ハイラート・ラプソディー 番外編(おまけ)



もしも、ブラックジャックでロイエンタールが勝ったなら


「俺の勝ちだな」
 まだ二枚しかない手元のカードを漫然と眺めていたベルゲングリューンは、ロイエンタールの言葉に驚いて目を上げた。勝負はまだこれから、始まったばかりだと思っていた。ロイエンタールの手元にも同じように二枚のカード。しかし、彼はにんまりとしてそれらを見つめていた。普段のポーカーフェイスを何処かにやってしまったかのように、ロイエンタールはニヤニヤと笑っている。その理由に心当たりがあるベルゲングリューンは憮然としてしまう。この勝負には彼の髭が賭けられているのだ。もちろん、彼が愛しくて仕方がない目の前の方のあられもない姿も賭けられてはいるのだが、ダメージの大きさからすれば、決して五分と五分の勝負ではなかった。それでもベルゲングリューンがこの賭を受けたのは、偏に最愛の人を喜ばせたいという一心だった。だがそれは、ロイエンタールの望むカードゲームに興じるということであって、こんなカード数枚の気まぐれのために、自身の身に危機が生じるなど受け入れがたかった。
「ほら、見てみろよ」
 現実逃避を決め込もうとした彼の意識をロイエンタールの声が引き戻した。そして、ロイエンタールがテーブルに置いたカードに目を遣る。そこにはスペードのエースとダイヤのキング。
「これに勝てる手はスペードのエースとジャックの組み合わせだが、既にエースは俺の手の中だからおまえに勝ち目はない」
 饒舌なのは上機嫌の表れだ。どうやらあの賭をなかったことにするつもりは毛筋ほどもないらしい。
「閣下・・・・・・」
 情けなくも上目遣いで哀れを誘おうとするも、加虐心旺盛なロイエンタールに効き目があるはずもなかった。
「あの・・・・・・」
「ん? ああ、道具なら俺のを使えばいい。バスルームにある」
 憐憫を垂れてくれる神などここにはいない。ただただ彼をせき立てる無邪気な天使がいるだけだった。
 バスルームに追い立てられたベルゲングリューンは、鏡に映る自分の顔をまじまじと見つめた。もう10年以上も慣れ親しんだ髭のある顔だ。荒くれ者ぞろいの駆逐艦乗りの艦長として、舐められてたまるかと伸ばし始めた髭だったが、今ではすっかり彼のアイデンティティーを構成する一要素としてその地位を確立していた。この長年の戦友と別れなければならない寂しさにベルゲングリューンは慄いた。いや、その戦慄は単にもう何年も見ていない自らの素顔に対するものだったかもしれない。
「おい、ハンス。分かるか?」
 扉の向こうからは親切を装った好奇心丸出しの声がした。ベルゲングリューンは肚をくくった。髭ならまた生える。そう言い聞かせて彼はカミソリを手に取った。

