ガブリエルは誰に微笑む(3)


「結局それっきりさ。俺は後ろめたい気持ちを抱えたまま進級した。無事にAクラスに残れたところをみると、ラファエロ先生は大した減点をしなかったんだろう。その礼を言おうとしたんだが、先生はすでに講師を辞めていらっしゃった。新しい学年も始まり、忙しさに紛れてそんなことも忘れかけていたとき、先生から俺に荷物が届けられたんだ・・・」



 寮長に呼び出され手渡された包みの差出人を確認し、ビッテンフェルトは首を傾げた。
「これ・・・、何でしょうか?」
「さあ、何だろうな。ここで開けてみるか?」
 寮長も興味津々な様子でビッテンフェルトの手元をのぞき込む。差出人はラファエロ・ディッセルホルストーーラファエロ先生だった。ロイエンタールをモデルにできなかったことに対する恨み辛みが書かれた手紙、にしては物が大きすぎる。
「ありがとうございました」
 残念そうな寮長の視線を振り切って、ビッテンフェルトは寮長室を後にした。
「ああ、ここにいたのか!」
 出会い頭に声を掛けたのはワーレンだった。ビッテンフェルトが抱える小包に不審気な顔をしたが、すぐに何かを思い出したように話し始めた。
「聞いたか? あの去年まで士官学校にいたラファエロ先生の絵が、帝国芸術展に入賞したらしいぞ!」
 帝国芸術展といえば、そういう方面にとんと関心のないビッテンフェルトでも知っている。そこでの入賞となると、芸術家としてこれほどの名誉なこともないというものだ。
「へえ、凄いな! じゃあ、先生もこれで芸術家一本でやっていけるということか」
「そうだろうな。いや、そういう見込みというか、決意があったから士官学校を辞めたんじゃないのか?」
 もうすぐ受賞式が始まるから、と、ワーレンは談話室のモニターの前にビッテンフェルトを引っ張ってきた。そこには噂を聞きつけた多数のラファエロ先生の元教え子たちが集まっていた。
 受賞式はすぐに始まった。最優秀賞は逃したものの、若き芸術家の登竜門的な優秀賞を手渡されるラファエロは、士官学校で教えていたときよりも、自信に満ちあふれいきいきしていた。受賞作のタイトルは「受胎告知」。何でも地球時代の古い伝説を題材にしたものらしい。
 モニターにその作品が大写しされた。美しい天使が、これまた美しい女性になにやら告げている場面だ。驚いたように目を見開いたうら若き女性に、真摯な面もちで語り掛ける天使。
「・・・え? あれ・・・」
 モニターに釘付けになった多数の目は、一斉に窓際の一角に振り向けられた。そこには、いつものように一人本を読むロイエンタールがいた。そう、この顔だ。静かに愁いを帯びた、それでいて真摯な美しい顔・・・。
 人に見られることには鈍感なロイエンタールも、流石に気づいたらしい。怪訝な表情で顔を上げ、そして、問題の絵を見てしまった。唖然とした表情はすぐに怒りに変わった。目が合うと石にされるんじゃないかと思えるほどの鋭い視線は、ビッテンフェルトの上で止まった。やおら立ち上がったロイエンタールは、つかつかとビッテンフェルトの前に歩み寄ると、いきなり襟元を掴んだ。
「どういうことだ! 説明しろ!」
「違う! 俺は知らない。お前断っただろ? それから何も知らないって!」
 そうだ。確かに俺はラファエロ先生に、ロイエンタールに断られたことを伝えた。それで終わってたんじゃなかったのか?
「どうだかな! じゃあ、あれは何だ!」
「本当に、知らないって・・・」
 ビッテンフェルトの体を投げ飛ばすように手を離し、ロイエンタールは憤懣やるかたない様子で吐き捨てた。
「よりによって、どうして『ガブリエル』なんだ! くそっ!」
 そのまま大股で部屋に引き返すロイエンタールを引き留められる者は誰もいなかった。
 したがって周囲の関心はビッテンフェルトに向く。同級生に取り囲まれてビッテンフェルトはラファエロとの、結局はなしになった”勝負”や、”お願い”の話をした。
「そういえば・・・」
 取り囲んでいた中の一人が口を開いた。
「その後ぐらいのことかな? ラファエロ先生が凄い望遠レンズの付いたカメラを持って、彷徨いているのをみたことがあるぞ」
 俺も、俺も、とカメラを持ったラファエロを目撃した生徒は数名に上った。どうやら、ラファエロはビッテンフェルトが当てにならぬとわかると、自らロイエンタールの姿をカメラに収めようと狙っていたようだ。
「芸術家の執念って、すごいな」
 誰かのつぶやきに、みなウンウンと頷いた。

