後フェザーン殺人事件 4



 人工天体の中に作られたこの街は、6時に夜になるよう設定されている。情緒を味わうためか、はたまた人間の生理に必要だからか、夕暮れの時間帯も存在し、ロイエンタールとミッターマイヤーはそのイゼルローンの夕暮れの中「メーヴェ」にたどり着いた。
「どうしたんだ?」
 「メーヴェ」の前には女が一人入れ途方に暮れている様子であった。ミッターマイヤーの声に振り向いたのは、この店で働き始めたばかりの女給ーーベートゲアだった。向こうでもこちらが誰だかわかったようで、「先日はありがとうございました」と頭を下げた。ミッターマイヤー越しにロイエンタールを見つけた彼女は泣き出しそうに顔を歪めた。
「ロイエンタール中尉・・・」
 崩れ落ちそうになるベートゲアの体をミッターマイヤーが支えた。
「どうしたんだ?何かあったのか?兎も角中へ入ろう」
 ミッターマイヤーが優しく宥めるように言うと、ベートゲアは激しく頭を振ってロイエンタールを見つめた。
「違うんです。お店が開かないんです」
「臨時休業とかそんなのではないのかい?」
「違います、きっと。休むなんて何にも聞いてないです。それに裏口も閉まっていて、呼んでもどなたも出てこないなんて」
 3人は自然と住居部分である二階にあたる場所を見上げた。
「私、住み込みで働かせてもらっているんです。なのに、今朝目が覚めたら前に住んでいたアパートに戻っていて・・・。おかしいなと思ってお店に来てみたら、開いてなくて・・・」
 あの姉妹がこのようなかたちで理由もなく店を閉めるとは考えにくい。ましてや、今はベートゲアのこともある。何かあったのか?ロイエンタールの胸に不安がよぎった。
「住み込みと言ったな、いつからだ」
 初めて口を開いたロイエンタールにベートゲアはしっかり向き直って言った。
「10日ほど前からです。お店のお手伝いと子供たちのお世話をするために。アパートもその時に引き払うつもりだったのですが、時期が悪くて、荷物はすべて移動させたのですが、鍵はまだ持っていました」
「そうか・・・」
 ロイエンタールはしばし思案する風であったが、自分を納得させるように言った。
「自分の家に帰ることを咎めるものは誰もいまい。閉め出されただけにせよ、自分の持ち物だけでも取り戻さねばな」

隣家の婦人に大家の所在を教えてもらった3人は、渋る大家を無理に引き連れて「メーヴェ」の扉を開けさせた。店は、閉店後片づけされた状態で人の気配は全くない。
「ここの親父は無口で陰険でなに考えてるかわからない奴でしてさ。ねえ、旦那方、こりゃ夜逃げでしょうかね?」
 だったら今月の家賃損しちまった、と愚痴る大家に、まだそう決まったわけでもあるまいと返していると、一人2階へ上がっていったベートゲアの叫び声が聞こえた。ロイエンタールとミッターマイヤーは顔を見合わせるとすぐさま階段を駆け上がった。
「これは!」
 腰を抜かして座り込んでいるベートゲア視線の先に目をやり二人は息を飲んだ。
「ミッターマイヤー中尉、憲兵隊に連絡だ」
「わかった」
 ロイエンタールはベートゲアを抱きかかえ階段を下り、店の椅子に座らせた。何事かと不安げな顔の大家は、再び階段を上るロイエンタールについて2階へ上がり、その惨状に声を失った。
「っだ、旦那!こりゃいったい・・・」
 入り口で立ち止まった大家を後目に、ロイエンタールは血の海と化した室内に足を踏み入れた。居間ではテーブルとソファーの間に男ーー父親だろうが仰向けで倒れていた。夥しい出血から見てブラスターで撃ち抜かれたのではなく、刃物か何かで切りつけられたのだと考えられる。隣接するキッチンに目をやると、倒れている女の足が見えた。血痕を踏まないように奥に進むと、うつ伏せに倒れている女がいた。イーリスだ。背中を大きく切られているイーリスの肩を引こうとするが死後硬直からか動かなかった。大量に流れ出たイーリスの血液が足跡となって続きの部屋に向かっている。ロイエンタールは指紋を残さぬようハンカチでノブを掴み扉を開け、電灯のスイッチを入れた。
「!!」
 陸戦の経験が少なからずあるロイエンタールであったが、今目の前にある光景はそのどれらよりも惨たらしいものであった。
「ロイエンタール中尉、憲兵はすぐくるそうだ、うっ!」
 ロイエンタールの肩越しに室内を見たミッターマイヤーは言葉を失った。
「これは・・・、酷い」
 カミラは子供たちに覆い被さるように事切れていた。子供たちを守ろうとのカミラの思いも虚しく、母親の上から加えられた凶刃で子供たちの命も諸共に絶たれていた。 

