Rest day



1
 朝、鳥の声で目が覚めた。日はもう高く昇っている。広いベッドには自分一人。共寝の相手は貴重な休日を僅かばかりも無駄にするまいと、ランニングでもしているのだろう。ロイエンタールはうーんと伸びをした。気儘な独身時代には、よくベッドの上で怠惰な休日を過ごしていた。主人の寝室を気にかけながら忙しく立ち働く使用人の気配は、軍務に疲れたささくれだった心を優しく包んでくれたものだった。そんなことを思い出し、ロイエンタールはもう一度目を閉じた。
「ん?」
 旧邸より減ったとはいえ、常に数名の使用人がいるはずが、その気配をまったく感じ取れない。実戦からは遠のいてはいるものの、長年にわたって磨かれてきた感覚は鈍っていない自信はある。何かあったのか。休日で緩んでいた心が一度に引き締まった。
 ブラスターを片手に私室の扉をそっと開け耳を澄ます。やはり物音一つしない。そのまま階段を下りリビングまで来た。人の気配がないだけで普段ととくに変わったところはなさそうである。
「ナーン」
 甘えた声で鳴き、ソファーの陰から黒い影が飛び出してきた。ブラスターをズボンのベルトに挟み、足下に纏わり付く艶やかな黒い毛並みの猫を抱き上げた。愛猫の寛ぐ姿をみると、危険はないのだろう。それにしても・・・・・・
「レーベン、皆はどうしたのだろう?」
 厨房や執事の控え室などを覗いてみたが、どこにも誰もいなかった。なんだか世界にたった一人で取り残されたような寂しさを感じつつ、リビングに戻ってきた。ロイエンタールはレーベンを膝に抱き、いつものソファーに座った。膝の上の小さなぬくもりがこの広い世界で唯一頼れるもののような気がした。


 それまでゆったりと揺れていた尻尾が、突然叩きつけるようにパタンと音をたてた。と同時に、ロイエンタールの背後の扉が開いた。
「閣下! もうお目覚めでしたか」
 立っていたのはベルゲングリューンだった。尻尾を大きく振り回すレーベンを抱いたまま立ち上がったロイエンタールを見て、ベルゲングリューンは己の過ちを悟った。自分が声をかけるまでは寝室から出てくるまいと日課をこなしに外へ出た一時間前の自分を、できるのならば殴り倒していただろう。見よ、あの希有の瞳を。まるで捨てられた猫のような頼りなげではないか。同じヘテロクロミアでも、あの腕に抱かれたレーベンの敵愾心むき出しの眼と大違いだ。
「ああ、誰もいないようなので、どうしたのかと・・・・・・」
 そう言うロイエンタールが座っていたソファーには、ブラスターが転がっている。不測の事態を想定したのだろうか。寂しさばかりか危機感までもを抱かせてしまったらしい。ベルゲングリューンはもう一度、頭の中の情けない男を今度はブラスターで打ち抜いた。
「皆、出かけているのか?」
「おや、お聞きではありませんでしたか?」
 ベルゲングリューンは、とりあえず頭の中の惨劇を片付けて、意識を目の前の愛しい人に集中した。
「ほら、先週末でしたか、ロバートの家の手伝いを皆でするとか言っていましたでしょう?」
「先週末……」
 記憶力の良い方なのに珍しいと、顎に指を掛けて考え始めたロイエンタールを、ベルゲングリューンは食堂へと誘った。そういえば、あの時期は新設した警備隊の配置を巡って、市民団体やらジャーナリストを自称する者とやらの対応に追われ、総督府はてんやわんやだった。表面上は常と変わらなかったが、この方もかなり疲弊されていたのだろう。家庭内のささやかな報告などが入る隙間がないほどだったのだ。
 老メイドが作り置いていった朝食を二人でとりながら、ベルゲングリューンはこの状況の説明をした。
「そうか、そんなことを聞いたような気もするが……」
 ハイネセンに来てから雇い入れた使用人のロバートは、実家のブドウ農園の収穫の手伝いに。例年にない豊作とロバートの父のギックリ腰が重なり、人手不足に陥っているというロバート家の窮状を救うため、オーディン以来のロイエンタール家の使用人たちも総出で出かけていったのだ。ロイエンタールの父親もぶどう畑を持っており、その収穫によく駆り出されていたという老メイドたちは、昔を懐かしんで是非にと同行した。そんな話も耳にしていたような気もする。皆が皆出かけているということは、その時自分は彼らの願いを快諾しているに違いない。ちなみに、このハイネセンの屋敷を預かる執事のハンスは、数日前から里帰り中である。執事不在の折に、総出で出かけることを使用人たち自身は渋っていたのだが、その背中を押したのがベルゲングリューンだった。
「だいたい軍人というものは、自分のことは自分で面倒がみられるように仕込まれているものなのだと言って、やっと出かけてもらいましたよ」
 ベルゲングリューンが淹れたというコーヒーをロイエンタールは受け取った。
「そうか、それは良いことをした。ブドウ園とはアンナも懐かしかろうよ」
 フッと優しい顔になったロイエンタールを目にして、ベルゲングリューンもこれもまた優しい表情になった。冷徹な人柄だと見られがちなこの人の、こういう部分に触れるたびに愛しさが増す。愛とは底のない沼のようなものなのか、はたまた、無限に広がる宇宙のようなものなのか。どちらだとしても、それらよりは遥かに小さいベルゲングリューンの身体は、ロイエンタールへの愛しさではち切れるばかりだった。ロイエンタールの長い指がカップの持ち手に絡んでいる。その手をベルゲングリューンは取り、指先に口付けた。
「何なのだ?」
 クスッと笑い、それでもロイエンタールはベルゲングリューンにされるがままになってくれた。
「今日は我々二人しかおりません。何をいたしましょうか?」


