秉燭夜遊(8)



 大小のエネルギー光線がが飛び交う中に飛び込むと、そこはさながら戦場であった。しかし、勝敗は戦争馴れしたロイエンタールの目には明らかで、目の前の敵だけを倒しつつ、一直線に横転した地上車に向かった。
「オーベルシュタイン!」
 漏れ出たオイルに火がつき燻っている。いずれ大爆発を起こすのは間違いなかった。ロイエンタールは躊躇わず地上車に手を掛けた。
「閣下! 危険です!」
「ならば、貴様が援護しろ!」
 後を付いてきたフェルナーにそう言い捨てると、ロイエンタールは歪んだ扉の隙間から中に向かって叫んだ。中から微かな我が名を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
「ここだ!」
 ロイエンタールの声に駆けつけた特殊部隊の手によって、オーベルシュタインは助け出された。目立った外傷は見受けられないが、ぐったりと意識を失っている。爆発寸前の車内は、外からは想像できないほど高温になっていたので、酸欠と気管支の熱傷が原因だろうとの隊員たちの判断で、すぐに仮設の救護テントに運ばれた。
 
 まるで曇天のようだ。ここが、あの世か、いや、地獄か煉獄だろうか。いや、ちがうな。ここはこの世だ。私はどうやら生き残ってしまったらしい。意識を取り戻すと同時に感じた痛みに、オーベルシュタインは計画の失敗を知った。
 死に損ねてしまったのか……。
 予定になかった未来を、死に向かうだけの未来を、永訣だけが待ち構える未来を、生きなければならなくなってしまった。作戦の失敗に対する無念さよりも、そちらの方が先に頭をよぎるとは、死と向かい合うことを私は恐れていたのだろうか。心の奥深くに沈めたまま終わりにするはずだったものから、目を逸らすことを禁じられ、生きねばならない。オーベルシュタインの心が絶望に染まりかけた、その時だった。
「生き恥を晒すなどと考えていないだろうな」
 強張った筋肉を動かして、なんとか首を横に向けた。光が指す方を見ると、そこには逆光を背負った人影があった。
「卿らしくもない、愚かな行為だ」
 オーベルシュタインは萎えた腕を叱咤して、手を伸ばした。
「ロイエンタール」
 近づいてきた人影は、その震える手を握り近くにあったイスに座った。
「卿は間違っている」
 静かな声だけがテントに満ちる。
「この程度の旧貴族どもの急襲など、当初の警備計画に織り込み済みだ。ましてや、その計画を予め知っていたのなら尚更容易だっただろう」
 そうだろう、とオーベルシュタインも思う。
「不平分子を一度に片付けるなどとフェルナーが言っていたが、そんなものは放っておけばよいのだ。反乱の可能性のあるものを全て叩き潰すなど、そんなのは今の時代にそぐわない。不遇を託つ輩は結局それだけで終わることが多いものだ。それで気が済むのならば言いたいやつには言わせておけばいい。時々憲兵が睨んでいれば、早々悪いこともできんだろうさ。俺は、陛下のひらかれた新しい世に、前帝国のような息苦しさがあってはならんと思う」
 語気鋭く詰め寄られることは何度もあった。その激しさ鋭さを美しいと思った。しかし、今のロイエンタールの声は穏やかだった。こんな彼を初めて見た。オーベルシュタインは胸が苦しくなった。
 初めて彼を見たとき、その優れた容姿はさることながら、若い一指揮官という印象にすぎなかった。それが、手に入れた地位と与えられた裁量に応じて、彼はその能力を伸ばしていった。いや、開花させていったと言うべきか。いずれにしても、水を得た魚のようにいきいきと力を発揮していく姿にいつしか目が離せなくなっていた。皇帝ラインハルトのような華やかな独創性や苛烈さはないが、現実的で鋭いバランス感覚の持ち主である彼がいなければ、皇帝の覇業もならず理想も画餅に終わったことだろう。そんなロイエンタールだが、オーベルシュタインを相手にするときはガラリと表情を変えた。目的のためには手段を選ばない権謀術数主義に対し、常に非難の声をあげていた。しかし同時に、他の提督達よりも冷徹なまでに先を見通せる知性と理性が彼を苦しめていた。人としてあるいは軍人としての道を求めつつも、オーベルシュタインが示す道が合理的であることも理解できてしまう。その葛藤が怒りとなって表れる、その姿! 暗闇に一瞬飛び散る火花のように美しかった。
 それが今は、凪いだ海のような穏やかさを見せている。彼自身の思考も深く柔軟なものになっているようだった。ああ、彼は変わり続けている。そして、これからも変わり続けていくのだろう。しかし――
――私はそれを見ることができない。
 その事実がオーベルシュタインを切なくさせた。
 ロイエンタールがフゥっと溜息をついた。見ようによれば態とらしく気障な振る舞いだが、彼がするとまるで絵画のようだった。
「わかっているさ。俺の言うようなことなど、卿には当然わかっていることだろう。卿は……」
 そこで言葉を切り、二色の瞳でオーベルシュタインを見つめてきた。
「死にたかったのだろう?」
「……」
「同じ死ぬなら、意味のある死を……と。俺のしたことは迷惑だったか?」
 アンバランスな瞳の色がゆらりと揺れたような気がした。
「俺は、卿にとってその程度だったのだな。こんなふうに簡単に、手が放せる程度の……」
 反駁しようとするが、声が出せなかった。ロイエンタールはふと視線を逸してさらに続ける。
「俺を抱いておきながら、俺の気持ちを聞こうともしない。俺はていのよい男娼代わりだったのか?」
「ロイエンタール!」
 ようやく絞り出した声は、掠れてしまいとても続けて何か言えそうになかった。白い手がオーベルシュタインの胸を押さえる。
「俺が何を思っているか、卿にはどうでもいいことなのか? だったら、手なんか出して来るなよ」
 気管が焼けるように痛んだ。
「求められているのかもしれないと思った。応えられるのかもしれないと思った。なのに、もう、実らぬ期待ばかり、させないでくれ……」
 涙が滲むような声にロイエンタールの顔を見上げると、そこには諦念にも似た静かな瞳があった。意を決したオーベルシュタインは胸に置かれた手を握り締めた。そして、声帯をごく僅かに震わせるようにして言葉を発した。
「応えて……くれるのか?」
「卿が、それを望むなら……」
「怖かったのだ、私は。君に拒絶されることを……。だから残り少ない人生を、私は自分自身を欺いて生きていこうといていた。だが……」
「だが?」
「それでは死んでも死にきれぬ。そんな簡単なことに今まで気がつかなかった……。私は愚かだ」
「……」
「ロイエンタール……」
 オーベルシュタインからの乾いた唇に柔らかくロイエンタールの唇が押しつけられた。舌を使わない触れ合うだけの、それでいて親密さを感じさせる口づけ。それは外から救護隊の到着を知らせる声が掛けられるまで続いた。
 
