後フェザーン殺人事件 6



ベートゲアが見つけたのは、イゼルローンの歓楽街でも指折りの「後フェザーン」という名の酒場だった。従業員の多くが若い女性で、ベートゲアと似た境遇の者も少なくないということだ。客層も広く雑多な、しかし活気にあふれた店内だった。
 保証人が必要だということで同行したロイエンタールとミッターマイヤーを見て、店主は大いに気をよくした。早速明日から働けることになったので、この日は店主に紹介されたアパートを見に行くことにした。
「あの店主、ロイエンタールの方ばかり見ていたぞ。どうやら卿がお気に召したようだな。これは、ベートゲアのためにもあの店に頻繁に通わねばならんな」
「なんだ、卿も一緒に行くような口振りだな」
「え? 誘ってくれないのか?」
「さあ、どうしようかな」
 ベートゲアの荷物を分けて持ち、他愛もないことを話しながら歩いていくと、店から10分もしないところに目的の場所はあった。老朽化の進んだ建物ではあったが、小ぎれいに保たれているのは家主の心遣いの賜だろう。狭くても我が家を手に入れたベートゲアは満足そうだった。
「ミッターマイヤー中尉には、本当にご迷惑をお掛けしました。これで、一人前に生活していけます。ロイエンタール中尉も、本当にありがとうございました」
 二人が帰る段になって、改まって頭を下げたベートゲアにミッターマイヤーはいやいやと首を振った。
「迷惑など掛かっていないよ。それに、これでお別れってことでもないし。これからも困ったことがあったら何でも言ってくれていいんだからね」
 そうだろう?とロイエンタールの方を振り返ったので、ロイエンタールも頷いた。

 ミッターマイヤーは自分の荷物をまとめていた。来たときと同じボストンバック一つに入ってしまう程度だった。ここで過ごした時間がこんな小さなバッグ一つに収まってしまうことを意外に感じながら、もうすっかり馴染んだ室内を見回した。素っ気なさは変わらないながらも、ソファーで寝る彼のためにロイエンタールが買ってきた枕や羽毛のケットや、ミッターマイヤーが買い込んできたシリアルやフルーツなど、二人で過ごした痕跡がここあそこに見受けられた。もうここを訪れることもないのかなと思うと、胸が締め付けられるような寂しさに襲われた。ミッターマイヤーにとってここでロイエンタールと過ごす日々は、すでに日常となっていたのだ。
「ミッターマイヤー、もう行くのか?」
 声のした方を振り向くと、ロイエンタールが立っていた。その金銀妖瞳に自分と同じような寂しさを宿しているように見えるのは、きっと思い過ごしなどではない。
「ああ、卿には迷惑を掛けたな」
 ベートゲアと同じことを言っているなと思いながらミッターマイヤーは言った。
「ん? いや、ああ」
 普段のロイエンタールからは想像できない、歯切れの悪い返事だった。
「なんだ、本当に迷惑だったのか?」
「んん? 迷惑でなかったとは言い切れぬが・・・」
「言い切れぬが?」
「いや、なんでもない。それより、少し飲まないか?」 
 それはミッターマイヤーも望んでいたことだった。2人は夜が更けるまで杯を重ね、結局その夜も共に過ごすことになった。ミッターマイヤーはロイエンタールの言葉の続きを聞き出そうとしたが、はぐらかされてしまった。聞きたい言葉を聞くことが出来なかったことは残念だったが、彼の色違いの美しい瞳に自分と同じ思いが宿っているように思えたので、よしとすることにした。
 
 翌朝、珍しく朝寝してしまったミッターマイヤーは、シリアルをかき込んだ。自分の官舎に寄っている時間もないので荷物は終業後に取りにくることにした。それならば持っていろと、ロイエンタールは予備のカードキーを投げて寄越した。昨晩返したばかりの合い鍵を再び手にして、「ありがとう」という簡潔な言葉に言い表せないほどの思いを乗せて答えた。満面の笑顔を残して出勤していったミッターマイヤーを、ロイエンタールは眩しそうに見送った。

 執務室の雰囲気は朝から良くなかった。原因はグリーベル大佐だった。いつもより早く出勤してきた彼は、不機嫌な青白い顔をして椅子に座っていた。異様な緊張状態から解放されたのは、ロイエンタールが資料を取りに席を立ったときだった。おもむろに立ち上がったグリーベルが、執務室を出ていったのを見届け、シュタイナッハたちは大げさにため息をついた。そして、ロイエンタールの身に起きるであろう不運を思いそれぞれが胸を痛めた。 