2
「何をして過ごしましょうか?」
思えば、結婚して以来こんなふうに二人っきりになったことはなかった。彼ら二人の周りには常に人がいて、彼らに注意を払っていた。レッケンドルフにしても、執事のワグナーにしても、どんなに近しい存在であるとはいっても、その視線を全く感じずにいることなどできるはずもなかった。
 二人して朝食後片付けをしても、珍しくロイエンタールが早起きしたために、『今日』はまだたっぷりと残っている。
「何をしようか?」
 大の大人が二人して、突然手にした自由を早くも持て余し気味だった。


 結局、昼食を外に食べに出ることにした。
 冷蔵庫にあるもので適当に作ってもよかったのだが、これらの食材はすでに使い途が決まっているのかもしれない、と思うとどうにも好き勝手ができなくなってしまったのだ。主人であるロイエンタールのすることに文句をつけるような使用人はこの屋敷にいるとは思えないが、そのロイエンタール自身がそのような勝手を嫌うのだ。それに、目的もなく町をぶらつくのもたまには悪くはなかった。これまでは話して聞かせるだけだったベルゲングリューンがランニングがてら見つけた、ささやかだがロイエンタールを喜ばせそうな事物を、実際に見せてやりたいとも思う。ロイエンタールをできるだけ「国家の要人」と思われない服装に仕立てて、二人は屋敷の門をくぐった。
「おや、それは?」
 ベルゲングリューンはロイエンタールが手に持つ眼鏡に目をとめた。それは彼が今まで目にしたことのないものだった。
「これか?」
ロイエンタールは徐にそれを掛けて見せた。どこにでもあるようなデザインだがロイエンタールによく似合っていた。しかし、この眼鏡の一番の特徴はそのレンズだ。何の色もついていないはずなのに、レンズを通して見た金銀妖瞳はその強烈な存在をすっかり潜めてしまっている。
「どうだ?」
「どうにも、不思議なものでございますな」
 手渡された眼鏡をベルゲングリューンは掛けてみた。レンズを通して見える景色は掛ける前と何ら変わりがない。だが、眼鏡をひっくり返してみるとそこにはモノクロの世界が広がっていた。
「リュミエールに貰ったのだ。そのレンズは彼の会社で新しく開発した素材らしい」
「・・・・・・」
 アラン・リュミエール。その名前にベルゲングリューンは虫酸が走った。新領土総督付きの顧問の一人であるリュミエール氏は、明らかにロイエンタールを狙っていた。意外に鈍いところのあるロイエンタールがそれを気づいているかは不明だが、あの男の気持ちはベルゲングリューンには(レッケンドルフにも)明らかだった。そんな「気のある男」からの「贈り物」を愛しい人が身につけるのかと思うと、平静ではいられないのは世の男の常だろう。これは嫉妬か、独占欲か。ベルゲングリューンの手の中で罪のない眼鏡がギシッと鳴った。
「おい、壊すなよ」
 ロイエンタールは間男志願者からの貢ぎ物を取り戻した。
「これがあると外出しやすくなるだろう」
 眼鏡を掛けて前髪を下ろしたロイエンタールが、少し得意げにベルゲングリューンの顔をのぞき込んだ。そうか、そんなふうに言って贈られたのか。しかし、そんなあの男の下心剥き出しの言葉も、この人には通じていない。ベルゲングリューンのささやかな優越感が、眼鏡をたたき割りたい衝動を抑え込んだ。


