興味を持ってくれることを、嬉しく思わない男などいない。しかし、少ししてから最愛の人の顔に人の悪い笑みを見つけてしまった。おそらく閣下は勝ったつもりでいる。そして、髭のない自分が総督府でからかわれ、あたふたすることを期待しているのだ。
――あなたがそのつもりなら、私にも考えがありますぞ。
「わかりました。髭なら十日もすればもとに戻るでしょうから。では閣下、私が勝てば私の言うことを聞いてくださいますか?」
ロイエンタールはベルゲングリューンの言葉に少し構えたが、負ける気はないので頷いた。
「私はあなたの乱れる姿が見たい」
「それは……おまえの手管次第だろう?」
「いえ、いつも乱れてはいただいておりますが、そうではなく、見たいのです」
理解が追いつかないように眉をひそめるロイエンタールに、ベルゲングリューンは重ねて言った。
「私が勝てば、ここで私に抱かれてください」
無意識なのだろうが、ロイエンタールは絶頂に上り詰めるとき顔を隠そうとする。
「あなたが私の髭のない顔を見たいのと同様に、私はあなたのイクときの顔が見たいのです」
ゲームはロイエンタールが望んだ通りの真剣勝負の様相を見せ始めた。しかし、相手は素人だ。負ける気はしなかった。髭のないベルゲングリューンを想像し、意地の悪い笑みを溢した。
ロイエンタールは失念していた。
この世には、ビギナーズラックという言葉があることを。


レッケンドルフの受難(その2)

誰もいないオフィスで一人、レッケンドルフは立ち尽くしていた。明日の朝イチで各署に回す書類に漏れがあったのだ。明日閣下が来られてから決裁し直してもらっても、間に合うかもしれないが、そんな危ない橋を渡るような仕事のしかたは、彼の信条に反していた。時計を見るとまだまだそう遅い時間でもない。先日シュナウザー氏の件で伺った時より、少し早い時間帯でもある。レッケンドルフは書類を鞄に詰め込み、ロイエンタール邸に急いだ。

先日のこともあり、ワグナーに断りをいれると一人で私室に向かった。まだお休みにはなっていないと思うというワグナーの言葉に後押しされて、私室の前まで来てみると、重厚な扉から暗い廊下に光が漏れ出ていた。見れば扉が15センチほど開いたままになっている。これはまだ閣下が起きていらっしゃる証拠と、勇んで駆け寄り扉のノブに手をかけた。
「んん……あぁ」
部屋から漏れ聞こえた声に、レッケンドルフは動けなくなってしまった。扉の隙間からそおっと覗くと、そこに人影はなかった。しかし、こちらに背を向けているソファーの下に落ちている物は、自分が閣下にプレゼントしたナイトウェアだ。
「隠さないと…約束…ですぞ」
途切れ途切れに聞こえる掠れた声は、紛れもなくベルゲングリューン。ならば、切なげな息づかいは………閣下のものか?!
「ハア…ハア…あぁ」
ロイエンタールの艶やかな喘ぎ声に心を奪われていたレッケンドルフは、足元に忍び寄る影に気付くのが遅れた。
「ニャー」
「ひっ」
黒猫がレッケンドルフを見上げていた。見つめられ上官の情事を覗き見する疚しさを思い出したレッケンドルフは、訪問の目的も忘れ一目散に退散した。
次の朝、何とか時間ぎりぎりにサインをもらえたレッケンドルフだったが、その日は普段の彼には考えられないほどのミスを繰り返し、ロイエンタールのお小言をたっぷりともらったのだった。


家族のかたち

ーー勝利と女は向こうからやって来る。
はずだった。
「閣下、こちらへ」
ベルゲングリューンに手を引かれ、3人掛けのソファーに押し倒された。
「本当にここでやるのか?」
「あの賭けをなかったことになさいますか?」
ロイエンタールの性格からそんなことができるはずもなく、煌々と照らす灯りの元で、すっかり裸にされてしまった。
感じやすい体が、今日は見られていることを意識するからか、なかなか熱くならない。ベルゲングリューンはしっかりと愛する人の顔を見つめながら、両手でロイエンタールの前と後ろを同時に攻め立てた。
「はん…あぁ」
ようやく甘い声が上がり始めたが、ロイエンタールはいつものように顔を隠すかのように身を捩った。
「隠さないとの約束のですぞ」
思っている以上に自分の声が上擦っていて、ベルゲングリューンは自分の余裕のなさを自覚した。もう十分に熱を帯びた窄まりに、いつも以上に反り返った己を宛がい、一気に突き上げた。
「んっ、ああ!」
両手でロイエンタールの両腕を拘束し、瞬きもせずに激しく喘ぐ顔を見つめた。白い頬や首筋が桜色に染まり、息も絶え絶えになっている。浅く忙しない息遣いが絶頂の近いことを示している。
「はぁ、んん、ああぁ」
小さく叫び声をあげてロイエンタールは達した。その恍惚として妖艶な表情をベルゲングリューンはしっかりと目に焼き付けたあと、彼の理性は吹き飛んだ。気づけばいつものようにロイエンタールの首筋に顔を埋め、弾む呼吸を整えていた。
「ニャーン」
ーーまた来たか・・・。
いつ来たのか、レーベンがソファーに前肢を掛け目を瞑り余韻に浸っている目元や口許をペロペロと舐めている。いつものように追い払おうと身動ぎしたとき、ベルゲングリューンの下から、静かに制止する声がした。
「レーベンを邪険にしてやるな」
気だるげに持ち上げた左手で、レーベンの顎の下を擽った。
「レーベンは俺がおまえに苛められていると思って、慰めてくれているんだ」
「そうでしょうか・・・」
ベルゲングリューンもレーベンに手を伸ばしたが、プイッと避けられた。
「私にはあなたとこうしている私に、嫉妬しているように思えます」
猫と張り合うなよとフフっと笑ったロイエンタールは、そのまま穏やかに言葉を紡いだ。
「俺も、レーベンも、おまえに拾われたんだ。家庭というものを知らない俺たちに、おまえは家族を作ってくれた」
「二人と一匹の家族、ですか・・・」
ベルゲングリューンは自分の下敷きになったままの唯一無二の存在をひしっと抱き締めた。そして、手を伸ばして逃げようとするレーベンを捕らえ、腕の中に閉じ込めた。嫌がるレーベンが彼の腕に爪を立てたが、そんなことには構わずに一人と一匹を抱き締めた。


<おしまい>


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