der Vampir



 ーー髪を切られたのか・・・。

 朝、遠目に彼の人の姿を認めたファーレンハイトは、その涼やかな姿から目が離せなくなった。ついつい、目で追いかけるのはいつものことだが、この日は気が付くと、魅入られたようにうっとりと見つめていることが何度もあった。
 ーー我ながらなんたる失態。これではまるで、恋い知り初めし少女のようではないか。
 あまりに自分にそぐわぬ想像に、思わず笑みがこぼれてしまう。
「何か良いことがございましたか?」
 副官のザンデルスが、上機嫌な上官に好奇心が刺激されたらしく尋ねてきた。
「ああ、あったさ、とびっきり素敵なことがな!」
 それは何かと、食い下がってきたが教えてなんてやらない。「内緒だよ」とウインクをし、彼の人のいる会議室に入った。

 自分より上位者であるロイエンタールは、常に彼の前に立つ。その均整のとれた姿を見ながら、軍服の下の魅惑的な肢体を思ったり、自分の腕の中で快感にうち震えるあの細身の背中に、自分たちは守られていることを再認識したりする。これでは、元帥閣下に対して不敬も甚だしいなとは思うものの、己にとっての唯一の存在がロイエンタールであるのだから、それも仕方ないかと自分に言い訳する。
 ファーレンハイトはロイエンタールの姿を舐めるように見つめた。やはりこの日は、艶やかな暗褐色の髪に目がいく。特に美しく切りそろえられた襟足に、今すぐにでも触れてみたい衝動に駆られた。詰襟から時折覗く白い項が、彼を誘っているように思えた。

 その夜、ロイエンタールを誘い出すことに成功し、ファーレンハイトは彼を自宅に招き入れた。いつもなら、部屋に入るや否や、口付けを求めそのままベッドに、という流れになることが多いが、この夜は、思うところがありソファーに案内した。
「まだ、飲み足りないのではありませんか?」
 キッチンに向かいながら声を掛けた。
「海鷲に入るな否や卿に連れ出されたのだ。足りているはずはなかろう」
「そうでしたか?」
「そうだった」
 決して不機嫌ではない声で返される、何気ない言葉にファーレンハイトは満たされるのを感じた。
 ロイエンタールのために用意していたボトルを出す。そう上等のものではないが、ロイエンタールの好みに合うと選んだ一品だ。
「ほう、なかなか趣味がいいではないか」
 目敏くラベルを認めたロイエンタールは、満足げにそう言うと、詰襟のホックを外し始めた。
 このソファーで寛ぐとき上着を脱ぐ。そんなことが二人の習慣になっていた。そのままソファーでことに及ぶ時も多いが、そうでなくても、この難しい男が自分の前で気を許す姿を見るのが好きだった。それに、今晩は別の思惑もある。
 ロイエンタールの上着を受け取り、ハンガーに掛けながら、そっと彼の人の様子を盗み見た。ソファーの背もたれの向こうに、ロイエンタールの肩から上の後ろ姿が見える。さっきまで、軍服の下に隠れていた襟足が露わになった。
「おい、栓抜きはないのか?・・・!」
 ファーレンハイトを振り返り、あまりにも彼が近くにいることにロイエンタールは驚いた。その表情を見て、ファーレンハイトも自分が意識せず、ソファーに引き寄せられていたことに気づき、苦笑いした。少し杯を重ねてから、と思っていたが、この状況では予定を変更せざるを得ない。
「髪を切られたのですね?」
「ああ」
 ロイエンタールは涼しくなった襟足に手をやり、
「少し切りすぎてしまった」
と、一人ごちた。
 ああ、それでと、ハーレンハイトは得心した。今までにも髪を切ったばかりのロイエンタールを何度も見たことがあったろうに、今日ほどその姿に惹かれたことはなかった。それはきっと、今日は今まで人目に付かなかったところが露わになっているからなのだ。
 ファーレンハイトはソファーの背もたれを挟んで、ロイエンタールの後ろ姿を抱きしめた。
「酒の飲むのではなかったのか」
 回された両腕に手を掛けて、抗議する白い項をペロリと舐めた。
「寝乱れる前に、あなたのここに触れたかった。少し飲んでからと思っていましたが、もう我慢できそうにありません」
 首筋に口づけたまま紡がれる少し掠れた声や、囁く唇の動きや項にかかる息づかいが、ロイエンタールの口から熱い溜息をこぼれさせた。前に回していた手を少しゆるめ、ブラウスのボタンを上から三つ外し、襟元をくつろげた。胸元に差し入れた左手で、尖り始めた乳首を愛撫しつつ、項や首筋に柔らかく唇を這わせ続ける。
 くすぐったいような痺れるような快感に、耐えきれずロイエンタール身を捩る。逃げようとする魅惑的なうなじに、ファーレンハイトはやんわりと歯をたてた。
「んっ・・・」
 鼻に抜けた甘い声に煽られて、噛みつく口元に思わず力が入る。
「ファーレンハイト・・・、歯をたてるな。跡が残る」
「ああ、申し訳ありません」
 非難の言葉に、さすがに我に返ったが、すでに白い肌に仄かに歯形が付いていた。その跡に唇を這わせると、くすぐったいのかクスッとロイエンタールが笑った。
「卿が、ヴァンピールだとは知らなかったな」
「では、あなたもわたしの眷属になってくださますか?」
 ファーレンハイトはソファーを乗り越え、ロイエンタールに覆い被さった。
 血を吸い血族にできぬまでも、体を繋げ一つに溶け合うために。
 
<了>


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