秉燭夜遊(6)



 皇帝ラインハルトは宇宙統一を成した直後から、戦災孤児の救済に力を入れてきた。その活動はグリューネワルト大公妃の進言の元に始められたのではと巷で囁かれているが、実際はラインハルト自身の発案であった。その力のいれようは、彼が季節ごとに視察と称した慰問を続けていることからもわかる。マスコミは最初こそ皇帝陛下の寛大さを讃えて大々的に報道していたが、これが通例のように行われるようになると報道も皇帝陛下の公務予定として新聞の片隅に載るにすぎなくなった。それでもラインハルトは親友の名を冠した施設を訪れ続けた。
 この訪問に際して警備を担当するのは軍部だった。軍務尚書オーベルシュタインが退役した今、名実ともに軍のトップである統帥本部総長がその責任を負う。実際の業務は憲兵総監と親衛隊隊長が行うものだが、皇帝の御幸ともなれば確認事項として飛び交う書類は数知れず、それがすべて統帥本部総長に回ってきた。さらに、現在大演習を行っている宇宙連合艦隊の帰投も近い。ラインハルトは予定が重ならなければ施設の視察にも連合艦隊の出迎えにも行くつもりだったが、もし重なった場合には、艦隊の方はロイエンタールに任せることにしていた。なので、警備の計画は幾通りにもなっていた。
 それぞれのパターンごとに仕分けられた書類の山を眺めながら、統帥本部の幕僚たちはめいめいの願望を打ち明けあっていた。
「理想的なのは、艦隊の帰還が慰問の後になるパターンだな」
「艦隊に予定が重ならぬよう、宇宙で待機してもらうことはできないのでしょうか?」
「卿は艦隊勤務経験がないからわからんのだ。帰れるとなれば一日も早く帰りたいもんだぞ。それこそ、艦の脚さえ速くなるほどな。それを一日待てとは俺は言えんし、陛下も仰らないだろう」
「そうだそうだ。そんなことをすれば返ってお叱りを受けるだろうよ」
「俺はいっそのことAパターンがいいな。一度に済んでしまえばあとが楽じゃないか」
 A案とは、同じ日に皇帝と統帥本部総長が別れて視察と出迎えに行く最も複雑な動きになるものだ。それをわかっているのかと、発言者が周囲に詰め寄られているところに、幕僚長ベルゲングリューン上級大将が現れた。
「残念だが、そのAパターンになりそうだ」
「艦隊から連絡が入ったのですか」
「ああ。各署に連絡を」
 ベルゲングリューンの一言に、幕僚達は再び忙しく動き始めた。
 
 その日、いつもより早く出仕したロイエンタールは皇帝の代理としての威儀を整えていた。いつもより多い装飾品にうんざりしながらも、漸くミッターマイヤーに会えると思うと心が浮き立った。あの太陽のような男に会えば、ここ最近の鈍色の雲に覆われた我が心も、少しは晴れることだろう。ロイエンタールはここ数日来なかった穏やかな気持ちで車中の人となった。
 しかし、一本の通信が再びロイエンタールの心を曇らせた。通信を受けたベルゲングリューンが非常に申し訳なさそうな顔をして、ロイエンタールにその内容を伝えた。
「閣下、基地司令より連絡がありまして……」
 諫言ですらためらうことのない幕僚長が珍しく口籠るので、ロイエンタールはその内容をおおよそ把握した。
「どのような?」
 短く先を促してやると、艦隊の到着が延期になったという基地司令の言葉を伝えた。
「未明からの磁気嵐の影響で、管制誘導システムに障害が起きたようです」
「そうか……ならば仕方あるまい。ここまで来て足踏みしなければならない艦隊の奴等には気の毒だがな」
 ベルゲングリューンはロイエンタールの様子を伺った。彼からすれば気の毒なのは何も艦隊の奴らばかりではなかった。この無表情を崩さない上官が、どれほど艦隊の、いや、艦隊を率いるミッターマイヤーを待っていたのかを知っていたから。
「閣下、いかがなさいますか?」
「いかがって、お前、戻るしかないではないか」
「左様でございますな」
 まるで自らの失態ででもあるかのように恐縮するベルゲングリューンに、ロイエンタールはほんの少し微笑んだ。だが、それはやはり寂しそうな表情で、ベルゲングリューンは胸が苦しくなった。
 戻ればそれなりに仕事はあるが、今日のためにレッケンドルフが調整をしてあったので、いつもの調子でこなしていくとみるみる間に手が空いてしまった。そうなると頭を占めるのはあの男のことだった。あれ以来連絡すら取っていないがどうしているのだろう。病状はどうなのだろう、と。オーベルシュタインのことを思うと胸が切なくなるのが嫌だった。
「今日は良いお天気ですね」
 久しぶりに長閑な気分に浸っているらしいレッケンドルフが、外を眺めて言う。
「閣下、気分転換に散歩でもなさいませんか?」
 ロイエンタールも空を見上げた。この青空の向こう側では磁気嵐が吹き荒んでいるとはわからないほどに澄み渡っていた。
「そうだな。急ぎの案件もないようだし、行ってみるか」
 体を動かせば、少しは気も紛れるだろう。ロイエンタールはレッケンドルフをつれて、獅子の泉のある広場に出かけることにした。
 
