夢みる男(side B-2)



「それは何だ?」
 ミッターマイヤーが納屋から持ち出してきた一抱えもある箱を不審に思い、俺は尋ねた。
「フライヤーさ」
「フライヤー?何をする気だミッターマイヤー。まさか、卿が料理をするとは言わないだろうな」
「ふふっ」
 小さく笑う奴の顔を見て、不審は不安に変わった。こういう笑い方をするときは、奴はよからぬことを考えている。
「エヴァはよくできた女房さ。俺にはもったいないくらいだ。最近では俺の体のことを考えて食事を作ってくれている」
 突然始まったエヴァ自慢に、外食が多い俺への当てつけかと思ったが、どうやらそうではなかったようだ。
「でもな、ロイエンタール。俺は時々無性に体によくない物を食べたくなる。うまい物って言うのは、どうしてこうカロリーが高かったり栄養が偏ったりしているんだろうな?」
「一概にそうも言えまい?しかし、それほど食いたい物があるのなら愛する奥方に作ってもらえばよかろう」
「卿はわかっていないな・・・」
 ふとミッターマイヤーは妙な笑みをグレーの瞳に浮かべた。哀れむような侮るような余裕の笑みを。
「そんなことを言えば、エヴァの心遣いえを無用だと断じることになる。妻の厚意を踏みにじるような行為は夫としてはできんものだ」
 なるほど、妻帯者とは相手の顔色を伺い、食いたい物も食えぬものらしい。こいつは俺に結婚を勧めていたが、やはり、結婚などしないにこしたものではないようだ。
 ミッターマイヤーは箱を開封し、まだ使われた形跡のないフライヤーを取り出し、ドボドボと油を注入し加熱のスイッチを押した。
「さて、何を揚げようかな?」
 冷蔵庫を開け、中身を物色していたミッターマイヤーは、喜色を浮かべてある物を取り出した。それは頭付きの魚ーー鰯の親戚か?かなり大きいが・・・。
「それを揚げるのか?魚は下処理が難しいぞ」
 父親の暴力から逃れるためにキッチンで隠れていた子供の頃、俺は家のコックから簡単な料理の手ほどきを受けたが、魚は「若様には危のうございますから」と包丁を握らせてもらえなかったことを思い出した。
「なに、男の料理はこうするもんだ」
 言うや否や、ミッターマイヤーは魚をそのまま油の中に放り込んだ。まだ低温だったのだろう、音も立てずに油の中に沈み込んだ魚は、悲しそうに俺を見ていた。当然だ、こんな扱いを受ける為にここにあったのではなかろうからな。
「おい、鱗や腸は取るものだろう」
「あ、忘れていた!ま、もう手遅れだ、仕方あるまい。これが男の料理ってもんさ」
 次第に松かさのように鱗を膨らましていく魚を見て、そういえば、尉官の頃から、二人でファストフードを食ったとき、俺の分の付け合わせのフライドポテトは、たいていこいつが平らげていたことを思い出した。揚げ物や濃い味付けの物がこいつの好物だったのだ。好物を我慢してまで妻の意向に添わなければならないとは、愛妻家とはなんと哀れなものではないか。
 ミッターマイヤーが元帥府を出るときに言っていた例のワインを開け、俺たちは哀れな油まみれの魚を食した。危険を警告するかのように鱗を逆立てた魚は、何の味もせずただただ生臭かった。
 やっとワインで流し込むようにして魚を胃の中に納めた俺は、これで奴も懲りただろうと、胸の中でこれからでも入れる店をリストアップしていた。しかし、奴はそうではなかったようだ。次々と冷蔵庫から出してきた肉やら茸やら野菜やらをフライヤーに放り込んだ。
「フライにして一番うまい物は何かな?ロイエンタール、卿は何だと思う?」
 もはや調理ではなく実験だ。そして俺は実験台に等しい。奴は俺が士官食堂で出されたフライの衣を外して食っていることを見ていないのか。フラウには申し訳ないと思いながら俺は自分の腹を満たすために冷蔵庫を開けさせてもらった。
「ミッターマイヤー、チーズとテリーヌがあったぞ」
 油まみれの得体の知れぬものは奴に食わせて、俺はこれで口直しをと思っていたが、「食ってもよいか?」と尋ねる前に、奴はそれを俺から取り上げサッサと油の中に投入してしまった。
「あっ、何をする!」
「まあ見てろよ、旨くなるって」
 無責任なことを。もう何も食わぬつもりでグラスを傾けていると、原型を留めぬチーズとテリーヌが目の前に差し出された。
「卿の物だ。食ってみろよ」
 もうすでに俺の物ではないと言いたいところだが、挑発するような眼差しに、酒精のせいかはたまた油のせいか、剣呑な色合いが籠もっているのを見て、退っ引きならないことを知った。俺はこの場を乗り切るために苦渋の選択をした。兎に角今を乗り切ることだけを考え、酒の助けを借りてその場を凌いだ。
 結局、ミッターマイヤー邸を辞したのは11時を回った頃だった。その間、ワインを何本空け、何を食ったのかもわからないような状態になっていた。地上車を呼び、自邸にたどり着いた時には、体を動かすのも億劫なほど疲労困憊していた。
 何とかシャワーを浴びてベッドに潜り込んだ俺は体の異変に目を覚ました。いつもならどこにあるかも意識されない胃がやたらと自己の存在を主張してくる。一度覚醒した意識はなかなか睡魔を寄せ付けず、そのまま夜明けを迎えてしまった。


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