 軍病院に搬送されながら、オーベルシュタインはロイエンタールを思った。死を受け入れる覚悟がすっかり揺らいでしまった。死にたくない。まだ死ねない。愛しい彼と永遠に会えなくなる覚悟をもう一度など、とてもできそうにもなかった。死を目前に私は醜く狼狽え、足掻き、ありとあらゆる醜態を晒すことになるだろう。しかし、それでも生きたい、彼のためにも。そうなんの衒いもなく思えることが嬉しかった。
 
******************************
 
 入院中ロイエンタールと顔を合わすことはなかった。相変わらず忙しいのだろう。それに、今回のこともある。自分の失策の後始末を彼がしているだろうと思うと、申し訳ないとも情けないとも思うオーベルシュタインだった。ロイエンタールもオーベルシュタインの容態が気になりつつも、見舞いに行けない日々を過ごしていた。そこで、あれから妙に口数が少なくなっているフェルナーを自らの代わりに病院に行かせることにした。
 白い病室の中に横たわるオーベルシュタインの姿はあまりにも静かで、最悪の事態を想像させる。フェルナーはその姿を振り払うようにしてベッド脇に寄った。
「閣下、お体の具合はいかがですか?」
 閉じていた目を開き、オーベルシュタインは静かに答えた。
「医者に聞いたのであろう」
「はい。ですが、ロイエンタール閣下から閣下ご自身の言葉で聞いてくるように命じられております」
「ロイエンタールが……そうか」
 フェルナーはふっとオーベルシュタインが笑ったように感じた。
「ならば伝えてもらおうか。気管の痛みもほとんどない。他も打撲程度だった。病の方も変化なく、もう一つ検査を終えれば退院できるということだ」
 簡潔な中に、何か温かみを感じる言葉で、フェルナーの胸にもなぜだかわからないがこみ上げてくるものがあった。
「ところで、私の処分はどうなった?」
 もう決まったのだろうと、オーベルシュタインは訊ねた。皇帝を謀ったのだ。たとえ元帥であったとしてもただではすまされまい。
「それが……」
 フェルナーは少し眉を下げた。その珍しく情けない顔にオーベルシュタインは話の先を促した。フェルナーはあの事件の後の出来事を語り始めた。
 
