秉燭夜遊(9)



 オーベルシュタインが退院して屋敷に帰ると、ロイエンタールが待ち構えていた。
「おかえり、オーベルシュタイン」
「ここは、私の家だと思ったのだが」
 フフッと笑ったロイエンタールは、オーベルシュタイン家の執事ラーべナルトの夫人が淹れたと思われるコーヒーを片手に、ソファーで寛いでいた。
「卿の家に、恋人の俺がいておかしいことはないだろう」 
 恋人を強調した言い方に、オーベルシュタインは片眉を上げた。
「その恋人だが、見舞いには一度も来てくれなかったのだな」
 来れなかった理由はわかっているが、なんだか拗ねたいような甘えたいような気持ちにオーベルシュタインはなった。
「忙しかったんだ。代わりにフェルナーを行かせただろ?」
「あれはフェルナーのためだろう。彼は珍しく消沈していたからな」
 再びロイエンタールはフフッと笑い、コーヒーカップを口に運んだ。オーベルシュタインはその上げた手を掴んだ。
「君が忙しいことなどわかっている。わかっているが、来てほしいと思ったのも事実だ」
 反対の手でコーヒーが溢れないようにカップを置くと、ロイエンタールはうっそりと美しく笑った。その手をオーベルシュタインは口元に持っていき、手の甲に口づけした。そして、その手を返すと今度は掌にキスをした。
「ロイエンタール」
 オーベルシュタインはロイエンタールの手を両手で包み込むようにして、自らの頬に押し付けた。ロイエンタールはなすが侭になってくれている。
「愛している。私の残りの人生を、全て君に……」
 ロイエンタールはやはり微笑んだまま、少し照れくさそうに視線をそらした。その視線が戻るまで、オーベルシュタインはほんのりと朱に染まった白い顔を見つめ続けた。ようやく意を決したように二色の瞳がオーベルシュタインの上に戻っていた。しかし、何やら困った表情を浮かべたまま、沈黙してしまった。
「ロイエンタール、君も私を愛してくれていると、嬉しいのだが」
 水を向けるようにそう言うと、ロイエンタールははっと息を飲んでオーベルシュタインを見つめ返してきた。そして、何度かゆっくりと瞬きをした後小さいがはっきりと言った。
「俺も……愛している」
 オーベルシュタインは意味で感じたことのない欣幸を味わいながら、目の前の美丈夫がこれ以上ないほど頬を上気させているのを見た。
「何をニヤけているんだ」
 本当なら今すぐにも隠してしまいたいみっともない顔を注視する視線に耐えかねて、悪態をついたロイエンタールはオーベルシュタインの胸ぐらを掴み引き寄せた。その勢いに身を任せて二人は唇を合わせた。ロイエンタールは両腕に力を込めて腕の中の痩身を抱き締めた。この中にある命を感じたい。自分の中にある愛を感じたい。そしてそれをそっくりそのままこの腕の中の男に伝わればいい。生まれて初めて鎧を脱いだ心は、まるで羽根が生えたかのように軽くそして敏感だった。唇の動きや手のひらの熱さ、合わさった胸に直接伝わる鼓動に愛を感じた。
――ひとつになりたい。
 オーベルシュタインは体重をかけてロイエンタールをソファーに押し倒した。柔らかく力の抜けた身体はされるがままに男に従って横たわった。ロイエンタールが長い脚を開き男の胴を挟み、隙間なく身体が密着すると、互いの熱が伝わり合い、輪郭がぼやけていくような穏やかな快感が二人を包んだ。
 舌を絡めながら着衣越しに性器を感じ合う。腰はまるで交合のときのような動きでここ数ヶ月の関係で与えられる快感に弱くなったロイエンタールを追い詰めた。
「アァ……もうイく……イキたい……」
 オーベルシュタインは手早くロイエンタールの前を寛げた。下着を押し下げると勢いよく飛び出してきた屹立を握り締めると、一段と手の中のものの容積が増した。ビクビクと脈打つ様子からは、限界が近いことがありありと見て取れる。オーベルシュタインは亀頭を口内に入れると、根本を手で強く擦り上げた。ロイエンタールの下肢に力が籠もり、差し迫った切ない声が上がった。
「ハアッアアっ!」
 口内に生温かい物が広がった。ロイエンタールの悦のいった声も精液も、甘くオーベルシュタインを潤した。
 絶頂を迎え忘我の境地から何とか意識を取り戻したロイエンタールは、オーベルシュタインが両手を顔の前に翳しているのを見て、今までにフェラチオは数え切れないほどしてきたが、そこで射精まで至ったことは初めてだったと気づいた。
「すまない。気持ち悪いだろう、吐き出してくれていいから」
 オーベルシュタインは相変わらず手を見つめたまま答えた。
「気持ち悪くなどない。ただ不思議なだけだ」
「不思議?」
「そう、今こうして飲んだ君の精液が、いずれ吸収されて私の一部になると思うと……不思議な感覚だ」
「ふうん」
 再び乗り上げるように覆いかぶさってきた背を、ロイエンタールは抱きしめた。衣服越しに伝わる温かい体温を感じながら、オーベルシュタインの耳に囁いた。
「なら俺も飲むよ」
「いや、その必要はない」
「なぜだ」
 自分の思いを拒否されたように感じ、声を尖らせたロイエンタールを宥めるように、オーベルシュタインは白い額に口づけた。
「わざわざそのようなことをせずとも、君はもう私の色に染まっているからだ」 
「?」
 オーベルシュタインはもう一つ、今度は唇にキスをして言った。
「経口よりも直腸の方が消化器官を経ない分、吸収率がよいのだよ」
 自分を見つめるのは機械の目であるにも関わらず、情欲の焔が揺らめいていた。だが、そのあまりにも即物的な表現に、ロイエンタールは思わず吹き出した。 
「ダメだ……今ので醒めた」
「大丈夫だ、またすぐ熱くなる」
 再び求めてきたオーベルシュタインのキスを、顔を背けて躱しながらロイエンタールは扉の方を見た。
「それより、そろそろ応えてやってはどうだ?」
 その視線を追い扉を眺めていると、コンコンコンと低い乾いた音がした。
「ずいぶん前から、間をおいて叩いているようだが……」
 オーベルシュタインはガバっと上体を起こした。そう言えば、自分を迎えに来た老執事は何と言っていたか……。
ーー旦那様、帰りましたらまずはゆっくりお食事を。妻も腕を振るって、旦那様のお帰りを待っております。
「しまった……」
 頭を抱えるオーベルシュタインの背をロイエンタールは笑いながら軽く叩いた。己の一物も唾液で濡れて外気にさらされたままだ。
「早く返事をしてやれ。夜はまだ長いんだ」
「うむ、そうだな」
 乱れた髪を気にしつつ、扉に向かう背中を見送りながら、ロイエンタールも身なりを整えた。そして思った。この夜は長い。だが、彼の夜は既に短い。だから、燈を点してでも共に遊びに興じよう、と。

続く





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