後フェザーン殺人事件 5



「それにしても、犯人はどんな奴だろう?」
 勧められて先にシャワーを浴びてきたミッターマイヤーが、蜂蜜色の頭をガシガシと拭きながら言った。それには答えず、
「飲むか?」
とロイエンタールはワインのボトルを提げて聞いた。
「もちろん!」
 妙に高ぶった気持ちを落ち着けるためにも、酒が欲しいと思っていたところだった。ミッターマイヤーは備え付けのテーブルに並べられた不揃いなグラスに目を留めた。
「ああ、これか。客など来たことがないのでな、すまないな」
「いや・・・」
 改めてミッターマイヤーはロイエンタールの部屋を見回した。生活感の希薄な物の少ない部屋だった。貴族的な彼の外見や彼を取り巻く噂からさぞかし贅沢な暮らしをしているのだろうと勝手に想像していた自分を少し恥ずかしく思った。
「そうなのか。それじゃあ、突然押し掛けてきて迷惑だったよな。こちらの方こそすまない」
「今更だな」
 眉毛を下げてタオル越しに伺うと、ロイエンタールの金銀妖瞳が柔らかく笑っていた。ミッターマイヤーはほっとして、ワインの注がれたグラスに手を伸ばした。そしてその芳醇さに日頃彼が口にしているワインとは比べられない逸品であることが知れた。
「うまい」
「口に合ったか?」
 ロイエンタールはクルクルと変わるミッターマイヤーの表情を興味深く見た。そして、こんなに自分の懐深くに立ち入り、好き勝手に振る舞う彼に些かも嫌悪感を感じない自分を不思議に思った。

「ところで、ロイエンタール中尉」
「中尉はいらぬ。お互い同階級なのだから、堅苦しい呼び方はいらぬだろう」
 ミッターマイヤーは少し驚いたように目を見開き、その後はにかみながら彼の名を口にした。
「じゃあ、ロイエンタール」
「何だ?ミッターマイヤー」
 名前を呼ばれる、ただそれだけのことに重い意味があるような気がして二人はしばらく真面目な顔で見つめ合った。そして同時に吹き出した。照れて赤くなった顔を隠すようにひと撫でして、ミッターマイヤーは先ほど言おうとした言葉の続きを発した。話題は自然と今日の事件のことになる。
「物取りか怨恨か、卿はどちらだと思う?」
 判断材料は一度客として訪れただけの自分よりロイエンタールの方が持っているはずだった。
「さあ、確たることは言えんが、俺は怨恨だと思う。店や部屋に荒らされたところはなかったならな。偶然物取りに「メーヴェ」に入った可能性もあるが、それで家族全員を殺害することにはなるまい」
「では、どのような恨みを買っていたのだろう?」
「それこそわからんな。恨みを買うことがあったのか、逆恨みされたのか。しかし、子供にまで殺意は及んだのだ。犯人の悪意の強さを感じる・・・」

 ロイエンタールはワインに視線を落とした。ワインの赤色が流れていた血の色を思い出させた。それは、子供を守るように死んでいたカミラの姿を脳裏に蘇らせた。その我が身を犠牲にしても子供を守ろうとした母親の姿は、ロイエンタールの心の奥底に厳重に蓋をしてある記憶を刺激する。意識してこれ以上思い出すな、蓋を開けるなと自分に命じるが、隙間から覗いたナイフの切っ先は、容易に心の傷を抉り出す。母親に愛されない理由を我が身の上に探し続けた幼い日の自分を、刻み込まれた絶望と自己否定に囚われたままの己を。

