温泉に行こう!(4)



「閣下、隣よろしいですか?」
「ん」
 浴衣の上に濃紺の茶羽織を羽織り、端然とロイエンタールは座っていた。さらさらと前髪が額に懸かり、普段は青白い顔が桜色に上気している様は、得も言われぬほど艶めかしい。レッケンドルフはできるだけ隣を意識しないようにしようと心に決めた。
 面倒くさがりのロイエンタールはこういう場で挨拶は一切しない。乾杯の音頭も腹心のベルゲングリューンに任せて当然という顔でいる。
 風呂上がりということでみないつも以上に酒の周りが早かった。女将の薦めもあり乾杯以降は日本酒に切り替えたこともあるだろうが。程良く酔いも回り場も盛り上がり始めた。
「レッケンドルフ、鍋ができたようだぞ」
 向かいに座るバルトハウザーが土鍋の蓋を持ち上げると、いい感じに煮立っていた。
「そのようですね。閣下、何をお入れしましょう?」
「ん、適当に入れてくれ」
 焼き物をつまみながら杯を重ねていたロイエンタールに、レッケンドルフは恭しく椀を差し出した。鍋はこの地域の伝統的なもので、猪肉がメインのものだった。
「共食いだったのだな」
 謎の言葉を呟いた上官を見ると、クククっと楽しげに笑っている。そんな上機嫌な上官の様子を見て、ご無理をさせているかも知れないと申し訳なく思っていたレッケンドルフはほっと胸をなで下ろした。
 もうとうに食べ盛りをすぎた面々だが、職業柄皆よく食べよく呑む。レッケンドルフも例外ではなかった。しかし、前の失敗があるだけに酒だけは控えようと思っていたが、杯が空くとロイエンタールがひょいとお銚子を取り上げ彼の杯に注いでくるので、思っている以上に飲み過ぎてしまったようだ。最初の決意などなかったかのように、レッケンドルフの視線は隣の魅力的な上官に惹きつけられて離れなかった。
 
 当初の整然さはどこへやら、入り乱れ大騒ぎする部下たちを、ロイエンタールは満更ではないような面持ちで見ていた。人材収集癖のある彼の上官とは異なり、ロイエンタール艦隊は彼の子飼いの提督たちが要職を占めている。彼らの大半が、ロイエンタールが提督と呼ばれるようになってから共に戦ってきた戦友だった。自らの能力を過大にも過小にも評価しない彼は、彼らなくして今日までの勝利を手にすることはなかっただろうと思っている。自分に全幅の信頼を置き命を預け、作戦遂行のためにもてる能力をすべてつぎ込む彼の部下を、ロイエンタールは何よりも得難いものに感じていた。次に戦があればこの内の幾人かは帰らぬものになるかも知れない、無論自分も例外ではないが。そう思えば共に過ごすこの時がこの上なく愛しく思われた。

 穏やかな色を湛えた金銀妖瞳に誘われて、自然とロイエンタールの周囲にみなが集まってきた。閣下と酒を酌み交わしなから話す機会などそうないことだ。普段は聞けないことも今なら酒の勢いで口に出せる。話題はあの会戦でのあの命令の意図であったり、あの閣下の人物評であったり、士官学校時代の話や有名なあの女優との噂にまで至った。みながこの年下の上官を敬愛し慕っている。冷然とした貴公子が親しい者にだけ見せるくつろいだ雰囲気にみな酔いしれていた。
「閣下は、レッケンドルフ少佐のことをどのように思っていらっしゃいますか?」
 唐突に誰かが尋ねた。言った本人はおそらく忘年会の例の発言を念頭に置いている。ぼおっとロイエンタールの美しさに酔いしれていたレッケンドルフは慌ててしまった。
「レッケンドルフ?」
 その意図をはかりかねたようにロイエンタールがレッケンドルフを見つめた。酒のせいばかりでなく真っ赤になった彼を見て周りの者はニヤニヤと笑っている。
「そうだな。我が艦隊に欠くことのできない人材だな。少なくとも俺には必要だ。レッケンドルフがいなければ、俺は書類の山に押しつぶされているだろう」
 俺には必要、俺には必要・・・。甘美な言葉の響きにレッケンドルフはうっとりした。
「では、閣下もレッケンドルフのことがお好きなのですか?」
 レッケンドルフの心臓は跳ね上がった。ななななんてことを聞くんだ!閣下、お答えにならなくてもいいですからと心の中で叫ぶが、ロイエンタールに届くはずもない。
「俺が、嫌いな者を側に置いておくと思うのか?」
 酒精に冒された脳味噌では、婉曲的な表現を理解するのに少し時間がかかったが、その言葉の意味が理解できたとき、そこにいるすべての者がしあわせな気持ちになった。言うまでもなく、レッケンドルフは感激していた。気がつけば涙が流れていた。
「ん、レッケンドルフ、どうした?」
 突然泣き出した副官に、ロイエンタールは驚いた。
「閣下、そいつは泣き上戸なのです。ご心配には及びません」
「泣き上戸か」
 ベルゲングリューンの言葉に頷きながらも、突然の変わりぶりに、ロイエンタールはレッケンドルフの肩に手をかけ様子をうかがった。
「閣下・・・」
 泣きの入り始めたレッケンドルフに、自分自身を操縦するすべはない。ロイエンタールの手に引き寄せられるように、彼はロイエンタールの胸にすがりついた。
「こら!閣下から離れろ!」
 近くで誰かが叫んだ。その後どうなったか彼にはわからない。レッケンドルフは全身でロイエンタールの体温を感じながら眠りに落ちてしまった。

 レッケンドルフは布団の中で意識を取り戻した。時計を見ると午前2時まであと少しという頃合い。明かりは落とされ、周囲からは複数の寝息や鼾が聞こえる。酔いつぶれた彼を、誰かがここまで運んでくれたのだろうか? 宴会後半の記憶が定かでないことが不安だが、ここでうだうだ気に病んでいても仕方がないと思い直し、とりあえず気分を変えるためにも風呂に行くことにした。ふと衝立で仕切られた一隅が気になったが、、中を覗くなどという不躾なことはできずそのまま部屋を後にした。
 離れの風呂も母屋にある大浴場も、一日中利用できると女将に聞いていたので、レッケンドルフはどうせなら大きい方をと大浴場を目指した。この時間なら大きな風呂を独り占めできるだろう。大きな風呂で手足を存分に伸ばし、ささやかな贅沢を満喫することにした。

<続く>


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