向日葵(2)




ーー産まれた。

 たったそれだけのメールがミッターマイヤーの携帯端末に届いた。ロイエンタールが早退してから3時間ほど経っていた。好奇心むき出しの僚友たちに追い出されるように退庁したミッターマイヤーだったが、産気づいてから出産に至るまで、相当な時間がかかる場合が多いことを知っていたし、ましてや、このたびは双子の出産である、一度家に帰りロイエンタールからの知らせを待つことにした。珍しく陽のあるうちに帰宅できた新米パパは、このときとばかりに2ヶ月になったばかりのマリアンネをかまいまくった。ミルクを飲ませ沐浴をさせ、昼寝をさせた。させたつもりが一緒に寝てしまっていたのはご愛敬だ。ミッターマイヤーは思いがけず転がり込んだ家族の団欒を心ゆくまで楽しんでいた。そのようなときに、あの簡潔すぎるメールが届いたのだった。
 ミッターマイヤーはその「文面」を打つロイエンタールがどんな顔をしているのか想像しようとした。おそらく、エルフリーデが仕掛けた「いたずら」は、彼女が望むような成功を収めたのだろう。我が親友殿はいったいどんな間抜けな顔をさらしたのだろうか。あの気取り屋の色男がと思うと、笑いが堪えられなくなった。
「あなた、ウォルフ。そんなに笑ってはロイエンタール元帥に失礼だわ。さあ、早く用意なさって」
 いつの間にかマリアンネにお出かけ用のベビー服を着せたエヴァンゼリンが、ニヤニヤと笑う夫をたしなめた。
「ああ、そうだったな、しかし……」
 ミッターマイヤーはこの夏のために仕立てさせた、サマードレスに身を包んだ我が妻と娘を眩しく見た。
「君も笑ってるじゃないか」
 エヴァンゼリンはこの夏の名残の向日葵を抱えていた。その彼女の顔にも、夏の太陽のような笑顔が咲いていた。

