Gebet(4)




 眠れぬままベッドで横になって本を読んでいると、ふと窓の外が騒がしくなった気がした。耳を澄ましているとロイエンタールが帰宅したのだとわかった。時計の針はもう12時を指そうとしている。ハインリッヒは少し逡巡したものの意を決して扉を開けた。階下から微かな声が昇ってくる。
「お帰りなさいませ、お食事はいかがなさいますか?」
「いらない。酒だけでいい」
「・・・・・・・・・」
「・・・分かった、酒と軽く摘むものだ」
「畏まりました。直ぐにお持ちいたします」
 ワグナーとの遣り取りが途絶えると、コツコツと小気味の良い軍靴の音が階段を上ってきた。
「お帰りなさい、閣下」
 まさにドアノブに手を掛けようとしていたロイエンタールにハインリッヒは駆け寄った。
「ん? まだ起きていたのか?」
 疲れた顔で目を瞬かせたロイエンタールにハインリッヒはペコリと頭を下げた。
「あの、スーツとかいろいろと買っていただいて、ありがとうございました」
 その頭上からフフッと小さな笑い声が聞こえた。
「わざわざそれを言うために起きていたのか? 子供は黙って厚意を受けていればいいのだ」
 ハインリッヒは子供という言葉に思わず不服そうな顔をした。しかし、ロイエンタールはそれを彼の謙虚さからくる表情だと捉え、安心させるように息子の頭を撫でた。
「もうおやすみ、ハインリッヒ」
 しかし、ロイエンタールが自室のドアノブに手を掛けても彼の息子は動かなかった。
「どうした?」
「あの、お召し替えをお手伝いいたします」
 その言葉にロイエンタールはクルリと振り向くと、腕組みをした。色違いの瞳には窘めるような色が浮かんでいる。
「ハインリッヒ、お前はもう『従卒』ではないんだ。俺の身の回りの世話を焼く必要はない」
「でも・・・・・・」
「早く寝なさい」
「はい・・・・・・おやすみなさい」
 肩を落としたハインリッヒが、彼の部屋に戻るのを見届けて、ロイエンタールはドアノブを掴んだ。重厚な扉は内側から開いた。
「おかえりなさい」
 扉を押さえて立つのはベルゲングリューンだった。
「ああ、疲れた」
 ロイエンタールは後ろ手で扉を閉めると、軽く腕を開いたベルゲングリューンに倒れ込んだ。
「お疲れさまです、随分遅くなられましたな」
「うん・・・」
 肩口に顔を埋めたロイエンタールからくぐもった声がした。ベルゲングリューンはその背中を優しく抱きしめた。
「ハインリッヒがまだ起きていたぞ」
「そのようですな」
「俺の着替えを手伝うと言っていた」
「そんなことになれば、このようなこともできませんでしたな」
 抱きついたままクツクツと笑う人のこめかみにベルゲングリューンはキスを落とした。
 ロイエンタールが風呂から出ると、ワグナーが軽食の用意を調えているところだった。濡れた髪のままソファーに座ると、ベルゲングリューンがタオルを持ってきて彼の頭をくしゃくしゃと拭いた。されるがままになりながら、ロイエンタールはワグナーに子供たちの昼間の様子を訊ねた。
「アンナがリーンハルトを気に入ったらしく、あれやこれやと用事を言いつけていたようです」
「ほほう」
 今朝出かける間際に、ロイエンタールは彼の乳兄弟であるこの執事に、目を離さずにとにかく忙しくさせておくように命じていた。体を動かしてていれば悲観的な考えは押さえ込まれる、これは彼が長い軍人生活の中で得た実体験を伴う知恵だった。
「スーツを買ってやったとか?」
 サーモンが乗ったカナッペを手に取り、ロイエンタールが思い出したようにワグナーに聞いた。
「はい、いけませんでしたか?」
「いや、いい。さすがにあの格好ではな・・・」
 二人の遣り取りを聞いていたベルゲングリューンは驚いて、髪を拭いていた手を止めた。もう随分乾いている。
「では、あれは閣下のご命令ではなかったので?」
「ああ、だが同じようなものだ」
 乳兄弟の仲の良さになんだか疎外感を感じてしまったベルゲングリューンに、ロイエンタールは隣に座るよう斜向かいのソファーを叩いた。不作法にかき乱された暗褐色の髪をロイエンタールは手櫛で大雑把に整えた。
「夕食の席で、何か話さなかったのか?」
 問われてベルゲングリューンはリーンハルトがした言葉を話して聞かせた。最後にリーンハルトが涙を落としたことを語り、
「少し性急すぎたでしょうか?」
と、心に引っかかっていた懸念を吐き出すと、「そんなことはないさ」と心地よいテノールに否定された。ただそれだけで心が軽くなるのが不思議だった。
 ロイエンタールはワグナーをベルゲングリューンの隣に座らせた。
「フェザーンと連絡をとった。リーンハルトが在学している大学の彼の担当教授にだ」
 さすがに私用で貴重な高速回線を塞ぐことははばかられ、総督府が閉庁するのを見計らって連絡を入れたのだという。ベルゲングリューンは回線を開いてみたら新領土総督が現れた教授のその時の心中を思うと、察するにあまりあったが、ここは閣下の押しの強さに感謝するべきところだと思い直した。