「今朝もあの男と一緒だっただろう。もう寝たりしたのか? やっぱり、よかったのか?」
 昼食をとりながらの会話に、ミッターマイヤーの理解は一瞬遅れた。
「あの男って、ロイエンタールのことか? 寝るって・・・どういうことだ!」 
 話題の提供主は、低い声で詰問するミッターマイヤーの迫力に圧され、自分の問いが愚問であったことを察した。
「スマン。冗談だ、忘れてくれ」
「いや、教えてくれ。ロイエンタールはそんなふうに思われているのか?」
 己の知っているロイエンタールと、あまりにもかけ離れた僚友たちの噂の中のロイエンタールに、以前もとまどいを感じたことを思い出した。いったいあの男のことを彼らはどのように見ているのか。ミッターマイヤーの剣幕に、僚友はしぶしぶの体で口を開いた。
 彼の上官である大佐が彼に言い寄りこっぴどく振られたらしいということ。その上官以外にも彼に言い寄る男は後を絶たず、その中には彼と関係を持った者がいるとかいないとか。酔った勢いで彼と寝たと大ボラを吹いて自慢したがるような輩もいるという。あれほどの美しい男だから女はもちろん、男にも人気があるということだろう、と。
 聞き終えて、ミッターマイヤーは腸が煮えくり返るような怒りを覚えた。ロイエンタールのことを何も知らずに無責任な噂が流れていると思ったからだ。
「あいつのことをそんな風に言うな。ロイエンタールはそんな奴じゃない」
 そして、自分たちがそういう関係にしか見られていないということに無性に腹が立った。

 資料室の扉がロックを告げる電子音を立てたことに、ロイエンタールは嫌な予感がした。そしてそれはすぐに当たっていたことを思い知らされることになる。
「ロイエンタール」
 地を這うような声と共に、書架越しに上官のグリーベルの姿が見えた。逃げるようにこの場を立ち去ることは彼の矜持が許さなかった。書架を回って目の前まで来たグリーベルと彼は対峙した。
「御用がありましたなら、あちらで伺いましたものを」
 平然とした態度を崩さないロイエンタールに、グリーベルは苛立ちを露わに、彼の肩を掴み書架に押しつけた。
「ミッターマイヤーとか言ったな。あの男をくわえ込んで毎晩何をしている? 随分可愛がってやったのか? 手放せなくなるほどよかったのか?」
 大佐は怒りと嫉妬と欲情が入り交じった、血走った目をしていた。
「仰ることがわかりませんが」 
 両肩を掴む手に力が籠もり、ロイエンタールは書架に叩きつけられた。
「白々しいことを言うな!俺が知らないと思っているのか! 卿が奴と毎朝連れだって官舎から出てくるところを俺は見ていたのだぞ!」
「彼とは、そういう関係ではありません」
「では、どんな関係だというのだ!」
 ミッターマイヤーと己の関係をどう表せばよいのか、言葉を詰まらせたのを、グリーベルはやはり自分には言えぬ関係かと受け取った。
「俺というものがありながら・・・」
 嫉妬に駆られて口を吸おうとしてきたグリーベルに、ロイエンタールは顔を背けた。その態度にさらに怒りを覚えグリーベルは力任せにロイエンタールの首を絞めあげた。その手をふりほどこうとするが、血管と気道が圧迫され、体に力が入らなかった。
「誰だ、鍵をかけたのは」
 扉の向こうから聞こえてきた声に、グリーベルは最初無視を決め込もうとした。
「ドレッセル、今すぐ鍵を持って参れ」
 しかし、その声の主に気づくと、その後の行動は早かった。ロイエンタールを突き放し、扉に駆け寄ると、今まで自分がいた側のライトを落とし鍵を開けた。
「申し訳ありません、閣下。部下が誤って施錠したようであります」
「そうか」
 叱責のないことに胸をなで下ろしたグリーベルは、第一級の敬礼をすると、長居は無用とばかりに立ち去った。

ーー今晩一緒に飯を食わないか?
昼食後送ったメールに、いつまで待ってもロイエンタールからの返事はなかった。携帯端末の画面を見つめため息をついたのを、僚友は見逃さなかった。ミッターマイヤーは珍しいその行為をひとしきりからかわれたあと、その同僚ケール中尉を夕食に誘った。
「いいところがあるんだ、卿は知ってるかもしれないが」
 しかし、終業間際になってケールは艦長に呼び出されて出ていった。どうやらエネルギー砲の出力を上げるために彼らの乗鑑はしばらくドッグに入ることになったようで、艦砲担当のケールは現状の確認を求められているのだという。もう一度返信のないことを確認したミッターマイヤーは、一人「後フェザーン」に出かけることにした。