 意外に時間がかかることに焦れて、ロイエンタールはベッドに仰向けに寝ころんだ。しかし、自分の薄い髭と異なりあれだけの立派なものを剃るには、それなりに手間も時間もかかるだろうと思い至った。そして、バスルームの扉が開いたとき、どうからかってやろうかと考えて時間を潰すことにした。多種多様の揶揄や冷やかしが次々に頭の中に浮かんできて、思わぬ時間が経過していたようだった。
「閣下・・・・・・」
 バスルームの扉が開く音と同時に控えめに彼を呼ぶ声に、ロイエンタールはベッドから跳ね起きた。さあ、何と言ってやろうかと舌なめずりしてベルゲングリューンの方を見た。
ーー誰だ、あれは・・・。
 目の前に立っている男は、歴戦の勇者、司令官に対して怖じることなく意見する参謀長の面影はなく、たとえるならそう、田舎の基幹学校の教師か村役場の戸籍係のような、純朴で冴えない青年にしか見えなかった。余りにも印象が違いすぎた。じっくりと厭きるまで見たい気持ちもあるが、それ以上になんだか見てはいけないもののように感じ直視できなかった。
「・・・・・・」
「あの・・・・・・小官の顔に何かついておりますか?」
 いや、何もついていないと言うべきか、とどうでもいいことを投げやりな気持ちで考えていたベルゲングリューンは、ロイエンタールの様子がおかしいことに漸く気づいた。瞬きをするのを忘れたように大きく目を見開いて固まっている。半開きの口や無防備なその表情は、普段あまり見ないものであっただけに、ロイエンタールの身に異変が起こったのではないかと、ベルゲングリューンは心配になった。
「閣下・・・オスカー様、大丈夫ですか?」
 顔をのぞき込むほどに近くに寄れば、ロイエンタールは弾かれたように横を向いた。
「何でもない」
 不例などではなさそうだと判断したベルゲングリューンは、照れながら愛しい人の感想を聞いてみた。
「いかがですかな?」
 どんな皮肉や揶揄いも正しく変換して受け取れる。そんな特技をベルゲングリューンは身につけていたので、これから浴びせられるだろうロイエンタールの辛辣な批評を身構えつつも期待していた。しかし、待てども待てども何の言葉もなかった。
「閣下?」
 ベルゲングリューンはそれまで伏し目がちにしていた目線を上げた。すると、ロイエンタールの視線とぶつかった。しかし、それは直ぐに逸らされてしまった。
「オスカー様?」
 ロイエンタールの目線の先に態と移動すると、再び視線はつと逃げていく。何度かそれを繰り返し、ベルゲングリューンは気づいてしまった。ロイエンタールが赤面していることを!
 ベルゲングリューンは顔を背けるロイエンタールを捕らえて、ベッドに押し倒した。体重の重みで逃げられないようにすると、両手を使って少し赤らんだ白析の顔を固定した。
「貴方のお望み通り、髭を剃りました」
「うん・・・」
「何かお言葉は賜れないのでしょうか?」
「ん・・・随分若く見えるな」
「これは! そんなに誉めていただけるとは思っておりませんでした」
 髭のあるなしで印象は大きく変わる。髭のない顔を知っている自身であってもそのギャップは大きなものだ。まして、出会ったときにはもう髭を生やしていてその顔しか知らないロイエンタールの驚きたるや、想像に難くはなかった。しかし、驚くだけでなく、直視できないほどに照れてもらえるなど思いも寄らなかった。
 ベルゲングリューンはロイエンタールの視線が忙しなく動き回るのを、じっくりと観察した。じっくりと見たいのだろうが、彼の羞恥心が刺激されて視線を一つところに留まらせておけないようだ。
「もっとじっくりと見てくださって構わないのですよ」
「な!」
 心を見透かされたことに声を上げようとしたが、その声はベルゲングリューンに飲み込まれてしまった。髭のない分、唇の肉感が生々しく感じられるキスだった。
「んんっ」
 喉の奥でロイエンタールが喘いだ。普段ならキスぐらいで声など出さない人が、この日はいつになく興奮しているのがわかる。背中に回された腕の振るえや、簡単に割れた下肢から、ロイエンタールからすっかり力が抜けていることがわかる。
「はぁ・・・は、ハンス・・・」
「はい、ハンスはここに」
 不安な呼びかけに答えると、ベルゲングリューンは胸の尖りを口に含んだ。
「あ・・・んっ!」
 やはり、いつもより敏感になっているらしいそれを口の中で転がせば、おもしろいように嬌声があがった。太股には夜着越しに堅くなったロイエンタール自身の存在が感じられる。十分に乳首をいじめて、漸くベルゲングリューンはロイエンタールの股間に手を伸ばした。しばらく夜着のうえから可愛がってやったあと、下着ごとズボンを取り去って姿を現した愛しい人の劣情の証にベルゲングリューンは口付けした。そして喉の奥まで飲み込んで、裏筋に舌を這わすように舐め上げた。ロイエンタールの陰毛がベルゲングリューンの上唇をくすぐる。髭があったときには味わえなかった感触だ。彼は夢中になってしゃぶりあげた。ロイエンタールの堪えるような喘ぎ声が心地よかった。
「あっ! もう・・・ンああぁ!」
 ベルゲングリューンの口内に生臭い苦みが広がった。それを飲み込んで彼はロイエンタールの耳元に口を寄せた。
「今日は、随分早いですな」
 普段なら余りこういう言葉は言わないが、今日は自然と口をついて出た。いつもと立場が逆転したような、そんな倒錯的な感情がベルゲングリューンを興奮させた。
「あっ・・・あっン・・・」
 前を解放してさらに募る性感を溜めて、ロイエンタールはうち震えていた。もっと欲しい、早く欲しい。後孔が疼いて仕方がなかった。
「ハンス・・・もう、早く・・・欲しい」
 滅多に聞かれない素直なお強請りを、ベルゲングリューンに無視できるはずはなかった。手を伸ばしたロイエンタールの蕾は、彼の指先に吸いつくように蠢いて彼を誘う。早く挿れたい一心で性急にそこを解し、ベルゲングリューンは彼の切っ先をその入り口に押し当てた。早く早くと蕾は自ら蠢いて今まさに突き入らんとする剣を呑み込もうとする。期待を高ぶらせたロイエンタールの口からは絶えず小さな喘ぎが漏れているが、ベルゲングリューンはそこから動かず、身を乗り上げるように性感の高まりに耐えている美しい顔を見下ろした。
「目を開けて・・・」
 眉を顰めて目を堅く瞑ったロイエンタールにそっと声をかけた。うっすらと瞼が開き色違いの瞳が現れる。だが、彼の姿を認めてすぐに瞼を閉ざそうとしてしまう。
「オスカー・・・目を開けて私を見て・・・」
「ハンス・・・早く・・・」
「俺を見て・・・でないと、ずっとこのままですぞ」
「はァ・・・ん」
 喉の奥から絞り出されてくる喘ぎは、ロイエンタールの切なさを伝えてくる。かわいそうだとは思うが、ベルゲングリューンも自分の欲に勝つことはできなかった。
「お願い・・・です」
 再び現れた金銀妖瞳がしっかりと彼の顔を捉えた。ベルゲングリューンはそうっと侵入を始める。
「そう、そのまま・・・ずっと見ていてください」
 ロイエンタールは絶えず甘い声をこぼしながら、ベルゲングリューンの顔から視線を逸らさなかった。見つめ合いながら二人は繋がった。 
 熱い隘路はいつになく彼を締め付けた。まるで最初からクライマックスを迎えているように、彼を絡め取ろうとしてきつく締まっている。この上なく気持ちいいがこれでは身動きがとれないうえに、すぐに達してしまいそうだった。彼としてはもっと奥にもっと突き上げ、愛しい人を味わいたい。
「締めすぎ・・・・・・もう少し、弛めてください」
「む・・・り、だ・・・」
 喘ぎの中から漸くのこと紡がれた言葉に、ベルゲングリューンは震えた。彼を見つめる希有な瞳には余裕のない男の顏が映っていた。欲望をむき出しにした牡の顔だ。こんな顔で俺はこの人を求めていたのか、とベルゲングリューンは力任せに自身をぎりぎりのところまで引き抜いた。そして、そのままの勢いで最奥に叩きつけた。
 悲鳴にも似たロイエンタールの声があがる。全身をいつも以上に敏感にしている人をいつも以上に責め立てた。それはそのままベルゲングリューンに跳ね返り、激しい快感に脳髄が焼き切れそうに感じた。

