ハイラート・ラプソディー(3)



7.新婚旅行
ベルゲングリューンは、助手席で眠るロイエンタールをそっと見た。
ーー疲れていらっしゃるのだ。

半月前、恋人のキスを交わしたあの翌日から、ロイエンタールの帰りが遅くなった。あのときの自分の対応が不興を買ったのか、自分のけじめを優先するあまりに、大切な人の気持ちをなおざりにしてしまったのではないか、と不安な数日を過ごた。そんなとき、総督府で目の下に隈をつくったレッケンドルフと会ったのだった。
「どうしたのだ、その顔は?」
「ああ、査閲官殿。このところしばらくうちは不眠不休の状態ですので。どなたのせいでございましょうかね?」
慇懃無礼な物言いのレッケンドルフから聞き出したところ、ここ数日、実際総督室は目の回るような忙しさらしい。それが、総督たるロイエンタールがまとまった休暇をとることに起因していると聞いて、自分の迂闊さを呪った。ベルゲングリューンも自分の休暇のために、自分の仕事を前倒しにして処理しているが、それらが最終的にはすべて総督へと回るのだ。軍部からだけではない。おそらく民事長官からも・・・。
「すまない・・・」
生真面目に頭を下げたこの事態の原因の片割れに、レッケンドルフは眠たげに目をしばたかせて言った。
「別に、査閲官のためではありません。私たちは、今までろくに休暇もお取りにならずに勤めてこられた閣下のためにしていることです。それに・・・」
レッケンドルフは手招きでベルゲングリューンを、総督執務室に誘った。しぃっと人差し指を唇の前に立てて言った。
「珍しいお姿を見ることもできましたから」
重厚な扉を開けて中に入ると、ロイエンタールがデスクに突っ伏していた。
「閣下の寝顔など、拝見する機会はめったにございませんので、誰もお起こしする者がいないのですよ」
見れば、疲労の色を滲ませながらも、安らかにロイエンタールは眠っていた。ベルゲングリューンはその白い陶器のような頬を指の背でなぞるが、ロイエンタールが目を覚ます様子はない。
「いつまでも寝かせておくわけにもいくまい。どうするのだ?」
「あと10分しても、お目覚めにならなければお起こしいたします」
「あと10分か・・・」
ベルゲングリューンは時計を見た。自分も忙しい身である。あと10分ここで油を売る訳にもいかないが、この無防備な寝顔を自分以外の者が見ることが許せなかった。しがない独占欲だとは思う。しかし、これは、俺のものだ。
そんな彼の気持ちに気付いたのか、レッケンドルフは苦笑まじりに、
「それまで誰もここには入れませんよ」
と言った。

――もう、誰にもこの方の寝顔は見せたくないな。
むくむくと沸き起こる愛しさと独占欲を感じながら、ベルゲングリューンは愛しい人の肩に手を掛け揺すった。
「着きましたよ」
二人きりのハネムーンの始まりだ。


8.蕩けるような
ロイエンタールは柄にもなく落ち着かなかった。
ホテルに到着後、周辺を散策してから、湖畔に面したテラスで軽い夕食をとった。その間ずっと、ベルゲングリューンの碧の目が絡みつくようにロイエンタールを見ていた。今までは、こちらから見つめ返すと、つと逸らされていた目が、今日は一向に自分から離れない。
部屋に戻ってから先に風呂を勧められ、バスローブを纏い浴室から出てきて今に至る。自分と入れ替わりにシャワーを浴びているだろう男のことを考えると、どうしても落ちつかないのだった。
ロイエンタールは女とも男とも経験は豊富である。しかし、このシチュエーションは今までになかった。お互いの情欲の高まりと、雰囲気と勢い。そのどれもを欠く今の状態から、どのようにセックスに至るのだろう? それも、常日頃から自分の隣にいることに慣れてしまっているあの男と。
「閣下? いかがなされましたか?」
いつの間にか風呂から上がってきていたベルゲングリューンが、ロイエンタールの背後に立っていた。バスタオルを腰に巻いただけの姿で、窓際に佇むロイエンタールの傍らまできて立ち止まった。
「星を見ておいででしたか。 ああ、よく見えますな」
言われてはじめてそれに気づき、ロイエンタールも星空を見た。光害でハイネセン・ポリスからは星空を見ることなど叶わない。
「宇宙に行かれたいのですか?」
「ん?」
振り向くと、真剣な碧の目に見つめられていた。
「あなたの願いを、どんなことでも叶えて差し上げたい」
つと腰にてを回され、抱き締められた。
「愛しています」
ベルゲングリューンは、そう言うと物言いたげな唇に唇を重ね、そのまま傍らのベッドに愛しい人を横たえた。

