ガブリエルは誰に微笑む(2) |
「で、ロイエンタール提督はモデルを引き受けてくださったのですか?」 「はははっ! あいつがそんな甘い奴じゃないことは、卿らにもわかるだろう? それからが大変だったのだ」 悄然とした足取りで食堂に戻ってきたビッテンフェルトは、案の定そこにロイエンタールの姿がないことを確認すると、談話室のいつもの場所に行ってみた。 そこにロイエンタールはいた。しかし、彼の周りには数名のクラスメイトが取り囲んでいた。 「おい、ロイエンタール。話があるんだが」 ペンを持ったまま投げかけられた金銀妖瞳を遮るように、クラスメイトの一人が立ち上がった。 「ビッテンフェルト! 今は俺たちの番なんだ、邪魔するなよ」 テスト前になると、こうしてロイエンタールに分からないところを聞きにくる生徒が増える。彼らは最初、ロイエンタールを遠巻きに見ているだけだったが、彼がビッテンフェルトやワーレンと親しくする様を見て、次第に距離を縮めてきた。そして、今では外見は取っつきにくいが、別にお高く止まっているわけではなく、こちらが普通に話しかければ普通に返してくることがわかってきた(同級生と比べると、皮肉や冷笑が多いことは多いのだが・・・)。なので、機嫌を損ねないように注意しながら、学年主席であるロイエンタールの助けを求めて、こうして集まってくるのであった。 「むむうっ!」 睨み合いになったビッテンフェルトとクラスメイトに助け船を出したのは、ワーレンだった。 「ビッテンフェルトは急ぎの用があるんだろ? ここからは俺にも説明できるから、後は俺に任せて、ロイエンタールはビッテンフェルトの話を聞いてやれよ」 「ああ、すまないな」 席を立つロイエンタールを名残惜しそうに見送ったクラスメイトたちだが、これ以上口を挟むと臍を曲げること請け合いなので、気を取り直してワーレンに向き直った。 「さっきの、呼び出しのことか?」 「ああ・・・」 目の前の席に移動してきたロイエンタールに、ビッテンフェルトは教官室で交わしたラファエロとの「勝負」について、正直に打ち明けた。騙してというのも考えたが、男は常に正々堂々だ。 「頼むよ、ロイエンタール! この通りだ」 机に手を突いて頭を下げるビッテンフェルトに、少し遅れてロイエンタールの返事が聞こえた。 「イヤだ」 この返事は一応想定内。次は泣き落としだ。 「美術の単位が取れなければ、俺は落第してしまう。いや、落第までいかなくても、お前やワーレンとクラスが分かれてしまう。それはイヤなんだ、わかるだろ? なあ、頼むよ、ロイエンタール。お前だけが頼りなんだよ」 再び頭を下げたビッテンフェルトは、ロイエンタールの返事をドキドキしながら待った。しかし、いつまでたっても返事は返ってこなかった。恐る恐る顔を上げると、ロイエンタールが自分を見据える真剣な目とぶつかった。 「”お前”の進級のために、なぜ”俺”が何かをせねばならん」 突き放すような言葉だが、ロイエンタールの真摯な姿勢に、ビッテンフェルトは自然とうなだれた。 「ラファエロ先生のおっしゃることも、筋違いだ。なあ、ビッテンフェルト。お前は今何をすべきだ?」 「何を・・・?」 「ああ。お前は俺に”進級させてもらって”、それで、素直に喜べるのか?」 「ううっ」 確かにそうだった。自分がしていることは、他力本願に他ならない。武人として、男として、これほどの卑怯は許されない。だが・・・。 「だが、どうすればいいのだ。もう、降格は免れぬのか?」 「お前に今できることは、もう一度作品を提出して、誠心誠意謝ることだ。どうせおまえのことだ。さっきも教官室でああだこうだと屁理屈をこねたんだろう?」 「ううぅ。だが、期限は過ぎているし、今更受け取ってくれるだろうか?」 「さぁな。だが、受け取ってくれるかどうか考えて何もせぬよりは、できることをするべきだと俺は思うぞ」 お前のモデルにはなってやるというロイエンタールに、ビッテンフェルトも心を決めた。 「じゃあ、もたもたするな。提出は明日の早朝、先生が学校に来られるときしかない!」 まさか、ロイエンタールに「人の道」を説かれるとは思わなかった。いや、意外に真面目で義理堅いところはあるか、と、この友人の新たな一面を発見し、その美貌を見つめたままぼんやりしていると、鋭い一喝が落ちてきた。 「早くしろ! 時間がもったいない!」 結局、ロイエンタールを早くとり戻したいクラスメイトの、無責任な後押しもあって、お世辞にも上手いとはいえない絵を描きあげた。 「明日の朝一番だ。抜かるなよ」 決して紙に写し取ることのできなかった美貌の持ち主は、そう言うとさっさと元の席に戻っていった。 「確かに僕も間違っていたね。あんな勝負で将来有望な士官学校生の将来を左右しようとしたなんて」 ビッテンフェルトの二度目の提出作品を手にしてラファエロは言った。 「わかった。この作品で評価を付けよう。ただし、提出が遅れたことは減点だよ」 はい、とビッテンフェルトはうなだれた。昨日とはだいぶん違う殊勝な態度に、ラファエロは彼の反省の度合いをみたように思った。 