ハイラート・ラプソディー 番外編(1)



レッケンドルフの受難(その1)

レッケンドルフは目を通していた書類からそっと視線をはずし、目の前の二人を盗み見た。ロイエンタールとベルゲングリューンが何やら話をしている。おそらく、ロイエンタールがこれから手をつけようとしている駐留艦隊の再編成に関わる事柄だろうとは、想像に難くないが、そんなことはレッケンドルフにはどうだってよかった。
二人が新婚旅行から戻ってきて一月ほど経った。以前と何かが変わることを密かに楽しみにしていたレッケンドルフの期待は、見事に裏切られて今に至っている。普段のポーカーフェイスぶりをよくわかっているので、閣下についてはさもありなんとは思っていたが、あの、ベルゲングリューンまでもとは予想外だった。
ーーこのお二人は、いったいどんな新婚生活を送ってらっしゃるのか・・・。
まさか、閣下に直接聞くこともできず、レッケンドルフの好奇心はウズウズ
していた。

「レッケンドルフ大佐・・・」
帰り支度をはじめていた彼に声を掛けたのは、見慣れない青年だった。
「あ、私は財務省のシュナウザーと申します。実は、大佐にお願いがあって参ったのですが・・・」
シュナウザー氏はウッカリ屋のようで、明日に執行しなければならない予算の書類の決済を、忘れていたらしい。大慌てで所属長や民事長官に書類を回してきたが、総督のサインをもらい損ねてしまったのだという。
「ロイエンタール閣下は、本日はもうご帰宅なさいましたよ」
「それはあちらでもお聞きいたしました」
泣きの入ったシュナウザーは、レッケンドルフにすがり付かんばかりにして懇願した。
「レッケンドルフ大佐のお力で、総督閣下にサインをいただきたいのです!」
手渡された書類にざっと目を通してみた。確かに期日は明日にはなっているが、取り立てて急ぎの案件でもなさそうである。ウッカリ屋のシュナウザー氏とその監督すべき者が、民事長官にでもこってりと絞られるといい。普段のレッケンドルフならばそう判断しただろう。しかし、このときの彼は、自分でももて余すほどの好奇心を抱えていた。
「わかりました。今から閣下のお屋敷に伺ってまいりましょう」
彼は夜分にロイエンタールとベルゲングリューンの愛の巣を訪れるための、公然たる名目を手に入れたのだった。

前もって連絡を入れる必要を感じながらも、敢えてそれをせずに直接ロイエンタールの私邸を訪ねた。顔馴染みの執事ワグナーが、すでに二人は私室に引き払った後だと、困惑した様子で教えてくれた。主人のプライベートを邪魔することに抵抗があるのだろう。それでも緊急の御用でしたらと、先にたってレッケンドルフを主人の私室近くまで案内してくれた。
「ここまでで結構です」
公務が絡んでいるとわかっているワグナーは、レッケンドルフの申し出を疑いもなく受けた。まさか、新婚の二人の様子をちょっと垣間見るためだとは思いもしなかっただろう。立ち去るワグナーの後ろ姿にちょっぴり罪悪感を覚えながらも、少し先にある扉に逸る気持ちは抑えられなかった。
足音を忍ばして扉にピタリと張り付き、中の様子に全神経を集中させた。重厚な扉を通して、二人の声が聞こえる。
ーー何を話していらっしゃるのだろう?
甘い睦言ならいいなと、さらに扉に寄りかかったとき、ふとその扉が内から開けられた。
「レッケンドルフ?! 何をしている?」
髭面一杯に驚きの表情を浮かべたベルゲングリューンが立っていた。
「実は・・・」
シュナウザーから託された書類を手渡しながら、中の様子を伺うと、ソファーに寛ぐロイエンタールの姿が見えた。部屋着には着替えているが、服装に乱れた様子は見られない。
ベルゲングリューンから書類を受け取ったロイエンタールは、ざっと目を通すと、ベルゲングリューンに手渡されたペンでスラスラとサインをした。
手元に戻ってきた全てが整った書類を、レッケンドルフは本来の目的を果たせぬまま確認した。
「はあぁ・・・」
思わず出てしまったため息を残して退出しようとしたとき、背後からロイエンタールの声がかかった。
「そうだ、レッケンドルフ。卿からも言ってやってくれ」
「?」
「例の艦隊の再編のことだ。旧同盟軍の残存部隊を取り込むことについて、軍事査閲監督官は不満らしい。卿からノイエラントの人的資源の不足と人材配置の改善の必要性について、こいつに説明してやってくれ」
「はあ」
レッケンドルフは振り返って二人を見た。実は、レッケンドルフはこの件について、ロイエンタールからもベルゲングリューンからも相談を受けていた。ロイエンタールからの相談、いや、こちらは愚痴といった方が正確だが、は、ベルゲングリューンが今回の再編について何やら不満がありそうなのだが、その不満が
何なのかわからというもの。ベルゲングリューンからは、反乱軍の残存部隊が、取り立てて目立った武功のない自分に従うだろうかという不安だった。
――閣下からすれば、査閲官の能力を認めていらっしゃるから、査閲官の不安がわからないし、査閲官はご自分を過小評価していることに気付いていらっしゃらない。この溝が埋まらない限り、このすれ違いの議論は夜を徹して続くのだろうな。
レッケンドルフは先程とは違う意味で、大きく溜め息をついた。そして、新婚の二人の安穏な夜のために、一肌脱ぐことを決心したのだった。