 まもなく駆けつけた憲兵隊によって現場検証が行われ、第一発見者として3人は事情聴取を受けた。特にベートゲアは同居人として詳しく話を聞かれた。しかし、同居人となって日も浅いこともあり、ベートゲアには答えられることもほとんどなく、憲兵隊も彼女からこの家族の周辺の事情を聞き出すことを諦めたようだった。
「何か思い出したら連絡してくれ」
 年若い憲兵がベートゲアに連絡先を書いたメモを渡し、3人は解放された。追い出されるかのようにして「メーヴェ」の外に出たところで、ミッターマイヤーがベートゲアの荷物を取る必要性を思い出した。それを憲兵隊に掛け合ったところ、現状保全のためにすげなく断られてしまった。
「すまない、ベートゲア。荷物は持ち出せないそうだ。・・・ベートゲア?」
 店の周囲には、こんな時間だというのに野次馬が集まっていた。規制線が張られ見張りが立ち、騒々しくも物々しい雰囲気を作り出していた。そんないつもと違う光景に刺激され活動を再開したベートゲアの思考は、受け入れがたい事実を前に再び動くのを止めてしまった。
「いやぁ!」
 小さく叫び声を上げ、頭を抱えてうずくまろうとするベートゲアを、野次馬の目から庇うように2人は人垣をかき分け裏小路に連れ込み、そこにあったビールケースに腰掛けさせた。ベートゲアは両手で顔を覆い、泣いているのか小刻みに震えている。ミッターマイヤーは困ったような表情でロイエンタールを見上げ、さらに困惑してしまった。彼はこんなとき女性にどう声を掛けたらよいのかわからない。だから女性のあしらいには慣れていそうなロイエンタールにこの場を任せようと思ったのだが、そのロイエンタールも視線こそベートゲアに向けてはいるが、虚ろな目をして立ち尽くしていたからである。それも仕方がないかとミッターマイヤーは思った。ベートゲアは短期間とはいえカミラやイーリスたちと寝食を共にしてきたのである。そのまるで家族のように接してきた人たちが殺されたのだ。ショックは大きいだろう。ロイエンタールも2人とは程度はわからぬが親しかったのは間違いないだろう、少なくとも名前を覚えられる程度には。もしかすると、彼女らのどちらかと恋人関係にあったのかもしれない。そう考え、ミッターマイヤーは意を決してベートゲアに声を掛けた。
「どうしたんだい、ベートゲア?」
 ベートゲアは手で顔を覆ったまま答えた。
「みんな、殺されてたんですか?イーリスもカミラさんも子供たちも」
 ベートゲアは父親の死体は目にしただけで、あとは話に聞くだけだったので実感がないのだろう。
「残念だけど、そうだよ」
「どうして!どうして、あんないい人たちが殺されないといけないんですか?!」
 嗚咽を漏らし始めたベートゲアに、ミッターマイヤーはどのような言葉で慰めればよいかわからなかった。
 ロイエンタールはふと意識を現実の光景に向けた。親しい者を突然奪われ、ベートゲアは泣いていた。
「理由があれば、お前は納得するのか?」
 唐突に言葉を発したロイエンタールを驚いてミッターマイヤーは見た。ベートゲアも手を外し、涙に濡れた目でロイエンタールを見上げた。
「カミラやイーリスに殺されるべき理由があれば、お前は彼女らが殺されたことを受け入れられるというのか?」
「そんな!」
「おい!」
 ベートゲアとミッターマイヤーの声が重なった。絶句したベートゲアに代わり、ミッターマイヤーが言葉を続けた。
「そういうことを言っているんじゃないだろう!」
 女心をわかっていると思っていたロイエンタールの、ベートゲアの心を逆撫でするような言い方にミッターマイヤーは憤りを覚えたが、ロイエンタールはそんなミッターマイヤーを無視した。
「なぜ殺されたのかなど、考るだけ無駄だ。殺害した者の殺したかった理由ならあるだろうがな。なぜ殺されたのかなど考えるな。考えれば考えるほど・・・囚われてしまう」