 そんなやりとりをしながら、気づけばベルゲングリューンが今朝も走りに来た公園にさしかかっていた。そのことを言うと、ならば寄ってみようということになった。薄明の頃とは違い、公園は鮮やかな色彩に溢れている。そして賑やかな子供らの声。活気のあるような、それでいてどこかしら弛緩したのどかな平和がそこにはあった。
「レーベンを拾ったのもこの公園だったのだな」
 ロイエンタール家の愛猫としてその地位を築いているあの黒猫も、もとはといえばこの公園に捨てられていた子猫だった。いや、捨てられていたではない。その命をゴミのように扱われていたのであった。
「そうです。ほら、あのダストボックスに兄弟らと共に・・・・・・入っていたのです」
 近づいてみると、それがまだ目も開かないような子猫が自らは入れるものではないことは明らかだった。話には聞いていたが、実際にこの場にきてみると、レーベンが置かれていた状況がはっきりとわかる。レーベンにロイエンタールを重ねて見ているのはベルゲングリューンだけではない。
「閣下・・・・・・」
 人目がなければ、この場でロイエンタールを抱きしめて慰めて差し上げたいとベルゲングリューンは思った。せめてこれくらいは、と背中を撫でた。一人ではないと、少しでも温もりが伝わればいいと。
「大丈夫だ」
 小さな声が肩にもたれかかってきた重みとともにベルゲングリューンの思いに応えてきた。もう一息だ。
「レーベンの奴め。命の恩人は私であるにも関わらず、最近ではすっかり目の敵です。いったい私が何をしたというのでしょうか?」
 レーベンの焼き餅はロイエンタール家では皆が知っている。ロイエンタールがクスッと笑った。
「何って、ナニをしているからだろう?」
「な、なにを!!」
 艶を帯びた際どい返事からは、もうすっかり薄暗い陰は消え去っていた。
 その後、近くに出ていた屋台でホットドッグを買った。店主は親切にも今が盛りのひまわり畑が良いからと地図を持ち出して示して教えた。二人はそこまで歩いて行くと、よく乾いた芝生の上に腰を下ろした。そこは小さな太陽を集めたような黄色い花畑が見渡せる小高い丘だった。


 買ったものを食べ、ぼんやりと昼間ののどかさを味わうと、どちらからともなくもう帰ろうかと言い出した。何事もないとはわかっていても、あまり長時間屋敷を空けておくことはできかねた。
「もっと遠出ができればと思ったのですが・・・・・・」
「いや、十分楽しんださ」
 本当か、と窺い見たロイエンタールの眉間の皺が消えていた。
「第一、休日というのは休息をとる日ということだからな。休日の度におまえのようにあれやこれやをやろうとする者の気が知れんというものだ」
「・・・・・・やはりあなたはそのようにお考えだったのですね。たぶんそうだと思っていましたが・・・・・・」
 これからも、時々はロイエンタールを連れ出そう、そう決意するベルゲングリューンだった。




夕食の用意を通りがかりのスーパーマーケットで整えて屋敷の戻ると、陽は傾き始めていた。ベルゲングリューンは庭木に水を撒くために庭に出、ロイエンタールはお茶の用意をするためにキッチンに向かった。旧都の屋敷に比べると小さな庭だと古株の使用人たちは嘆くが、ベルゲングリューンにとってはまるで子どもの頃によく遊んだ街中の公園ほどに思える。春になると霞かと見まごうばかりに咲き誇る桜の木も、今は青々と緑の葉を茂らせている。利便性を追求するあまり、人工物で埋め尽くされたハイネセンポリスにおいて、この緑は本当に貴重だった。ロイエンタールがどれほど私財をつぎこんだのかわからないが、こればかりは良い買い物だったとベルゲングリューン
も思うのだった。ベルゲングリューンはホースの口を押しつぶして水を霧状にして空中にまき散らした。斜めから差す陽光が小さな虹を作った。
「何を遊んでいるんだ? 水まきならそこにスプリンクラーのスイッチがあったろう?」
テラスから顔を覗かせてロイエンタールが言った。
「ええ。しかし、こうして撒く方が隅々に水が行き渡って良いのです、とまあ、これはロバートの受け売りですが」
「早く来ないと、せっかくのコーヒーが冷めてしまうぞ」
ベルゲングリューンは急いで蛇口のハンドルを閉めた。元帥閣下が淹れたコーヒーだ。いや、それ以上に、気まぐれな恋人の淹れてくれた貴重なコーヒーだ。冷ましてしまうわけにはいかなかった。


