ガブリエルは誰に微笑む(1)



 妹夫婦が同居することになり、今まで遊ばせていた子供部屋を改装することになったらしい。そこで、がらくたを片づけに来いと母親や妹からの矢のような催促に負け、ビッテンフェルとは久しぶりに実家に帰ることにした。自らが子供時代にため込んだ、母や妹に言わせればがらくたが、そう簡単に片づけられるものではないと分かっていたので、休日暇そうな部下に声を掛け連れてきた。独身の食い盛りの男だから、礼として後で飯でも存分に食わせてやれば、喜ぶだろうと、半分は恩着せがましい思いを持って。
 ビッテンフェルトの使っていた部屋以外は、綺麗に片づいていた。お前のせいで予定が遅れているんだよと、母は久しぶりにあった息子にお冠だ。帝国軍の大将閣下が頭ごなしに叱られている絵は、なかなかお目にかかることはできない。部下たちは神妙な顔をしながら吹き出したいのを懸命に堪えていた。
 男というものは、幾つになっても子供心を忘れられぬ生き物のようだ。がらくたの中から出てくる、ビッテンフェルトの幼い頃のコレクションに目を輝かせた。
「提督! これってフライングボールカードですよね? 懐かしいなぁ」
「こっちは、ミニカーだ。俺もこの清掃車持ってた」
 しかし、ビッテンフェルトにとっては、それらはもうすでに役割を終えた物たちだ。
「欲しいなら持って帰っていいぞ。全部捨てるだけだからな」
 ええ、もったいない!と口々に騒ぎ立てる部下たちは、まるでどんなささやかなものでも捨てられない母親のようだと思った。しかし、その認識はすぐに覆った。
「提督、このカード、ここまで揃っているんだったらオークションサイトに出品すれば高値がつくかもですよ」
「なに?! このがらくたどもが金になるのか?」
 だとすれば話は別だ。がらくたの片づけは、いつしか宝探しになっていた。これらを売りさばけば、艦隊で豪勢なBBQでもできるかな、と捕らぬ狸の皮算用をしているところに、一人の部下が声をかけた。
「提督! この箱は何でしょうか?」
 見ると、明らかに他の物とは違った装丁の豪華な箱があった。がらくた、もといお宝の奥深くに大切に保管されていた物のようだ。ビッテンフェルトの記憶にもないその箱を、さして気にもとめず開けてみろよと許可を与えた。
「わあ! これは・・・聖告天使ですね! 綺麗だなあ」
「聖告天使?」
 聞き慣れぬ言葉と、いたく感動している様子にひかれて、皆がその絵の周りに集まった。
「この白百合の花を持っているでしょう? これが聖告天使の象徴なんです。って、ゲームで仕入れた知識なんですけどね」
 繊細な額縁に納まった天使は、節目がちにこちらを見て微笑んでいる。おそらく鉛筆だけで描かれたモノクロの絵であるのに、ブルネットの髪の艶や、透き通るような白い肌の質感が実によく描かれている。
「でも、この天使、どこかで見たような気がしないか?」
 部下の一人が何気なく呟いた言葉に、ビッテンフェルトの記憶が鮮明に蘇った。
「おい! もういいだろう! それは売れない、売り物にはならないんだ!」
 慌てまくる上官の姿に調子付いた二人の部下は、絵を庇うように立ちふさがった。
「もしかして、モデルが提督の初恋の人ですか?」
「そ、そんなんじゃない!!」
「あ!!」
 まじまじと絵を見ていた部下が、大声で叫んだ。
「これって・・・」
 ビッテンフェルトは頭を抱えたくなった。
「この天使、ロイエンタール上級大将に似ていないか?」
 髪型や年齢、性別を差し引いて見てみると、それは確かにロイエンタールに生き写しだった。
「提督・・・まさか、ロイエンタール上級大将に・・・片恋していらっしゃる?」
「ちっがーーーーう! 断じてそんなことはない!!」
 じゃあどうしてと、食い下がる部下に、ビッテンフェルトは渋々語り始めた。
「あれは、俺が士官学校2年の、学年末考査を十日ほど先に控えた時のことだ・・・」





