後フェザーン殺人事件 1



 イゼルローン要塞はイゼルローン回廊内に作られた人工的な天体であり、帝国軍の軍事拠点となっている。直径60キロメートルにも及ぶこの要塞は、軍事基地であるだけでなく、学校や病院等も備えた人口500万人を有する巨大都市でもあった。しかし、フェザーン回廊を除けば帝国領と叛徒ーー自由惑星同盟領とを結ぶ唯一の回廊であり、そこに位置するイゼルローン要塞は常に最前線であり、常に戦争を身近に感じながらの生活を強いられていた。

 オスカー・フォン・ロイエンタールが2度目の中尉としてイゼルローン要塞への赴任が決まったとき、再び最前線に送り込まれたことを喜んだ。彼は安穏な生活を送り人生を全うする気は毛頭なかったし、軍人として自己の才幹を生かせる場所として常に戦場を望んでいたからだ。しかし、着任先が同じイゼルローンであっても駐留艦隊ではなく、要塞警備隊の司令部であったことに大きく失望した。イゼルローンは難攻不落の要塞であり、要塞自体が戦場になることはまず考えられないからだ。これでは武勲を立てる機会に恵まれず、無為な生活をただただ送ることになってしまう。降格処分を食らうような不良士官は最もヴァルハラに近い部署に配属されるものと思っていたが、どうやらこうして飼い殺しするという陰険なやり方もあったらしい。前者を望んでいたロイエンタールとしては、後者を選択されたことは運がなかったとしか言いようがなかった。
 不本意とはいえ、任務を疎かにするようなロイエンタールではない。同僚士官との協調性にこそ欠くが求められる以上の仕事をこなす彼に、周りの者は自然と一目置くようになっていた。同時に彼の特異な容貌と希有な美貌は彼を取り巻く様々な噂とともに瞬く間に喧伝された。彼を我が者にしようと目論む強者もいたが、ロイエンタールの傲岸不遜で冷然とした態度の前に、その思いを遂げた者はいなかった。

「ロイエンタール中尉、この後何か予定はあるか?」
 終業時間間際に、声を掛けてきたのはこの部署の長たるグリーベル大佐だ。グリーベルはロイエンタールが着任した当初から彼に執心であり、その地位を利用して迫ったあげくにこっぴどく振られたが、それ以降も懲りもせずことあるごとに彼に誘いをかけているのだった。到底上官に対するものとは思えぬ冷ややかな視線を向けながら、何度も繰り返した決まりきった文句を口にする。
「生憎と、今夜は予定がありまして・・・」
「そうか・・・。それは残念だな。ではまた次の機会に」
 次の機会など訪れることがないことを承知していながらも、一縷の望みを託してグリーベル大佐もお決まりの返事をする。そのやり取りを周囲の同僚たちは無関心を装いながらも興味津々で伺っていた。
「ロイエンタール、いいのか?上官に対してあの態度は」
 笑いを含みながら席を並べているシュタイナッハ中尉がからかった。
「あれ以外にどんな態度をとれというのだ、卿は」
 やりかけのモニターに目を落としながら答えると
「美人は大変だな」
と、これはロイエンタールの顔をまじまじと見つけながら答えになっていない返事が返ってきた。
「で、今日の予定は例の女か?」
「いや・・・」
「また女を変えたのか?くそ!さっきの言葉は訂正だ。美人は得だ。全く羨ましい限りだぜ」
「・・・・・・」
 シュタイナッハの言葉に同調するように、周りの士官たちがくすくす笑っていた。

 予定があるというのは口実であり、その夜ロイエンタールには誰と会う約束もなかった。しかし、ああ言ってしまった手前、同僚と顔を合わせる可能性のある店にいくことははばかられた。そこで、彼は行きつけの場末の飲み屋に足を向けた。イゼルローンに赴任したばかりの時、偶然見つけた路地裏のその「メーヴェ」は、姉妹が二人でやりくりしている小さな居酒屋であるが、望めば簡単な食事も用意してくれた。家庭の味などというものを彼は知らないが、抱えのシェフが作る料理に慣れた舌をも彼女たちの料理は満足させた。食事もできる飲み屋というのはロイエンタールのような単身者にとってありがたい存在である。しかも、顔なじみになる頃には、
「他のお客には内緒よ」
となかなか旨い酒を飲ませてくれる。あるとき妹の方が、
「中尉さんの名前、オスカー・フォン・ロイエンタールっていうんでしょ?」
と聞いてきた。そうだとは答えずに、
「どこで聞いたんだ」
と問い返すと、町で女の子たちが噂しているのを聞いたのだと答えた。
「すごい美形で、左右の目の色が違っていて、物語に出てくる王子様みたいだって、それでわかったの」
 くすくす笑う妹に、姉が申し訳なさそうに付け足した。
「ごめんなさいね。失礼な言い方をして。でも、こうして顔なじみになったお客さんをいつまでも「中尉さん」って呼び方するのもなんだかよそよそしくて・・・。でも、中尉さんはお貴族様ですのね。こんな口のききかたをしては失礼かしら?」
 今度はロイエンタールが笑う番だった。
「何を今更、貴族といっても名前だけさ。今まで通りで十分、いや、これからはロイエンタールと呼んでくれるんだろう?」
 それ以降、姉妹は彼を「ロイエンタール中尉」と呼び、一番奥のカウンター席は彼のためにいつも空けておかれるようになった。ロイエンタールもなぜだかわからないが、この店と姉妹の雰囲気を気に入り、イゼルローン要塞内で数少ないくつろげる場所として足繁く通うようになっていた。姉はカミラ・オーレンドルフ、妹はイーリス・ベールケといい、姉の方は夫を戦争でなくした未亡人であった。2人の遺児とともに、店の2階部分で生活しているということもその頃知った。

