後フェザーン殺人事件 7



 イゼルローンには司令官が二人存在する。要塞司令官と艦隊司令官である。常にこの二者は対立しいがみ合うものと思われていたのだが、当代の要塞司令官、ヴァルタースハウゼン上級大将がその任についてから、イゼルローンの権力図は書き換えられた。伯爵という上流貴族でありながら、その軍歴は輝かしく、家名や親の七光りでその職にるような他の司令官とは一線を画する人物であり、現艦隊司令官ごときに太刀打ちできるはずもなかった。また、信賞必罰の厳格なことでも知られており、どんな小さな功績であっても見落とすこともないが、過失や失策に対しては、例えそれが自らの息のかかった者であっても、厳罰を処すことは非情なまでに徹底している。それがために、イゼルローン市民や下級士官からは慕われ、高級士官には畏れられていた。
 そのヴァルタースハウゼンがロイエンタールの前に現れたのは、彼がイゼルローンに赴任して二月ほどした頃だった。待ち合わせのレストランに現れたのは、付き合い始めてまだ日の浅い彼女ではなく、三つ揃えのスーツを着こなした紳士であった。
「彼女なら帰ったよ」
 断りもなくテーブルに着いた紳士に咎めるような視線を向け、ロイエンタールは驚いた。その紳士がこの要塞の最高責任者であったからだ。敬礼しようと立ち上がったロイエンタールをヴァルタースハウゼンは目で座るように伝えてきた。
「せっかく平服を着てきたのだ。その努力を無にせんでもらいたいな」
 柔和な笑みを湛えた目の前の人物が、世間に背を向けているとも孤高の人とも言われる要塞司令官であると、にわかには信じられなかった。
「ヴァルタースハウゼン閣下であらせられますか?」
「そうだ。儂がここにいてはおかしいか? 卿と食事を共にしたいと思ってな。彼女には遠慮してもらった。悪かったかな?」
「・・・いえ」
 言い寄られるがままに付き合い始めた女のことなどどうでもよかった。しかし、一介の中尉に過ぎない自分と何故、と疑問を抱えたままロイエンタールは食事を終えた。警戒心の解けぬままの彼に、司令官はにこやかに告げた。
「明日は儂の行きつけのレストランに卿を招待しよう」
 次の日、約束通り迎えに寄越された副官に導かれ、ロイエンタールは落ち着いたレストランの個室に通された。そこには今日は軍服姿のヴァルタースハウゼンがいた。旨い酒と料理と落ち着いた雰囲気にロイエンタールの警戒心もいつしか解けていった。何よりヴァルタースハウゼンと交わす戦略談義は彼の知的な好奇心をいたく刺激した。自分とは比べ物にならないほどの戦火をくぐり抜けてきた名将の言葉は、何よりの御馳走だった。
「明日は儂の官舎へ招きたいのだが、どうだ?」
 とっさに返事のできなかった彼の手を捕らえ、その指先に口付けした。その真剣な目を見て、ロイエンタールは背筋が震えるのを感じた。

「ロイエンタール、儂は卿のお眼鏡に適うておるかな?」
 司令官の豪華な官舎で、食後のワインを飲む手をふと止めて、ヴァルタースハウゼンは問うた。口調の軽さに反して、司令官の目は深く澄んでいる。ロイエンタールは己が強く求められていることを感じた。慈しむような縋るような目で見つめられるだけで、体中が甘く痺れていくようだった。無言で頷く彼を、ヴァルタースハウゼンは優しく抱擁した。
 触れるだけだった口付けは、知らず知らずのうちに貪るような深いものに変わる。夢中で舌を絡ませていると、腕の中のロイエンタールが何かをごくっと飲み下したのがわかった。唇をはなして白い顔を見ると、赤く濡れた唇の端から頬にかけて唾液で濡れている。ヴァルタースハウゼンはロイエンタールが何を飲み込んだかを理解すると、うっすらと潤んだ金銀妖瞳を開けて自分を見つめる腕の中の美青年が、たまらなく愛おしく思えた。その後、場所をベッドに移して優しい指使いで蕾をほぐし、己をその中に埋めた。
「・・・うんっ、あぁ」
 律動に合わせて小さく喘ぐロイエンタールの唇に、ワインを含んで口付ける。快感に耐えながらワインを飲み込む様子が愛しくて、ヴァルタースハウゼンは行為の最中ワインを飲ませ続けた。
 激しい情事のせいか、それとも飲ませ続けたワインのせいか、ぐったりと眠る愛しい身体を胸に抱き、ヴァルタースハウゼンは今まで感じたことのない幸福感に浸っていた。人を愛するなど、弱みにしかならぬと思い込んでいた己が愚かしく思える。若かりし日の自分とどことなく似たものを感じさせる、このロイエンタールという類まれな美青年に、彼は初めて本気の恋をしていた。


