友だちのキス(6)



4 双璧のキス

ーー帝国歴480年、イゼルローン

 イゼルローン要塞の居住区の一角にあるベンチに腰掛け、ロイエンタールの話を聞き終えたミッターマイヤーは、憤懣遣る方無い様子の友を宥めることにした。
「確かに、卿は騙されていたには違いないが、話を聞いたところ、そこに悪意はなさそうではないか」
 逆に好意を感じる、ということはロイエンタールの怒りに油を注ぐことになりそうなので、口にはしなかった。
「・・・・・・それは、まあ、そうかもな」
 ロイエンタールは形のよい眉をしかめたまま答えた。
「それに、卿もイヤではなかったんだろう?」
「!!」
 金銀妖瞳を見開いて抗議しようとする友の口を、まあ聞けよと封じた。
「どんな風に言いくるめられたとしても、卿はイヤなことをされて黙っているようなタマではなかろう?」
 不機嫌な表情でミッターマイヤーの言葉を咀嚼していたロイエンタールは、キッと目を上げて抗議した。
「ではなにか、俺が奴らとキスすることを望んでいたと言いたいのか?!」
「違う!違うよ、ロイエンタール」
 こみ上げてくる笑いを呑み込み、大げさな身振りをつけて否定した。
「その『友達のキス』をさ、他の奴が卿に求めてきたら、卿はそれに応じたか? 応じないだろう。だからさ・・・・・・ウフッ、アハハハハ」
 突然笑いだしたミッターマイヤーに、ロイエンタールはますます不機嫌な顔を作る。その様子がミッターマイヤーの目には、子供が拗ねているようにしか見えなかった。
「ロイエンタール!」
 笑いすぎてうっすらと目に涙まで浮かべたミッターマイヤーが、突然腕を肩に回して強く引き寄せた。
「俺は嬉しいよ! 卿にも特別な『友だち』がいたんだ」
 彼はいつもこの親友の孤独を感じるたびに、人知れず心を痛めてきた。だが、ずっと一人でいたのだと思っていた親友に、あんなバカなことを果敢にも仕掛けた『友人』がいたのだ。ミッターマイヤーは心の奥がじんわりと暖かくなるのを感じた。
 あいつ等なんて、そんなたいしたもんじゃないさと腕の中で呟くのが聞こえた。
「拗ねるなよ。そんなに『騙されていたこと』が許せないのか?」
「3年だぞ。3年間ずっと、俺は騙され続けていたんだ」
 この怒りだって、結局は仲の良いもの同士のじゃれあいの延長なんだと、ミッターマイヤーは正確に理解していた。くすくすくすと笑いながら、
「なあ、ロイエンタール。その『友達のキス』を卒業してから他の奴に与えてやったことはあるのか?」
金銀妖瞳をのぞき込んで問いかけた。青と黒の瞳はそれまでの怒りを引っ込め、にゅっと目を細め何ともいえない笑みを浮かべた。
「『特別』なのはミッターマイヤー、卿だけだ。卿以外にいるはずがない」
 ミッターマイヤーは、ロイエンタールが決して彼以外には見せない笑顔を目にして綺麗だなと思った。彼より美しい女もそういまい、いや、化粧せずにこれなのだから、彼は誰よりも美しいのだろう。彼の同級生たちも、この美貌に惑わされたのかなと、ちょっと同情した。
「じゃあ、もう誰にもするなよ。約束だぞ」
「当たり前だ」
 常春のイゼルローンの空気が、ほろ酔いの親友たちをなま暖かく包み込んでいた。



