或る夜の出来事(後日談)1




0.はじめに
 リュミエールは自身が人質になったあの立てこもり事件からようやく解放された。警察からの事情聴取(こちらは被害者なのだが)や、執拗なマスコミの追及など、もう思い出したくもなかった。唯一彼が記憶に残しておきたいのは、彼が惹かれてやまないあの方が、自分のために銃を取って戦ってくれた、あの勇姿だけだ。
 随分長い時間がたったような感じを味わいながら、リュミエールは総督執務室の前に立った。この重厚な扉の向こうにあの方がいると思うだけで、彼の胸は高鳴った。
「閣下に何か御用ですかな?」
 まさに扉に手をかけたその時に背後から聞こえた声に、リュミエールは舌打ちした。
「また君か」
「私はここで働いているのです。卿こそ用もないのにウロチョロと」
「用ならあるよ、いつも私にとっては大切な用でこちらに参っているのです」
 胡乱な目で見つめるベルゲングリューンを押しのけて扉のノブに手を掛けたとき、背後から声が掛けられた。また小煩い副官かと二人が身構えた。
「何をしているのだ?」
「閣下?」
「閣下!」
 振り向くとそこにいたのはレッケンドルフではなくロイエンタールだった。
「そう驚くこともあるまい。ここは俺の部屋なのだからな」
 ロイエンタールの背後からレッケンドルフがヒョコリと顔を出した。
「このようなところで騒ぎを起こされると閣下がご迷惑です。お二人とも中に入られてはいかがですか?」
「あ、いえ」
 レッケンドルフの誘いに否と言ったのはリュミエールだった。
「私の用はごく私的なものですので、総監閣下のご用が終わってからで構いません」
 ロイエンタールは時間に厳格な帝国軍人である。ちょうど昼休憩の時間を狙ってきたので限られた時間をベルゲングリューンなどに邪魔させるのは癪ではあるが、公私の区別をつけられない男だと思われるのは勘弁だった。
「ベルゲングリューン、何かあるのか?」
 途端にピリリとした空気を纏ったロイエンタールに、ベルゲングリューンは情けない表情で、
「私も私用です」
と言わざるを得なかった。
 総督執務室の応接スペースにベルゲングリューンと共に招き入れられ、リュミエールは不本意極まりなかった。ロイエンタールの前に二人並んで腰を下ろすことになり、この状況を作り出したに違いない憎き副官からコーヒーを供される。それを啜りながら互いに牽制しあっていると、その様子に呆れたロイエンタールがコーヒーカップをソーサーに戻した。
「ベルゲングリューン、卿の私用とやらはどのようなものだ?」
 まず声を掛けられるのは彼の方なのだなと意識をすると、気持ちが沈みそうになる。しかし、ベルゲングリューンの返答を聞いてリュミエールも思わず呆れてしまった。
「はあ、その、小官は閣下のご尊顔を拝しに……」
「……」
 それはロイエンタールも同様であったらしく、冷ややかな目で髭の男を見つめている。それでも妙に嬉しそうにしているその男に、リュミエールはちょっとばかり哀れみと共感を覚えてしまった。彼に見詰められるなんて……羨ましい。
「では、ヘル・リュミエール、卿の用件は?」
 リュミエールは胸をはった。彼には隣の髭のむさい男よりも、数倍真っ当な「用」があるのだから!
「閣下、先日の事件のときは命を助けていただき、本当にありがとうございました」
 アラン・リュミエールを人質にした立てこもり事件には報道されなかった重大な事実がある。それは事件の解決に新領土総督ロイエンタール元帥が関わっている――というより、ロイエンタールの働きにより事件は解決したということだ。
「さあ、なんのことだかわからないな」
 言葉とは裏腹に、ニヤリと笑ったロイエンタールに、リュミエールはさらに続ける。ここからが重要だ。
「それで、それでそのお礼とお詫びを致したく」
「礼など不要だ」
 短く言い切られた言葉に怯んではだめだ。
「いえ、お礼に託つけて、もう一度チャンスをいただきたいのです! せっかく閣下との食事会でしたのに、あのようなことになり、私は残念で悔しくて!」
 大袈裟な身振り手振りで訴える。隣から無言の威圧感を感じるが、そんなものに構ってられない。その時、ロイエンタールがフッと破顔した。隣の男が息を呑むのがわかった。
「閣下……」
 何か言いかけたベルゲングリューンを、軽く手で制してロイエンタールは言った。
「食事はよいが、またあのような事件に巻き込まれるのはごめんだな」
「じゃあ!」
 思いがけない言葉にリュミエールが前のめりになりかけたが、それもロイエンタールは制した。そして、
「では、場所と日時はこちらで指定しよう。それでよいか?」
 リュミエールに否やはなかった。本当なら自分の領域に連れ込みたいところだが、今回はこれでよしとしよう。
「はい。ではご連絡をお待ちしております」
 碧の目を白黒させている男には悪いが、こんなチャンスを無駄にするつもりはない。リュミエールは期待を胸に、総督室を後にした。




