温泉に行こう!(1) |
新年初出仕の日は、朝から年頭の挨拶や会議やらでみな忙しく動き回っている。冬の凍てつくような空気が背筋を伸ばし、心が改まるようで心地よい。レッケンドルフは元帥閣下の元に赴く上官を見送った後、年をまたいで回ってきた書類の仕分けに取りかかった。上官が戻ってくれば、次はロイエンタール艦隊内での幕僚会議の予定だ。多忙な上官と比例して忙しくなる副官である。レッケンドルフは適度な緊張感に包まれ、てきぱきと仕事をこなした。 休み惚けした軍務省の役人が誤って回してきた書類を、突き返すためにレッケンドルフが執務室を離れているとき、新年の清澄さは破られた。 「ロイエンタール、いるか?」 向こう三軒にまで届きそうな大声で執務室に入ってきたのはビッテンフェルトであった。オレンジの髪を靡かせ堂々と胸を張って乱入してきた様子は、まるで道場破りか討ち入りだ。 「新年早々、卿の大声を聞きたくない。さっさと用件をすませてとっとと出ていってくれ」 「なにぃ!」 同級生の気安さで、ちょっとの嫌みにも過剰に反応してしまうビッテンフェルトを、彼の背後に控えている副官のディルクセンが袖を引いて諫めた。 「ん、わかっている。ロイエンタール。俺は卿と口論しに来たわけではない。卿によい提案を持ちかけにきたのだ」 「提案?」 嘘くさい笑顔を浮かべるビッテンフェルトに本能的に警戒を感じていると、 「どうした!何かあったのか?」 大声を聞きつけたミッターマイヤーがなぜだかファーレンハイトを引き連れてやってきた。 「何もない。ビッテンフェルト提督が俺に、なにやらよい提案とやらをしてくれるだけだ」 何のことかと顔を見合わせる二人を後目に、ビッテンフェルトはキョロキョロと周囲を見回した。 「おい、卿の副官殿はいないのか?」 「レッケンドルフは軍務省へ行っている。直に戻ってくると思うが、何だ、レッケンドルフに用があるのか?」 「いや、用があるのは卿にだ。奴から聞いているか?」 「何をだ。卿の言うことはよくわからん。わかるように話せんのなら、話せるようになってから出直してくれ」 再び頭から湯気をあげ始めたビッテンフェルトをディルクセンが宥める。彼より年上の副官になにやら囁かれて、ビッテンフェルトはうんうんと頷く。 「ロイエンタール。卿の副官が昨年末の忘年会の折り、ビンゴで1番の景品を持って帰ったであろう。それと、我が隊の者が得た2番のものと交換してやろうという提案だ」 「? それのどこに"よい"という要素があるのかわからんが、それこそレッケンドルフに直接掛け合えばよいだろう」 俺を巻き込むなと目に物言わせて睨みつけると、ビッテンフェルトはいやいやと首を横に振った。 「レッケンドルフが未だに我が隊に交換を持ちかけて来ないということは、判断を卿に委ねたいという思いがあるからに違いない。奴が卿にまだ言っておらんというならば、俺が奴に代わって卿の意向を聞いてやろうと思ってな」 レッケンドルフが軍務省から戻ってみると、執務室の入り口は見知った面々であふれていた。騒ぎを聞きつけた、ロイエンタール艦隊の幕僚やら分艦隊司令官やらが執務室に詰めかけてきていたのだ。 「何かあったのですか?」 レッケンドルフが控えめに声をかけると、その面々が一斉に振り向いた。そして、ディッターズドルフにがしっと腕を捕まれて執務室の中に連れ込まれた。 「閣下。レッケンドルフ少佐が戻って参りました」 ディッターズドルフのきびきびとした声に、今度は執務室内の人々がレッケンドルフに注目した。決して狭くはない執務室が普段ではあり得ない人数で埋め尽くされ息苦しく感じる。 「レッケンドルフ。卿は何か俺に言わねばならぬことがあるのではないか?」 威嚇するかのように胸を張り彼を見つめるビッテンフェルトの背後から、彼の敬愛する上官が穏やかな声で尋ねた。一瞬何のことかとポカンとしたが、すぐにポケットの中の物のことだと思い当たった。 「申し訳ありません。閣下にお訊ねしなければならないことがあったのですが、失念いたしておりました」 白い封筒に入った例の物を取り出し、ロイエンタールに手渡した。 「失念だとぉ!コレは卿にとってはそんなに重要度が低い物だったのかぁ」 申し訳ありませんと、ビッテンフェルトに頭を下げた。その間に、ロイエンタールは封筒の中身を取り出し、デスクの上に広げて置いた。そこにいた面々は、興味津々の体でその書面に目を通した。 「温泉旅館で一泊つき 新年会宴会プラン ご招待券」 「なんだコレは?」 「なんだではない!書いてある通りだ。これは艦隊司令部全員で泊まりがけで新年会を行える権利なのだ。このために、俺は事前に元帥閣下にお願いして、これを引き当てた艦隊には半日休暇をくださるようお願いし、許可を得てあるのだ」 今まで以上に胸を張り、自慢げに鼻を膨らませたビッテンフェルトをロイエンタールは白い目で見た。 「なるほど。忘年会に際して黒色槍騎兵艦隊が張り切っていたというのはコレだな。卿はコレを自分の艦隊が手にすると考えていたのだろう。が、残念だったな。これはウチの艦隊のものだ。レッケンドルフ、俺に遠慮はいらん。卿らでいってくるがいい」 浅はかな奴めと冷笑を浮かべ、ロイエンタールは鷹揚に言った。その言葉を聞きビッテンフェルトはニヤリと笑い、レッケンドルフは困惑したように俯いた。 「ロイエンタール。卿ならそう言うと思った。ソレをよく見てみろ」 ロイエンタールから「招待券」を取り上げ吟味していたミッターマイヤーとファーレンハイトは、行程表の最後に書いてある雑な手書きの文言に気づいた。 「その招待券にはある条件がある。艦隊司令官が同行する場合にのみ、その効力を発揮するのだ! ロイエンタールが一緒に行くと言わない限り、それはただの紙切れにすぎぬ。だからな!俺のところの景品と換えてやろうというのだ!」 続く |