ーーー帝国歴488年 オーディン

 高級士官クラブ”海鷲”の一角で、帝国軍の『双璧』と称されるロイエンタールとミッターマイヤーが杯を傾けている。肩を寄せあうように語らっている二人を、海鷲に出入りを許された将官たちは、憧憬の眼差しで見つめていた。現在の帝国軍が盤石なのは、彼ら二人が親友であることに依るところが大きい。無用な派閥を作らず、勢力争いをして国力を疲弊させるような愚を犯す虞は、彼らが双璧として元帥閣下を補弼している限りはないに違いない。
 今宵は二人の間に割り込みたがる橙色の猪提督も、ロイエンタールに絡みたがる水色提督もおらず、双璧は久しぶりに二人きりの濃密な時を過ごしていた。そんな二人を、その場に居合わせた高級士官たちは、ある期待をもって見つめていた。
 海鷲には、まことしやかにある噂が流れていた。その噂とは、気持ちよく酔いの回った双璧が閉店間際の海鷲で口づけを交わすというものだった。二人の乱闘騒ぎなら目にしたことがあるという者は多くいたが、口づけを交わす双璧を見た者はごくわずかで、そのため、話を捏造したのではないかとも言われていた。しかし、もし噂が本当ならば見てみたいというのが全員の一致した意見であり、その日もそんな期待を持って、二人を見つめる目が多数あったのである。もちろん、双璧が男色関係にあるなどとは誰も思っていない。もし、そんな風に思っている者があれば、それはおそらく同盟の間諜に違いなかった。双璧の交わす口づけは二人の友愛の証にちがいなく、それはひいては帝国軍の強固な結びつきの象徴でもあった。だからこそ、帝国軍に籍を置く彼らは、己の属する組織の強さの証をこの目で見たいという思いを、密かに抱いていたのである。

 そんな期待があるとはつゆも知らず、その夜の二人は非常に穏やかな雰囲気で語らっていた。しかし、日付が変わろうとすることには、連日のデスクワークの疲れからか、ミッターマイヤーがうとうとと船を漕ぎ始めた。ロイエンタールはそんな親友の姿を肴にウイスキーを舐めるように飲んでいたが、いつしか頬杖をつき夢の世界に誘われるようにうつらうつらとしていた。
 先に目を覚ましたのはミッターマイヤーだった。彼ははっと目を開けると腕時計で時間を確認し、しまったと大げさに頭を抱えた。そして、ロイエンタールの体を揺さぶり現実世界へ引き戻そうと試みた。
「んん・・・」
 寝起きのトロンとした表情で、ロイエンタールはミッターマイヤーを見返した。紗のかかったような視界に、至近距離でミッターマイヤーの顔が認められる。
「ミッターマイヤー」
 声にならない声で親友の名を呼ぶ。何か言ったかと更に顔を近づけたミッターマイヤーの首に、ロイエンタールは片手を回して引き寄せた。抗議の声をあげる間もなく、ミッターマイヤーの唇はロイエンタールのそれで塞がれていた。ミッターマイヤーは、またか、と内心呆れながらも、友が満足するまで優しい口づけを受け止めてやる。
「ふぅ」
 熱い吐息と共に解放されたミッターマイヤーは、困った風に眉を下げ、今まで何度繰り返したかわからない言葉を口にした。
「もう、するなと言ったろう?」
「そうだったか? 他の奴にはするなと言ったのではなかったか?」
 金銀妖瞳を細めて、酔いが回って更にはっきりとしなくなった記憶を遡ろうとした。
「違うぞ。『友達のキス』なんてないから、しては駄目だと言ったんだ」
 ミッターマイヤーの毎度のお小言を、決して友以外に見せることのない笑顔でかわした。そして、これもいつもの台詞を口にした。
「いいじゃないか。卿と俺との仲だろう?」
 どんな仲だよと文句をつけながらも、この言葉を言われるとミッターマイヤーも怒った顔を続けられなくなる。
「フッ、そうだな。卿と俺との仲だったな」

 互いに支えあうようにして、ロイエンタールとミッターマイヤーは海鷲を後にした。その後ろ姿が扉の向こうに隠れたとき、その場に居合わせた者達は、みな一斉に熱い溜息を吐き出した。そして、『双璧のキス』に立ち会えた幸運を神に感謝し、その光景を一生忘れることのないように、心に深く刻み込んだのだった。

<了>


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