 情事の余韻から少し醒めたとき、いつも通りベルゲングリューンの肩に頭を預けてその胴に抱きついているのにロイエンタールは気づいた。ぴったりと接した部分から伝わる体温が心地よい。そっと、ロイエンタールは頭を動かし、彼を抱き抱えている男の顔を見た。薄く口を開けて満足そうに寝入っているその顔には、いつもの髭がなかった。そっと手を伸ばし、その頬を撫でてみた。柔らかな肌の感触が新鮮だった。そのまま、鼻の下から顎の辺りをそろりと触れる。つと、その手に節だった手が重なった。
「少しは見慣れてくださいましたか?」
 体勢を変え向かい合って抱き合いながら、ベルゲングリューンはロイエンタールを見つめた。その瞳はいつもと変わらない暖かな碧色をしていた。
「いや、ダメだな。おまえじゃないみたいだ」
「私は私ですよ」
「そうなんだが、やはり、髭のある方が俺のハンスだ」
 髭を生やす前のベルゲングリューンはロイエンタールにとっては未知の人物であり、彼に仕え、求婚し、ともに暮らすベルゲングリューンではなかった。自分にとってもそうであるように、目の前の男にも自分の知らない過去がある。それを今更どうこうできないのなら、いっそ知らない方がいい、とそうは思っているものの気にならないと言っては嘘になる。そんな遣る瀬のない思いがこの髭のない顔に掻き立てられるような気がするのだった。しかし、そんなロイエンタールの心の揺らぎを知らないベルゲングリューンは、『俺のハンス』という言葉が嬉しくてたまらなかった。
「どんなハンスも貴方のものですぞ!」
 そう言うと、髭のない頬をロイエンタールの顔にすり付けた。
「痛い! 痛いぞ、おまえ、剃り残しがあるんじゃないか?」
 熱い抱擁から逃れようとする愛しい人をひしと抱きしめて、ベルゲングリューンは幸せだった。たとえ、明日入構チェックで一悶着あるとしても、小生意気な閣下の副官にあれこれ詮索されることがあったとしても、彼らは幸せだった。




<おしまい>


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