後フェザーン殺人事件 3



 翌朝、ミッターマイヤーは駐留艦隊の士官控え室の一隅で、端末を立ち上げていた。今朝は昨日の興奮が残っていたのかだいぶん早く目が覚めてしまい、予定より早く官舎を出たのだ。途中昨夜出会ったロイエンタールと偶然にも出会わないかと淡い期待を抱いていたが、彼どころかほかの誰ともすれ違うことなくこの控え室に至ってしまった。他にすることもなく早々と仕事に取りかかった彼は、控え室の扉が開く度にそちらを気にする自分がいることに気づいた。この場合はもちろんロイエンタールを期待してのことではない。昨日一緒に飲みに出かけた同僚達が気になるのだ。気になるでは語弊がある。明朗なミッターマイヤーには珍しく彼らと顔を合わすのが気が重かったのだ。
ーー卿の同僚を侮蔑するのか?
ーー皆が皆卿のようには正しくは生きていけない。
 昨夜のロイエンタールの言葉が蘇った。俺は、俺の行動は、彼らの心に負担をかけてしまったのではないか?そう思うと、ミッターマイヤー気まずい思いで胸がいっぱいになる。こんなことではいけないとぶんぶん頭を振って彼はモニターの書きかけの報告書に集中することにした。
「やあ、おはよう。早いんだな。昨日は、その、すまなかったな」
 ポンと肩をたたかれ振り返った先に、昨日一緒に飲んでいた上司の顔があった。
「いえ、小官こそ、ご迷惑をお掛けし申し訳ありませんでした」
 勢いよく立ち上がり頭を下げるミッターマイヤーに、
「いやいや、卿に何事もなくてよかったよ」
と片手をあげて軽く応じた。その後昨夜の面子が揃ったが、何事もなかったかのように以前と変わらず彼と接してきた。お互い気まずい思いは変わらないだろうに、分の悪い彼らの方から声をかけてきてくれたことにミッターマイヤーの心は軽くなった。持ち前の快活さを取り戻した彼に同僚達は昨夜の顛末を聞きたがった。
「ロイエンタールというと、金銀妖瞳のロイエンタールか?」
「ヘテロクロミア?」
「ああ、左右の目の色が違っていたろう?」
「さあ、暗くて目の色までよく見えなかったな。凄い美男子だったが」
 それから話題はロイエンタールのことに移っていった。冷徹な氷の貴公子、上官を上官とも思わない傲岸不遜な態度、その美貌で女を誘惑し関係を持っては捨てる漁色家、女どころか男をも誑かしているなど、およそ私生活の面でいい噂は聞かない男のようだ。
 ミッターマイヤーは今同僚達が話題に上せている男と、自分が昨晩会った男が同じ人物なのかと疑わしくなった。昨晩会った男ーーロイエンタール中尉は確かに美しい男だったが、その冷たい美貌の下には激しい熱があるように感じられた。ロイエンタールのその熱はミッターマイヤーが無意識のうちに封じ込めていたものを呼び覚ましたのだ。
ーーもう一度会いたい。
 会えば、何かが変わるような気がした。

 そのころ、ロイエンタールはグリーベル大佐に呼び出されていた。執務室に隣接した会議室で二人きりになったところでグリーベルがロイエンタールに詰め寄ってきた。
「ロイエンタール中尉、昨夜は派手にやったらしいな。憲兵隊のベルツ大佐とは旧知の仲でな。部下同士がいざこざを起こしたようだと今朝連絡があったのだが、事実か?」
「間違いありません」
「そうか、しかしお互い酒が入ってのことだ、今回の件については後腐れのないように片を付けておいた」
 グリーベルは触れ合わんばかりにロイエンタールに近づくと指先で頬を撫でた。
「卿の美しい顔に傷が付かずになによりだった」
 ロイエンタールは射抜くような鋭いまなざしで目の前の下心あり気な上官を見た。グリーベルはその視線に怯まずに恩を着せるように言った。
「今夜は俺につきあってくれるだろう?ロイエンタール?」
 お目当ての相手の弱みを握ったと思っているのだろう。昨夜の出来事自体は大したことではないが、それをネタにあとあとまで煩わされるのは面倒だった。
「御意」
 ロイエンタールの短い返事に気をよくしたグリーベルは楽しみにしてるぞと言い残して去っていった。
 終業後、連れだって執務室を後にした二人を、同僚達はどういう風の吹き回しかと見送った。
 その後小一時間ほどたったころ、残務整理をしているその執務室にミッターマイヤーが訪ねてきた。軽やかなノックの後顔をのぞかせた小柄な溌剌とした中尉が、ロイエンタールの不在を知ってあからさまに落胆する様子は、傍から見ても気の毒なものだった。
「卿が来たこと、伝えておくよ」
 何か伝えたいことがあればと渡されたカードに、携帯番号とウォルフガング・ミッターマイヤーとだけ記した。会って何かをしたいのではない、ただ会いたいということを、どう表せばいいのかわからなかった。

