友だちのキス(2)



2 事の発端(1)

 ある日の午後、士官学校は騒然とした。化学実験室から異臭が漂い数名の生徒が昏倒したという。異臭の原因は実験の後始末が不十分だったとわかり、数名の生徒と教官が学校長よりきつい叱責を受けたが、問題は被害にあった生徒が数名、未だに意識を取り戻さないことにあった。医務官の診断では今日中には意識を取り戻すだろうということであったが、もし、それ以上意識を失っているようなら、軍病院に移送することになっていた。被害にあったのは2年生のAクラスの学生で、化学実験室の掃除当番だった者達だった。

「マイアー、ロイエンタールの様子はどうだ?」
 医務室から出てきたクラスメイトを捕まえてビッテンフェルトは尋ねた。答えを聞かずともその顔色からおおよそのことは知れていた。
「まだ意識が戻らない。他の奴はもうほとんど普通に体も動くようになったみたいだけど」
「なんでロイエンタールだけ意識が戻らないんだよ!」
 向け所のない怒りにビッテンフェルトの声は震えた。
「一緒にいた奴が言うには、ドアを開けたのがロイエンタールだったんだって。だからガスも大量に吸い込んだのかも知れない」
 医務室の中を気遣うようなマイアーの素振りに、ビッテンフェルトは体を小さくした。
「なあ、ビッテンフェルト。お前、これからしばらく空いているか?」
「ん、ああ」
 マイアーは安堵した表情でビッテンフェルトに頼みごとをした。
「じゃあ、しばらくロイエンタールの側についていてやってくれないか? 俺はこれから補習に出ないといけないんだ」
 マイアーは理数系には滅法強かったが、実技分野に苦手を抱えていた。この日は放課後、格闘技関係の成績不振者に対して補習が行われることになっていた。
「ああ、いいぜ。お前も頑張れよ」
「うん。ここで成績を下げると3年生でBクラスに落ちてしまうからな」
 ああ、そうか、とビッテンフェルトは納得した。士官学校生の寮は、1年時は4人部屋だが、2年生からは2人部屋になる。マイアーは1年生のときからロイエンタールと同室で、端から見ていると滑稽なほどロイエンタールのことを気遣っている。ビッテンフェルトとクラス長のワーレンは、マイアーの心配が単なる杞憂でないことを知っている。しかし、そうでない同級生は陰でマイアーを「ロイエンタールの親衛隊長」と呼んでいた。親衛隊長たるもの、常に学年主席を守り続けるロイエンタールと同じクラスでいるために、マイアーは苦手な体術で成績を落とすわけにはいかないのだ。
「絶対にロイエンタールの側を離れるなよ。不届きな奴らがこんな時でもちょろちょろと様子を伺いに来てるんだ」
 心配しすぎなんじゃないかと呆れ顔になったビッテンフェルトの視界に、ロイエンタールに言い寄り続けている貴族の上級生の姿が入った。
「わかった。俺が絶対にロイエンタールについていてやる!」
 わざと大声で宣言すると、その意図を読みとってマイアーはニッと笑い立ち去った。

「おや、ビッテンフェルト君じゃないか。君も親衛隊なのかい?」
 医務官のノルドハイム医師がトレードマークの銀縁眼鏡の奥の目を細めながら声を掛けてきた。
「マイアーに頼まれて仕方なく、です」
「そうかい。君はロイエンタール君と仲がいいんだね」
「そんなことは・・・。いつも喧嘩ばっかりです」
「はははっ。喧嘩するほど仲がいいと言うしね。それに、マイアー君が君に後を託すんだ。信頼されている」
「はぁ」
 ノルドハイム医師はポットからコーヒーを注ぎ、ビッテンフェルトの前にカップを置いた。
「あんなことがあったんだ。マイアー君としては彼に随分責任を感じざるを得ないのだろう」
 カーテンの奥、おそらくロイエンタールが横たわっているベッドを顎で指してノルドハイムは続けた。
「だから、マイアー君は親衛隊長と揶揄されても彼を守ろうとするんだろうね」
 口調の軽さとは異なり、銀縁眼鏡の奥の目は沈痛な色をたたえている。
「先生」
「うん?」
「あんなことって、何ですか?」 
 ノルドハイムの顔にははっきりと「しまった」と書かれていた。
「そうか、そうだよね。いや、知らなければいいんだ、忘れてくれ」
 話は終わりとばかりに回転椅子をくるりと回し、帳簿を広げたノルドハイムの態度に、ビッテンフェルトは嫌な予感がした。
「先生・・・」
「駄目だよ。私にも守秘義務というものがあるからね。ちょっと口を滑らせてしまったことは誰にも言わないでいてくれるかな?」
 背を向けたまま、ビッテンフェルトの言葉を先回りして拒絶したノルドハイムに、ビッテンフェルトは予感が確信に変わった。
「俺、ロイエンタールが上級生に付け狙われていること、知ってます。あいつ、何でも一人で解決しようとするけど、俺、あいつの力になれるんなら、なってやりたいって思ってます。でも、あいつ、すごく自分のことなのに投げやりで・・・、自分のことなんて放っておけって」
「ビッテンフェルト君」
「はい」
 ノルドハイムはビッテンフェルトと向かい合うように座りなおした。
「知りたいことと、知らなければならないこととは違う。それはわかっているね?」
「・・・それは、俺が興味本位で聞いているということですか?」
 ノルドハイムの言葉の意味を理解し、ビッテンフェルトは顔を真っ赤にした。
「違う、と言いたいようだね。でも、知ったところでどうもできないことだよ。ただ、そうだな・・・」
 ちょっと考えるように、顎に手を当ててノルドハイムは言葉を継いだ。
「ロイエンタール君もマイアー君も、互いに自分のために相手を傷つけてしまったと考え、自分を責めている。悪い奴は他にいるのに、そう思ってしまうんだろうね。彼ら2人の間には誰も立ち入ることはできないよ。ビッテンフェルト君、君になにができる?」
「俺は・・・」
 銀縁眼鏡の奥の目にじっと見つめられていることを感じながら、ビッテンフェルトは今まで経験がないほど頭を働かせた。この問に正解なんておそらくない。ないからこそ、その場凌ぎの返答はできなかった。
「よく考えるといいよ。彼らも君もいい生徒だ。きっと、よい答えが見つかるだろうさ」
 そう言うと、職員会議があるからといって、ビッテンフェルトに留守を任せてノルドハイムは出ていった。

<続く>


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