こうしてビッテンフェルトの落第は回避されたのだった。 「よかったですね、物わかりのいい教官で」 「あれ? それじゃあこの絵が出てきませんね」 ビッテンフェルトは額縁に納まった若かりし日の美貌の友人を、懐かしげに眺めた。 「ああ、それからまた一騒動あったのさ」 始業のベルが鳴る間際に、教室に駆け込んできたビッテンフェルトの浮かない顔を見て、ワーレンが心配そうに声をかけた。 「ダメだったのか?」 「いや・・・」 ビッテンフェルトはちらりとロイエンタールを盗み見た。窓際の席で所在なさそうに頬杖をつき、外を眺めている。 「受け取ってもらえた。減点はされるけど、あれで評価をつけてくれるって」 「良かったじゃないか! 後は試験を頑張るだけだな」 そう。試験の出来で、美術の減点を挽回できれば、来年もこいつらと同じクラスでいられる。いられるのだが・・・。ビッテンフェルトは胸に新たな悩みの種を抱えながら、席に着いた。 休み時間を待ちかねたように、ビッテンフェルトはロイエンタールに駆け寄った。相変わらず頬杖を付きながら、青い目の流し目をくれてやって、ロイエンタールは面倒くさそうな声を出した。どうやらあまりご機嫌はよろしくないらしい。 「なんだ?」 「ど、どうしたんだ、ロイエンタール? 気分でも悪いのか?」 「ふん」 前の席に座っていたマイアーがクスクス笑いながら振り向き、ロイエンタールの不機嫌の理由を教えてくれた。 「あの”ロミオ”がまた現れたのさ」 「ああ、あいつか・・・」 詩人気取りの同級生、通称「ロミオ」。時々ロイエンタールの前に現れては、愛の詩を捧げていく。その様が「ロミオとジュリエット」のロミオのようだと言い、ついでに愛を捧げられるロイエンタールは「ジュリエット」と冷やかされる。 「そうか・・・、それは災難だったな」 「ふん、それで、上手くいったのか?」 「ああ、お前のお陰だ」 不機嫌でいても、自分のことを気に掛けてくれていたことが、嬉しかった。しかし、この意外に優しくて親切な友人を「ロミオ」同様、自分も困らせることになると思うと気が重かった。 ーーお前に今できることは何だ? そうだ。俺にできることは・・・・・・当たって砕けるだけだ! 「なぁ、ロイエンタール。頼みたいことがあるんだ・・・。昼休みに時間をくれないか?」 ビッテンフェルトの作品を受け取ったラファエロは、改めて「お願い」をしてきた。なんでも、ロイエンタールを描くということが、彼の創作意欲を今までにないほど掻き立てたらしい。それで、どうでもこれは描かなければ、芸術家としての使命を果たせない、とまで思い詰めるに至ったのだという。 「恩に着せるわけではないんだが、君、ロイエンタール君に頼んでくれまいか?」 言われるまでもなく恩に着ていたビッテンフェルトは、男して否とは言えなかった。 「わかりました、先生。頼むだけ頼んでみます」 「・・・と、言う訳なんだ。頼むよ、ロイエンタール」 昼休み、人目に付かない裏庭にロイエンタールを誘い出し、ビッテンフェルトは頭を下げた。昨日から同じことをしているな、と思っていると、昨日と同じ返事が聞こえた。 「イヤだ」 「やっぱりな」 「分かっていたのなら、頼むな。そんな頼みも聞いてくるな」 ううむ、と腕組みをし、ビッテンフェルトは考えた。 「だがな、俺は思ったんだ。先生は芸術家として果たさなければならない使命として、お前を描いたいということなんだ」 「大袈裟な・・・」 冷笑を浮かべるロイエンタールに、まあ聞けよと、どかりと芝生に腰を下ろして言葉を続ける。 「先生は仰った。自分は絵が好きだから画家になろうと思ったが、何かを描きたいという欲求は今までなかったって。それで、それが自分を一人前の芸術家となるには足らなかったところだと、今なら分かると・・・。わかるだろう、ロイエンタール? 先生はお前を描くことで、一人前の芸術家になれるかもしれない可能性を感じているんだ。そんな、自分が変わるかもって、成長するかもっていう機会を、俺は感じたことがないけれど、もしこれからそういう時が来たら、俺なら逃したくはないんだ。先生だって同じだろう・・・」 片手を腰に当て、ビッテンフェルトを見下ろしながら話を聞いていたロイエンタールがふっと破顔した。 「なんだ! 笑うなよ・・・」 らしくない台詞を言った自覚のあるビッテンフェルトは顔を赤くして怒って見せた。 クククっとこみ上げる笑いが止められないといった風情でしばらく肩を震わせた後、ロイエンタールは思いがけないほど、優しい目つきをした。 「お前らしいな、他人のことにそんなに一生懸命になるなんて。確かにお前ならそんな機会があれば逃すまいな」 「じゃあ!」 ビッテンフェルトは勇んで立ち上がった。 「引き受けてくれるのか!」 とたんに元の冷たい顔に戻り、突き放すようにロイエンタールは言った。 「それとこれとは話が別だ。俺はモデルなんて絶対にしない」 それだけ言うと、ビッテンフェルトをその場に残し、さっさと教室に戻って行ってしまった。 <続く> |