 救護隊とともに駆けつけたレッケンドルフに事後処理の指揮を任せ、ロイエンタールはフェルナーを引き連れて地上車に乗り込んだ。ヘリもあったにも関わらず移動に時間のかかる方を選んだのは、おそらく、その時間をロイエンタールが必要としていたからである、とフェルナーにはわかった。そして、その話の内容も凡そ見当がついていた。今回のことについての責任を問い質されるのだと、そう思っていた。しかし、道の半ばまで無言で窓の外を見ていたロイエンタールは、まったく反対のことを言った。
「今回の件、全ての責任は俺にあるとせよ」
「いえ、しかし、閣下……」
「卿の言いたいことはわかっているつもりだ。だがな、フェルナー。卿を使っているのは俺だ。俺は卿を監督する立場にある。だから卿の失態は俺に帰するものなのだ。それでいいんだ」
「いえ、それはなりません。小官は皇帝陛下ばかりか閣下をも欺いているのでありますから」
 被害者がその責任を負うなど、筋が通らないこと甚だしいとフェルナーは訴えた。すると、ロイエンタールは冷ややかに青い目を光らせた。
「俺が、卿に騙されたというのか」
「…………」
「この話は以上だ。以後如何なる反論も認めない」
 再びロイエンタールは窓の外に顔を向け、黙り込んだ。その冷ややかな空気はフェルナーですら立ち入ることを躊躇わせるものだった。
 地上車はそのまま王宮に着いた。その足で皇帝の間へ向かうロイエンタールに、フェルナーは離れずに着いていった。ロイエンタールがフェルナーの非を認めてくれないのなら、直接奏上するしかない。しかし、そんなフェルナーの意図が分かるのか、ロイエンタールは立ち止まりフェルナーを振り返ると、卿はここで待っていろと命じた。それはできないと、押し問答になりかけた、その時だった。長い廊下の向こうから皇妃を伴った皇帝がやってきたのだ。ロイエンタールは廊下のわきに控え、フェルナーはさらにその後ろに畏まった。それに気付いたラインハルトは二人の前まで来ると足を止めた。
「陛下、ご報告申し上げなければならないことが」
ございますと続くところを、ラインハルトの涼やかな声が遮った。
「そういえば、ロイエンタール。例の作戦はうまく行ったのか?」
「………」
 何を聞かれているのかと立ち尽くしていると、ラインハルトはまるで悪戯っ子のような下手くそなウインクをした。
「あ……はい。終了いたしました。ただいまレッケンドルフに撤収作業をさせておりますので、おって正確な成果をご報告させていただきます」
 うんうんと頷きながらロイエンタールの報告を聞いたラインハルトは、最後にこう言った。 
「味方の被害は?」
「……軽微にございます」
「そうか、それはよかった。な?」
 ラインハルトは皇妃ヒルデガルドを振り返った。
「はい、ようございました」
 爽やかな風を起こして、若い夫婦は立ち去った。
 
「そうか……」
 フェルナーの話を聞き終え、オーベルシュタインは目をつぶった。陛下はこの度のオーベルシュタインらの罪を不問にしてくださるという。それも、そのようなものなど初めからなかったことにして。帝国に吹きはじめた新しい風を、オーベルシュタインは感じた。策謀と陰謀の汚濁にまみれた、自分が必要とされた暗黒の時代はもう終わったのだと、はっきりと知った。それはとても爽やかな発見だった。


続く




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