 宇宙で一番旨いコーヒーを飲み終えると、夕食までまた時間が空いてしまった。先刻休日は休息日だと宣言したロイエンタールのことだ、いつものように新聞か本でも読み始めるものと思い、それに付き合うのもいいかとベルゲングリューンは考えていた。しかし、猫以上に気まぐれなところのある恋人は、とんでもないことを提案してきた。
「なあ、ハンス」
 親密な二人きりの時間だけ呼ばれる名を、それも膝の上に跨がりながら囁かれ、ベルゲングリューンの体温は一気に沸き立った。
「珍しく誰もいないんだ。今からしないか?」
 それは明るい時間には珍しい、ロイエンタールからのお誘いだった。
「どうなさったのですか? まだ明るいですが・・・」
「明るいところでするの、おまえ、ハンス、好きだろう?」
 ペロリと唇の舐めるようにキスしながら、少し掠れた声がさらに誘惑をする。
「誰にも気兼ねせずにセックスできる、貴重な機会だと思わないか?」
「気兼ね・・・・・・なさっていたのですか?」
 ズボンから手を忍ばせて、双丘の狭間に指を遊ばせながら、つい思ったままの言葉が口からこぼれた。
「当たり前だ。何もかも忘れておまえに抱かれたい」
 ロイエンタールはこれ以上ない休日の過ごし方を思いついたようだった。もちろん、ベルゲングリューンに否やはなかった。
「ここで、このまま、やっても?」
「馬鹿、せめてセキュリティカメラのないところへ行こう」
 ベルゲングリューンは抱えるようにロイエンタールを私室に連れ去った。


「んあっ!」
 ベルゲングリューンを受け入れる後孔が引き攣るように締まった。
「あぁぁんっんん」
 シャワールームで立ちながら後ろから突き上げる。右足をバスタブに掛けさせ両手は壁につきなんとか震える身体を支えている。ベルゲングリューンの左手はロイエンタールの乳首を弄び、右手に持ったシャワーヘッドを自分の動きに合わせて上下する熱い猛りに向けていた。
「あぁッ、は、ハンスッ、それ……」
 射精したばかりで敏感なそこに水流を当てられ、ロイエンタールは身体を捩って身悶えた。強すぎる快感から逃れようとしても、剛直な杭に後ろから突き刺されているため叶わない。口からは意味をなさない声が我知らず漏れていくが、声を上げれば上げるほど、感覚が鋭くなっていく気がする。
「気持ちいいでしょう?………うアァ……俺も気持ちいい……」
 ベルゲングリューンの口からも、喘ぎが声になって溢れた。普段は聞けないその声と吐息を耳朶に感じ、ロイエンタールの性感はますます高まった。フワッと意識が白む。いや、白いフワフワしたものに包まれるような感じかもしれない。その中に入ってしまうともう自分をコントロールできないことはわかっている。だから、いつもはその手前で醒めた自分を呼び起こすのだが、今日はその必要はない。ロイエンタールは自制心の手綱を手放した。

 ソファーで一度、それからバスルームとベッドで……こちらは合わせて幾度になるか二人にも分からぬほど、お互いを貪りあった。迷子になっていた理性がどうにかベルゲングリューンに戻ってきたとき、散々に乱れ散らしたシーツの海に力なく横たわる白い肢体を発見した。愛しい人が感じる絶頂は余程深いらしく、それはそれでベルゲングリューンの歓びでもあるのだが、まだこちらに戻って来れていないようだった。
「オスカー」
 名を呼ぶと薄らと瞼が開いた。焦点を結ばない金銀妖瞳はいつもに増して魅惑的だ。
「身体は大丈夫ですか?」
 無我夢中であっても、何をしたかははっきりと覚えている。普段なら決してしないような体位や行為で、執拗なほど愛する人を苛み続けたのだ。
「ん……ハンス…」
 ひどく掠れた声だ。
「はい」
「気持ちよかったな……、またしよう」
「はあ」
「なんだ、おまえは良くなかったのか?」
「いえ! それはそれは最高でしたが……」
「『が』?」
「癖になってしまいそうで、怖いです」
「ああ、そう再々は出来んものな」
 カーテンを開け放した窓からは、この日の残陽が微かに差し込んでいた。
「せっかくの休日も、もう終わってしまいますな。結局何もしないまま……」
「そうか? 良い休日だったと思うがな」
 ロイエンタールは隣の男に手を伸ばした。汗で冷えた毛深い体が心地よい。胸に乗り上げて耳を当てると、トクトクと打つ鼓動を感じる。
「いい一日だった」
 うっとりと目を瞑るロイエンタールをベルゲングリューンは抱き締めた。

《おしまい》




「その声、明日には戻っていますかなぁ」
「ああ、この声は…さすがに酷いな」
「ええ」
「レッケンドルフが、またうるさいだろうな(風邪やなんやらと心配するだろうなァ)」
「はぁ、げんなりですなぁ(年甲斐もなくやら、手加減しろとか……矛先は俺に向くんだ…おっぱじめたのはオスカーからなのに………)」





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