後フェザーン殺人事件 8 |
容疑者の候補は膨大な数に上る。3人は殺害の動機に目星をつけることを第一の目標に、具体的な捜査対象を検討した。結果、姉妹ないしは一家が関わるトラブルの有無と、父親の行動を追跡し、その職業なり繋がりなりを明らかにするという2点から、動機を探ることにし、それぞれの勤務時間外を利用して捜査し、その成果を3日後に持ちあってここで落ちあうことを約束した。 ママ、酒とつまみを頼むよとカウンターの向こうに声を掛けたオーピッツは、 「この店は、俺が目こぼしをしているから、どんな無理も聞いてくれる。それにこういう人種は見かけとは違って口も義理も堅いんだ」 というと、ニイッと人の悪い憲兵らしい顔で笑った。 酒と共に3人の間に割り込むように入ってきた「女」達は、代わる代わるロイエンタールの顔をのぞき込んで黄色い声を上げ、誰が彼の隣に座るか小競り合いを始めた。 「中尉殿が一緒だと、いつもよりサービスも良さそうだなぁ」 酒好きなオーピッツはご機嫌な声を出した。 翌日の退勤後、ロイエンタールとミッターマイヤーは「ヒンター・フェザーン」へ赴いた。 「今日はロイエンタール中尉もご一緒なんですね」 二人を目敏く見つけ駆け寄ってきたベートゲアは嬉しそうだった。 「今日は君に少し聞きたいことがあるんだ。時間がとれるかな?」 一度奥に引っ込み、店主に許可をとってきた彼女は「メーヴェ」の事件のことですねと、椅子に腰掛けた。 「うん、あの家族について君が知っていることを話してほしいんだ」 ミッターマイヤーの言葉に、今までに何度も心の中で繰り返し考えてきたのか、淀みなく必要なことを答えた。 「メーヴェ」はイーリスと母親が始めた店だと言う。その母親が5年前に亡くなり、それと入れ替わるように夫を亡くしたカミラが戻ってきたらしい。ベールケ氏は、姉妹の話には出てきたが、ベートゲアが直接顔を合わしたことはなかった。一家の暮らしは比較的裕福で、「ヒンター・フェザーン」に勤めてから知ったのだが、「メーヴェ」で提示されていた給金は相場より3割ほど高いものだったらしい。しかし、父親がなにをしているのかはわからなかったということだ。 「カミラには交際している相手がいたのか?」 言葉を切ったベートゲアに、ロイエンタールが尋ねた。ベートゲアはちょっと驚いた様子で、「中尉の方がよくご存じなのではないですか?」と言い、 「私、イーリスとロイエンタール中尉がお付き合いなさっていると思っていました」 と顔を赤らめた。 「俺は単なる常連客だ。では、フーゴの父親について何か聞いたことはあるか?」 ベートゲアは首を横に振った。そして、躊躇いがちに口を開いた。 「これは、私の勝手な見方なのかもしれないですけど・・・。私、カミラさんのお部屋で戦死なさった旦那さまのお写真が大切に仕舞われているのを見たんです。もし、カミラさんが他の男の人が好きになったんだったら、あんな、いつでも手の届く所に写真を置いておくことなんてしないと思うんです」 「ああ、それはわかるような気がするな」 ロイエンタールにはミッターマイヤーが「わかったこと」がわからなかった。女性経験は豊富だったが、女心の機微には全く関心がなかったからだ。 「何がわかるんだ?」 おや? と意外な顔をしながらも、ミッターマイヤーは彼にわかるように説明をした。 「なるほど。写真を手元におくのはカミラがまだ亡き夫を愛しているからか。俺にはわからんが、二人が言うのならそうなのだろう。だが、そうするとフーゴの父親が全く見当がつかんな」 そう言ったものの、ロイエンタールには一つの可能性が浮かんでいた。さすがにここで口にするにははばかられることだったので、敢えて言わなかったが。 「では、二人が何かトラブルに巻き込まれているような話は聞かなかったか?」 「トラブルですか・・・。いいえ、何もそんなことは感じませんでした。何かに困っているとかそんな様子もありませんでしたし、ほら、悩み事を抱えているとそんな雰囲気があるでしょ? お二人からはそんな感じ、全く感じたことありませんでした」 一通りのことを聞き終え、ベートゲアは仕事に戻った。戻る間際に、真剣な表情で「お願いします」と頭を下げた。 運ばれてきた料理に手を着けながら、二人はベートゲアの話を検討した。 「結局、何もわからずじまいか」 やれやれ、うまくはいかんもんだと、ビールを煽るミッターマイヤーに、「いや、そうでもなかったさ」とロイエンタールが応じた。 「そういえば、卿、何か言い澱んでいたことがなかったか? そう、フーゴの父親のところでだ」 「うむ。