  ロイエンタールがグリーベルに連れて行かれた先は、士官専用の酒場であった。奥まった所に密談や密会に使われる他の空間と隔てられている席があり、そこに引き込まれた。酒とつまみを注文し、二三杯を空けるまでは節度を保っていたグリーベルだったが、杯を重ねるに従って彼の両腕はロイエンタールの腰を抱き内股や胸を這いまわし、彼の酔眼は息がかかるほど近くにある美貌に縫い止められていた。
「卿は美しい。卿ほど美しいものを俺は知らん」
 グリーベルの手は欲望のままに動き、ロイエンタールの詰襟のホックを外しにかかる。
 ロイエンタールは己の容貌を美しいと賞賛される度、例えようもない虚しさに襲われる。皮一枚矧いでしまえば皆同じとは誰が言った言葉だったか、彼はその皮一枚を誉めそやされ性衝動の対象となる。皮一枚の美しさが彼にもたした最たるものは陵辱される屈辱感だった。この階級社会で自らを性的弱者に貶めるような母親譲りの容姿を彼は憎みさえしていた。セックスなど快楽を得るための手段にすぎないと割り切る彼には、相手が女であろうと男であろうとたいした違いはなかったが、奪われることは彼の自尊心が許さなかった。
 グリーベルの手がブラウスの下に忍び込み、ロイエンタールの胸の突起を弄び始めた。性感帯であるそこを刺激されれば体は自然な反応を始めてしまう。固く勃起した乳首に同意を得たとばかりに、グリーベルはロイエンタールにのし掛かかろうとした。
「大佐、もう少し飲みませんか?」
 グリーベルの体を押し戻しロイエンタールは空いたグラスに酒を注いだ。ワインよりも度数の強い酒をストレートで飲ませ、酔い潰してしまう算段だった。今宵味わえる美しい肢体を目の前にグリーベルは上機嫌にしゃべり、グラスを空けた。上官の話にいい加減な相づちを打ちながら、ロイエンタールは昨夜あった男のことを思っていた。真っ直ぐで己の中に揺るぎない正義を持っていて、それを行動に移す実行力もある、彼は日向ばかりを歩いてきたような青年だった。彼は今自分が置かれているような闇の世界があることを知らないだろう。それがいい。彼は、ミッターマイヤー中尉は俺の手の届かない光の世界の住人であればいい、自分とは住む世界の違う人間だと思った。
 酔いつぶれたグリーベルを予め調べておいた彼の官舎へ運び入れた。どこへ寝かそうかと少し思案したが、結局寝室へ運んだ。上着とブラウスを脱がし、スラックスと下着まではぎ取った。誤解するならすればいい。だが、これでもう借りは返したとロイエンタールは官舎を後にした。

 翌朝、執務室の机の上に置かれたカードに目を留めたロイエンタールに、シュタイナッハが昨日の訪問者について説明してやった。
「ハニーブロンドで小さくて可愛らしい子だったぞ。卿、趣味を変えたのか?」
 ハハハと笑う同僚達をキッと睨んで、ロイエンタールはカードの内容を確認した。氏名と携帯の番号が骨太な字で書かれているだけだった。連絡が欲しいということか。しかし何故?
「なあ、ロイエンタール。昨日はどうだったんだ?大佐とヤッたのか?」
 これは周りには聞こえないような小声で聞いてきた。
「馬鹿な。酔い潰して官舎に送って行っただけだ」
 なーんだと、シュタイナッハはがっかりしたようなほっとしたような顔をした。ロイエンタールは思う。彼もミッターマイヤーも同じ人種だ。闇を覗きたい興味はあっても、それとは無関係に生きていける者達だと。
 ロイエンタールはカードを机の上に置いたまま、連絡を取らずに過ごした。

 再び彼らが出会ったのは、それから三日後のことである。こちらから連絡先を渡したのだから当然連絡があると思っていたミッターマイヤーは、その翌日携帯端末を常に目に見えるところに置きながら着信のランプが点くのを待っていた。しかし、昼休みになっても、終業時間を迎えても、ロイエンタールからの着信はなかった。その翌日もミッターマイヤーはただただ連絡を待った。相手に主導権を委ねた以上、ここで彼が動くことは出来なかった。彼は待つしかなかった。しかし、結局その日も無言の携帯とにらめっこして終わってしまった。そして三日目。痺れを切らした彼はロイエンタールのいる執務室に押し掛けた。ロイエンタールは己を認めて満面の笑顔になるミッターマイヤーを見てつられて笑顔になりかけた自分に驚いた。意識して笑みを引き込めた彼に屈託なくミッターマイヤーは話しかけた。
「ロイエンタール中尉。卿から連絡があるのをずっと待っていたんだぞ」
 シュタイナッハが何かからかってきそうな素振りを見せたので、ロイエンタールは急いで席を立ち執務室を後にした。
「もういいのか?」
「ああ、今日はもう終わりだ。ところで、卿は何か俺に用でもあるのか?」
 ミッターマイヤーは収まりの悪い蜂蜜色の髪を左手でかき乱した。
「いやあ、用ってことはないのだが・・・、あの、あの時の店はどうなったかなと思って・・・、支払いなんかもさ・・・俺たち誰もしてないっていうし・・・」
 妙に歯切れの悪いミッターマイヤーにロイエンタールは明瞭に答えてやった。
「それなら俺の所にくるより、直接「メーヴェ」に行けばいいだろう」
「あーっ」
 ミッターマイヤーは両手で髪をかき乱して立ち止まり、
「そうじゃないんだ!俺は、卿に会いたかったんだ!」
と叫んだ。周囲の注目を集め始めたことに気づき二人は「メーヴェ」に足を向けた。


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