甘味な関係(2) |
レッケンドルフは昼食を士官食堂で手早く済ませると、手配していた地上車に飛び乗った。目的地は「シャイネン」。旧市街にある昔ながらの洋菓子店だ。 彼の上官は数日前に同盟軍との小競り合いに勝利して宇宙から戻ってきた。その後、艦隊の事後処理を一手に押し付けられ昼夜を問わず執務室に缶詰になっている。そんな上官が彼と二人きりになるときを狙って言うのだ。 「『シャイネン』のショートケーキが食いたい」 「去年の『シャイネン』のいちじくタルトは旨かった」 などなど。しかし、レッケンドルフも暇ではない。上官に比例して忙しくなるのが副官という仕事だ。戦場であっても、指揮官が前だけを見ていられるように後方に常に気を配っていなければならない。ましてや、デスクワークにおいては上官と一心同体で数多なデータや書類と格闘する。レッケンドルフとて時間は惜しいのだ。だが、地上に降り立ってから官舎に戻ることすらできない上官を見ていると、ついつい言わずにはおれなかったのだ。 「小官が買ってまいりましょうか?」 と。その言葉を待ってましたとばかりに、ロイエンタールは彼に1万マルク札を握らせた。そして今に至る。 「シャイネン」の中に入ると、外見の少し寂れた店構えと同様になんとなく寂れた様子だった。シャカシャカとクリームを泡立てる音だけが寂しく響き、店全体に漂う優しい甘い香りが、侘びしげに幸せだったときの面影を偲ばせていた。ロイエンタールが口にする洋菓子店はどこも外れのない名店ばかりであったから、この「シャイネン」の様子にレッケンドルフは少し面食らった。 レッケンドルフはショーケースを覗き込んだ。ショートケーキはあるがいちじくタルトは見当たらない。どうしようかと悩んでいると、「あら」と同じように隣でケーキを選んでいた主婦らしき女性に声をかけられた。 「あら、あなた」 振り返るとレッケンドルフにも見覚えのある顔であった。しかし、誰であったか・・・・・・ 「ほら、ちょっと前に『キューレ』で会ったじゃない。その前には『キルシュバオム』でも!」 「ああ!」 ロイエンタールに言われるままにケーキ屋めぐりをしているレッケンドルフと何度も顔を合わしたことのある女性だった。今まではなんとなく会釈くらいはしたが、言葉をかわしたのはこれが初めてだった。彼女もこの雰囲気に違和感を感じているようだった。 「いつもは混んでいるんだけど、今日は空いているわね。たまたまかしら? だったらラッキーなんだけど」 彼女はまじまじとレッケンドルフを見た。 「あなた、軍人さんだったのね」 「あ、はあ・・・・・・」 しまったとレッケンドルフは思った。いつもは上着を脱いで来ていたのだ。今日は短い昼休憩のうちに買い物を済ませようと慌てるあまり、軍服のままで来てしまった。 「まあ、軍人さんも甘いものが食べたくなるときがあるわよねえ」 「はい、まあ」 私ではないのですが・・・・・・と心で付け足しておく。 「ねえ、この間の『キューレ』の新商品、あれ、どうだった?」 この間のといえば、あのエクレアのことかと問うと、そうよと返ってきた。あのとき、定番の閣下のご注文のカスタードプリンと一緒に、新商品を買って帰った。閣下はどう仰っていたか・・・・・・ 「美味しくはありましたが、シュー生地とクリームの硬さが合っていなかったかな、と。あのしっかりとしたシュー生地にはむしろどしりとしたカスタードのほうが合うのでは・・・・・・」 「そう、そうなの! 私もそう思ったわ!」 ロイエンタールの受け売りだったが、女性はぱっと顔を輝かせた。 「それで、今日は何を買うの?」 「あ、ええ。今日はショートケーキといちじくタルトをと思って来たのですが」 「まあ、さすが見る目があるわね! 私もこの店のショートケーキはイチオシよ!」 「ええ、卵黄が多く使われていながらも、ふわふわに焼き上げられたスポンジケージは他にはないと・・・・・・」 ここ数日間、聞かされ続けた『シャイネンのショートケーキ』の素晴らしさをつい口にすると、それまで黙っていた若い女性の店員が嬉しそうに口を挟んだ。 「わかりますか? うちのショートケーキ、他店の倍卵黄を使っているんです。それを泡立てて柔らかいスポンジケーキに仕上げられるのは、オーディンでもウチの店長くらいなんです」 「へえ、すごいんですね」 「はい!」 嬉しそうに笑った店員の彼女は、しかし、すぐに表情を曇らせた。 「でも、もうだめかもしれません。