望まぬ子供を授かることもあるだろうと、その可能性を考えたのでな」 ビールを飲む手を止め、なにやら考える風だったミッターマイヤーは沈うつな表情になり「まさか」と呟いた。 「カミラはあまり家の外に出なかったということだったな。外にでるのが怖い、と考えると筋が通る、か」 「そうだ。それにベートゲアは姉妹が何かに怯えている様子はないと言っていたろう? ということは、そのフーゴの父親である男は、ストーカーや脅迫者にはなっておらぬということだ。今回の事件の容疑者からははずしてもよかろうな」 なるほど、と頷いたミッターマイヤーは、ふっと苦笑いした。 「犯人の候補者が一人減ったな」 「ああ、大きな成果だ」 ロイエンタールはグラスに残っていたビールを一気に飲み干した。 そして、明日は「メーヴェ」の近所の住人達に話を聞こうと決めた。 次の日、「メーヴェ」の前で立つ二人に、見知らぬ老婦人が声をかけてきた。 「軍人さん方は、この店の姉妹とお知り合いでございますか?」 声に振り向いたミッターマイヤーは、少し身を屈めて老婦人に対した。 「ええ。まあ、馴染みの客と言ったところでしょうか。失礼ですが、貴女は?」 ミッターマイヤーの低姿勢で柔らかい物腰に安堵したのか、老婦人は表情を弛めた。 「私はここの亡くなった奥さんの仲良くてね、ああ、みんなもう亡くなってしまったんだね・・・」 概して年寄りの話というものは繰り返しが多く長い。うんざりした表情を浮かべ始めたロイエンタールを気に掛けながら、ミッターマイヤーは婦人の話に耳を傾け続けた。 「なるほど、ここの姉妹のお母さんのお友達で、お母さんが亡くなってからも親交が続いていらっしゃったのですね。お子さんのいらっしゃらない貴女にとっては、実の娘のような存在だったのですか」 白けた顔をして横に突っ立っているロイエンタールの視線が痛い。時間がかかった割にたいして中身がないではないかと無言で咎めているようだ。 「ええ、ええ。あの娘らも私のことを母親かお祖母さんのように思って優しくしてくれてねえ、最近じゃ私の方があ娘らに面倒かけることの方が多かったですよ。頭痛持ちの私によう効く薬も探してきてくれてね」 これなんですがね、と老婦人が手に持った巾着から白い錠剤を取り出した。 「ここらじゃ売ってる店もないようなんでございますが、軍人さんはどこで売っているものかご存じでらっしゃいますか?」 どこにでもあるような錠剤を手に取ったミッターマイヤーは、包装をひっくり返して見た。 「よく見る薬だけどなあ。どこで売っているかはわからんなあ」 ミッターマイヤーの手の上の薬をちらりと見たロイエンタールは、とたんに厳しい顔つきになった。 「これを姉妹からもらったのか。売っていないのも道理だ。これは軍部で使用されている鎮痛剤で、おそらく外部に流通はしていない」 そんな大仰なもんだったんですか、と嘆息する老婦人に対し、二人はまったく違った思いを抱いていた。 「どういうことだ」 思いを呟くミッターマイヤーに、ロイエンタールは頷き返した。 そのとき、二人の背後で軽やかなベルの音と共に扉が開いた。 「お婆ちゃん、お久しぶりじゃあない? そんな所で立ち話してないで、お入りなさいよ、ね、軍人さんたちも」 近所に聞き込みをしようとしていた二人は、いつもより早い時間に「メーヴェ」を訪れていた。今3人を招き入れようとしている「メーヴェ」に隣接する喫茶店は、いつもの時間には店を閉めているので、二人はその存在に初めて気づいた。 「本当に、可哀想ったらありゃしないよ」 レジーと名乗った女主人はコーヒーを淹れてロイエンタールとミッターマイヤーのテーブルに持ってきた。お婆ちゃんと呼ばれている老婦人は、そこがいつもの席なのか、窓際のカウンターに陣取った。 「あんなことになっちまってさ。犯人もまだ捕まっちゃいないっていうじゃないか。まったく浮かばれないよ」 レジーは憲兵隊の怠慢を詰った。あんたたち、代わりに犯人を捕まえておくれよとまくし立てられ、思わずミッターマイヤーはそのつもりですと答えてしまった。 「そうなのかい? じゃあ、あたしも協力するからね」 レジーは、椅子に腰掛け本格的に話をする体勢をとった。ロイエンタールは世話焼きな姐さんらしいレジーをじっと見つめ、まず何から聞くべきか考えた。 「あら!」 レジーは身を乗り出してロイエンタールの顔を覗き込んだ。 「あんた、イーリスの・・・恋人かい?」 「いや・・・」 身を仰け反らして答えると、はあ、そうなのかいと大きくため息をついた。 「そっか、じゃあまだ片思いだったんだね、あの子。不思議な目をした素敵な人が、よくお店にきてくれるって言って、とっても嬉しそうにしてた。