「閣下、このワインは・・・」
 資料室での約束を果たすため、司令官の官舎を訪れたロイエンタールは、夕食後、ここで過ごすいつも通りに杯を交わしていた。
「そうだ、気づいたかね? 初めての夜に卿に飲ませてやったワインだ」
 そう言うとヴァルタースハウゼンはロイエンタールの隣に移動し、空いたグラスになみなみとワインを注ぎ入れた。
 溢れるほどに満たされたグラスは、ロイエンタールにある光景を思い出させた。薄暗い居心地のよい空間に、微笑む女ーーイーリス! 彼女がこっそりと振る舞ってくれたワインはこれだったのだろうか? おそらくかなりの代物だろうが、それがなぜあのような場末の居酒屋にあったのか・・・?
 黙り込んだロイエンタールを見て、ヴァルタースハウゼンの心はチリッと痛んだ。ロイエンタールの手からグラスを奪い取ると、ワインを口に含み、空いた手で白い顎を掴み強引に口付けた。グラスが空になるまで口付けは繰り返され、ロイエンタールの頭の中に纏まりかけた何かは、快感の波に流されて散らばってしまった。

 果断に富んだヴァルタースハウゼンが珍しく迷っていた。ロイエンタールが自室に艦隊所属の士官を連れ込んでいるという噂は早くに耳に届いていたし、副官を使って確認させもしていた。彼らが恋人の関係にあるのならば、年の離れた自分は身を引くべきなのではと考えたりもしていたが、理性で恋情を断ち切ることもできないでいた。それが今日、恩を着せる形で呼び出してしまった。以前と変わらぬロイエンタールの振る舞いに安堵したり、物思いに沈む姿を見て嫉妬に駆られてみたり、自分でも情けないほどの恋に溺れた男を演じていた。だから、性急にまさぐった後孔が己を欲してひきつきながらも、健康的に強く引き締まり、ここ数日は男を受け入れた形跡がないのを知ったときは嬉しかった。愛しい人を激しく揺さぶりながら、嫉妬や渇望する心が己にあることを苦笑混じりに自覚した。

「閣下」
 シャワールームから出てきたところに物問いたげに声を掛けられ、ヴァルタースハウゼンは声のした方を向いた。
「どうしたんだね? お寝坊さんが、珍しいこともあるものだ。友人の影響かな」
「友人・・・」
 ベッドの上に半身を起こしたロイエンタールの横に腰掛けた。特徴的な目を見開き放心したような顔を覗き込み、優しく微笑んだ。
「友人なのだろう? 艦隊所属のミッターマイヤーとか言ったな。随分親しくしているようだ」
「友人、なのでしょうか? 成り行きで行動を共にしているだけなのかもしれません」
「では、儂とは成り行きで褥を共にしただけの関係なのかな? 儂は卿を愛しく思うておるのに。きっかけは何であれ、心引き合う存在というものはあるものだと、卿を得た今はそう思う。卿があれほどまでに親しくしているのだ。余人とは異なるものをあの者に感じているのであろう?」
 思案顔になり黙り込んだロイエンタールの暗褐色の髪を撫で、何か聞きたいことがあったのではないかと促した。 ふと現実に引き戻されベッドサイドに置かれたワインのボトルを示して言った。
「閣下、このワインですが、どういったものなのでしょうか?」
 そんなにお気に召したのかいと、ヴァルタースハウゼンは、背後から包み込むように白い裸体を抱きしめた。そして、このワインについて、自分の領地にあるワイナリーで作られたものを個人的に取り寄せているもので、数が少なく市場に出回ることはないと言った。
「それほど気に入ったのなら、卿にも分けてやろう」
 そう耳元で囁くと、軽くこめかみに口づけた。


