白き火焔 1 |
情事の後、共に弾む息を整えながら、髪を梳くようになでられるのが、ロイエンタールは好きだった。頭ごと胸に抱きかかえ互いの吐息を耳朶にかすめるように聞きながら髪を梳かれる。そして知らず知らずのうちに心地よい眠りに落ちていく。女との関係では得られない物憂く穏やかな時間だ。 ファーレンハイトは自分の腕の中で安らかな寝息をたてるロイエンタールを抱きしめ、愛おしさに胸を締め付けられ苦しくなる。一方的に捧げる愛がこれほど切ないものとは思いもしなかった。体を重ねることが度重なれば、自ずと情愛も湧いて来るものと思っていたが、この腕の中の希代の美貌の持ち主は、そのようなファーレンハイトの思いにまるで関心がない様子だった。この男にとって、体をつなげることとは単に快楽を得る手段にすぎないのかもしれない。だとしても、これほどまでに体を委ねきって抱かれるからには、少しは己に対して特別な感情を抱いてくれているのかもしれないと期待してしまう。たとえそれが愛とか恋とはほど遠いものであったとしても。 ファーレンハイトの穏やかな風貌の下に、激しく求める渇いた心があることを、おそらく誰も気づかないだろう。貧しさゆえに己の心を押し殺しあらゆることを受け入れてきた彼は、表面上を穏やかに繕うことに熟練していた。 ふと、彼は二人の関係の始まりを思い出した。始まりから二人の心はすれ違っていた。いや、「心」があればの話だが。 リップシュタット戦役後、各地で起こる貴族連合の残党の反乱を制するため、ラインハルト麾下の提督たちはたびたび出陣を求められた。中でも双璧はラインハルトの信頼が厚く、敵に与える影響力も大きいので、文字通り休む間もなく宇宙を駆け回っていた。 それに対してファーレンハイトは、オーディンに止まり飛び立っていく僚友たちを見送る日々を送っていた。それは、彼が転向者であり、彼の旗艦アースグリムの修復が終わらず、艦隊の再編成もまだなことが原因であったが、それでなくても元からラインハルトに与している提督たちとの間に見えない溝を感じている彼にとって、焦りにかられる毎日だった。 そんな折、三長官を兼任するラインハルトから声がかかった。どうやら新たに勃発した辺境星域での反乱の首班が、ファーレンハイトの以前の上官に当たる貴族だという。相手のことが少しでもわかっているほうが戦いやすかろうということで、参謀として今度出兵する艦隊に同行するようにとのことであった。無為な時間を送っていたファーレンハイトにとって願ったり叶ったりの命令であったが、さらに彼の心を浮き立たせたのが、同乗する艦がロイエンタールの旗艦トリスタンであったことだ。 ラインハルト麾下の提督の中で、ファーレンハイトが一目置いているのが双璧と称されているロイエンタールとミッターマイヤーだ。殊にロイエンタールにはその軍事的能力の高さもさることながら、彼の提督の持つ独特な雰囲気に惹かれていた。他の者を寄せ付けないような冷厳とした眼差し。自信に溢れた孤高の姿。そしてなにごとにも動じない冷たい美貌。そのどれもがファーレンハイトの心を掴んで離さない。ガイエスブルグ要塞で敗軍の将としてラインハルトに謁見して以来、その傍らにいたロイエンタールを意識し続けてきた。しかし、人なつっこいミッターマイヤーと異なり、取り付く島もないその親友に取り入る機会もなく、ただ遠目で見るだけで今に至った。 旗艦に同乗すれば自ずと機会は訪れよう、と久しぶりに宇宙を駆ることよりもそちらに胸を躍らせて出陣の日を迎えた。 オーディンの宙港をたってから反乱軍の拠点まで片道5日であったが、航行途中に参謀が必要とされることもなく、ロイエンタール艦隊の幕僚控え室で過ごすこととなった。ときどき顔を出す副官のレッケンドルフ少佐がロイエンタールの命令を持ってくるが、ファーレンハイトが必要とされることはなかった。彼の幕僚たちは彼らの上官とは異なり、気さくで明るく楽しい男たちであったが、同時に非常に有能な軍人であり、ファーレンハイトのみるところ、自分の存在は不要であることは明白であった。