あんたに恋してたんだよ」 そのあんたがあの娘らの恨みをはらしてくれるってんなら、あの娘も天国で喜んでいるだろうね、とレジーは遠くを見る目つきになった。 「さっ! じゃあ、なんでも聞いておくれ。知ってることは何でも話すよ」 ここはロイエンタールに任せた方がよいと判断し、ミッターマイヤーは黙ってコーヒーを啜った。 ロイエンタールはまずベートゲアに尋ねたことと同じことを質問した。さすがに付き合いの長いレジーも、父親のベールケ氏については詳しくないらしい。しかし、長く家を空けていることが多く、たまに戻ってくるとしばらくはどこにも出かけずに家に籠もっているので、「船乗りなんじゃないか」と思っていたという。その他、一通り家族のことを尋ねた後、ロイエンタールは一つ質問を付け加えた。 「あの家族に、何かもらったものはないか? そう、あまり目にしたことがないような珍しいものだ」 レジーはちょっと考え、あれのことかねえと前置きをして話し始めた。 「イーリスにはちょこちょこといろんなものをもらってたんですよ。いつもお世話になってるからそのお礼だって言って。珍しいものかどうかわからないけど、うちの亭主が酒好きだからね、時々上等なお酒をもってきてくれたねえ」 「それだ! その酒、空き瓶でもいい、残っているか?」 レジーはロイエンタールの剣幕におされ、ええと頷くとカウンターの奥から数本のワインの空ボトルを提げてきた。 「ラベルが綺麗なんで、とっておいたんですよ」 これがお役に立ちますか? というレジーの言葉はロイエンタールには届かなかった。 ロイエンタールはそのうちの一本を手に取るとラベルをまじまじと見た。そして生産地を確認して瞠目した。 ーーこれはわしの領地で作られたものでな、個人的に取り寄せておるのだーー 「どうしたんだ、ロイエンタール?」 「ん・・・」 何かありそうな様子に、ミッターマイヤーはレジーからこのボトルを持って帰る許可をとった。 急に黙り込んだロイエンタールに、手持ち無沙汰になったのか、レジーは独り言のように語り始めた。 「あの娘たちは、本当にいい娘だったよ。イーリスはいつも明るく振る舞ってさ、カミラはしっかり者で家を支えていたよ。駄目なのはあの親父さんさ。いっつもふらふらしちゃってさ。奥さんが亡くなってからは家にいるときは酒ばっかり飲んでたよ。カミラが帰ってきたときもさ、奥さんが戻ってきたんだって喜んじゃってさ、バカみたい。カミラと奥さんがわからないくらい酔っぱらってんだよ。本当に、あんなよくできた姉妹にどうしてあんな親父さんがいたんだか!」 ここだけの話しにしといておくれよ、とレジーは声を潜め、一人カウンターでくつろぐ老婦人の方をちらりと見て言った。 「あの末の男の子だけどさ、アノ子、親父さんの子供じゃないかってここらじゃ噂になってるんだよ。だから世間様の目を憚って家に籠もってばかりいるんじゃないかってさ、全く可哀想な話だよね」 「?」 レジーの語った内容に理解が追いつかないミッターマイヤーは、助けを求めるべくロイエンタールを見遣った。そして、そこに顔色をなくし、明らかな動揺の色をその希有な瞳に見出した。 「ありがとう、フラウ。また来るかもしれないけど、よろしく頼むよ」 様子のおかしいロイエンタールを引っ立てて、ミッターマイヤーはレジーと老婦人に暇乞いして店を出た。 「大丈夫か?」 「ん、ああ。迷惑をかけたな」 まだ顔色の悪い彼を気遣って、官舎まで送るというミッターマイヤーの申し出を、ロイエンタールは断った。それでも途中までは同じ道を行く二人は、無言で歩き続けた。その沈黙を破ったのはミッターマイヤーだった。彼は先ほどのレジーの言葉について考えていた。 「なあ、さっきのレジーの話って、その・・・フーゴはカミラとベールケ氏の子供だってことなのかな?」 「そうだな。いわゆる近親相姦ということだろう」 ミッターマイヤーはグレーの瞳を見開き、驚きと怒りを露わにした。 「そんなこと! 本当にそんなこと、あるはずないよな? そんな勝手な噂を立てるなど、信じられん!」 「そうだな」 ロイエンタールは寂しく笑った。倫理に反する関係を「あり得ない」と切って捨てられるミッターマイヤーが、彼には眩しく羨ましかった。しかし、それでいい。ミッターマイヤーに陰りは似合わない。彼と共にいると、汚れた自分も真っ当な世界に生きていると錯覚できる。それでいい。正道を歩む彼の隣にいることで、己にわずかでも存在意義を感じることができるから。 「ミッターマイヤー、卿は卿のままでいてくれよ」 別れ際にロイエンタールが呻くように口にした言葉を、ミッターマイヤーは心の中で、何度も何度も反芻した。 <続く> |