温泉に行こう!(2) |
一同の視線は自然とロイエンタールに集まった。ミッターマイヤーから「招待券」を取り返し、細々としたその内容に目を通す。行き先はおそらく忘年会を開いた料亭の系列の温泉宿だ。離れ貸し切りで、宴会料理は鍋。部屋数は3部屋で20名弱が入るには窮屈だが、襖を開け放せば大きな一間となるーーつまり、雑魚寝ということか。むむっという小さな呻きをビッテンフェルトは聞き逃さなかった。にやりと笑みを浮かべ猪に似合わぬ猫撫で声を出した。 「な、卿にはあわないだろう。温泉で鍋で雑魚寝だぞ。卿には無理だよなぁ。卿には、そうだな、スイートルームの天蓋付きのベットが似合っている!」 ロイエンタールのこめかみに青筋が走るのをミッターマイヤーは見た。ミッターマイヤーから見ても、親友が苦手なものがそろったプランだと思う。少なくとも彼が進んで行きたいと思うものではない。しかし、そんな言い方をすればこの天の邪鬼がどう返事をするか、付き合いだけは無駄に長いこの猪武者には分からないのだろうか。 「さあ、どうする? 無理なものは無理と言えばいいのだぞ」 ニタニタ笑いながらさあさあと返事を促すビッテンフェルトにロイエンタールは昂然と言い放った。 「俺は行っても構わない」 やっぱりなとミッターマイヤーは小さくため息をついた。隣ではファーレンハイトが肩を竦めている。 「なななななな、なんだとぉ?!」 「卿らはどうなのだ? コレに行きたいのか?」 招待券をとんとんと指で叩き、いつの間にか執務室の壁際に陣取っていた彼の幕僚たちを見た。 みな分かっていた。閣下は持ち前の天の邪鬼でああは言ってはいるが、本心では進んで行きたいわけではない。俺たちが断れば、閣下の面目も立ち、温泉行きも回避できる。わかっている、わかっているが、本心じゃ行きたいに決まっている。閣下と温泉!こんなこと、この機会を逃せば一生無いことは明白だ。さあ、誰が答える? 何と答える? 優秀で知られたロイエンタール艦隊の首脳部の面々が無言で左右の同僚の出方を伺った。 「レッケンドルフ、卿はどうなんだ?」 痺れを切らしたロイエンタールが、招待券を当てた本人の意向をまず聞こうと名指しした。だが、レッケンドルフは答えられない。まさしく窮地に立たされていることを実感しながら。彼には幸いなことに、ロイエンタールは短気になっていた。答えない者の答えをいつまでも待ってやれる気長さは今はない。 「バルトハウザー、卿は?」 バルトハウザーは姿勢を正し、スウッと息を吸い込んだ。 「小官は」 彼の表情にはありありと迷いが現れていた。しかし、結局自分の欲求に負けた。 「小官は、閣下と温泉旅行に行きたく存じます!」 「!!!」 上官がどう思っているかは、得意のポーカーフェイスに隠されてわからないが、対するビッテンフェルトの驚愕と落胆ぶりは誰の目にも明らかだった。 下がっていろという言葉を受けて、執務室を退出した幕僚たちはバルトハウザーの肩を叩いてその功を誉めたたえた。レッケンドルフはバルトハウザーに近づき迷惑をかけてしまってと謝罪した。バルトハウザーは彼の両肩をがっちり掴んで言った。 「あのときの俺たちの気持ちは一つだった。俺は卿に礼を言うぞ!」 「本当に行くんだな? 途中で気が変わったらいつでも言ってくれればいいんだからな」 学習機能が付いていないのか、この猪は! とミッターマイヤーは呆れかえった。そんな言い方をすればその可能性は全く無くなってしまうんだぞ! 「万が一にもそのようなことはない。もう、用は済んだのだ。さっさと仕事に戻れ」 向っ腹を立てたビッテンフェルトはわかったよ!と背中を向けた。扉の前で首だけ巡らし憎々しげに吐き捨てた。 「せいぜい、部下に掘られぬように気をつけるんだな!」 「!」 「!」 「?」 大きな音を立てて扉は閉まった。 「ほられる? どういうことだ?」 ミッターマイヤーとファーレンハイトは慌ててロイエンタールを取り囲み、その意味を悟らせまいとした。ビッテンフェルトもあの告白を知っている。知っていてこんなタイミングでそれをぶっ込んでくるとは質が悪い。 「放られるなということだよ、ロイエンタール」 ミッターマイヤーのアイデアに乗って、ファーレンハイトもさらにフォローを入れる。 「そうです。ビッテンフェルト提督は酒の席で部下に池にでも放り込まれたことがあるのでしょう。閣下は大丈夫ですよ。閣下の幕僚たちがそのようなこと、するはずがありませんから」 「当然だ」 ロイエンタールは上手く誤解したようだ。二人は目だけで頷きあった。 「しかし・・・」 ファーレンハイトが心配げにロイエンタールの顔をのぞき込んだ。 「閣下、いいのですか・・・」 「ファーレンハイト!」 ミッターマイアーはファーレンハイトの言葉を遮り、 「じゃあ、俺たちも戻るよ」 とファーレンハイトの腕を引っ張って廊下へと出ていった。 「何をなさるのです!」 怒りを露わにした水色の瞳に、落ち着けと灰色の目を投げかける。 「卿ならわかるだろう? 今あいつは臍を曲げきっている。何か言われたら、あいつはそれを選択肢の中から必ず外す」 「あっ!そうでした。しかし、いいのでしょうか?」 「まあ、なるようにしかならんよ。しかし、あいつはあれで部下を可愛がっているからな。案外いい機会なのかもしれないよ」 じゃあと手を挙げミッターマイヤーは自分の仕事に戻っていった。確かに、親友だけあってなかなか穿った見方をするが、彼はあの方のあんな近くにいて、あの方の魅力に全く気づいていない鈍い人なのだ。どうも信用できない。あの方が部下と間違いを起こすはずはないとは思いながらも、間違いがあってくれるなよと祈るファーレンハイトであった。 <続く> |