 2ヶ月前、自分が大神オーディンを始め、この世の全ての神に感謝を捧げた場所に、ミッターマイヤーは急いだ。そして、自分も腰掛けていた覚えのある場所にロイエンタールの姿を見つけた。今や三児の父となった親友は、心なしかやつれた姿でフェリックスを抱いて座っていた。二人とも目を閉じている。眠っているのかもしれない。
「おめでとう、ロイエンタール」
 正面に立ちそう声をかけると、ロイエンタールは疲労を滲ませた顔を上げた。
「どうした? えらく疲れているじゃないか?」
「ああ……」
 ものも言いたくないような様子に、ミッターマイヤーは不安を感じた。
「まさか、奥方か子どもたちに何かあったのか?!」
 ミッターマイヤーの気色ばんだ声色に、ロイエンタールは首を振った。
「いや、皆元気だ」
 そこへ遅れてエヴァンゼリンとマリアンネがやってきた。その気配にフェリックスが目を覚ました。エヴァンゼリンはロイエンタールに祝を述べながら、その様子が普通でないことを感じとった。そして、ミッターマイヤーと目だけで会話すると、フェリックスを連れてエルフリーデの病室へ向かった。
 ミッターマイヤーはロイエンタールの隣に座ると、親友の様子をうかがった。
「どうした?」
 ロイエンタールは両手で顔をひと撫ですると、大きく息を吐き、
「出産とは、なんとも壮絶なものだな」
と言った。
「ああ、そうだな……っておまえ、立ち会ったのか?!」
 この親友に限って、出産の立ち会いなどするはずはないと思っていたミッターマイヤーは、素っ頓狂な声を上げてしまった。しかし、いつもなら冷ややかに睨み返してくる金銀妖瞳は、今日は伏せられたままだった。
「俺が望んだわけではないが……あれよあれよという間に連れ込まれ、気づけば……なあ」
「無理矢理連れ込まれたのか」
 産婦と示し合わせてか、あるいは看護師らが気を利かせたのか、はたまた、名高い美男子の登場に気を昂ぶらせたためか。いずれにせよロイエンタールは心の準備のないままに分娩室に連れ込まれ、出産に立ち会うことになったのだ。その生い立ちに、とくに母親と確執を抱えるロイエンタールが何を感じここにいるのか、ミッターマイヤーは訊いてみたくなった。以前なら、そこにはたとえ唯一認める親友であっても容易に立ち入らせない頑なさを見せていたが、今は違うとミッターマイヤーはみていた。きっと、今抱いている何かしらの感慨は、良い方向のものである。そんなふうにロイエンタールは自分の問題を乗り越えようとしているに違いないと、同僚として、親友として、最も近いところでロイエンタールをみてきた者として勝手な確信があった。
「それで、我が子が産まれてくる瞬間に立ち会った感想は?」
「うーん、何というか、壮絶だった……」
 ロイエンタールは顎の指を掛け首を傾けた。意外に律儀なところのある友は、ミッターマイヤーの問いかけに真剣に答えてくれるようだった。
「俺は、エルフリーデのあのような姿は見たことがなかった。その、なんというか、命がけなんだな。実際このまま死んでしまうのではないかと思ったほどだった」
「死んでしまうなどと、卿、不謹慎だな」
「なんとでも言え、実際そう思ったのだ。どこから湧いてくるのか出処のわからぬ力を振り絞って、それこそ、死にものぐるいだと思った……」
 命を懸けて子どもを産んだその母親に、ロイエンタールは拒絶されたのだ−−そう思うとミッターマイヤーは胸が締め付けられるように苦しくなった。親友の抱える苦しみを初めて理解できたような気がした。そして、安易にロイエンタールの心に触れようとしたことを、申し訳なく思った。
「ロイエンタール・・・・・・」
 そう口にし気の利いた言葉が出てこないまま、ミッターマイヤーはロイエンタールの隣に座り続けた。もう何も言わなくていいよ、そういう思いを込めてただ座っていた。
「これを見てみろ」
 唐突にロイエンタールが両手を目の前にかざした。親友の手は相変わらず白く美しい。しかし、その手の甲、腕には無数のミミズ腫れが走り、所々には血さえ滲んでいる。
「なあ、ミッターマイヤー。フェリックスの時、エルフリーデは誰かにすがることができたのだろうか?」
「・・・・・・」
「俺は、ひどい男だ・・・」
 ミッターマイヤーは親友の体をひしと抱き締めた。彼が今思っているのは自分の暗い出自のことではなく、我が子フェリックスのことだったのだ。親友はミッターマイヤーが思っている以上に父親であったのだ。
「そうだな、卿はひどい男だ。いや、ひどい男だった。その分いい夫いい父親になろうと努めているのだろう? 彼女もフェリックスも幸せにしてやろうと思っているんだろ? それで十分じゃないか!」
「それで、そんなことでいいのだろうか?」
「いい! それでいいんだ!」
 ロイエンタールにとってミッターマイヤーは常識の窓だった。『普通』というロイエンタールにとって最も捉えにくいものを教えてくれる、唯一の開かれた場所だった。どんなときも、ミッターマイヤーは彼の光だった。その光がそれでいいのだと言う。ロイエンタールの心の中に溜まっていた粘着質な澱が小さく分解されて消えていくように感じた。
「ありがとう、ミッターマイヤー」
 抱き込んだ腕の中からくぐもった声が聞こえた。おいおい、そんな素直さは反則だろ、とミッターマイヤーはダークブラウンの髪をグシャグシャに撫で回してやった。
 しばらくそうしていると、ミッターマイヤーが両腕で抱きしめていた背中が大きく膨らんで、フーッと大きく息を吐いた。二人は息のあった様子で互いに預けていた体を起こした。ロイエンタールの涼やかな切れ長の目尻にほんのりと朱がのっている。それは見ないふりをして、
「さあ、ロイエンタール。もうそろそろ卿の可愛い子どもたちに挨拶させてくれよ」
と立ち上がり、ロイエンタールの手を引いた。ああ、そうだなと、ミッターマイヤーの前を歩き出した長身が、突然ピタリと歩を止めた。どうしたんだと聞く前にロイエンタールは振り向いた。その色違いの瞳はじっとりとミッターマイヤーを睨んでいた。
「おまえ、知っていたのか?」
「何をだ?」
「しらばっくれるな! 今『子どもたち』と言っただろう?!」
「ウッ……」
「俺はまだおまえに、産まれてきたのは双子だったとは言っていなかった」
「それは! その……エルフィーに『オスカーには秘密にしてね』と頼まれて……」
「!!」
 ロイエンタールはよろけて壁に手を付いた。
「おまえな……、やっと産まれたと思ったら、終わったと思ったら、また、イチからだったんだぞ……」
 力のない叫びは、その時のロイエンタールの混乱の深さを表しているようだった。安堵からの驚愕、不安、興奮……。予期せぬ出来事に無防備な心は随分と疲弊してしまったようだった。
「ゴメンよ、ゴメンよロイエンタール。おまえを驚かしてやりたいと、それだけのことだったんだ」
 ミッターマイヤーはロイエンタールの肩を抱いた。
「恨み言なら後で言いたいだけ全部聞くからさ」
 海鷲で待っているだろう面々に、心の中で断りを入れて、ミッターマイヤーはこのあとの予定を書き換えた。
「な、早く会わせてくれよ」
 まだ、何か言いたそうにしているロイエンタールを引きずるように、ミッターマイヤーは賑やかな声のする病室を目指した。扉を開けると、ミッターマイヤー家の庭に咲いていた向日葵と、それに負けない幸せな笑顔が満開に咲いていた。
 
 この時生まれたのは、男の子と女の子の双子だった。ロイエンタールはその子らに「オトフリード」と「カルラ」と名前を付けた。エルフリーデによると、ロイエンタールは生まれてくる性別の分からない我が子のために、それぞれの名前を用意してあったのだそうだ。
「無駄にならなくって良かったじゃない」
 産褥の妻にそう言われ、照れくさくも満足そうにロイエンタールは頷いた。
 
 
〈おしまい〉







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