ーー今晩、予定がなければ来てほしい。なるべく私服に着替えて。1830「ROSENGARTEN」 
 終業間際に届いたミッターマイヤーからのメールは、用件を伝えるのみで、それ故に緊急性を感じさせた。しかし、「薔薇園」という名の店を探すのに手間取り、定刻より遅れて店のドアを潜った。
 「ROSENGARTEN」には、毒々しげな妖気を纏った薔薇たちが侍っていた。彼ら、いや、彼女らは思い思いに身を飾りたて、一般には受け入れられない嗜好を持つ男たちをもてなしていた。店の奥の区切られた一角からひらひらとミッターマイヤーが手を振って招かなければ、茨の棘に絡めとられていたに違いない。ベタベタと身体に纏わりつく「彼女」たちから逃れるように、ロイエンタールは席に着いた。そしてそこに、見慣れぬ男が同席しているのを見出した。
「憲兵隊のオーピッツ少尉だ」
「お久しぶりです、ロイエンタール中尉」
 ミッターマイヤーに紹介されて見ると、「メーヴェ」の事件の折り駆けつけた憲兵だとわかった。しかし、なぜ二人が、との怪訝な思いを察したのだろう、ミッターマイヤーがそれまでの経緯をかいつまんで説明した。
「で、憲兵隊が放棄した事件を卿らはどうしようというんだ?」
 ミッターマイヤーの考えそうなことならだいたいわかる。が、問題はオーピッツだ。
「オーピッツ少尉、憲兵である卿の考えを聞きたい」
 おそらく、先ほどまでそのことを話していたのだろう。ミッターマイヤーに目で促されて、オーピッツは自身について語った。
 彼は、帝国軍では珍しく自ら憲兵隊を志願した。それは、憲兵であった彼の父を尊敬する気持ちからであったが、父にそのことを告げたとき、あまりいい顔をされなかったことが心に引っかかってはいた。実際、ここイゼルローンで憲兵としての職責を果たすうちに、あのときの父の気持ちがよくわるようになった。尊敬する父の姿と憲兵隊の現実とはあまりにかけ離れていたからだ。彼は、個人として、憲兵隊という組織に身を置くことを恥ずかしく思っていた。特に、彼の常識では重大犯罪であるはずの「メーヴェ」の殺人事件を、中央から突然やってきた高位の憲兵たちのために打ち切られたことは、彼の憲兵としてのプライドをいたく傷つけられていた。
「捜査の打ち切りは上の判断であって、自分の思いに反するものです。小官とて、凶悪犯をそのままにしておいてよいとは考えておりません」
「俺も、5人もの命を奪った奴が、のうのうと暮らしているなど、絶対に許せない。罪を犯した者は、それ相応の罰を受けるべきなんだ」
 真っ直ぐに正論を叩きつけてくるミッターマイヤーを、彼らしいとロイエンタールは好ましく思う。どんなことであっても、彼に力を貸してやりたいと思わせるが、今回はロイエンタールとて同じ気持ちであった。しかし、素直にわかったと言えないのが彼の性分である。
「で、ミッターマイヤー中尉は、探偵ごっこをしようというのか」
 皮肉な笑みを浮かべるロイエンタールを見て、ミッターマイヤーは困ったように眉をしかめた。
「まったく、卿は素直じゃないな。そうだよ、その探偵ごっこにロイエンタール中尉殿をお誘いしているのだ。いいだろう? 卿の力が必要なんだよ」
 わざとらしく殊勝ぶるミッターマイヤーと、冷めた風を装うロイエンタールは、お互いの滑稽さに吹き出した。言葉で確認をしなくても相手が考えていることなど分かりきっていることだった。「仲がいいんだな」と一人ごちたたオーピッツはポケットから出した紙を机の上に広げた。

「 被害者
   父親 バルドゥル・ベールゲ(52歳)職業不詳
   長女 カミラ・オーレンドルフ(29歳)
   次女 イーリス・ベールゲ(24歳)
   長女の長女 ハンネ(8歳)
      長男 フーゴ(2歳)      」

「ん? この長男の年齢は合っているのか?」
 ロイエンタールの質問に、我が意を得たりとオーピッツは頷いた。
「何か問題でもあるのか?」
「そう、ミッターマイヤーは知らぬのだな。カミラの夫は4年前に戦死しているはずだ」
「オーレンドルフ氏の軍籍を確認しましたが、確かに4年前の476年に戦没していました」
 ミッターマイヤーは食い入るように被害者の年齢を注視した。
「あ!」
「気づいたか。フーゴの父親はオーレンドルフ氏ではないようだ。父親について調べたのか?」
 もちろんとオーピッツはロイエンタールの問いに答えた。
「オーレンドルフ氏の生存の可能性も含めて調査しました。だが戦死は確かなものだったし、フーゴの父親が誰であるか確たるものは掴めていません。なんでも、カミラは長男を身ごもったくらいからほとんど外出していないらしいし、男の出入りも、近所の者たちは気づかなかったというこどです」
 腕組みをして唸る二人を前に、オーピッツはそれまでの捜査で分かったことを説明した。
「フーゴ父親の可能性も含め、この件は怨恨による犯行だと思われます。レジやキッチンにあった現金やカードはそのまま残されてありました。しかし、殺人の手口は鮮やかです。犯人は軍人、それも腕に覚えのある者で、犯罪には不慣れな者だと推測されます」
「犯罪には不慣れか・・・、なるほど、慣れておれば物取りに見せかける小細工を弄するだろうということか」
「おい、待てよ!」
 ミッターマイヤーは呆れたように言った。
「それじゃあ、イゼルローンの大半の軍人が該当するぞ!」
 三人は事件解決のための長い道のりを思い、呆然とした。

<続く>  
 

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