「おや、あれは」
 異変に目敏く気付いたのはレッケンドルフだった。苛立った神経を宥めようとこと更に意識を散漫にしていたロイエンタールは、有能な副官の声が緊張の色を帯びていることに気付いた。
「どうした?」
「はい、先程その先に陛下のお姿が見えたように思ったものですから」
「なに? 陛下だと!」
 そのようなことあるはずがなかった。この時間、陛下はジークフリード児童養護施設に向かっているのだから。
「確認しよう」
「はっ」
 駆け出した二人の足音が静かな宮城に響いた。そして、その音を聞きつけた皇帝その人が柱の影から姿を現した。
「陛下!」
「やあ、ロイエンタール。卿も散歩か? いや、なぜ卿がここに?」
「それはこちらの質問です。陛下、どうしてこちらに?」
「だから散歩だと……」
「いえ、そういうことでなく!」
「んん?」
 噛み合わない会話にロイエンタールの胸はざわめいた。何かが起こっている。そんな不安をひしひしと感じた。
「陛下、今日の慰問はいかがなさいましたか?」
 この質問に、ラインハルトも表情を引き締めた。
「先方に不都合が生じたから取りやめた……のではなかったのか?」
「そのようなこと、聞いておりませんが。誰からお聞きになりましたか?」
 ラインハルトは目を見開いて言った。
「卿だ。ロイエンタール、卿から聞いた」
「私はそのようなこと申し上げておりません」
「しかし、フェルナーが」
「フェルナー!」
 ロイエンタールはドキッとした。
「しかし、なんのためにそのようなことを?」
 そうだ、なんのために? 施設訪問に問題があるのならば、筋を通して取りやめさせることができたはずだ。それではいけなかったのか? なぜ?
「閣下、宜しいでしょうか?」
 ロイエンタール傍らに控えていたレッケンドルフが口を挟んだ。副官としての立場をよく心得ているレッケンドルフにしては、珍しいことだった。
「なんだ?」
「はい。実は今朝、統帥本部に戻る途中で、陛下の車列とすれ違っているのです。しかし、陛下は宮殿からお出ましなさっていらっしゃいません。これは、どういうことかと思いまして」
「レッケンドルフ! 今すぐフェルナーを呼べ!」 
「はっ」
 直立不動の姿勢で命令を受け、皇帝と上官に敬礼して駆け出したレッケンドルフを見送り、ロイエンタールは統帥本部に戻るために踵を返した。その後を追おうとする姿勢を見せたラインハルトに、ロイエンタールは釘を刺した。
「陛下はお部屋にお戻りを!」
 明らか不満を浮かべたラインハルトだが、ロイエンタールの剣幕に好奇心を押し殺すことにした。
 
「どういうことだ、説明せよ」
 執務室にロイエンタールの姿を認め、わずかに表情を変えたフェンナーは、いつものふてぶてしい態度を意識した。
「なんのことでしょう?」
 ロイエンタールは執務机を掌で叩き、声を荒げた。
「しらばっくれるな! 卿は俺の命を受けたと偽り、陛下に今日の御幸を取りやめさせた。なんのためだ!」
「陛下の御身に危険が差し迫っているとの情報があったからです。閣下もご不在でしたので、越権だとは思いましたが、急を要しましたので閣下のお名を借りて奏上致しました」
「ならば、なぜ陛下の車列が出発しているのだ!」
「それは……」
 フェルナーの眼がわずかに泳いだようだった。その時、レッケンドルフが姿を現しロイエンタールの脇に歩み寄った。そして何やらを耳打ちした。
「なに? オーベルシュタインが!」
 レッケンドルフがもたらしたのは、もしやとは思いつつもそうであってほしくなかった一片の情報だった。パズルのピースがすべて揃ったように、ロイエンタールはあらかたのことを悟った。
「フェルナー……貴様!」
 ロイエンタールはフェルナーの胸ぐらを掴むと、激しく壁に押し付けた。
 珍しく怒りを顕にしたロイエンタールにフェルナーは圧倒された。これが一時であれ宇宙の半分を支配していた男の威圧感かと、今まで感じたことのない戦慄が足下から上ってきた。
「閣下」
 力が籠もって白くなった手を引き剥がしたのはレッケンドルフだった。
「時間がございません」
 ロイエンタールはひとつ音高く舌打ちをすると、フェルナーに一緒にくるように命令し、執務室を飛び出した。
 
******************************
 
 レッケンドルフの先導で辿りついたのは、統帥本部の屋上だった。ここになにがと思っていると、遠くからプロペラ音が聞こえてきた。空を見上げると黒い点が二つ、見る見る間に大きくなってくる。
「特殊空挺部隊に要請をかけました」
「奴らに何を言った?」
「ご指示は閣下がこれからなさってください。小官はただ、実戦経験を積む機会があるとだけ申しました」
「そうか!」
 ロイエンタールは人工的に巻き起こった気流に煽られ靡くマントを肩から外した。それをレッケンドルフに手渡すと、到着した二機のうち隊長機の印のある機体に歩み寄った。
「フェルナー、卿は来るんだ!」
 フェルナーはただ言われるがままにロイエンタールに駆け寄った。
 慌ただしく再出発の準備をする特殊空挺部隊の隊長とロイエンタールが手早く方針を固めていく。レッケンドルフから予め今日の警備計画をデータで受け取っていたらしく、機体は迷うことなく方向を定めて宙に浮いた。窓から外を見ると、青いマントを脇に抱えたレッケンドルフが敬礼をして見送っているのが見えた。
「彼は来ないのか」
 誰にともなく口に出た言葉に、ロイエンタールが答えた。
「レッケンドルフは後方支援が専門だ。奴がいるから俺は前だけを見ていられる」
 フェルナーは今はもう小さくしか見えない紫紺のマントを見た。上官に全幅の信頼を置かれているらしい補佐役に、覚えず嫉妬にもにた感情を抱いた。
「フェルナー」
 作戦を立て終えたロイエンタールが項垂れるフェルナーの前に来た。固く口止めされていたことではあるが、フェルナーは心を決めていた。
「全てお話いたします」
 ロイエンタールの二色の目を見詰め返した。

続く


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