「彼の様子がおかしくなったのは、ここ半年のことらしい」
「なにか、きっかけがあったのでしょうか?」
「彼の友人が戦死したようだな」
 えっ、とベルゲングリューンは驚いた。半年前と言えば長かった戦争は既に終結し戦闘行為などこの宇宙の何処にもなかったはずだ。
「ああ、戦死したのはもっと前だ。・・・・・・戦死者が多かったからな、通知が行くのに随分時間がかかったのだろう」
 ロイエンタールはグラスのウイスキーをグッとあおった。あの戦争が終わってからはまだ日が浅く、思い出すのに痛みが伴った。
「しかし、リーンハルトの友人とは同じフェザーン大学の学生なのでしょう? それがなぜ戦死を? 確か大学生は兵役を免除されていたはずですが・・・・・・」
「『一億人百万隻体制』を覚えているか? 俺たちはそれを現実のものとするために計画を立て粛々と実行した」
 高き理想を掲げた金髪の覇者は巧妙に民衆をあおり立て、入隊希望者が歴史を振り返っても類を見ないほどに激増した。艦艇も高速駆逐艦を初め最も消耗の多い小型戦艦が急造された。兵も艦も想像以上に容易く増えた。しかし、艦が増えればその分士官が要る。士官学校の卒業年次を一年繰り上げても士官の数は追いつかない。
「経験の浅い初級士官の戦死率は非常に高かったし、軍務省は士官学校出の貴重な士官を消耗したくなかった。そこで大学生を徴集した。『志願者』を募ったなどと言うが、ノルマを課せられた大学側からすれば、志願などとそんなものは単なるお題目にすぎなかっただろう」
 ベルゲングリューンはロイエンタールの空いたグラスにウイスキーを注いだ。水も氷も入れずに差し出す。彼の愛する人が強い酒を求めているのがわかるからだ。
「フェザーン大学でも志願を募ったがもちろん、そう学生が集まるはずもない。ノルマを達成するために・・・・・・彼の大学では抽選をしたようだ」
「抽選! くじ引きで・・・軍隊行きを決めたのですか?!」
 軍務省の動員課ですら動員台帳をもとに、なおざりとの誹りはあるものの一応の調査をして決めるものを、それぞれの家庭環境を考慮せず無作為に抽出するなど、長く軍籍にある者として信じられなかった。軍務につくとは即ちその命を差し出すのと同義だ。だから、志願を除き徴兵する際には、少なくとも家名が絶えないように最低限度の配慮をしなければならなかったはずだ。少なくとも、ベルゲングリューンはそう思っていた。
「それで、当たりを引いた学生の中にリーンハルトの友人・・・親友がいたそうだ」
「・・・・・・」
「彼は教育学部の学生で、将来は教員を目指していた熱心な学生だったそうだ。そして彼は学生結婚をし、その時彼女の腹には彼の子供がいた・・・」
 言葉を切ったロイエンタールは俯いたままどこか遠いところを見るような目つきをしていた。見守る二人はちらりと目を合わせ、互いに同じことを思っているのを感じ取った。路頭に迷う腹に子を宿した女、その姿は彼らにある一人の少女を思い起こさせた。今が平和で幸福であるだけに、彼女の不幸を思うとやり切れなかった。
「ああ、すまない。何処まで話したかな?」
 そう一人ごちてロイエンタールは顔を上げた。ベルゲングリューンはそっと胸を撫でおろし、「リーンハルトの友人の話です」と教えた。
「彼が何処に配置されたのか、そこまでは確かめなかったが、とにかくあの戦乱のどこかで命を落とした」
 ワグナー一人が痛ましそうな顔をした。
「まあ、学生を選ぶことができなかった大学側の気持ちも分からないではないさ。彼の教授も言っていた。『誰からも文句のでない方法をとった』とな。誰しも、そんな責任を引き受けたくはないものだ」
「しかし、それはおかしいでしょう」
 思わずベルゲングリューンは声を上げた。大学が、大人が責任を負うことを放棄すれば・・・
「その責任を、子供が感じてしまうのではありませんか? リーンハルトは自分のせいで友人を戦場に・・・死なせてしまったと。自分がもしあの時ああしていればと考える余地を与えるということは、とても残酷なことなのではないでしょうか」
 ベルゲングリューンは初めて甥の苦しみの一端を見たような気がした。
「さすが、彼の叔父御のことはある」
 ロイエンタールがふふっと笑った。
「俺はこの話を聞いても、そこまでたどり着けなかった」
 ロイエンタールがベルゲングリューンの言う可能性にたどり着いたのには、もう一つの手がかりがあったのだという。半年前、急に大学を辞めると言い出したリーンハルトに、担当教授はその理由を問いただした。彼は「自分にはここにいる資格がない」と言い、無理矢理にでも退学手続きをしようとした。その様子にただならぬものを感じた教授は、考える猶予が必要だと言い聞かせ、「休学願い」を提出させた。まずはゆっくり休みなさいと、教授は彼にオーディンに戻るように勧めたという。
「その後、彼が何をしたか」
 分かるか、と疲れた顔をベルゲングリューンに見せた。
「彼は軍務省に出向いたのさ」
「軍務省に?!」
 