二色の瞳

日曜日の朝、ベルゲングリューンは一人街に来ていた。目的などない。ただの気まぐれだ。
愛しい人は未だ深い眠りについている。普段から休日は朝寝をする人ではあったが、今朝の目覚めは特に遅くなるはずだ。昨晩は、正確には今朝明け方まで、自分の腕の中で喘いでいらっしゃったのだから。蕩けたように全身の力が抜けたあの方が堪らなく愛しくて、ついつい無理をさせてしまったのだ。
辛いのはベルゲングリューンも同様であるが、貴重な休日を寝て過ごすのが勿体なくて、こうして街に出てきた次第である。
気儘な足を人影も疎らな公園に向け、ハイネセン名物のフィッシュアンドチップスの屋台を見つけた。途端に腹がグーっと鳴った。朝食を用意してくれているだろうワグナーに悪いなと思いながらも、空腹には勝てず、コーヒーとホットドッグを頼んだ。
手渡された品物を手に、隣のベンチに腰を下ろそうとしたとき、ベルゲングリューンの耳に微かな物音が聞こえた。
「ニー」
「ん?」
キョロキョロとなにかを探す様子のベルゲングリューンに、屋台の店主がすぐ近くのダストボックスを指して教えてくれた。
「昨日はいなかったんで、多分夜のうちに捨てられたんでさ」
小さな開口部から中の様子はわからないが、確かに中から鳴き声は聞こえる。
「酷いもんですよ。命あるものを、まるでゴミのように」
ダストボックスには鍵が掛けられていた。
「家庭ゴミを持ち込む不届きものがいるんでさ」
そのために店主もなすすべがなかったようである。
ベルゲングリューンはいつも携行しているブラスターを懐から取り出した。驚く店主を後目に出力を最小にして、鍵を狙った。鍵は簡単に弾けとび、ベルゲングリューンはダストボックスの内かごを取り出した。
ゴミにまみれて痩せこけた仔猫が四匹、しかし、生きているのはそのうちの一匹だけだった。
「可哀想に」
店主が生き残りの一匹を拾い上げた。
「私んとこは生き物は飼えないんでさぁ。旦那、保健所に届けますかい?」
痩せこけた仔猫をベルゲングリューンは受け取った。艶のない黒い体を小刻みに震わせている。その小さな体を温めるように手で包み込むと、ニャーと鳴いて仔猫が目を開けた。
ベルゲングリューンはその目から目を離せなくなった。
「ヘテロクロミア…」
「ヘテロ? ああ、オッドアイですな。こりゃ珍しい。黒猫でオッドアイは滅多にないらしいですよ」
青い右目に金の左目。色は違えどその二色の瞳にベルゲングリューンは心を奪われた。


小さな闖入者

ベルゲングリューンが拾ってきた猫を見て、ロイエンタールは最初眉をひそめた。
「猫は家財を傷める」
といいつつも、ワグナーに綺麗に洗われた仔猫を抱き上げ、その青と金の目を見て、心底呆れたという表情をした。
「おまえ・・・。これは俺じゃないぞ」
しかし、仔猫が捨てられていた状況を説明すると、仔猫とベルゲングリューンを交互に見ながら、ここで飼う許可をロイエンタールは与えた。
「世話をするのはおまえたちだからな」
こうして、ロイエンタールによって「レーベン」と名付けられた仔猫は、家族の一員となった。
賢いレーベンはすぐにこの屋敷の主人がロイエンタールであることを見抜き、甘えるようになった。ロイエンタールも猫っ可愛がりに甘やかし、常にレーベンが行き来できるように、扉を締め切らないでいた。せっかくベルゲングリューンが居間にレーベンのベッドを用意してやったのだが、ロイエンタールが屋敷にいるときは、使われることはまったくなかった。

トサッと足元に暖かいものが跳びのってきた気配に、思わずベルゲングリューンは動きを止めた。足元を見るとそこには二色の光る瞳。クンクンと匂いを嗅いで主人の姿を探しているのだろう。レーベンの求める人は今はベルゲングリューンの体の下で、今夜何度目かの絶頂を目前にうち震えている。例え猫にでもこの時を邪魔されるのが許せないベルゲングリューンは、空いている手でレーベンを追い払った。「ナー」と不服そうに一鳴きし、レーベンはベッドから飛び降りた。
「ベルゲングリューン」
不意に呼び掛けられ、自分の顔のすぐ下の白い顔を見た。うっすらと開いた黒と青の瞳が彼を不満そうに見ていた。同時にロイエンタールの腹の中に埋めた己がキュッと締め付けられた。まるで、俺から気を逸らすなというように。
ベルゲングリューンはそんなロイエンタールに応えるために激しく腰を振った。共に限界が近いのがわかる。
「閣下・・・」
噛みつくような口付けとともに、ロイエンタールの物をしっかりと握りしめてやる。
「はぁっっんっ 」
耐えきれずに溢れる喘ぎを呑み込むように唇を貪った。ロイエンタールのきつく閉じられた目から、官能の涙が零れ、二人は果てた。
ロイエンタールの胎内に留まったまま、白い首筋に顔を埋めて余韻に浸っていたベルゲングリューンは、ふと今度は枕元に気配を感じ顔をあげた。いつのまにかレーベンがベッドに上がってきていた。喉をグルグル鳴らし、大好きなロイエンタールの顔に首を伸ばし、そして、あろうことかその目尻に溜まっていた涙をペロリと舐めた。
「こら!」
ベルゲングリューンはレーベンを押し退けた。そして、この小さな闖入者に宣言した。
「この人は俺のものだ。お前にはやらんからな」

<続く>



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