「とらわれる?」
 ロイエンタールはベートゲアの真っ直ぐな眼差しを受け止め、ふっと表情を緩めた。
「カミラにもイーリスにも、お前にも非はない。責められるべきは、この凶行を行った者であって、その他の何者でもない。殺されるべき理由など最初からない。不幸にも悪意に巻き込まれただけだ」
 ロイエンタールを見つめるベートゲアの目に新たな涙が次々に湧き出し、再びベートゲアは両手で顔を覆った。そして純粋に死者を悼む涙を一頻り流した後、
「犯人は捕まるかしら?」
とつぶやいた。
「ああ、こんな酷い殺人事件なんだ。憲兵隊もきっと必死になって犯人を捕まえてくれるよ」
 ミッターマイヤーは励ますように努めて明るい声で言った。ミッターマイヤーの憲兵隊に対する不満を知っているロイエンタールも、その心遣いを無にしないように続けた。
「ああ、そうだな」
「ほら、ロイエンタール中尉もそう言っている。だが、今日はもう遅いし、もう家に帰った方がいいね。送っていくよ」
「あっ!」
 ベートゲアは見る見る不安げな表情になった。
「私、帰るところ、ありません」
 そうだった。ベートゲアは「メーヴェ」に住み込みで働いていたのだった。
「アパートは?今日はそこから来たんだろう?」
「出てくるとき、鍵を大家さんに返したんです」
 イゼルローンは軍事施設なので、宿泊施設が極端に少ない。観光や商用で訪れる場所ではないからであるが、だからといってこれから住居を探すこともできない。「連れ込み宿ならあるがな」というロイエンタールの案は当然のように却下された。
「わかった。今晩は俺の官舎で過ごせばいい」
 結局お人好しなミッターマイヤーが自分の部屋を提供することになった。浮いた噂の多いロイエンタールの官舎に妙齢の女性を泊めることに比べれば、まだ自分の官舎の方がましだという判断からでもあるが。
 途中、ベートゲアの最低限度の生活用品を購入して3人はミッターマイヤーの官舎へと向かった。歩きながらベートゲアはぽつりぽつりと身の上を語った。両親は既に亡く、姉夫婦に育てられたこと。結婚してイゼルローンに来たが、まもなく軍属だった夫が戦死したこと。遺族年金も暮らしを支えるほどはもらえなかったこと。職探しに難渋し、手当たり次第に飲食店を回っていたときに「メーヴェ」たどり着き、カミラに救われたこと。
「仕事がないと、ここでは部屋を借りることもできないんです」
 だから、明日からまた仕事を探しますと、ミッターマイヤーに頭を下げた。

 ミッターマイヤーの官舎は、単身者用の食堂兼居間と寝室だけの簡素なものだった。まだ荷解きしたばかりで片付けきれていないが、独身の男の部屋としてはましな方だと自分では思っている。好きに使ってくれたらいいからと、予備のカードキーを渡したミッターマイヤーは、さあ行こうとロイエンタールを促した。
「行くって、どこへ?」
 見ればミッターマイヤーの手には小振りなボストンバッグが提げられている。
「決まってるじゃないか、卿の官舎だ。泊めてくれないのか?」
 さすがに若い女性と同じ部屋では寝れないよと照れたようにミッターマイヤーは言う。
「泊めてくれる同僚はいないのか?」
「そりゃ、言えば泊めてくれるだろうが・・・」
 言われてミッターマイヤーは考えた。そして同僚といるよりまだ会ってから間もない目の前の男といる方が気を使わないでいられることに気付いた。不思議にも取り繕わない本当の自分でいられるように感じた。
「なんだ、意外に人見知りか?」
 ふんっと鼻先で笑ってロイエンタールは先に立って歩きだした。
「いいんだな?!」
 慌ててミッターマイヤーはその後を追った。


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