「なあ、『ガブリエル』って何だ?」
 ロイエンタールが去り際に吐き捨てた言葉を、ワーレンに尋ねると、ワーレンも知らないなあと言いながら、携帯端末を取り出し調べてくれた。
「大天使の一人で、聖告天使とも言われるようだが・・・ああ、ロイエンタールが怒ったわけが分かった」
「ん?」
「天使は普通男性の姿で描かれるが、この受胎を告げるガブリエルだけは女性の姿をしているらしい」
「女、か・・・」
 それでなくても男に言い寄られることが絶えない奴だ。女として描かれるなど我慢できないことなのだろう。しかし・・・
「綺麗だったよなぁ。ロイエンタールのガブリエル」
「ああ、綺麗だった!」
 
 一頻り、ラファエロの絵を、厳密に言えばロイエンタールの美しさを誉め讃えた後、二人は別れた。ビッテンフェルトはふと、手に持った小包を思い出した。今すぐにでも開けてみたい衝動に駆られたが、どうにか抑え込み、自室に駆け込み内側から鍵をかけた。
 いつもなら豪快に破く包装を、丁寧にはがしていくと、中からは、さらに綺麗な装丁の箱と、手紙が出てきた。 
 手紙には、士官学校を辞める決意をしたいきさつと、帝国芸術展へ出品するための苦労(隠し撮り云々の言い訳)、そして、このような機会を与えてくれたビッテンフェルトに対する謝意がしたためられていた。俺なんてそんな大それたことはしていないんだが・・・と、照れながら先を読むと、箱の中身について書かれていた。

ーーあれからロイエンタール君を描くために、しばらくの間、彼を見続けた。しかし、彼のこの微笑みが与えられたのは、ビッテンフェルト君、君しかいなかったんだ。だから、これは君のものだ。ガブリエルは君だけに微笑むのさ。大切にしてくれたまえ。そして、「僕にも描けない」という以前の言葉を、撤回してくれたまえよーー

 蓋をそっと持ち上げると、中には華奢な額縁の中に収まった、ガブリエルーーほんの少し笑みを浮かべたロイエンタールの鉛筆画が出てきた。視線は伏せられているが、その先に自分がいることは容易に想像できる、そんないつもの表情だった。しばしうっとりと見つめたあと、はっと気付いた。こんな絵があることをロイエンタールが知ったらどうなるか!



「・・・それで、休暇を利用してこっそりと家に持ち帰り、誰の目にも触れそうのないところに隠しておいたのだった。今まで忘れていたが・・・」
 二人の部下は改めて絵を見た。あの冷ややかな美貌の提督が、若かりし日はこんな表情を浮かべることもあったのか、それも我がビッテンフェルト提督に対して。
「では、この絵のことはロイエンタール提督はご存じないのですね?」
「そうだ。卿らしゃべるなよ。しゃべれば、命がないかも知れんぞ?」
 ひえぇと大袈裟に怖がる部下を後目に、ビッテンフェルトはもう一度、額縁の中の天使を見た。以前は俺に向けられていたこの微笑みも、今では親友ミッターマイヤーが独占している。最近俺に与えられるのは、口の端をちょっと上げた、冷笑か嘲笑か苦笑・・・。
「ああ! なんだか腹が立ってきた! 腹も空いていたし、そろそろ飯にするか!」
「はい!」
 片づけが進んでいないことに、母親の血圧が上がるだろうなと思いながら、ビッテンフェルトは部下を引き連れて食堂に向かった。


 「ガブリエル」はその後も、ビッテンフェルト家の誰にも目に付かないところで、ひっそりと微笑み続けていた。
  
<おしまい>

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