「ロイエンタール、どうしたんだ? おい!ロイエンタール!」
 突然黙り込んだロイエンタールをミッターマイヤーは気遣わし気に見遣った。まるで絶望の淵をのぞき込むかのような瞳に、ミッターマイヤーはロイエンタールの両肩を掴み揺さぶった。
 ロイエンタールの意識がふと現実に引き戻された。開きかけた蓋が閉まるのを感じた。目の前には心配そうに見つめるグレーの瞳と室内灯の下でも明るく輝く蜂蜜色の金髪があった。眩しいなと目を細め、その光に手を伸ばした。
その無意識の自分の行為に気づき、照れ隠しにロイエンタールはミッターマイヤーの髪をくしゃっとかき乱した。
「おい、なにをするんだ」
 一瞬立腹した面もちになったが、すぐにもとの気遣うような目に戻った。ロイエンタールが「メーヴェ」を出たときと同じ顔つきだったことで、ミッターマイヤーにはある疑念を抱いていた。
「大丈夫かい? その、卿は恋人だったんじゃないのか?」
「?」
 ロイエンタールは理解の範疇を超えた言葉を聞き、どうとも反応できないでいた。それを動揺と見たミッターマイヤーは言葉を続けた。
「その、彼女たちのどちらかと交際していたのではないのか?だとしたら、その、大切な人を殺されて辛いだろうと思って・・・。俺に何ができるかわからないが、できることがあれば」
「待った。それは違う。違うぞ、ミッターマイヤー」
「そうなのか? 卿がひどく落ち込んでいるようだから、きっとそうなのだと思ったのだが」
 まだ疑わしげに見つめてくるミッターマイヤーに、ロイエンタールは皮肉な笑みを浮かべた。
「あんな真っ当な暮らしをしている女は、俺などを相手にせんよ。だが、そうだな、ここで軍人以外でまともに話ができたのはあの姉妹ぐらいだから、その意味では大切な人といえるかも知れんが」
「そうか、そうなのか・・・」
 ミッターマイヤーは妙に考え込むように黙り込んだ。2人は無口なまま暫く杯を重ねた後、床についた。

 翌朝、ソファーで目を覚ましたミッターマイヤーは、ぼやけた頭で部屋を見回し、ああそうだったと自分が今ロイエンタールの官舎にいることを思い出した。時計を見るといつも起床する時間である。身に染み着いた習慣で目を覚ましたことにホッとしながら、静かに起き出し朝の支度を始めた。洗顔を済まし身なりを整えて、時計を見るともう6時45分を過ぎようとしており、ふとこの部屋の主のことが気になった。ミッターマイヤーとしてはもうそろそろ朝食をとりたい時間だったが、寝室からは何の物音もしなかった。もしや、寝こけている自分をそのままにしてロイエンタールはもう出かけてしまったのだろうかと思うと、例えようもない寂しさに襲われた。ああは言っていたもののやはり迷惑だったのかなと、彼に認められたように感じ舞い上がっていたような自分を小さく恥じた。未練だなと思いつつも、寝室の扉を小さくノックして彼は扉を少し開けた。
「ロイエンタール。いるのか?」
 返事はない。一縷の望みも絶たれたように思いながら扉を閉めようとしたとき、小さなうめき声が聞こえたような気がした。人工の朝日も分厚いカーテンに遮られて室内には届いていない。まだ夜の闇の残る室内に目を凝らすと、ベッドの中で寝返りを打つ気配がした。
 ミッターマイヤーは窓際に駆け寄ると勢いよくカーテンを開けた。差し込む朝日を避けるようにベッドの住人は上掛けを引き上げた。
「ロイエンタール、起きないのか? 間に合わないぞ?」
 まだ眠たそうな目だけを上掛けから覗かせた。朝日に煌めく金銀妖瞳は美しく、まるで二色の宝石のようだった。思わず見ほれるミッターマイヤーにロイエンタールは不機嫌な声を出した。
「今何時だ」
「もうすぐ7時だぞ。始業は8時40分だろ?」
「・・・、もう少し寝る」
「何言ってるんだ。間に合わないぞ。朝飯だって食えなくなる」
「朝飯は食わない。間に合うから、もう少し寝かせろ」
 普段の彼からは想像もできないような子供っぽくごねる様子に、先ほどの不安もどこへやら、ミッターマイヤーのいたずら心が動いた。
「起きろよ、ロイエンタール。起きないと・・・こうだぞ!」