********************

「軍人になりたいって、君?」
「はい・・・・・・」
 リーンハルトは神妙に答えた。ここは軍務省、リーンハルトの数少ない軍隊に関する知識では、こここそが軍人を採用する機関だった。
「君は、大学生かな?」
 受付の女性が突然の来訪者に困り果てているとき、高位そうな軍服を着た将校が助けの手をさしのべた。
「法学部の学生さんだね?」
「あ、はい」
 学部まで言い当てられたことにリーンハルトは面食らった。しかし、軍側からすればそれは当然のことで、法学の知識のある学生を短期現役として法務士官として採用するほか、大学生とおぼしき若者を採用する予定は全くなかったのだ。
「『短現』も最近は試験があるんだけど、今年はもう終わったんだよね」
 申し訳なさそうな表情を浮かべ、その少将は言った。法学部に籍を置くリーンハルトも「短現」という言葉には聞き覚えがあった。
「いえ、法務士官ではなく、普通の士官として前線に行きたいんです」
「前線!」
 将校は思わぬ言葉を聞いたとばかりに驚いて見せた。受付の女性の困ったように笑っている。
「君、この宇宙広しとは言え、今どこに『前線』なんかが存在するというんだい? 私たち軍人だって戦争が終わってほっとしているというのに、とんだ戦争屋がいたもんだ!」
 それに、たとえその『前線』とやらがあったとしても、君が『士官』になる道はないよ、と残念そうな白々しい表情を浮かべ少将は言った。
「せっかく君は法学の知識を得たんだ。それを活かすべきだと私は思うね」
「でも・・・・・・」
 そんな普通の、平和で安穏としたものではダメなんだ。
「僕は軍人になりたいんです! 無理を承知でお願いします。僕の叔父はハンス・エドアルド・ベルゲングリューン。ハイネセンで上級大将をしています。身元は確かです。だから、どうか!」


********************
 
「軍務省へ問い合わせた。オペレーターにそのとき対応した者を探すように言っていたら、ヤツが出てきた」
「『ヤツ』とは?」
「オーベルシュタインだ」
「軍務尚書が!」
 しかし、考えてみればそれは至極当然のことで、何も知らない交換手が通信を開き、そこにロイエンタール新領土総督の姿を見いだせば、驚きふためいて上に報告するに違いないのだ。上が上に回し、その行き着く先があのオーベルシュタインであったにすぎない。
 ロイエンタールは交換手に「半年ほど前に軍務省を訪れたクラインベックという学生を対応した者」を呼び出すように命じていた。このことも耳に入っていたようで、開口一番オーベルシュタインは、「あの者がそちらに行ったのか?」と言った。
「久闊を叙する間柄でもないからな、話は早かった」
 それに、とロイエンタールは続けた。
「ヤツは俺とおまえのことを知っているからな、彼のことを俺が問うてなんの不思議もないわけだ」
 固有名詞を全く欠いた表現に込められた意味を察し、ベルゲングリューンは声を失った。聞きたいことは山ほどあったが、それをこらえた。
「彼を応対したのはフェルナーだったようだ」
 フェルナーはロイエンタールにその時の様子を語った。
「彼は軍人になりたがっていたそうだ。そして、前線に出たいと。それでようやく俺もおまえの考えに追いついた」
 いつになくロイエンタールは厳しい表情になっていた。
「彼は感じずともよい責任を感じ、悩み苦しんでいる。これは、俺たちが解決せねばならない問題だ」

<続く>


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