「2年A組 ビッテンフェルト君、今すぐ教官室に来なさい」
 学生寮の食堂でで夕食をとり始めたところを、スピーカーから自分の名前を呼ばれるのを聞いたビッテンフェルトは、慌てて皿を平らげた。
「何だ? 今のは美術のラファエロ先生だよな? お前、今日提出の作品を、まさか出していないのか?」
 隣のワーレンが心配げに尋ねてきたが、成績を落としたくないビッテンフェルトが、作品提出を怠るはずはない。
「じゃあ、何なんだ? 出した物に問題があるのか?」
 課題は鉛筆での肖像画だ。
「ロイエンタール、お前、ビッテンフェルトと組んでいただろう?」
 素知らぬ顔でナイフとフォークを使っていたロイエンタールは、ああ、と頷いた。
「俺はちゃんとモデルになってやったぞ。それがどんなもので、提出したかどうかは関知せんがな」
「ふーん・・・」
 確かにビッテンフェルトは滑り込みで作品を提出した。が、その作品には一つ、大きな問題があることも承知していた。承知の上で、それでももうどうしようもなく提出したのだ。
「モゴモゴ・・んぐっ、行ってくる」
 その問題については、ある程度の理論武装もしている。ビッテンフェルトは猛スピードで食べ終わると、教官室へ出頭すべく席を立った。


 「2年A組ビッテンフェルト、参りました!」
 道場破りの勢いで教官室の扉を開けたビッテンフェルトは、ラファエロと担任の姿を認めそちらに向かった。
「何か御用でしょうか?」
「話があるから呼んだんだよ!」
 士官学校で臨時の美術講師をしている、若き芸術家は顔を真っ赤にして机に置かれたスケッチブックを指さした。
「僕は! 鉛筆画の提出を求めたよね! 他のみんなはちゃんとやってるんだから、君だけ知らなかったってことはないよね!」
「はい、十分承知しております」
「じゃあ! これはどういうつもりなんだい? 君は僕をバカにしているのかね!」
 机の上に置かれたスケッチブックには、肖像画らしきものが描かれている。ゆで卵に目鼻を付け髪の毛を乗せたような代物だが、ラファエロは絵の善し悪しを問題にしているのではなかった。問題は目の部分。鉛筆画であるので単色の濃淡のみで表現されていなければならないが、その左目だけ、おそらくは蛍光マーカーであろうが、青色に彩色されていたのである。
「先生! 先生は似顔絵を描くときには、相手の特徴をよく捉えて描けとおっしゃいました。自分はそれに忠実に従ったまでです」
「似顔絵じゃない、肖像画だ! それに条件を逸脱していては、評価することはできない」
「ええ!」
 ビッテンフェルトは慌てた。ここで美術の単位を落としてしまうと、Aクラスに残れないばかりか進級にも関わる。こんな副教科のために留年するなど前代未聞の珍事だろう。
「先生! 自分の相手はロイエンタールです! この目以外にどんな特徴を見いだせばよかったのですか! 奴は綺麗に整いすぎていて、どう描いても奴には見えないのです。これは自分の精一杯の努力の成果です!」
 ラファエロは黙り込んだ。しかし、ビッテンフェルトの勢いに押されてではないことはすぐに知れた。
「なるほど。君はなかなかおもしろいことをいう、いや。美というものの本質を突いた言葉だね。美しいものは美しいという以外に特徴がない。そしてその特徴は筆には乗せにくい物だ、確かに・・・」
 うんうん頷くラファエロに調子づいたビッテンフェルトはここぞと畳みかける。墓穴を掘ることになるとは気づきもせずに。
「そうなのです! 先生にも描けぬものを、自分に描けるはずもありません! ですからこれは自分なりの工夫なのです」
 だから許してと続けようとしたとき、再び顔を赤くしたラファエロと目があった。
「僕にも描けないなんて、いつ、誰が言った?! 失敬な! 僕には描ける! 当然じゃないか! よかろう、ビッテンフェルト君。僕が君の納得できるロイエンタール君の肖像画を単色で描くことができたら、今の言葉は撤回してもらうぞ! もし描くことができなかったら僕の負けだ。君にA評価を上げよう!」
「ええ?!」
 そんなの、どんな出来映えでもダメと言ってしまえばいいだけじゃ? 悪知恵を働かせビッテンフェルトはこの妙な「勝負」を受けてしまった。もちろん、なかなか手の届かないA評価に惹かれたためであるが。
「よろしい、では、ロイエンタール君にモデルを引き受けてもらえるよう、君が手配したまえ。これは勝負の条件だよ」
「ええぇ?!」
 A評価がぐんと遠ざかった。そして、留年の二文字が確かな輪郭を持って見えてきた。無理だ。あいつに絵のモデルを引き受けさせるなんて・・・。
「できないのかい? なら、Eを付けざるを得ないな」
 ラファエロの言葉に、力なく「やります」と答えるしかないビッテンフェルトだった。

<続く>

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