1.軍服
 リュミエールはロイエンタールに指定された時間に指定されたレストランを訪れた。そこは、総督府の最上階にあるハイネセンポリス屈指の高級レストランだった。利便性と安全性を鑑みればここ以上の場所は望めないだろうが、それにしても……
「ハァ……」
 案内された奥まった席につき周囲を見渡すと、軍服姿がチラホラと見える。その軍服たちがバッと不動の姿勢をとった。ロイエンタールが来たのだ。彼はこの地でただ一人着ることを許された元帥服を纏っている。案内のウェイターまでもが憧れに満ちた表情をしている。先程のビジネスライクな態度とは雲泥の差だ。
「ハァ……」
 もう一度リュミエールは溜息をついた。
「待たせたか?」
 ロイエンタールの話す同盟語は少し砕けていて親しみを感じるのだが、それでもこの軍服姿はいただけない。
「先程聞いたのだが、今日は牡蠣の良いのがあるらしい。それでいいか?」
 黒と銀の軍服はロイエンタールのために作られたのかと思うほど、彼に良く似合っている。彼の高潔さ、彼のセクシーさ。しかし、それはまるで鎧のように彼の柔らかい部分を覆い尽くしている。
「君に任せるよ」
 ロイエンタールはウェイターを呼ぶと細々とメニューを決めていく。彼が話す帝国公用語はまるで壮麗な詩のように美しい。だがその内容は……
「ふふっ」
「何だ?」
「オードブルばかりだね」
「今日のメインは牡蠣だ、いけないか?」
「私はいいけれど、シェフはどうなのかな?」
 ウェイターを見上げると、上気した顔をブンブンと横に振った。
「構いません。シェフもロイエンタール閣下にはお好きなものをお好きなだけ召し上がっていただきたいと、常々申しております」
「ふーん、ここは君にとってそういう我がままができる店なんだ」
 ロイエンタールはニヤッと笑うと、
「ここはこの星で唯一の馴染みの店だからな」
 馴染みの店という言葉が不似合いなほどの高級店ではあるが、そこにこうして自分を招いてくれたのだと思うと、胸が熱くなった。利便性や安全性だけで選んだのではなかったのだ。
「じゃあ、君にとっておきの牡蠣の食べ方を教えてあげるよ」
 リュミエールはウェイターにウイスキーのリストを求めた。
「庶民の食べ方だけどね、これがなかなかいけるんだ」
 ウイスキーを掛けた牡蠣を肴にウイスキーを飲む。あっという間に酒精に侵され、リュミエールは目の前の麗人をトロンと見詰める。詰め襟をきちんと上まで留めた姿は、さながら殻を固く閉ざす牡蠣だ。あの分厚い軍服の下にはこの白い身のように、艷やかで艶めかしい身体が張り詰めているのだ。リュミエールは1つ牡蠣を口に放り込んだ。その柔らかな身を暫く舌で弄びながら、ロイエンタールを見詰める。今自分の口内にあるものが、目の前の人の一部であるかのように愛撫をする。そして柔らかな身に歯を立てた。じゅわりと旨味が溢れ出し、砕かれた身とともに喉の奥に滑り込んだ。
 体が熱い。酒だけでなく目の前の人に酔ってしまった。
「はあぁ」
「どうした? 酔ったのか?」
 そう聞く人も酔っているらしく、常のイメージに反して饒舌だった。時折楽しそうに声を出して笑うロイエンタールを、もっと深く近く知りたいと思う。
「酔ってないよ」
「酔っ払いは常にそう主張するものだ」
 ロイエンタールはウェイターを呼ぶために手を上げようとした。その手をリュミエールは両手で握りしめる。
「いやだ。まだ帰らない」
「だめだ。手を離せ」
「ねえ、このまま二人でどこかに行かない?」
 そして、その堅牢な軍服を脱いでありのままの君を見せてほしい。
「行かない」
 ロイエンタールはウエイターを呼ぶと、地上車を2台手配させた。
 リュミエールはロイエンタールに引きずられるように車寄せに連れてこられると、待機していた車に押し込まれた。
「では、またな」
「っ!……また!」
 リュミエールを乗せた車は音もなく走り出した。バックミラーには彼を見送るような佇むロイエンタールの姿が見えたような気がした。




2.時計
 経済顧問との約束の時間になっても、ロイエンタールは決済待ちの書類を前に眉間の皺を深めている。あんなに怖い顔をして、あの書類はきっとハンス・エドアルド・ベルゲングリューンとサインされているに違いない。それに、アラン・リュミエールとの約束も、ロイエンタールの気分次第で反故にされたって構わないと思っている。上官の超過勤務については無視できないが、レッケンドルフとしてはここでこうしていてくれている方がありがたかった。しかし、とりあえず一度は声を掛けておくべきだろう。それが自分の職分だと自分に言い聞かせた。
「閣下、お約束のお時間だと思うのですが」
 ――ああ、そんなものはどうだって構わない。
「何、まだ30分前だろう?」
「いえ、もうお時間です」
 ロイエンタールは左手首に嵌めた腕時計を見た。確かに針は30分前を指している。
「ああ、30分遅れていらっしゃいますね」
 覗き込んだレッケンドルフがそう言うと、ロイエンタールは時計を腕から外し、愛おしそうにその文字盤を撫でた。
「そうか……。もうそんなになるのか」
 ロイエンタールのその腕時計は、彼の経済力からするとそうたいしたものではなかった。レッケンドルフ調べによると、おそらくは少尉の初任給一月分といったところだ。他に少尉の初任給一カ年分を軽く超えるような時計を着けていることもある。しかし、普段最もよく身に着けているのはこの時計だった。
「オーバーホールの時期だったのか、忘れていたな」
 オーバーホール……4・5年前というと……。レッケンドルフはっとした。もしかして、
「その時計、ミッターマイヤー閣下からの贈り物でしたか!」
「ああ、俺がノイエラントに発つときにな」
 そして、おそらくミッターマイヤーも同じ時計を身に着けている。
「レッケンドルフ、オーバーホールを頼めるところを知っているか?」
 帝国軍の双璧の絆である腕時計をレッケンドルフは預かった。ハイネセンポリスにある全ての時計屋に内偵を入れてでも、腕の確かな職人を探し出してみせる、とレッケンドルフは思った。そして、再び遠くフェザーンと一分一秒違わぬ時を刻ませてみせる、と決意した。
 
 


続く 
 


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