ハイラート・ラプソディー(2) |
5.恋人の時間 ロイエンタールの私室に足を踏み入れたとたん、少し前を歩いていたロイエンタールに、壁際に押さえつけられてしまった。両肩を掴まれ背は壁に押し当てられ、ベルゲングリューンは、自分より少し高い位置にあるヘテロクロミアを非難を込めて見つめた。 「閣下、こういうことは・・・」 いつものお小言を、ロイエンタールは人の悪い笑みで遮った。 「キスぐらい、恋人同士でもするだろう?」 確かにそうなのだが、その「キス」が「キスぐらい」で終われる自信がないのだ・・・。 碧の瞳が動揺するのを認め、ロイエンタールは内心クスクスと笑いながら、表面上は切なげな表情を装った。 「恋人の時間は、もうすぐ終わるんだぞ。恋人のキスを一度のせぬまま、結婚するつもりか?」 ベルゲングリューンから結婚の報告を受けたワグナーは、式の日取りを決めた。それが、今日から半月後であったのだ。 「恋人の・・・ですか」 「そうだ」 ヘテロクロミアから目を逸らし、何かを思案するような葛藤するような目になったベルゲングリューンに、隙ができた。それをロイエンタールは見逃さなかった。 「んっ・・・」 最初は軽くふれるだけのキスが、次第に深くなっていく。不意を突かれたベルゲングリューンは、壁に押しつけられたまま、されるがままになっていた。 ふと、キスが途切れ目を開けると、間近にロイエンタールの顔があった。伏せられた希有な瞳が、濡れた唇が、上気した頬が、ベルゲングリューンに火を点けた。 「閣下・・・」 掠れた声で呼びかけ、愛しい人の腕にかけた手に力を込め押し返した。先ほどまで自分を押さえつけていたとは思われないほど簡単に、ロイエンタールと体を入れ替えることができた。 壁に背を預けたロイエンタールからは、先ほどまでの余裕が消え去っていた。切なげに眉を少し寄せた表情は、おそらく無意識のもので、それがどれほど男を誘うものなのか、わかっていないに違いない。 「閣下・・・愛しています」 そっと唇を重ねた。優しいキスで終わるつもりが、一度ふれると離れがたく、気づかぬうちに舌を絡めあっていた。ベルゲングリューンの体の中で男心が暴れている。 突然、ロイエンタールの体から力が抜けた。崩れ落ちようとする腰をしっかりと抱きしめた。ベルゲングリューンの胸に顔を埋め、肩で息をするロイエンタールの髪を撫でながら、そっと囁いた。 「キスだけでは、すまなくなりますので、もうこのようなことは・・・」 からかうつもりの行為で、膝から力が抜けてしまった。 そっとその場に座らされ、ロイエンタールはばつが悪そうに顔を背けた。 「キスだけですませろと、俺は言っていない」 「私の中のけじめです。閣下、もうしばらくご辛抱ください」 ベルゲングリューンは、ロイエンタールの手を取り立ち上がらせた。 6.結婚式 「大礼服をご用意ください」と、式を取り仕切るワグナーに命じられ、ベルゲングリューンはどうしたものかと考えた。大礼服を一般の将校が着用する機会などほとんどなく、唯一の例外が自身の結婚式にほかならない。もちろん、ベルゲングリューンもそうなのだが、相手が相手だけに大手を振って貸し出しにいくこともできない。弱ったなと頭を抱える彼に、救いの手をさしのべたのが、レッケンドルフだった。彼は総督の副官として事務方の担当者に顔が利く。なんだかんだと理由を適当に付けて、持ち出すことに成功した。 その大礼服を身につけたベルゲングリューンは、今、ロイエンタール邸の広間にいる。隣には通常礼装を身につけたレッケンドルフがニタニタと笑いながらベルゲングリューンの姿を見ていた。 「よくお似合いですね。さすがは閣下の花婿殿です」 「似合っているかどうかはわからんが、これも卿の尽力の賜だ。感謝している」 「ところで・・・」 レッケンドルフは周囲を見回した。今日のこの二人の祝宴に招かれたのは、自分とエルスハイマー民事長官との二人きり。求める人の姿はここにはない。 「花嫁様はどちらにいらっしゃるのですか?」 「誰が花嫁だ」 声のする方を見上げると、二階からロイエンタールが降りてきているところだった。純白の、ところどころにシルバーグレイのあしらわれたフロックコートを身につけている。介添えのワグナーが満足そうにその姿を見ていた。貴族然としたロイエンタールの容貌には、クラシカルなその装いが実にしっくりと馴染んでいる。 「綺麗ですね。閣下!」 本日の主役を差し置いて、真っ先に賛辞を送ったレッケンドルフは、さすがにしまったと思ったのか、ベルゲングリューンにぺこりと頭を下げた。しかし、ベルゲングリューンはそん なことに全く気づいていなかった。周囲が見えないほどに、ロイエンタールの姿に惹きつけられていたのだ。 「閣下・・・」 なんと表現すればよいのかわからずに絶句する男に、ロイエンタールはいつもの人の悪い笑顔を作った。 「卿もよく似合っているぞ。馬子にも衣装というのかな?」 その後、ワグナーを進行役にし、結婚式は執り行われた。指輪の交換をし、感無量な感慨に浸っていると、外野から控え目な注文がつけられた。 「あの・・・、誓いのキスはなさらないのですか?」 確認するまでもなく、レッケンドルフだ。 ロイエンタールはベルゲングリューンを見た。この堅物がどう返事するのか、おそらくは「何を言うか」などと赤くなって取り乱して・・・。 「よろしいですか、閣下?」 やはり赤くなってはいるが、じっと目で問い掛けるベルゲングリューンは、今までになく堂々としていた。そんな、男の変化に気づき、ロイエンタールは無言で頷いた。 二の腕に手をかけ、顔が近づいてくる。目を閉じると優しく唇が押し付けられる感触があった。 触れるだけの、儀式めいた形式的なキス。 数秒にも満たないこのキスで、確かに何かが変化した。 目を開けると、そこには思い詰めた目をするベルゲングリューンがいた。ロイエンタールは思わず安心させるような笑みを口許に浮かべた。 腕にかけられた手が背中に回され、強く抱き締められた。 「愛しています。ずっとお側に・・・」 耳許に吐息とともに囁かれた言葉に小さく頷いた。 <続く> |