「あら、いらっしゃい。随分お久しぶりね」
 顔を見るなりイーリスがはしゃいだように声を掛けてきた。狭い店内を見ると、2つあるテーブル席の手前側が珍しく埋まっていた。軍服姿の男が4人。階級章を見るともなく見ると、駐留艦隊所属の尉官たちであるらしい。
「今日は忙しそうだな」
「ええ、おかげさまで。いつも暇だとやってけないわ」
 クスクス笑いながらいつもの席に案内された。
「いらっしゃいませ」
 少し強ばった笑顔でロイエンタールにグラスを差し出したのは、見たことのない店員だった。
「彼女、新しく来てもらうことにしたベートゲアっていうの。姉さん、子供の世話もあるからずっと人を欲しがってたんだけど、やっといい人が来てくれたのよ」
「ベートゲア・グィンゲルターです。よろしくお願いします」
「この中尉はうちの常連さん。ここが指定席なの」
「はい」
 ベートゲアは見たところイーリスと同じ年頃のようだが、イーリスの客あしらいに慣れた様子と比べると、ぎこちなさが目立ち、このような仕事は初めてだと見受けられた。
「おーい、ビール3つ!」
「はーい、ただいま。ベートゲア、お願いね」
「はい」
 生真面目に返事をしたベートゲアがビールを用意しに離れていった。
「まだ慣れていないようだな」
「そりゃそうよ。彼女今日からだもの。で、今日はお食事?」
「ああ、それと」
「はい、これでしょ?」
 イーリスはにっこりと笑ってグラスになみなみとついた赤ワインを差し出した。
「他のお客さんには内緒よ、どう?」
 サービスのつもりなのだろうが、溢れるほどのワインに口を付けると、いつもと異なる香りが口内に広がった。
「旨いが、前のとは違うようだな。何なんだ?」
 さあ?と肩をすくめてイーリスは厨房に入っていった。まただ。旨い酒と勧めてくれるものに外れはなかったが、それが何かを尋ねるといつもはぐらかされてしまう。よく似た風味の酒を記憶の底から引き出そうとしてみたが、うまくいかなかった。酒の味など雰囲気に左右されるものだし、ここより居心地のいい場所をイゼルローンで知らないのだからそれも仕方ないのだろう。

 その日の「メーヴェ」はいつも以上に繁盛した。先客の士官グループに加えて、ロイエンタールが食事を終えるころには、5・6人のこれも軍服を来た男たちが入ってきた。もうすでに出来上がっているようで、必要以上の大声で酒を注文する客の方を見遣って、2階から店に降りてきた姉のカミラは微かに眉をひそめた。
「憲兵隊だわ」
 囁くように妹のイーリスに注意をすると、イーリスも無言でわかったと頷いた。
 イゼルローンは民間人を多く抱えているとはいえ、本質的には軍事施設である。本来ならば警察や司法の範疇であるところをここではすべて憲兵隊が取り仕切っている。それも忠実な代行者として任務を遂行しているのなら問題はないが、彼らは武力を持っているのに加え、軍の威信を第一義に考えて行動するので、非常に恣意的に権力を運用した。彼らの不興を買えば、やっていないことをでっち上げられ逮捕されたり、起こった事件もないものとされることなど日常茶飯事であると、イゼルローンの市民は思っていた。カミラもイーリスもこのような商売をしていると、一度や二度は憲兵隊に嫌がらせを受けている。だからこそ、酔いの回った彼らに付け入る隙を与えぬよう、注意を払わなければならなかった。
 妙な緊張感を漂わせる「メーヴェ」に居心地の悪さを感じ、ロイエンタールが席を立ち掛けたとき、背後でガラスの割れる音がし、男のひび割れた怒声がそれに続いた。



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