甘味な関係(1) |
甘味な関係 時計の針は間もなく15時を指そうとしている。この部屋の主が予定外の電話に呼び出されてから3時間近く経つ。日頃からその無能さを口にして憚らない司令官閣下からの急な呼び出しだった。とはいえ緊急事態が生じたというわけではないだろう。我らが司令官閣下は用もないのに自分よりも有能な分艦隊司令官であるオスカー・フォン・ロイエンタール少将を呼びつけ、意味のない小言でネチネチといびるだけが楽しみなのだ。ロイエンタールも黙って聞き流していればいいのだが、絶妙に相手の気持ちを逆なでするタイミングで、これまた余人には真似できないような嫌味な相槌を打つものだから、いびりが特別に長くなるのだーーとは、ロイエンタール閣下と仲の良いミッターマイヤー閣下の評だった。今日はタイミング良く(?)昼食前に呼び出されたものだから、ロイエンタール閣下は空きっ腹を抱えたまま苦行に耐えていらっしゃるに違いない。レッケンドルフはもうそろそろ帰ってくるに違いないロイエンタールのための準備に取り掛かることにした。 今日のおやつは新鮮な卵を使用していることで有名な老舗洋菓子店のバームクーヘンだった。これはロイエンタールのお気に入りの一品ではあるが、今日のように血糖値が下がりに下がっているときには、少しものたりなさを感じさせる。レッケンドルフは冷蔵庫を覗いた。そこには彼が不測の事態に備えて備蓄してある様々なものがあった。絞るだけの生クリームに同じくチョコクリーム。マシュマロにヨーグルト、アイスクリーム。保存のきく諸々の材料の中から、レッケンドルフは生クリームとチョコレートを取り出した。本当なら新鮮ないちごがあればよかったのだが、あいにく冷蔵庫の中には入っていない。添えるフルーツは… 「これでいいか」 誰かの机の上にあったバナナを一本拝借する。では、とレッケンドルフは腕まくりをした。これからこのシンプルなバームクーヘンをチョコクーヘンに変身させる。さらにそこに生クリームを添えスライスしたバナナで飾る。バナナは時間が経つと色が変わるから切るのは直前のほうがいい。まずは板チョコを湯煎で溶かすところから始めなければならない。もういつロイエンタール閣下が戻ってきてもおかしくない時間だ。ここからは時間との勝負。レッケンドルフは小さな給湯室の設備をフルに活用しバームクーヘンのアレンジに取り掛かった。 「クッソッ、あのヒヒ爺め! 早く死ね!」 聞くに耐えない雑言ととともにロイエンタールが戻ってきた。乱暴に開け閉めされた扉は、耳をつんざく悲鳴をあげた。その様子に気を配りながらレッケンドルフはバナナにナイフを入れた。 「閣下、そんなに荒れないで、すぐにご用意いたしますので掛けてお待ちください」 「コーヒーにミルクと砂糖を入れてくれ、たっぷりと!」 珍しいとレッケンドルフは思った。これはかなり糖分を欲していらっしゃるようだ。レッケンドルフはミルクたっぷりのカフェラテとともに、デザートの皿をロイエンタールの前にセットした。 「ん? これは」 「いつものバームクーヘンですが、今日はそれでは物足りなく思われるのではと思い、チョコレートでコーティングしてみました」 「卿がやったのか?」 「はい。お口に合えばよいのですが」 ロイエンタールは洗練された手付きでバームクーヘンを切り分けると、一切れ口に含んだ。モグモグと咀嚼したあと、ミルクたっぷりのカフェラテを一口飲んだ。 「あー美味い」 一言言うと、あとは無言で今日のおやつを食べていく。 いったい誰が想像できるだろうか? この銀河帝国軍の若き司令官閣下で、帝国の女性の憧れの的である金銀妖瞳の美貌の貴公子が無類の甘党だということを! 本人もそのことを隠しているので、この事実を知るのはごく限られた人数でしかない。 「もう一つくれ」 おかわりを予め見越していたので、すぐに新しい皿をロイエンタールの前に差し出す。 「どうぞ」 「うむ」 満足気な様子で獲物にフォークを突き立てる。 「ですが、チョコが掛かっているのはこれが最後です」 「なに?」 世の女性が宝石だと称える色違いの瞳が驚きの色をたたえてレッケンドルフを見つめた。 「もうないのか」 「はい。普通のバームクーヘンならまだございますが…」 「まだあるなら、どうして全てにチョコレートを掛けなかったのだ。いっそのこと、バームクーヘンの穴をチョコレートで埋めるくらいにかけてくれればよかったのだ。このクリームももっと……」 胸焼けがするようなアイデアを語りながら、皿の上のものを平らげていく。ご機嫌はすっかりなおったようだ。 それにしても、ここまで重度の甘党をどうやって隠してきたのだろう。一日一甘味は最低限必要そうなものなのに……。 「閣下はこれまでどのようにして甘味を摂取してこられたのですか?」 好奇心に負けて尋ねてみると、フフッといつもの冷酷と評される笑みを浮かべた。 「それはな、秘策があるのだ」 だが、と、デザートフォークでレッケンドルフを指した。 「今は卿がいるからな、その策は当分使わずに済みそうだ」 秘策か……。どんなものなのかさらに好奇心は疼くが、ここで訊いたとしても素直に教えてくれるような人ではない。 「そうだ、知っているか? 先程そこの廊下で事務職の女性達が話していたのだが……」 ――はいはい。また新しいケーキ屋ですね…… レッケンドルフはこの新進気鋭の司令官の明晰な頭脳を支えるため、甘味確保のために日々奔走するのだった。 続く |