「はっ・・・んん、あぁ・・・」
全身に隈無く施される唇と舌と指での愛撫に、ロイエンタールの口から堪えきれずに声が漏れる。それは、長らく禁欲状態にあったためなのか、相手がこの男だからなのか? おそらくその両方のためだろうが、ロイエンタールは無意識に両腕で顔を覆い隠していた。ローションを絡めた指で、ロイエンタールを拓きにかかっていたベルゲングリューンは、空いた手で片腕を退かそうとするが、ロイエンタールは固く目を瞑ったまま首を捩って顔を隠してしまう。晒された白い首筋にキスの雨を降らせながら、漸く解れてきた蕾に己の猛りを押し付けた。
ロイエンタールは、ゆっくりと自分の中に侵入してきたものを感じていた。それが奥へと進むにしたがって、自分の内部が意に反してゆっくりと蠢き始めたのがわかる。下腹部から這い上がるじんわりとした深い快感が、脳髄を痺れさせていく。同時に、今まで欠いていたものが埋め合わされるような、満たされるような、充足感を感じ、ロイエンタールに溜め息をつかせた。
「閣下・・・」
ベルゲングリューンは尚も顔を隠すもう片方の腕をそっと除けた。腕の下からは眉根を寄せてなにかに耐える美しい顔が現れた。固く閉ざされた瞼に口づけして、ふと、この瞼の下に誰かをーー自分ではない誰かを描いているのではと、不安になった。
ロイエンタールが、彼の僚友とそれ以上の関係を持っていたことを、ベルゲングリューンは知っていた。そして、ロイエンタールの孤独を感じるたびに、今は英霊となった彼の人の姿がベルゲングリューンに意識され、愚かしいと思いつつも嫉妬心に苛まれてきたのだ。
こうして自分の腕の下にいる今、あなたはいったい”誰”を感じているのだろう。
「閣下・・・」
もの問いたげな呼びかけに、ロイエンタールは目を開けた。昼と夜の空を嵌めた瞳が不安げな顔を写している。
ふっとロイエンタールが微笑んだ。すべてを赦すような受け入れるような、微笑みだった。
「ベルゲングリューン」
甘い声で名を呼び、ゆっくりと持ち上げられた両腕が、ベルゲングリューンの頭を抱き寄せた。抱き締められたその腕の中で、ベルゲングリューンは自分の中から嫉妬や不安が消えていくように感じた。今、この胸にあるのはただただ溢れるほどの愛しさ。そして、新たな願望ーー。
「ああ、閣下、閣下………」
私にとって、あなたが絶対であるように、あなたにとって私も唯一の存在になりたい。
快楽を追うためではなく、性欲を満たすためでもなく、互いの身体と心とを融け合わせるように身体を重ねた。蕩けるような行為は、ふたりの体力が尽きるまで続いた。

9. 誓い
夜毎の行為が過ぎるからか、食事のためを除いて、ロイエンタールは部屋から出たがらない。いや、夜の営みばかりでなく、新領土総督としての日頃の疲れのためかもしれないが、この三日間ホテルの一室に籠って過ごしていた。二人きりの時間に満足はしていたが、せっかくハイネセン屈指の避暑地に来ているのである。愛しい人にこの自然の空気を心ゆくまで味あわせてあげたい。それに、こうして二人で部屋にいると、ちょっとした仕種や表情に誘われて、明るいうちからついつい求めてしまう。我慢してきた時間が長いとはいえ、これでは新婚旅行の全ての時間をベッドで過ごしてしまうことになりかねない。こんなこと、レッケンドルフなどに知られては、どんなに冷やかされるかわかったものではない。
「あの・・・、閣下。少し出掛けませんか?」
「んん」
予想通りの気のない返事が返ってくる。気だるそうに見上げてくるヘテロクロミアに吸い寄せられそうになるのを必死に堪えて、今朝、コンシェルジュから聞いたことを、提案する。
「そこの川で釣りができるそうです。行ってみませんか?」
「釣り・・・、したことがない。おまえはできるのか?」
いつからか変わっていた二人称に、それだけで体が痺れるが、ここはグッと堪える。
「子供の頃にはよくやりました。教えてさしあげますから行きましょう」
ソファーで寝そべるロイエンタールの手を引き立ち上がらせる。ゆっくりと立ち上がったロイエンタールが着替え始めるのを見届けて、ベルゲングリューンはフロントに釣竿の用意を頼むため電話を掛けた。

川のせせらぎを聞きながら釣糸を垂らすのはベルゲングリューン一人。ロイエンタールはその傍らで部屋から持ち出した本を開いている。
――外に連れ出せただけでもよしとするか。
ベルゲングリューンは川面に浮かぶ浮きを見ていた。
釣果はあがらず、欠伸を噛み殺したベルゲングリューンの背中に、トンと何かが触れた。背中合わせにロイエンタールがもたれ掛かっていた。
「退屈させてしまいましたな。退屈させないとお約束いたしましたのに」
「退屈・・・、していない」
「え?」
「おまえと二人でいて、退屈と感じたことなどない」
「はあ」
なんと答えればいいのか言葉につまっていると、そんなことは意に介した様子もなく、ロイエンタールが言葉を続けた。
「聞きたいことがあるのだが」
接した背中からも、直接言葉が響く。
「なぜ結婚などしようと思ったのだ? 形にこだわるようなおまえではあるまい。恋人や愛人ではいけなかったのか?」
ベルゲングリューンはピクリともしない浮きを見つめた。
「形にこだわったわけではありませんが、ただ、あなたにとって特別な存在になりたかった。恋人や愛人なら、今までも沢山いらっしゃったでしょう?」
愛しい人に、今まであなたの上を通りすぎていってしまった者たちとは違うということを、二度とあなたを一人にしないということを、結婚という形で伝えたかった。
「あなたの伴侶として、ずっとお側にいたいのです」
「死ぬまで俺から離れぬのだな?」
もたれ掛かるように、背中に体重がかけられた。それをしっかりと受け止めながら、ベルゲングリューンは誓った。
「いいえ、永遠にあなたを一人にいたしません」
背中からロイエンタールが頷くのを感じた。

<了>




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