そんな疎外感を感じ始めてたころ、ロイエンタールから艦橋に来るようにとの命を受けた。 航行は順調で予定よりも早く戦場に予定している宙域に達していたらしい。艦橋に入るとメインモニターに周辺宙域の詳細なデータを表示しながらこれからの行動予定を確認しているところらしい。 臨戦態勢のトリスタンの艦橋に足を踏みれるのはこれが初めてだ。艦橋に入った途端ピンと張りつめた緊張感に包まれる。指揮シートに座るロイエンタールを中心に艦橋スタッフが静かに各自の役割をこなしている。ここはまるでロイエンタールの拡大した意識裡だ。艦橋全体がロイエンタールの精神の一部として存在している、そう感じた。とすると自分は異分子か、と思いながら敬礼をし到着を告げた。 「ファーレンハイト提督、航海は楽しんでもらえたか?」 「はい、三食昼寝付きの職場とはそうそう縁がなかったもので、楽しませていただきました」 「ふん」 薄い形のよい唇を少し上げ、ロイエンタールは笑った。意外にこういうやり取りを好む方なのかもしれない。 「では十分に満足いただいたところで、卿の職責を果たしてもらおう」 ロイエンタールに問われるままに、ファーレンハイトはこれから対戦する相手に関する情報を答えていった。艦隊編成において通常よりも戦艦級の艦の割合が多いというところで少し考えるところがあったようだが、概ね現在の作戦に変更はないようだった。 「今のうちに兵に食事をとらせるか」 艦長に発せられた言葉には、微かに迷う気持ちが含まれていることにファーレンハイトは気づいた。空腹でもそうだが満腹すぎても士気に関わる。前回の食事時間を考えると、少し早すぎる時間であったのだ。 「その必要なないかと思われます」 「ん?どうしてそう思うのだ」 「ロイエンタール提督は戦闘にかかる時間をどのくらいだと読んでおられますか?」 「2時間だ」 「小官はもっと早期に勝敗は決すると思うからです」 ロイエンタールの片眉がピクリと動いた。 2時間だとしても通常の考え得る戦闘時間としては極端に短い。それよりも短時間など、お世辞や追従以外に考えられない。この猛将が舌先で自分に取り入ろうとする人種だったとは、俺の人を見る目も当てにはならんな。 急に冷ややかさを増した金銀妖瞳を見て、ファーレンハイトが自分の言葉が間違った意味を持ってロイエンタールに受け取られていることを感じた。ここで取るに足らないものという烙印を押されるわけにはいかない。 「賭けても構いません」 「ほう」 金銀妖瞳から侮蔑の色は消え、かわりにおもしろがるような色味を帯びた。 「自信があるようだな。何を賭ける?」 「ゴホン」 傍らに控えて二人のやり取りを聞いていた参謀長のベルゲングリューンが割って入った。 「続きは戦に勝ってからだ」 二人は目の前の戦場に意識を集中させることにした。 戦闘はあっけないほど簡単に終わった。いや、戦闘自体があったとは言い難い。降伏勧告するのも面倒だと言わんばかりに、敵艦隊の突出した一翼に砲火を集中させ一撃を加えたところで、反乱軍が白旗を揚げたのだ。その一部始終をファーレンハイトは見届けた。 「卿の勝ちだな」 声のした方を振り返ると、光を抑えた艦橋の中で、ひときわ輝くような美丈夫が立っていた。 「卿は奴が弱腰だと言うことを知っていたのだな。ろくに戦いもせず戦いを放棄することがわかっていた」 「では賭は無効にされますか?」 見ほれるように見つめながらファーレンハイトは問い返した。 「馬鹿な。賭は賭だ、負けは認めよう。で、卿は何を求めるのだ」 戦わずして手にしたとはいえ、勝利に高揚する心がロイエンタールを寛大にしていた。 「ここでは申せません。オーディンに帰還しましたならお願いいたします」 「ふん、ではそれまでによく考えておくことだな」 ふと自分を見つめる視線に気づき、ファーレンハイトは周囲を見回した。すぐにロイエンタールの背後にその人物を見いだした。ベルゲングリューン少将、彼も俺の同類か・・・。平素には見せない険しい視線をベルゲングリューンに投げつけ、ファーレンハイトは艦橋を後にした。 |