最近お客さんがぱったり来なくなってしまって。ケーキはずっと変わらず美味しいのに・・・・・・」 夕方、仮眠室から出てきたロイエンタールに、レッケンドルフは「シャイネン」で買って来たショートケーキとピオーネのタルトを差し出した。 「いちじくの時期はもう終わっていたようで、申し訳ありませんがこちらで我慢してください」 大きな巨峰が乗ったタルトに、眠気がさらずにしばしばしていたロイエンタールの目がハッと見開かれた。目の下の隈が痛ましいが、この差し入れが上官のささやかな潤いとなってくれるといいなと思った。 「卿の分もあるのだろう? ならば一緒に食おう」 執務室の来客用スペースで差し向かい、大の男二人でケーキを食べる。傍から見れば異様な光景かもしれないが、二人の間ではこれが日常だった。 「やはり美味いなあ。これだ、これが食べたかったのだ」 満足気にロイエンタールは2つのケーキを平らげていく。レッケンドルフはショートケーキ一つでお腹がいっぱいだった。 「ここの店の良いところはな、定番商品をずっと守り続けているところだ。それも昔のレシピにこだわらず、つねに改良し続けている。新しいものを生み出すことにも意欲的だ。失敗も多いだろうが、そうして定番商品を一つずつ増やしていく。季節ごとのケーキは常連客を飽きさせることがない」 満たされたロイエンタールは、持ち前の明晰な頭脳で分析をする。聞きながらレッケンドルフはクスッと笑った。 「閣下のお言葉をお聞きしていると、自分がまるでグルメになったかのような気がいたします。今日も店先でこんなことが・・・・・・」 レッケンドルフは今日の出来事を話した。 「ああ、美味かった」 甘味の余韻に浸りながらコーヒーをすすりながら、ロイエンタールは 「ピオーネもなかなか良いが、やはり俺はいちじくのタルトが一番だな。また来年か」 と言った。そこではたとレッケンドルフは思い出した。 「それがそうもいかないかもしれません。『シャイネン』は店を閉めることになるようで」 「なに?」 詳しく話せと詰め寄られ、レッケンドルフは店主の娘だった店員から聞いた話を伝えた。聞き終わり、ロイエンタールは白く形の良い指を顎にかけ、フームと唸る。 「それはおかしいな。ケーキの品質に何ら問題はないし、経営状態も悪くなかったはずだ。親子二人で今まで通り手堅く商売をしてきたのなら、急激に経営状態が悪化する理由がわからない」 「それが、ここのところ客足がぱったりと遠のいているということです。今日も小官と先程のご婦人しかおりませんでした」 「なに? 『シャイネン』は地元に密着した洋菓子店だ。どこやの高級洋菓子店のように派手に広告を出して客を集めたりせんでも、その付近の住民たちが支えてきたのだ。そう簡単に立ち行かなくなるとは考えられぬ」 ロイエンタールはムーンと眉間にシワを寄せ考え込んでしまった。きっと、おそらく、戦闘報告書を作成するとき以上に真剣に。その様子を見て、レッケンドルフはふと思ったことを口に出した。 「お店を畳むことになったら、閣下が店主をお雇いになればいかがですか? そうすればいつでも思うだけお好きなものが召し上がられるではありませんか」 ロイエンタールはレッケンドルフをじろりと見た。何を馬鹿なことをとその目が言っている。 「コックには間に合っている。それに『シャイネン』の店主を雇えば余所のケーキを食べることができなくなる」 「そうでしょうか?」 「そうさ、自分の職分を侵されることは、例え主人のすることであったとしても気持ちの良いことではない。それに」 「それに?」 「『シャイネン』には根強いファンがいる。あのケーキが食べたいと思っても食べられないなど、俺なら耐えられぬ」 「ははあ」 社交界の華たちの心を奪う貴公子であり、同年輩の軍人の中では頭一つ抜きん出た優秀な将官、そして傲岸不遜で女たらしの下級貴族であるロイエンタールだが、その実非常に細やかな気配りをする。レッケンドルフはこれこそロイエンタールの魅力だと思っている。オスカー・フォン・ロイエンタールにとってその代名詞でもある金銀妖瞳などおまけに過ぎない。そんなものがなくたって、女性にもててもてて困るのも仕方がない男なのだ。 「レッケンドルフ」 「……はいッ」 何を呆けているのだと、お小言を一つ挟んでロイエンタールは命じた。 「資金繰りがうまくいかないぐらいなら、俺が投資したっていい。しかし、客足が絶えたというのが引っかかる。ひとつ、調べてきてくれ」 続く |