 小一時間後、2人は市街地のカフェのオープンテラスにいた。唇の端を切ったミッターマイヤーは仏頂面でコーヒーを啜るロイエンタールに先ほどからずっと謝り続けている。
「すまなかった!卿があんなにくすぐったがりとは思わなかったから」
「・・・・・・」
「だから悪かったって」
「・・・もうしないと約束するか」
「する、するよ! 」
 ふふっとロイエンタールは笑った。もう十分意趣返しはしたし、自分で淹れるより旨いコーヒーも飲めたので、表情に反して機嫌は随分前に直っていた。
「じゃあ、いい。卿のおかげで旨いコーヒーも飲めたしな」
「だろ? 朝が弱いのはわかったが、朝飯ぐらいはきちんと食えよ」
 相手の機嫌が直ったことで、それまでお預けを食らっていた食事にやっと手を付けられたミッターマイヤーは、トーストを頬張りながら言った。2人の間には2人分のモーニングセットが置かれている。それには手を付けずにコーヒーを飲み干したロイエンタールは、伝票を持ち立ち上がった。
「じゃあ、仕事が終わったら連絡してくれ」
 昨晩のうちに、2人はこれからのことについて打ち合わせをしておいた。ベートゲアの仕事が早々に見つかるとはか考えにくい。仕事と住居の当てが付くまではミッターマイヤーは官舎を彼女に貸し、その間彼はロイエンタールの官舎で過ごすことにした。
「もうじき哨戒任務が回ってくるから、そう卿に迷惑をかけることもない」
 ミッターマイヤーが地上にいる間は、仕事終わりに落ち合って、ベートゲアの様子を見てからロイエンタールの官舎へ帰る。残業や私用があるときは、手の空いている方がベートゲアに会いに行く。全くの赤の他人によくここまで親身になれるものだとロイエンタールは思うが、ミッターマイヤーに言わせれば、もう「赤の他人」ではないらしい。
「卿もだぞ」と、さらりと言うミッターマイヤーに、ロイエンタールはどう応じればよいのかわからなかった。

 その日の終業時間を過ぎた頃、ロイエンタールの携帯にメッセージが届いた。確認すると案の定ミッターマイヤーからのものであった。その場でささっと返信すると、デスクのコンピュータの電源を落とし帰り支度を始めた。「女か?」とからかうように言うシュタイナッハに、冷たい一瞥をくれてやる。するとシュタイナッハが怪訝な面持ちになったのに気づいた。
「卿、何かやったのか? 今日は一日グリーベル大佐の様子がおかしかった。今も、ほら」
 顎で大佐の方を指したシュタイナッハにつられるようにグリーベルの方を見ると、大佐は慌ててロイエンタールから視線を外した。
「俺は関係ない」
 お先にと声を掛け、執務室を後にしたロイエンタールを見送って、シュタイナッハは一つため息をついた。
「卿が原因だと思うがなぁ」
 グリーベルは相変わらず思い詰めたような顔をして執務室の扉を見つめていた。

 ミッターマイヤーの官舎で3人は再び顔を合わせた。ベートゲアは気丈にも明るく振る舞っており、昨夜からの出来事を語った。
 ミッターマイヤーからもらった睡眠導入剤の助けを借りて眠ったベートゲアは、翌朝、周囲の軍人たちが出勤し終わった頃を見計らって官舎を出た。とりあえずは以前もしたように求人情報を得るために市民課へと赴いた。窓口の軍曹はベートゲアのことを覚えており、いい求人は来てないよと残念そうに言った。技術や経験のないベートゲアのような年頃の女性の働き口は、飲食関係以外にはないのがイゼルローンの現状である。人の良さそうな軍曹は気の毒そうに足で探すしかないよとアドバイスした。それから、ベートゲアは市街地に行き、飲食店やその他の店舗のウィンドウを見て回ったが、人を求めているところは見つからなかった。
「しかたがないさ。そうすぐに見つかるものではないんだろう? 俺たちにかまわないで気長に探せばいいさ」
 ベートゲアは済まなさそうに頭を下げ、明日は別のエリアを見てきますと言った。
 
 3人がこの変則的な生活に慣れた頃、ベートゲアは働き口を見つけた。
 

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