 ミッターマイヤーの姿を認めると、ベートゲアが駆け寄ってきてまだぎこちない様子で席に案内してくれた。揃いの青と白のストライプのワンピースに白いエプロンを掛けている。薄く化粧までして、昨日までとは違う彼女の雰囲気に、ミッターマイヤーは一人できたことを少し後悔した。ここにいない奴なら、気の利いた言葉でも掛けるんだろうが・・・。自分をまじまじと見つめるミッターマイヤーの視線に気づき、ベートゲアは頬を赤らめた。
「似合わないでしょ? 制服なんで仕方ないんです」
「そ、そんなことはない。とても・・・、とても素敵だよ。あの、ビール、黒ビール頼むよ」
 はいと笑顔を残して厨房へ戻る後ろ姿を見送り、ミッターマイヤーは実家にいる少女の姿を思い出した。燕のように軽やかな身のこなし。菫色の瞳。彼はしばらくここがイゼルローンであることを忘れられた。

 新たな侵入者の靴音がまっすぐにこちらに近づいてくるのをロイエンタールは聞いていた。目の前まで来たその靴音の主を床に座り込んだまま見上げた。目線を合わせるように身を屈めた将官服の男は優しくロイエンタールを抱き寄せた。
「グリーベルの奴め、卿をこのような目に遭わせるなど許せぬな」
 奴も嫉妬に駆られたのかと、この要塞の司令官ローデリヒ・フォン・ヴァルタースハウゼン上級大将は胸の内で呟いた。
「閣下、どうして・・・」
 まだ思うように言葉も紡げぬ唇に軽く口づけをして、彼の求める答えを教えてやった。
「シュタイナッハがこの前で立ち尽くしておったのでな。直ぐに卿に何かあったのだと思った」
 今度は互いに貪るような深い口づけを交わし、ヴァルタースハウゼンは腕を引いてロイエンタールを立ち上がらせた。
「今宵は儂に付き合ってくれるだろう? この褒美を頂かねばな」
 愛しげに乱れた暗褐色の髪をかきあげてやり、司令官は立ち去った。

「ベートゲア、あれ」
 ミッターマイヤーの指さす方を見たベートゲアは黙って頷いた。
「訊いてみようか?」
「いいんですか?」
「ああ、俺もずっと気になっていたんだ」
 視線の先には一人の若者がいた。私服を着ているがあれは確かにあの事件の際駆けつけてきた憲兵である。連れもなく一人ビールを飲んでいる憲兵の前に立ったミッターマイヤーは持ち前の人当たりの良さで声を掛けた。
「ここ、いいかい?」
 もうかなり飲んでいるのか、虚ろな目を上げミッターマイヤーを見た。
「邪魔だ、あっちに行け」
「俺も一人なんだ、卿もだろう?」
 グラスを乱暴に置き、ミッターマイヤーに向き直り何か言おうとしたとき、ベートゲアと同じ格好をした金髪の派手な顔つきのウエイトレスが現れた。途端に彼は頬を緩めた。
「オーピッツ少尉、この娘、新しく入ったばかりなの。優しくして上げないとあたしもう少尉の席には来ないから」
 ミッターマイヤーの後ろに隠れるように立ってるベートゲアを指して彼女は言った。そして新しいジョッキを机に置き、立ち去る間際にミッターマイヤーに小さくウインクをした。
「あの事件、どうなった?」
「あの、「メーヴェ」の事件か。あれは、もう捜査打ち切りになった」
「なんだって!」
 ミッターマイヤーは詰め寄った。
「何故だ! あんな凄惨な事件だぞ! 憲兵隊の威信に懸けても解決すべきなのではないのか!」
 オーピッツはちらりと金髪のウエイトレスを見た。
「何故だか俺も知るもんか。突然上からの命令だ。なんでもオーディンから特命を帯びた憲兵がやってきて、うちの上官どもも大慌てなのさ。そんな事件に構っておれないのだろう」
「人が5人も殺されたのだぞ! 卿もあの現場を見たろう? あれを卿は許せるのか!」
 オーピッツはジョッキに入ったビールを飲み干した。酔眼をミッターマイヤーに据えながら唸るような声を出した。
「上からの命令だ。これが絶対だと、卿も軍人なら十二分にわかっているはずだ、正論家のミッターマイヤー中尉殿」
 そのまま立ち上がろうとするオーピッツの腕をとらえてミッターマイヤーは言った。
「卿の正義がそれを認めるのか? もし良心に呵責するところが少しでもあるのならば、いつでもいい、俺に連絡してくれ」
 オーピッツは腕を乱暴に振り払い店を後にした。ミッターマイヤーは酔いに紛れながらも、彼の目に浮かんだ自責の色を信じようと思った。
 
<続く>  
 

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